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毎度ありがとうございます!
突然ですけど、このたび自宅を引っ越す事にしました。
まぁ、いろいろあって、気に入って購入した家じゃなかったもんで、速攻で売りに出して、
代わりに同じ学区内に、カミさんと子供達みんなが気に入った中古住宅を購入しました。
あちこち見ずに一発で決めたんで、周りの友人たちからは
「もっとじっくり見てから買えば。」なんて心配してもらいました。
コレばっかりは性分なんでしょうかね。
「よし、決めた。」って思ったら、何でも即実行です。
迷うのも、もったいない。
家族みんなが笑って暮らせるんなら、それでいいじゃないですか。
探せばアラも山ほどあるのは、百も承知の上ですし、
中古住宅に100%満足なんてありえないものだと思ってます。
そんなことよりも、家族みんなで話し合って決めた家ってトコが大事なんです。
これから、引越しで大忙しになりますけどね。
それよりも今日、今の自宅を内覧しにいらした方が、15分ちょっと家の中を見渡して、
「うん。この家、買います。」
って、あっさり売れちゃったのには驚きました。
カミさんと二人で「えっ?はあ・・・。」なんてポカンとしてたんですけど、
世の中にはいるもんですなぁ。。。
だってキャッシュですよ。キャッシュ。
後からきちんと不動産屋さんから説明を受けましたけど、
「決して衝動買いではなくて、ずっと探してた方なんで、買いたい要素が揃ってたからですよ。」
って言われたんで安心しました。
自分達にとっては少し暮らしにくい家でしたけど、
新しい家主の方に気に入って頂けたのは、本当にうれしい限りです。
ハウスクリーニングも入れますけど、引越ししながら少しでも綺麗にしてお渡ししたいと思います。
それと、今までの感謝もこめて。
さてさて、今日は「鶴岡東」の夏が始まります。
バックネット裏でなんて、カッコつけた観戦はしません。
応援しに行くんですから、当然ベンチ上でメガホン持って声出します。
これ、基本です。
とにかく今日は声がかれるまで、精一杯、応援してきます。
オッシャー!!! -
毎度ありがとうございます!
今日は開店前に「キッチンFutaba」のヒデくんから、ヤングコーンの差し入れを頂戴しました。
わざわざ、ありがとうございます!
お客様とスタッフとで美味しく頂きました。
そういえば、今の場所は「やんちゃ」の前は「やきとり・ふたば」だったんですよ。
偶然とはいえ、なにか運命的なものを感じますよねェ~。
ヒデくん、本当に、ありがとうでした。<(_ _)>
で、いよいよ夏の高校野球が開幕するわけですけど、少しムカついてるんで本音で書きます。
我が母校、「鶴岡東高校野球部」は、良くも悪くもバッシングされます。
監督の指導方法やら采配やら、学校の体制やら方針やら、挙げたらキリがないくらい叩かれます。
そういうことを言うほとんどの人が、直接関係のない外野の人間です。
「あのさ、放っといてくんない?」
やるのは選手なんですよ。
あなたに、全然関係ないでしょ。
しかも、もっとムカつくのは野球部を辞めた選手の親とかが、学校批判や監督批判すること。
「辞めてから、何言ってんの。そういうことは辞める前に言いなさい。」
自分が入部した時も、44名が入部して33人辞めてるんですよ。
そこには33通りの、辞めたヤツの言い分があるわけです。
練習がキツイだの、上下関係が厳しいだの、あれがイヤだの、これがイヤだの・・・。
全部、辞めたことを正当化するための言い訳でしかないんですよ。
現役時代の自分は、「あーあ、こいつも逃げんのか。」って本気で思ってましたからね。
最近は、その言い訳を親が代弁して、「あの監督が悪い」だの「あの学校はダメだ」だのと、
情けないくらいに、必死に吹聴してまわってる。
この前も、自分の同級生の子供が辞めてたのを知らずに、
「せがれ、頑張ってるか?」って聞いたら
「あそこの方針が合わなくて辞めさせた。ダメだな、あれじゃ。」
なんて言いやがる。
「それ、辞める前に、言ったのか?」
「いや、どうせ言っても無駄だろ。」
「なんだ、それ。せっかく入部したのに、それでいいのかよ。」
「いいんだ、いいんだ。別に。」
「・・・ふーん。」
だったら「ウチの息子、根性無くってさ、ついていけなくて辞めたよ。」くらい言えっていうんですよ。
そりゃ、自分も我が子は可愛いし、出来れば嫌な思いはさせたくないという感情は当然ありますよ。
でも、子供の言い分全部鵜呑みにして、いい大人が批評して歩くっていうのはいかがなものかと。
ちなみに毎年2月末に行われる「3年生を送る会」にOB会から来賓で出席しますけど、
「鶴東野球部に入って良かった。」
「監督を甲子園に連れて行きたかった。」って、みんな号泣してるんですよ。
父兄も、生徒も、みんな感謝の気持ちを込めて「ありがとうございました!」の大合唱ですけどね。
そこには、最後まで頑張ったヤツにしか手にすることが出来ない、自信と達成感があるんです。
そして、それは一生の宝物になりますから、絶対に。
スイマセン。ついつい、熱くなってしまったことをお許し下さいませ。
選手も指導者もプロじゃないんだから、純粋にプレーする選手たちを応援してあげましょうよ。
今年、甲子園行ってくんねェかなぁ。。。 -
毎度ありがとうございます!
昨日はお墓参りのあと夕方になってから、お袋と仙台にいる姉貴が来店しました。
兄貴夫婦も義父のお墓参りで不在になるという事で、夕食は「やんちゃ」でということでした。
久しぶりに母娘だけということもあってか、まーやかましい!!
でも2人とも楽しそうに盛り上がってたんで、今日のところは良しとしますか。
それより、そこで聞いた庄内弁にまつわる笑い話をひとつ。
姉貴が小学校に入学して間もない頃、お袋と叔母に連れられて京都に旅行に行ったんだそうです。
あっちこっち観て周って、最後にでっかいデパートに買い物に寄って、
姉貴を遊ばせるために屋上にある遊園地へ行ったときの話し。
鶴岡にはないようなでっかいデパートの屋上に、これまた見たこともない大観覧車があって、
その迫力に当時6歳の姉貴は怖くなったんだそうです。
「ほれ、エミコや。これ乗るぞ。」
「やんだー、おっかね。おっかね。」
「なんにも、おっかねぐね。ほれ。」
「おっかね。おっかね。」
「なんだあんだやー。」
「おっかね。おっかねー。」
母親の裾を引っ張りながら「おっかね。おっかね。」を連呼する姉貴とお袋のやり取りを
一部始終見ていた観覧車の係員が、庄内弁で「おっかね=怖い」とは分からず、
お袋に「お金ですか?大丈夫ですか?お金もってますか?」って、心配して声かけたそうなんですよ(笑。
お袋はその言葉にピンときてなくて「まんず失礼な事いう係員だごど。」って思ってたらしいんですけど、
姉貴は自分の言葉が訛ってて誤解されてるんだって気付いて、急に恥ずかしくなってしまって、
「あど、行ご。行ご。」って帰ってきたんだそうです。
自分の知らない、お袋と姉貴と2人の思い出で、最高に笑わせてもらいました。
他にも親父とお袋のなれそめ話しや、今の実家を建てたきっかけ話しとか、
面白い話がポンポン出てくるんですよ。
お盆に家族が集まると、昔話が多くなりませんか?
そんな時間も大切にしていきたいと、改めて感じた今年のお盆でした。 -
毎度ありがとうございます!
今日、7月13日は鶴岡の旧市内ではお盆になります。
これから実家に行って、墓参りに行く予定です。
ウチは自分が次男坊なモンで、家には仏壇がありません。
父の写真がひとつ、写真立てに入れて飾ってあるくらいです。
このブログを書くようになって、よく親父のことを思い浮かべたりするようになりました。
そのせいか、自分も親になり親父に対する想いが強くなったような気がします。
やっぱり、歳をとってきたのかもしれませんね。
以前までは、あまり意識した事がなかったんですけどね。
(過去記事:「徳蔵」参照)
最近「オレってやっぱり親父の子だなぁ。」って思うことが多いんですよね。
親分肌で面倒見がよく、「ダメなものはダメだ。」っていう頑固なトコ似てます。
そのくせテレビ見ながら涙流すような、涙もろいトコも似てますし。
自分が26歳の時に、71歳で他界したんですけど、もう少し長生きしてもらいたかったですよね。
親父が45の時に自分が生まれたんで、小学校入学時にはすでに50オーバー。
他の家のおじいちゃん並みに歳いってて、子供の頃はそれがイヤでイヤで仕方なかったんです。
学校とかに来ると、「お前んち、じいさん来たのか?」なんてからかわれたりもしたもんです。
それでも、自分が大学に行ってからは完全に大人として接してくれて、
「おい、タバコくれ。」
「おい、そこまで乗せてけ。」
「おい、一杯、付き合え。」
なんて会話になってないような会話でしたけど、楽しい時間でしたよね。
その数年後に、函館から鶴岡に帰ってきて「やきとん屋」をやってる姿を
見せたかったですし、自分の子供達(外孫)も見せて上げたかったですよね。
今日は少し早く家を出て、墓前に日本酒「徳蔵」でも置いて、一杯酌み交わそうと思ってます。
それでは。
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毎度ありがとうございます!
今週も慌ただしい中、一週間の営業が終わりました。
最近、何かと家の中のことで忙しく動き回り、どっと疲れが出た感じです。
「疲れが出たら身体を休める。」簡単そうで一番難しいことですよね。
特に、休日はお父さん業もあるもんで、今日は参加したい酒飲みイベントもあえなく断念・・・。
残念ですけど、仕方ないですからね。
今日は母校、鶴岡東高のグランドに、夏の大会の差し入れでも持っていって、
直前の選手たちの様子でも見てこようと思ってます。
ここ最近はあんまりグランドにも行ってなかったもんで、
邪魔にならないように少し時間を掛けて見てきます。
もうこの時期は、がむしゃらな練習はいりませんよね。
ゲージの中では気持ちよくバットが振れていて、
ノックの時は足さばきが軽快で声がよく出ていれば、それでよし。
軽めの練習でも、モチベーションを落とさないように、
上手くコントロールしてほしいところです。
ところで、先日までの自分のブログを見たお客様から、
「背番号ってそんなにこだわるモノなの?」と、ご質問がありました。
背番号の前に、試合用のユニホームはベンチに入ったメンバーしか着れなかったんですよ。
それ以外は、たとえ3年生でも白い練習用ユニホームを着て応援してたもんです。
鶴商学園では、そのベンチから漏れた白装束の集団を「白虎隊」と呼んでいました。
今時は、試合の応援ともなれば、ベンチ外も全員が試合用のユニホーム着てますけど、
当時は誰の目から見ても、はっきりと色分けされてしまうわけです。
3年間、「白虎隊」っていう先輩方も、たくさん見てきましたし、
ベンチ入りメンバー発表に漏れて、帰りの赤川の土手を涙して帰る姿も身近で見てきました。
自分達の学年は44人が入部して、最後は11人しか残らなかった学年でしたから、
背番号は温情で、上級生からレギュラー番号を付けさせてもらえたんだと思います。
現に、自分の同級生で、三塁コーチャーをやっていたフジタは背番号6でしたけど、
最後の夏は一度も出番はありませんでしたし、ライトのクリハラも背番号9だったけど代打専門だった。
背番号は監督なりの思いやりだったのかも知れないですけど、
自分はその中途半端さがイヤだったんですよね。生意気言いますけど。
今は珍しくないですけど、背番号15を付けたキャプテンなんて、どこにもいない時代でしたからね。
試合にも出ないのに一ケタつけてる選手なんて、強豪校見渡してもどこにもいませんでしたよ。
開幕が近づいてきてテンション上がって、高校野球ネタが続いてしまいました。
何とぞ、ご勘弁のほどを・・・。
暑くなりそうですが、みなさま素敵な週末をお過ごし下さい。 -
毎度ありがとうございます!
では、昨日のつづきを。
春季県大会の初戦を何とか逆転勝ちして、その後も勝ち進み夏の大会のシード権は獲得したんです。
でも、あの米沢興譲館戦以降は、安定感のない3年生アイタを先発させることはなく、
実質は2年生エース・ハセガワじゃないと夏は戦えない事は、チーム内みんなが感じていた事でした。
自分も、背番号は3のままコーチャーボックスに立ち続け、夏の本番を迎えたんです。
初戦は、鶴岡市営球場で相手は新庄農でした。
どう見ても鶴商学園が圧倒的有利だったんですけど、この試合の先発はなんとアイタ。
連戦の続く夏の日程を見越して、少しでもハセガワを温存したいという思惑があったからなんです。
思惑はどうであれ、そうなると「6番、ファースト」で自分が出場する事になるわけですよ。
「今度こそ見てろよ、コノヤロー!ヨッシャー!!」
が、またもやアイタの立ち上がりが安定せず、なんと初回に死球と四球を絡めて、あっさり1点献上。
春の興譲館戦と全く同じ展開になったんですけど、この時は、負けたら終わりの試合にもかかわらず、
監督は投手交代をしなかったんです。
何とか1点に食い止めたその裏、いきなり2死満塁の最大の見せ場に自分に回ってきて、
見事にレフト前に同点タイムリー!!!やる時はやります、この男。
興奮しすぎて、一塁ベース上で亀田興毅ばりに「どんなもんじゃい!シャー!」
てなガッツポーズをとって、塁審に注意されるありさま。(当時はガッツポーズNGだった。アホか)
でも、そんなのお構いなし。いいんですよ、結果を残せれば。
ところが・・・2回に入っても、アイタがピリッとしない。
四球・四球とランナーを出したところで、たまらずピッチャー交代、アイタがファーストへ。
・・・もう、不思議と悔しくはなかったですよね。
ただチームが勝てばそれでいい、本気でそういう気持ちになってましたから。
結局、その試合をコールド勝ちで収め、順当に勝ち上がったんです。
そんな自分の高校最後の打席は、準々決勝の山形南戦でした。
相手ピッチャーが自滅し、6回まで5人のピッチャーが登板するも、
誰もストライクが入らないという、何とも締まらないゲーム展開。
1イニング6死四球とかを繰り返し、6回までで10対1のコールド寸前。
6回裏1死2、3塁で、あと1点入ればコールドが決まる場面で、
監督に呼ばれ「次、イシカワ行くぞ」って言われたんですよ。
「ヨッシャー!」なんて気合いが入って、ネクストでマスコットバットを
ブンブン振り回してたんです。
思った通り、前のバッターも四球で満塁。
ここで、「代打、イシカワ。」
「よーし!ここはオレが決めてやる!」なんて気合い十分でバッターボックスに向かおうとしたら、
監督に手招きされて「ファーボールで決まりだから、振らなくていいぞ。」
「・・・。」
代打に「振るな。」なんて、そんな指示に、「ハイ。」と言うバカがいるわけがない。
またまたスイッチが入ってしまって、「ふざけんじゃねーよ」と完全に頭に血が上ってました。
何年か後に、監督にこの時の質問したら、
「満塁になってなかったら打たせたけど、ダブルプレーにでもなってコールド逃がすと、
もう1イニング、ハセガワが投げなきゃならんだろ。翌日が日大山形戦で日程がきつかった。」
「・・・。ごもっともなお話しで。」
だったら、そう言って下さいよ・・・。オレが分かるわけねーじゃん。
ピッチャーをやった事のないような野手の投げる第1球目を思いっきりフルスイングして、
レフトスタンドに入るほどの大ファールを打ったんです。
切れていく打球を見ながら、思いっきりホームベースをバットで叩きつけて悔しがる代打男に、
県野球場の観客からはどよめきにも似た大声援が上がったんですよ。(・・・たぶん)
監督から「振るな。待て。」のサインが出ているのは、ベンチ全員が分かっているんです。
でも、自分はベンチなんか全く見てませんでしたから。と言うより見なかった。
ただ、ベンチからのみんなの声ははっきりと聞こえてました。
「イシカワ~。打てよ!打つしかねーぞ!打ってお前が決めろ~!!」と。
みんな、自分の気持ちを分かってくれてたんです。
でも、相手投手がその大ファールで萎縮したのか、そのあと全くストライクが入らず、
最後はショートバウンドするほどのクソボールで、押し出しゲームセット。 さすがにワンバウンドの球は打てないですからね。
次の日の準決勝、日大山形から8-4で負けて、甲子園の夢はここで終わったんです。
中学時代から6年間チームメイトだったアイタの肩が壊れていたのを知ったのは、
もっとずっと後になってからの話です。
今でもよくアイタとは、あの時の話しになるんですけど、
「あの夏、お前よりオレを使った方が、もっと勝てたと思わねーか。」
「いや。全然、思わない。」
「だよな。オレもそう思う。」
「ハハハ。」
1年生で調子こいてマスクをしてグランドに来て、最後は監督のサイン無視で締めくくったバカに、
今できる事は、精一杯後輩を応援してあげることと、OB会を盛り上げることくらいしかできません。
勝っても負けても、恩師・仲間すべてが自分の財産になります。
「頑張れ!鶴岡東!」応援宜しくお願いします。