『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

弁当箱を通じて
毎度ありがとうございます!

今朝の弁当のおかずはシュウマイと唐揚げ、ソーセージにナポリタンと生野菜サラダ、
そして米2合パンパンに辛子明太子のせです。

昨日も同じ内容の弁当を持たせたんですけど、食べる時間が無かったと言って
全くの手付かずで帰ってきました。
練習の合間のほんの僅かな時間を見つけて、一気に食べるしたたかさが求められるようです。
まぁまぁ、実際にはそんな日もあるんでしょうねぇ(笑

これは、批判や文句ではなく、あくまでも大人としての一般論ですけど、
しっかりと咀嚼せずに時間に追われてかっ込む食事で、身体が大きくなりますかね?

自分の高校時代には「食育」なんて言葉はなかったですし、当時の食事なんかまさにそれで、
時間に追われ先輩の顔色を見ながら、おかわりもできずにお本当に食べた気がしない食事でした。
当時の体重は65キロでしたから、まったく太れずに今の息子よりも痩せていたわけです。

食事中の会話は禁止、先輩のおかわりやお茶出しに神経を尖らせ、食事が終われば球上げに洗濯、
そして「寝るまでマッサ」という先輩が眠りにつくまでマッサージするという日々でしたから。

もちろん、そういう生活の中で周囲を見て動く適応力や後輩としての気配りや立ち振る舞いが
身についたという点では、後に社会人になっても大きく役立ったのは事実ではあります。

以前、後輩のナガオカとラーメン屋に行った際に、お店の常連のマキくんと遭遇して話してたら
そのマキくんの分のお水も一緒に持って来てくれたことをブログに書いたんですけど、
まさしくそういうところが自然に出来るかどうかなんですよね。

でもそれって、鶴商野球部だからできたことなのか、羽黒や鶴工の野球部を上がった子たちは
そういう気配りが出来ないのか、といわれれば決してそんなことはないと思うんですね。
密度は違えど、高校野球で3年間頑張るとは、そういうことを学ぶということでしょう。

「食育」から少し話しが逸れましたけど・・・
自分にとっておふくろの作る弁当の思い出が、まったく残っていないのが残念なところなんですよね。
記憶力は悪くないと思ってるんですけど、それでもどんな弁当箱にどんなおかずが入っていたとか
まったく覚えていません。

高校野球が終わると同時に寮生活から開放され、卒業までの半年間だけ弁当を持って通学してました。
それでも、一度たりとも残したことは無かったですし、弁当が楽しみだったことも覚えています。

今は息子も当たり前に持って行ってる弁当ですけど、いろんな想いが詰まっている弁当です。
熱闘甲子園のような「今日も弁当美味しかったよ。ありがとう。」なんて会話は一切ありません。
でも空になった弁当箱を見るだけで、親は嬉しくなるものだと思うんですよね。

逆に、弁当が残っていれば、時間がなかったんかなとか、他のモンなんか食ったんかなとか、
その弁当箱を見て感じるところもたくさんあったりします。
まるで、弁当箱を通して「今日はどうだった?」と会話をするように。

いつの日か、息子が高校時代を思い返すときに、当たり前に食っていた弁当に
何を想い何を感じていたのか、聞いてみたいものですね。

ちなみに、高校球児の食事に関しては以下の記事に影響されている部分が大きいです。
数年前にはじめてこの記事を読んだときに、衝撃を覚えたほど印象深い記事でしたし、
今でも食育に対しての個人的な考え方は、この記事に影響されている部分が多いです。

https://newspicks.com/news/2623478/body/

さーて、今日から始業式です。
アイツ、弁当持って携帯忘れて行きました(笑

明日からは暴風雪警報が出るようです。
また雪かきしなくてはなりません、トホホ。


 









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