『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

命の尊さ
毎度ありがとうございます!

震災から10年。
昨日一日だけで、ものすごい量のこの言葉を耳にしました。

常連のツチダくんの言葉ではないけれど、報道に携わる方々は5年10年と「節目」を語りたがるけど、
実際に被災した方や、ご家族を失った方々の胸には「節目」という感覚はなく、今もなお悲しみの中で
もがき苦しんでいるんだという現実…

胸が痛くなりました。
幸いなことに、大きな被害もなく停電も起きなかった鶴岡に住む自分が、どんな言葉を並べようとも
被災された方と同様の悲しみを身を以って感じることはできません。

「復興」や「復旧」とは言うけれど、その言葉でさえも何となく漠然としすぎていて、
正直どこか他人事のように今まで生活してきました。

できることと言えば、復興支援金を税金で納めたり、街角の募金箱に気持ち程度の金額を
入れることくらいだったでしょうか。

ボランティアに行けるわけでもなく、現地でお金を使えるわけでもなく、自分自身の日常とは
かけ離れた言葉ばかりの「協力」や「支援」を口にするつもりもありません。

普段の生活の中で納めた税金が復興や再建に使われるのならば、それを実行に移せる政治家や
官僚の方々に「託す」ことだけです。
どうか被災地に有効的な使い方と、被災された方々への直接的な支援が届くことを願っています。

そんなことを想った3月11日の夜、同じ市内に住む叔母が亡くなったと知らせが届きました。

子どもの頃から親父の姉の「おばちゃん」には、本当に可愛がってもらいました。
ここ数年は会えずにいたんですけど、最期は老人ホームで看取られたそうで、
苦しまずに安らかに旅立ったのかなぁと、その95年の人生に想いを馳せるだけです。

何万人もが一瞬にして亡くなった日と、幼い頃から可愛がってくれた身近な人が亡くなった日に、
命の尊さ、日常の大切さ、家族の絆・・・自分自身、そんなことを考えた一日になりました。

こうして今を生きている現実の自分たちは、これからどう生きていくのか・・・

そんな問いに、たとえ答えなんか出なくても、少しだけ立ち止まり「考えてみる」ことも
慌ただしい日常の中では必要な時間なのかもしれません。

人は悲しみの中から這い上がり、立ち上がる強さを持っていると信じています。
生きる希望とは、すなわちそういうことでしょう。

時間なんか、いくらかかったっていい。
大切な人との想いと共に、力強く生きていこう。

自分なりの今日を精一杯生きていこう。


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