毎度ありがとうございます!
愛車ピクシスのナンバー灯をLEDにしてもらうため、いつもの佐藤タイヤへ行ってきました。
さすがアダチ大先生、作業時間1分、速攻で作業完了です。
ココアを飲みながら世間話をしていると、店長のハラダくんから
悲しいお知らせを聞かされました。
もう7年くらい前に、ウチで面接をして採用したミチヤが亡くなったと。
採用はしたけれど在籍期間はわずか一週間、土曜に歓迎会をやって月曜にはもう来ませんでした。
何が辞める理由だったのかは、自分にはわかりません。
ただ、期待していたのも確かですし、随分とフレンドリーで働きやすい雰囲気を作って
長く頑張ってもらいたかったという気持ちもありました。
ミチヤが辞めたとしても、もちろん自分は佐藤タイヤには行っていましたし、たまにハラダくんから
ミチヤの近況も聞かされていたりして、元気に頑張っているもんだと思っていたんです。
ご病気でお亡くなりになられたそうで、まだ48歳は早すぎる旅立ちです。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
長い人生においては人との関わりや交わりとさえ表現できない、いわば点のような一瞬だけの
出会いがたくさんあるものです。
昨日のブログの大学時代の下宿の住人だって、1年間同じ屋根の下で暮らした仲間とはいえ、
おそらくこの先の自分の人生において絶対に再会することはないでしょう。
たくさんの仕事やバイトをやってきて、その時その瞬間に出会ったり一緒に働いた仲間は
数え切れないほどいたわけです。
そういう関係性の希薄な人との点のような関わり合いのたびに、
「きっとこの先この人とは二度と出会うことがないだろうな。」と
冷静に思ってしまう自分が、いつの時代でもそこにいました。
流通センターでアルバイトしていたときも、水産会社で働いていたときも、証券会社時代でも
サラ金時代にも、その出会いの終わりには何か物悲しさを感じていたんですね。
よく辞める時に「送別会やりましょう。」とかいうじゃないですか。
本当にもうここにいる人たちとは会うことはないだろうな、と思って酒を飲んでましたから。
それが鶴岡に帰ってきてからですかね。
狭い田舎の街ですから、どこかで何かのタイミングでばったり出会うことのほうが多いんですね。
ラーメン屋だったり、三川イオンだったり、ホームセンターだったり・・・
「おー!久しぶり~!」なんて再会は、鶴岡では日常茶飯事ですもんね。
鶴岡で出会った人たちは、またどこかでばったり会うと思って間違いないですから(笑
すべての出会いが内容の濃い付き合いになるわけでも、深い話しの出来る関係性になるわけでも
ないんですけど、そう考えてみると改めて人との出会いの繰り返しが、その人の人生を左右すると
言っても過言ではない気がします。
壮大なRPGの主人公のように、たくさんの経験と出会いを繰り返し、経験値や得意な分野を極め
最初の頃には考えられないような成長を遂げていくというね。
だから、人の数だけ人生の主人公がいるということ。
生きていくことはそんなにドラマチックなものではなく、ごく平凡なものだと気づかされます。
いま自分はブログを書くというライフワークの中で、どうでもいい昔の話しや、誰やねんそれ
みたいな昔出会った人のことを書くことができます。
過去に出会った人たちを忘れない、良くも悪くもその出会いを覚えていることって、
なんだろな、大袈裟じゃなく自分にとってのエネルギーのような気がするんですよね。
今日も誰かと出会うかもしれません。
いつもの自分の場所で、今日ものんびりと頑張ります。
やんちゃで一緒に働ける人、いたら紹介してください。
その出会い、大切にさせて頂きます。
愛車ピクシスのナンバー灯をLEDにしてもらうため、いつもの佐藤タイヤへ行ってきました。
さすがアダチ大先生、作業時間1分、速攻で作業完了です。
ココアを飲みながら世間話をしていると、店長のハラダくんから
悲しいお知らせを聞かされました。
もう7年くらい前に、ウチで面接をして採用したミチヤが亡くなったと。
採用はしたけれど在籍期間はわずか一週間、土曜に歓迎会をやって月曜にはもう来ませんでした。
何が辞める理由だったのかは、自分にはわかりません。
ただ、期待していたのも確かですし、随分とフレンドリーで働きやすい雰囲気を作って
長く頑張ってもらいたかったという気持ちもありました。
ミチヤが辞めたとしても、もちろん自分は佐藤タイヤには行っていましたし、たまにハラダくんから
ミチヤの近況も聞かされていたりして、元気に頑張っているもんだと思っていたんです。
ご病気でお亡くなりになられたそうで、まだ48歳は早すぎる旅立ちです。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
長い人生においては人との関わりや交わりとさえ表現できない、いわば点のような一瞬だけの
出会いがたくさんあるものです。
昨日のブログの大学時代の下宿の住人だって、1年間同じ屋根の下で暮らした仲間とはいえ、
おそらくこの先の自分の人生において絶対に再会することはないでしょう。
たくさんの仕事やバイトをやってきて、その時その瞬間に出会ったり一緒に働いた仲間は
数え切れないほどいたわけです。
そういう関係性の希薄な人との点のような関わり合いのたびに、
「きっとこの先この人とは二度と出会うことがないだろうな。」と
冷静に思ってしまう自分が、いつの時代でもそこにいました。
流通センターでアルバイトしていたときも、水産会社で働いていたときも、証券会社時代でも
サラ金時代にも、その出会いの終わりには何か物悲しさを感じていたんですね。
よく辞める時に「送別会やりましょう。」とかいうじゃないですか。
本当にもうここにいる人たちとは会うことはないだろうな、と思って酒を飲んでましたから。
それが鶴岡に帰ってきてからですかね。
狭い田舎の街ですから、どこかで何かのタイミングでばったり出会うことのほうが多いんですね。
ラーメン屋だったり、三川イオンだったり、ホームセンターだったり・・・
「おー!久しぶり~!」なんて再会は、鶴岡では日常茶飯事ですもんね。
鶴岡で出会った人たちは、またどこかでばったり会うと思って間違いないですから(笑
すべての出会いが内容の濃い付き合いになるわけでも、深い話しの出来る関係性になるわけでも
ないんですけど、そう考えてみると改めて人との出会いの繰り返しが、その人の人生を左右すると
言っても過言ではない気がします。
壮大なRPGの主人公のように、たくさんの経験と出会いを繰り返し、経験値や得意な分野を極め
最初の頃には考えられないような成長を遂げていくというね。
だから、人の数だけ人生の主人公がいるということ。
生きていくことはそんなにドラマチックなものではなく、ごく平凡なものだと気づかされます。
いま自分はブログを書くというライフワークの中で、どうでもいい昔の話しや、誰やねんそれ
みたいな昔出会った人のことを書くことができます。
過去に出会った人たちを忘れない、良くも悪くもその出会いを覚えていることって、
なんだろな、大袈裟じゃなく自分にとってのエネルギーのような気がするんですよね。
今日も誰かと出会うかもしれません。
いつもの自分の場所で、今日ものんびりと頑張ります。
やんちゃで一緒に働ける人、いたら紹介してください。
その出会い、大切にさせて頂きます。
コメント
1. 無題
特に野球界は。だけど、だから面白い。
先輩後輩のタテ、他校ライバル校との横。それに話が合わせられるし合わせてもらえるし。一昨日の夜はそんな夜でした。
やんちゃに行かずスナックに行ってしまい申し訳ございませんでしたm(__)m
2. >パチョレックさん
何かのきっかけで「線」へと発展していってこその
人の「縁」なんでしょうね。
縦と横、そんな「縁」を大切に。