毎度ありがとうございます!
10月25日は同級生サノの命日です。
あれから5年が経ちましたか。
今年は25日が日曜日ということもあって、毎年恒例の「偲ぶ会という名ばかりの大宴会」は
昨夜のうちに敢行されたのでした。
いつものようにサノのサの字も出てこないグダグダの大宴会ですけど、
いつものように参加者にとっては楽しいだけの同級生飲み会です。
毎年毎年「どこが偲ぶ会やねん!」とツッコミを入れたくなるほどの盛り上がりの中で、
去年は久しぶりにやんちゃに来たハタケがレバーの旨さに感動して涙を流し、
「お前、そこで泣くんかい!」と非難と爆笑をさらっていました。
そんな飲み会を毎年開催していることだけでも、あの世でアイツも喜んでくれていることでしょう。
ケンシが飲み会を企画・招集して、翌日に自分がブログで文字にして記す・・・
自分が旅立った後に、仲間たちがこうして毎年集まってくれているなんて、
オレなんか・・・といつも自虐的だったアイツは夢にも思っていなかったことでしょう。
想いは生き続ける、ということなんでしょうね。
今年のサノの命日に何を感じたかといえば「家族のぬくもり」でしょうか。
あと何年生きているのかは、誰にもわかりません。
それでも自分の傍には大切な家族がいるという安心感は、何ものにも変えれない
かけがえのない存在であることに気づかされます。
自分にもやがていつかは訪れる「死」というものを、若い頃は怖くてしかなかったものです。
それが、親父やおふくろの最期を看取り、大切な仲間たちの死もたくさんたくさん経験し、
自分なりの「役目」を見出すことで、死への恐怖感も随分と薄れてきたんですね。
そんな死生観を胸に秘めながら、ふとまだ独身の同級生カジボに今からでも遅くないから
誰かいい人を紹介してあげたいと思ったんです。
仕事にも、お金にも、そして時間の使い方にも不自由はしていないでしょう。
でも、誕生日に「おめでとう」と祝ってくれたり、風邪をひいた時に「大丈夫?」と
心配してくれる人がそばにいないというのは、やっぱり寂しいものだと思うんですよね。
逆に相手のために何かをしたり、旅行に行ったり美味しいものを一緒に食べたり、
同じ時間を過ごし、感性を共有することの素晴らしさというものを諦めて欲しくなかったんです。
まだまだこれから今からでも、素敵な女性が現れれば、恋愛や結婚を恐れずに思い切って一歩前に
踏み込んで欲しいなと、大きなお世話でしょうけどおせっかいを焼くことにしたんですね。
オレたちも、もう53歳です。
亡くなる同級生も増えてきて、この先の定年まで、その後の老後のことと、
明るい未来を思い描けないような年齢に差し掛かってきたわけです。
だからこそ今、誰かを求めて欲しかったし、誰かに求められて欲しいんですよ。
若い頃のような燃え上がる恋愛はできないのかもしれません。
それでも真剣に相手と向き合う気持ちの余裕があるならば、相手の容姿や持っているモノではない
人としての本質に向き合えるならば、きっと満塁ホームランが飛び出しそうな気がします。
同級生サノが亡くなったことがきっかけで集まりだした飲み会で、
同級生カジボのこの先の人生の充実度を心配している自分がいました。
すべては、生きているからこそできることなんです。
人生まだまだこれからですよ。
サノやゴウとあっちで酒を酌み交わすのは、まだまだ先になりそうです。
実は我が家では、昨年の羽黒山登山から御朱印集めがブームになっているんですよ。
カミさんと御朱印帳を持って、今日もどこかの神社にお参りに行って来ます。
厳かな気持ちで真摯に手を合わすことが、こんなにも心穏やかになるということに驚きながらも、
行く先々の街で、どこか楽しみを見つけてワクワクしている二人です。
この秋は、湯殿山神社本宮、秋保神社、上杉神社、甲子大黒天本山、南岳寺即身仏へ
参拝し御朱印を頂いてきました。
今日は天気を見ながら、酒田方面の神社に行ってみようかと思っています。
御朱印については、また今度でも。
素敵な日曜日をお過ごしください。
10月25日は同級生サノの命日です。
あれから5年が経ちましたか。
今年は25日が日曜日ということもあって、毎年恒例の「偲ぶ会という名ばかりの大宴会」は
昨夜のうちに敢行されたのでした。
いつものようにサノのサの字も出てこないグダグダの大宴会ですけど、
いつものように参加者にとっては楽しいだけの同級生飲み会です。
毎年毎年「どこが偲ぶ会やねん!」とツッコミを入れたくなるほどの盛り上がりの中で、
去年は久しぶりにやんちゃに来たハタケがレバーの旨さに感動して涙を流し、
「お前、そこで泣くんかい!」と非難と爆笑をさらっていました。
そんな飲み会を毎年開催していることだけでも、あの世でアイツも喜んでくれていることでしょう。
ケンシが飲み会を企画・招集して、翌日に自分がブログで文字にして記す・・・
自分が旅立った後に、仲間たちがこうして毎年集まってくれているなんて、
オレなんか・・・といつも自虐的だったアイツは夢にも思っていなかったことでしょう。
想いは生き続ける、ということなんでしょうね。
今年のサノの命日に何を感じたかといえば「家族のぬくもり」でしょうか。
あと何年生きているのかは、誰にもわかりません。
それでも自分の傍には大切な家族がいるという安心感は、何ものにも変えれない
かけがえのない存在であることに気づかされます。
自分にもやがていつかは訪れる「死」というものを、若い頃は怖くてしかなかったものです。
それが、親父やおふくろの最期を看取り、大切な仲間たちの死もたくさんたくさん経験し、
自分なりの「役目」を見出すことで、死への恐怖感も随分と薄れてきたんですね。
そんな死生観を胸に秘めながら、ふとまだ独身の同級生カジボに今からでも遅くないから
誰かいい人を紹介してあげたいと思ったんです。
仕事にも、お金にも、そして時間の使い方にも不自由はしていないでしょう。
でも、誕生日に「おめでとう」と祝ってくれたり、風邪をひいた時に「大丈夫?」と
心配してくれる人がそばにいないというのは、やっぱり寂しいものだと思うんですよね。
逆に相手のために何かをしたり、旅行に行ったり美味しいものを一緒に食べたり、
同じ時間を過ごし、感性を共有することの素晴らしさというものを諦めて欲しくなかったんです。
まだまだこれから今からでも、素敵な女性が現れれば、恋愛や結婚を恐れずに思い切って一歩前に
踏み込んで欲しいなと、大きなお世話でしょうけどおせっかいを焼くことにしたんですね。
オレたちも、もう53歳です。
亡くなる同級生も増えてきて、この先の定年まで、その後の老後のことと、
明るい未来を思い描けないような年齢に差し掛かってきたわけです。
だからこそ今、誰かを求めて欲しかったし、誰かに求められて欲しいんですよ。
若い頃のような燃え上がる恋愛はできないのかもしれません。
それでも真剣に相手と向き合う気持ちの余裕があるならば、相手の容姿や持っているモノではない
人としての本質に向き合えるならば、きっと満塁ホームランが飛び出しそうな気がします。
同級生サノが亡くなったことがきっかけで集まりだした飲み会で、
同級生カジボのこの先の人生の充実度を心配している自分がいました。
すべては、生きているからこそできることなんです。
人生まだまだこれからですよ。
サノやゴウとあっちで酒を酌み交わすのは、まだまだ先になりそうです。
実は我が家では、昨年の羽黒山登山から御朱印集めがブームになっているんですよ。
カミさんと御朱印帳を持って、今日もどこかの神社にお参りに行って来ます。
厳かな気持ちで真摯に手を合わすことが、こんなにも心穏やかになるということに驚きながらも、
行く先々の街で、どこか楽しみを見つけてワクワクしている二人です。
この秋は、湯殿山神社本宮、秋保神社、上杉神社、甲子大黒天本山、南岳寺即身仏へ
参拝し御朱印を頂いてきました。
今日は天気を見ながら、酒田方面の神社に行ってみようかと思っています。
御朱印については、また今度でも。
素敵な日曜日をお過ごしください。
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