毎度ありがとうございます!
昨夜は、馴染みのお客様の訃報が届き、ただただ驚きと無念さの中で営業をしていました。
本当に残念で悲しいです。
たくさんのお客様を連れて来てくださり、たくさんの繋がりとご贔屓を頂戴いたしましたし、
今後もその頂いたご縁を宝物として大切にしていきます。
心からご冥福をお祈りいたします。
自分はそんな訃報が届いた時は、しばらく会えていない人たちの顔を思い出します。
あの時にお世話になったあの人は元気なんだろうか。
あの時のアイツは今なにやってるんだろう。
全国のあちらこちらで生活してきたし、その時その時代にたくさんの人たちと出会い生きてきました。
二度と会うこともないだろうという人もいれば、いつかまた会えるだろうという人もいます。
そして、スピリチュアル的なものを信じている自分は、昨夜も懐かしい友とまた繋がることになるんです。
久しぶりに北海道に住む大学時代の同期ケンボウから突然連絡が来たんです。
卒業後に同期の結婚式で函館であったのが最後でしたら、約25年ぶりでしょうか。
なぜ、このタイミングなのかの説明はできません。
店でお世話になった方の急逝を聞かされ、もう何年も会えていない人たちの顔を思い浮かべていたら、
突然「元気してますか?」なんてショートメールが届くんですから。
ショートメールで届くなんて、どれだけ会えていなかったか、連絡が取れていなかったか分かるでしょう。
ケンボウとは函館の大学に入学する前の面接会場で出会った、北海道で始めて出来た友人です。
受験生控え室で「えー!山形から来たの?」なんて気さくに話しかけられて、合格するかどうかも
分からないうちに「じゃぁ4月にまた会おうね。」なんて握手を交わした仲だったんです。
大学の軽音楽部に無理やり入らせられたものの、ギターが得意だったケンボウもいたからという理由で
結局は楽器の一つも弾けないままに卒業まで同じサークルに在籍してしまっていました。
大学卒業後は、自分は東京の証券会社に、ケンボウは道内の北洋銀行に就職して、
お互いにバブル絶頂期に金融業界に飛び込んだわけです。
鶴岡に帰ってくるまでは年賀状のやり取りをしていたんですけど、ケンボウも銀行の転勤族だし、
自分も鶴岡に戻ってから三度も引越しをしたりして、いつまにか連絡が取れなくなっていました。
店が終わり「何時になってもいいから電話ちょうだい!」というメールの内容そのままに、
1時間以上も電話で話していましたもんね。
まるで空白の25年間を一気に埋めようとするかのように、お互いがマシンガントークで
いつまでたっても終わらない思い出話しや、今のお互いの近況を語り合っていました。
入行後、初めて函館勤務になったんだそうで、札幌の自宅はそのままに単身赴任で社宅に暮らし、
まるで大学時代にタイムスリップしたかのように一人の時間を満喫して楽しんでいるようです。
高校時代の友人と再会し、ひょんなことから革ジャンにリーゼントにサングラスのモッズスタイルで
おっさんずバンドを結成したんだそうです。
銀行は55歳で早期定年があります。
きっと函館が最後の赴任地になるでしょう。
世の中の裏も表も見てきて「オレなんか今も数字に追われる毎日なんだわさ。」と話す北海道弁が
どこか懐かしく、どこか羨ましく、そしてどこか嬉しくて電話を切るのが惜しい感覚になっていました。
LINEも繋がりましたし、コロナが落ち着いたら鶴岡にも遊びに来ると言ってました。
自分も、息子の高校野球が一段落したら、必ず北海道に行こうと思っています。
繋がったばかりのLINEに、50も過ぎてリーゼントに革ジャンを着てススキノのライブハウスに立つ
ケンボウの写真が送られてきました。
オレも頑張らなくちゃ。
もっともっと頑張らなくちゃ。
でもチカラは入れすぎずに。
人の深層心理の働きは、数字や文字では解明できない不思議なタイミングがあることを、
昨夜も思い知らされました。
同じ一日のなかで大切な方をなくした一方で、途切れかけていた糸がまた繋がる不思議。
また結び付けてくれたのかもしれませんね。
今日も自分の日常を頑張ります。
煮込みもいい感じに仕上がりました。
気合いの入るいい朝になりましたよ。
自分も懐かしい当時の写真を見つけました(笑
昨夜は、馴染みのお客様の訃報が届き、ただただ驚きと無念さの中で営業をしていました。
本当に残念で悲しいです。
たくさんのお客様を連れて来てくださり、たくさんの繋がりとご贔屓を頂戴いたしましたし、
今後もその頂いたご縁を宝物として大切にしていきます。
心からご冥福をお祈りいたします。
自分はそんな訃報が届いた時は、しばらく会えていない人たちの顔を思い出します。
あの時にお世話になったあの人は元気なんだろうか。
あの時のアイツは今なにやってるんだろう。
全国のあちらこちらで生活してきたし、その時その時代にたくさんの人たちと出会い生きてきました。
二度と会うこともないだろうという人もいれば、いつかまた会えるだろうという人もいます。
そして、スピリチュアル的なものを信じている自分は、昨夜も懐かしい友とまた繋がることになるんです。
久しぶりに北海道に住む大学時代の同期ケンボウから突然連絡が来たんです。
卒業後に同期の結婚式で函館であったのが最後でしたら、約25年ぶりでしょうか。
なぜ、このタイミングなのかの説明はできません。
店でお世話になった方の急逝を聞かされ、もう何年も会えていない人たちの顔を思い浮かべていたら、
突然「元気してますか?」なんてショートメールが届くんですから。
ショートメールで届くなんて、どれだけ会えていなかったか、連絡が取れていなかったか分かるでしょう。
ケンボウとは函館の大学に入学する前の面接会場で出会った、北海道で始めて出来た友人です。
受験生控え室で「えー!山形から来たの?」なんて気さくに話しかけられて、合格するかどうかも
分からないうちに「じゃぁ4月にまた会おうね。」なんて握手を交わした仲だったんです。
大学の軽音楽部に無理やり入らせられたものの、ギターが得意だったケンボウもいたからという理由で
結局は楽器の一つも弾けないままに卒業まで同じサークルに在籍してしまっていました。
大学卒業後は、自分は東京の証券会社に、ケンボウは道内の北洋銀行に就職して、
お互いにバブル絶頂期に金融業界に飛び込んだわけです。
鶴岡に帰ってくるまでは年賀状のやり取りをしていたんですけど、ケンボウも銀行の転勤族だし、
自分も鶴岡に戻ってから三度も引越しをしたりして、いつまにか連絡が取れなくなっていました。
店が終わり「何時になってもいいから電話ちょうだい!」というメールの内容そのままに、
1時間以上も電話で話していましたもんね。
まるで空白の25年間を一気に埋めようとするかのように、お互いがマシンガントークで
いつまでたっても終わらない思い出話しや、今のお互いの近況を語り合っていました。
入行後、初めて函館勤務になったんだそうで、札幌の自宅はそのままに単身赴任で社宅に暮らし、
まるで大学時代にタイムスリップしたかのように一人の時間を満喫して楽しんでいるようです。
高校時代の友人と再会し、ひょんなことから革ジャンにリーゼントにサングラスのモッズスタイルで
おっさんずバンドを結成したんだそうです。
銀行は55歳で早期定年があります。
きっと函館が最後の赴任地になるでしょう。
世の中の裏も表も見てきて「オレなんか今も数字に追われる毎日なんだわさ。」と話す北海道弁が
どこか懐かしく、どこか羨ましく、そしてどこか嬉しくて電話を切るのが惜しい感覚になっていました。
LINEも繋がりましたし、コロナが落ち着いたら鶴岡にも遊びに来ると言ってました。
自分も、息子の高校野球が一段落したら、必ず北海道に行こうと思っています。
繋がったばかりのLINEに、50も過ぎてリーゼントに革ジャンを着てススキノのライブハウスに立つ
ケンボウの写真が送られてきました。
オレも頑張らなくちゃ。
もっともっと頑張らなくちゃ。
でもチカラは入れすぎずに。
人の深層心理の働きは、数字や文字では解明できない不思議なタイミングがあることを、
昨夜も思い知らされました。
同じ一日のなかで大切な方をなくした一方で、途切れかけていた糸がまた繋がる不思議。
また結び付けてくれたのかもしれませんね。
今日も自分の日常を頑張ります。
煮込みもいい感じに仕上がりました。
気合いの入るいい朝になりましたよ。
自分も懐かしい当時の写真を見つけました(笑
コメント
1. 無題
2. >パチョレックさん
随分とイジってくれますね。
若かりし日のイケメンなワタクシを(笑
3. 無題
4. >タムちゃん
ただね、ラバーソールとかチューカーとか革ジャンは苦手だったんですよね。
ひとりアイビーからのトラッド系でしたから(笑
みんなが穴の開いたジーンズにラバーソール履いていも、
自分だけはマクベスのチノパンにサドルシューズ履いてたくらい(笑
久しぶりのコメントで、イジリですか?(笑