やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ
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毎度ありがとうございます!

お知らせが遅くなりましたが、先週から「煮込み」の販売を再開しております。
例年ですと、夏の風物詩「えだまめ」と入れ替わって煮込みを作り始めていたんですけど、
今年は枝豆の収穫が遅くなったこともあって、9月に入ってからもメニューから「えだまめ」
を外さずにいたんですね。

が、さすがに朝晩は少し肌寒くなってきて、自分自身が煮込みが食べたくなってきました。
自分が食べたいといことは、きっとお客様も食べたいでしょうということで、また皆さまに
「軟らかくて美味しい!」と言っていただけるように、また煮込みを作る日々が始まりました。

煮込みを作っている間は火のそばを離れられませんので、ブログの更新がしやすくなります(笑
いや、更新できるように頑張ります、かな。

先日は「鉄道の旅」でしたけど、今回は「高速の旅」でも書いてみたいと思います。
「陸の孤島」とまで言われた鶴岡に18歳まで住んでいた自分は、普段の生活の中で
高速道路なんかとは全く無縁の生活を送っていたんですね。

もちろん、車の免許を取るために通った教習所でも、高速教習の実技講習はありませんでしたし。

大学生になり、東京や神奈川からの同期と遊ぶようになって、そいつらの実家まで遊びに行こうと
冬休みに車で東北自動車道を突っ走ったのが初めてだったはずです。

当時はスタッドレスタイヤなんてまだなくて、スパイクタイヤの時代でした。
車をいじるのが好きだった奴らは、フルピン仕様だったりマカロニピンの打ち込みだったりして、
雪のない路面を走るのを極力嫌がっていたものです。

高速走行でピンが飛ぶのも嫌なんですけど、フルピンで120km出して8時間も走るなんて
グリップが効かなくて滑りますから、 まさに自殺行為そのものなんですよね。

さらに、都内でスパイクタイヤをシャーシャー鳴らしながら走るのもカッコ悪いということで、
仙台過ぎたあたりのPAで、ノーマルタイヤにタイヤ交換をするという準備の良さを見せますw
わざわざトランクに4本積んでいくんですからねぇ。。。

ライトに照らされ飛び去ってゆく案内板の文字を眺めながら
青森からの670kmの高速の旅を楽しんだのを思い出します。

あの頃はスピードが100kmを越すと、警告音がキンコンキンコン鳴って
うるさいんで、その音を掻き消すようにコンポのボリュームを上げて
走らなければならなかったのも懐かしいですよね。

当たり前の事だけど「日本のどこに行っても、そこで暮らす人々の日常があるんだなぁ」
みたいな、自分の中にある旅情的な感覚が好きでした。

大学時代の友人達とは、今はほとんど連絡を取っていませんし、なかなか会う機会もありません。

どうしてるんだろうな。
たまには電話してみようかな。

よーし、煮込みが出来上がりました。
これから買出しに行ってきます。

これが自分の日常です。
いい天気になって、良かった良かった。

毎度ありがとうございます!

昨日深夜にYouTubeを眺めていたら「列車の旅」の動画を見つけて、
気がつけば1時間も見入ってしまってました。

某政治家が列車で旅する番組だったんですけど、列車の窓から見える山や海の美しさや、
街から街へと移り行く景色を見て「今や列車の旅がなくなって、それは移動になってしまった。」と
嘆いていたのが凄く印象に残っていました。

高校を卒業して函館の大学に進学し、学生時代の帰省は国鉄が主だった時代です。
大学へ入学した頃は、まだ青函連絡船がありましたから、列車と船の旅で10時間くらいかけて
鶴岡に帰省していました。

早く鶴岡に帰りたいという逸る気持ちとは裏腹に、10時間という長い長い時間がまさに
鶴岡と函館の距離を物語っていて、それはまさしく旅と呼ぶにふさわしいものだった気がします。

時刻表を読んで面白いと思うようになったのもこの頃ですし、暇つぶしにと駅のキヨスクで買った
西村京太郎シリーズにハマってしまって、十津川警部の推理には随分と乗り換え時間の退屈さを
助けてもらったものです。

夜中の連絡船に乗って、二等客室のカーペットに横たわり、青森の街の灯りが見えてきたら
デッキに出て、夜が明けてくる朝焼けの中で着岸のために慌しく動き回る船員たちを見るのが、
いつの間にか連絡船での習慣になっていました。

青森からは早朝出発の特急白鳥に乗るのがいつものパターン。
白鳥の座席上に荷物を押し込み、駅のホームで立ち喰いうどんを食うのが一番の楽しみでした。

4時間の船旅から一転し、朝方の気だるいなかで食べる温かいうどんの味は、
たぶんこの先も一生忘れることはないでしょう。

青森からは寝台特急日本海も出ていたんですけど、できるだけ夜中に移動したかった自分は
上りは「白鳥」で、函館に戻る下りは「日本海」で、というパターンが多かったですかね。

日本海のB寝台は、酒田までの寝台料金を払うと青森までそのまま下段ベッドを自由席として
使って行けたんで、ちゃっかりベットに寝ながら行けるという最大の利点もありました。

確かに今なら考えられない時間の使い方ですし、限られた休日の中での移動手段としては
非効率的なのかもしれません。

だけど、そういう時間を使いながら東北ー北海道を旅したおかげで、日本の広さを実際に
感じることができましたし、今となっては本当に貴重な経験だったと思います。

時刻表片手に、ひとりで列車に飛び乗り、乗り換えホームにスムーズに行くことが出来たら、
なんとなく大人になった気がしたものです。

腰が痛くなるからという理由よりも、ゆっくりと移動に時間をかけれる休みが
取れない大人になってしまった自分を少し寂しくも感じます。

鉄道オタクではありませんが、なんだか今夜は、
あの頃の列車の旅の夢でも見そうです(笑

これから風呂に入って、温まってから寝ます。

おやすみなさい。

 

毎度ありがとうございます!

「人生山あり谷あり」とよく云いますけど、自分自身を振り返ってみても
全てが順風満帆だったわけではありません。

20代後半から30代半ばまでの5~6年間は、正直どん底状態だったと思います。
コンビニのフランチャイズシステムでオーナーとしてお店を持ったものの、酒・タバコを販売する
競合店がすぐそばに出店し、売り上げ低迷でも契約のために辞めるに辞めれず、
生活していくだけでも借金がどんどん膨らんでいく生活を送っていた時代です。

コンビニ本部の貸付制度や生活金融公庫はもちろん、家族や友人にまで借金したことがあります。
自分の結婚式に来てくれた同期の結婚式に呼ばれても、北海道から出席するお金を工面できず、
その頃の結婚式にはほとんど出席できずにいました。

情けなかったですよね、やっぱり。

自分自身の若さや甘さ、見栄っ張りやカッコつける性格も大きな要因だった気もします。
理想ばかりを語り、現実への不満を口にし、一発逆転を狙ってギャンブルばかりやっていました。

人には言えないところからの借金にも手を出し、このままでは本当に後戻り出来なくなると、
明日に怯えながら過ごした夜もあります。
たくさんの人に迷惑をかけましたけど、助けてくれた人もいたのも自分とっては大きな救いでした。

人生どん底の時に、人は夢を語ります。
仕事のビジョンや借金返済に欠かせないものは計画性です。
一発逆転ではなく、これから5年先10年先へとしっかりと仕事と返済の計画を立てて、
地道に頑張っていくしかないんですね。

そのためには何が必要なのか。
借金の整理なのか、仕事の安定なのか、無理の利くうちに寝ずに働くのか…
そのビジョンが曖昧なうちには、絶対に這い上がってはこれません。
いきなり明日が劇的に変わるなんてことは絶対にないんですから。

昨日、テレビでやっていた貧乏生活だか貧乏家族だかそんな番組をなんとなく眺めていて、
自分自身の暗黒時代を思い出していました。
今の仕事も、将来が安泰というわけではありませんし、他人が見るよりも決して儲かっている
わけではありませんけど、やりたい仕事をやれて日々充実しているのはありがたいことです。

「借金せずに食っていければいい」
もっと儲けたい、もっといい暮らしがしたい、もっといい車に乗りたい…
今はそんな欲求もあまりないですかね。
カミさんにも苦労かけましたし、借金せずに穏やかにのんびり暮らせればそれでいいです。

年金もたいしてもらえないでしょうし、死ぬまでお店には立ち続けることにはなるでしょうけど、
やりたい事をやって楽しく働けている事に一番感謝しないといけませんよね。

いま苦労している人でも、諦めずに的確なビジョンさえ見失わなければ、きっと大丈夫です。
今を抜け出せないのは、グダグダと言い訳し自分に甘く実行に移せないからです。
明るい明日に向かって、光ある未来に向かって、どこで歯を食いしばるのか。
夢を語るだけでは、絶対に今を抜け出せません。

助けてくれる人はきっといます。
自分には一人もいないよという人は、その助けてくれる人の話を聞かないし、
聞いても実行に移さないからだと思うんですよ。

なんて偉そうな事を云える人生なんて送ってないですけどね。
不快に思われた方がいましたら、スイマセン。

明日への活力を補うための一杯も必要ですよ。
煮込みとビールで元気出して頑張っていきましょうよ!!

いつもの場所でのんびりとお待ちしております。
 
毎度ありがとうございます!

昨日、息子の担任の先生から連絡があって、「熱が出て具合悪そうなんで迎えに来てほしい。」と。
熱と言っても37.1℃でしたけど、クラス全体でインフルエンザが大流行しているそうで、
医者に行くため早退させることにしたんです。

今朝になっても熱は37.1℃だったんで、インフルエンザではなさそうなんですけど、
少し咳が出ますんで大事をとって学校は休ませることにしました。
朝食は、バナナ一本だけ。
そして朝からDVDなんか観てのんびりしちゃってます┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ
後でガッチリ追い込んでやりますけどね。ケケケ。

そういえば、昨日は節分でした。
昔から、豆まきはしてましたけど、恵方巻きの風習がなかったから、未だに違和感がアリアリです(笑

もともとは関西の風習だった恵方巻きを初めて知ったのは、今から16年前、はっきり覚えています。
当時の商品名は【丸かぶり寿司】といって、なんのこっちゃさっぱり分からなかったもんです。
その頃は函館でコンビニ経営をやっていて、本部SVと新商品の打ち合わせをしていた時でした。

「来週は節分ですんで【丸かぶり寿司】っていう太巻きをドーンと並べてみましょうか。」
「なに、それ?丸かぶり寿司ってなんなの?」
「なんか、関西では吉方を向いて太巻きを一気食いして、福を呼び込むんだそうです。」
「ふーん。函館で、そんなの知ってる人なんかいるの?」
「誰もいないと思いますけど、一応新商品ですから、20本発注してみましょうよ。」
「うーん。。。」

吉方向に向うとか、一気に食うとか、作法も知らなくて、何となく手探りで食った記憶があります。
お昼を買いに来たガテン系のお兄ちゃんたちがカップラーメンと太巻きの組み合せで買っていて、
方向も何も関係なく外でラーメンと一緒に食ってたもんです(笑

そのくらい、北海道でも馴染みがまったくなかったんですよ。
それが、今や【恵方巻き】となって、完全に2月の季節商品の市民権を得ましたもんね。

昨日、ニュースでやってましたけど、恵方巻きが全国に普及した背景には、コンビニの全国展開と
それまでヒマだった2月の販売商戦に取り組んだスーパーの力が大きかった、なんてやってました。

あの時、初めてコンビニの店頭に並べた20本の恵方巻きは、結局5本しか売れませんでしたから、
こんな風に当たり前のように食う文化が根付くとは、自分自身、全く想像出来なかったですもんね。

大体、喉が詰まりそうで食べづらいし、一気に食っても美味しくないし、すぐにお腹一杯になるし、
なにより無言で黙々と食べるだけだから、みんなで食べても全然楽しくないんですよね。

まぁなんにせよ、それで福がやってきて幸せになれるのなら、
お安い御用なんですけどね。

それより、みなさんちゃんと方角、合ってます?
我が家はいつも、適当です(笑

それじゃ、福も来るわけないか゜゜(´□`。)°゜




毎度ありがとうございます!

おとといの木曜日に、八戸から函館時代の友人タムちゃんが遊びに来てくれました。
前回は可愛い奥さんと一緒でしたけど、今回は会社の同僚の方お二人とで、
この何もない鶴岡まで何時間もかけて遊びに来てくれたんです。

今やフェイスブックで全国どこにいても、相手の近況が分かる時代になったおかげで、
何年もご無沙汰していた友人と、こんなにも頻繁に、こんなにも身近に会えるようになるとは、
本当に夢にも思っていませんでした。

お店がなかなか忙しく、普通に行っても車で6時間もかかる距離ですから、
自分のほうからは、まだ一度も八戸まで遊びに行ったことがないんですよね。

すぐにでも行きたいけど、なかなか簡単には行けない自分の現状に、
なんか申し訳ない気持ちで一杯なんですけど、それでもタムちゃんは
「来年の春もまた鶴岡に来ますからね。」なんて、嬉しいセリフを言ってくれるんですよ。

本当にいい友人をもったと思っています。

それにしても、奥さんがいないのをいい事に、
函館時代の二人の悪行の数々を思い出して
みんなで大笑いしてたのはいいんですけど、
一緒に来てくれた二人にはかなりの大バカ野郎コンビに
映ったことでしょうねぇ。。。(汗

当時はまだ20代前半だったタムちゃんに、随分と大人の遊びとこだわりを伝授したものです。

一緒に釣りに行ったり、一緒に野球やったり、一緒にゴルフやったり・・・
それ以上は話せないことばっかりだったけど、アウェー感覚で暮らしていた函館時代に
唯一、自分の全てをさらけ出して付き合えた気心知れた友人だったんですよね。

昔とちっとも変わっていないタムちゃんの姿に、
10年以上も会っていなかったなんてことを、忘れてしまうくらいに、
あの頃のままの気持ちでお酒とトークを満喫しました。

来てくれてありがとう、タムちゃん。

アレとアノ話しは、いつかまた奥さんと会うことがあっても絶対に話さないから安心してください(笑

楽しい時間はあっという間です。
祭りのあとのような、どこか虚しい気持ちを押し殺して、またいつもの日常に戻ります。
それは、きっとタムちゃんにとっても同じだと思うんですよね。

昔のように、毎日毎日バカなことばかりやって暮らしてはいけません。
でも、気持ちだけでもあの頃のまま、エネルギッシュにアグレッシブであり続けたいと思ってます。

時計の針は、午前1時・・・。
明日は朝からスポ少があるんで、これから煮込みを作ります。
それが、今の自分の日常です。
そして、そんな毎日が楽しく充実しています。

また会う日まで、お互い元気に頑張ろう。( ̄ー ̄)ノ






毎度ありがとうございます!

鶴岡にも先月ようやく、ハンバーグレストラン「びっくりドンキー」ができました。
開店直後の混雑を避け、1ヶ月ほど経った先週末に家族で行ってきたんです。

函館に住んでいた頃に「びっくりドンキー」は死ぬほど食いましたんで、
正直、鶴岡でわざわざ並んでまで食べなくていいかな、という感覚が強かったんですよね。

でも、子供達が仙台のドンキーで食べたハンバーグが気に入ったらしく、
開店工事中から「オープンしたら連れてって!」と、せがまれていたんです。

行けば、注文するものもいつも同じです。
「レギュラーバーグディッシュの300gとイカの箱舟とシーハーハーサラダ」。

あと、意外に知られていないのは「ハンバーグソース」の存在ですかね。
頼まないと絶対に出てこないんですけど、いくつ頼んでも無料です。

というか、今まで「ハンバーグソース」を頼まずドンキーを利用したことがありません。
アイスコーヒーのミルク入れくらいの大きさの器ですんで、遠慮せずに頼んでみてください。
先日は4人で行って3個頼んじゃいましたけど、快く持ってきてくれますから大丈夫です。

なんで、わざわざ言わないとくれないのかは謎ですけど、
函館でも千葉でも仙台でも全国どこのドンキーでも
言わないと出てきませんでしたから、そういうものなんでしょう。

是非、遠慮せずに頼んでみてください。
より一層、美味しくいただけますから。

あと、やっぱり「イカの箱舟」も絶対に頼んでしまう逸品です。
ハンバーグが出てくるまでのつなぎに丁度いいんですよね。
なんなら、イカの箱舟とライスだけでもいけそうなくらい美味しいです(笑

今はわからないですけど、当時函館には産業道路沿いと海岸道路沿いの2店舗があって、
自宅から近い産業道路沿いのびっくりドンキーの画が、走馬灯のように蘇ってきました。

よく可愛がってくれたニシムラさんの自宅もすぐそばだったこともあって、
大学時代には何度となくご馳走になったことも思い出しました。

自分にとっては、函館にいたころの普段の生活を思い出す、懐かしい味でした。
こうなれば、あとは「ラッキーピエロ」の出店を待つだけです(笑

スイマセン、だれも分からないネタでしたね。
函館出身のタムちゃんだけか、ついてこれるのは(笑

8月ラストスパート、頑張ります!!


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