毎度ありがとうございます!
今日は、先日ちょっとだけ匂わせたおでん屋の話でも書こうかと思ったんですけど、
あまりにもムカついて、どうしても書きたいネタがありまして。
昨夜帰宅してヤフーニューズを読んでいたら、毎日新聞の記事が載っていました。
横浜市の一部の市立小学校で、東日本大震災から10年となった3月11日の給食の献立として卒業などを祝う赤飯が予定され、学校関係者から不適切との声を受けて直前に差し替えられていたことが判明した。市教委の担当者は取材に事実関係を認め「配慮が足りなかった」と話した。市教委健康教育課によると、11日に赤飯が予定されていたのは市内約340校のうち戸塚、瀬谷、保土ケ谷、泉の各区と南区の一部にある計89校。赤飯は例年、卒業や進級を祝うために年度末に献立になる。今年も数日間に分けて市内全校で提供する予定だった。 数日前に、複数の学校の関係者から「どうなのか」と疑問の声が市教委に寄せられた。急きょ食材の納入業者などと調整し、別の日の献立と差し替えた。該当の学校の児童や保護者には10日に理由を含め説明したという。 献立は市教委の担当者らが年間予定を組む。秋に見直しをする機会もあるが、今回は直前まで11日の献立が赤飯ということは問題視されなかった。同課は「市として十分な配慮ができなかった」としている。
どう思いますか、これ。
340校のうちの89もの学校で卒業や進級を祝う給食の赤飯が、3月11日を理由に差し替えになるって、
どう考えても異常だと思いませんか。
それも東北から遠く離れた横浜の小学校で。
東日本大震災で甚大な被害を被った方々を想う気持ちはとても大切なことだと思うけれど、
だったら阪神淡路大震災や熊本地震、ほかにもたくさんの自然災害や天災が起きた日はどうすんの。
毎日が誰かの命日でもあるわけで、そのことと子どもたちが給食で赤飯を食べることのどこが
「不適切」で「配慮が足りない」ことになるんだって話しなんですよ。
そんなことまでして、実際に家族を亡くされたご遺族の方々は喜びますかね。
天国にいる方々は、子どもたちが健やかに元気に育ち、その節目を祝う赤飯を食う姿を見て
怒るとでも思ってるんでしょうか。
このクレームをつけた複数の学校関係者の方々は、普段どんな生活をしてるんですかね。
普段の生活のなかの何気ない会話の中で出る「笑顔」や、美味しいものを食べて「楽しい」とか
そういう感情を「何かの日」に置き換えて、その感情を押し殺して生活してるとでもいうんですか。
どうしても3.11だというなら「いただきます」の前に黙とうすることだってできる。
今の自分たちと同じ年頃の子どもたちがたくさん被害にあったことをしっかりと学びながら、
普段の何気ない生活を大切に感謝していきましょう、って教えるのが教育じゃないんですか。
そのことと、卒業・進級おめでとう!の赤飯となんの関係があるんですかね。
横浜で3月11日に生まれた子どもを持つ親御さんは大変ですよ。
お祝いのケーキを買うのにもコソコソ買わなくちゃならなくなっちゃう。
何でもかんでも不謹慎だの不適切だの、過剰に反応しすぎなんですよ。
特に、教育現場にはとんでもない思想や発想を持つ方々がたくさんいますからね。
命あるものが「今を生きる」ってどういうことですか。
今回の話しとは少しズレますけど、亡くなられた方の「意思」とか「遺言」とか
「言い残した言葉」とかってあるじゃないですか。
もしもですよ、もしもその故人からの言葉や遺言が、残された者の負担になるようなことならば、
そんなものに縛られて生きていく必要は全くないと自分は思っています。
生きていくということは答えは一つでは決してないし、想定外のことも人生にはたくさん起こるから。
社長やってた親の遺言で「会社のことはお前に任せた。」と言われても、会社経営に興味のない
息子にとっては苦痛なだけでしょう。
「オレが先に死んだら再婚はせずに、オレへの愛を貫いてほしい。」なんて言われても、
好きな人ができたなら、その感情を押し殺す必要もないでしょうよ。
今を生きる人にとって、自分らしく幸せになるために負担になるような言葉を残されたとしても、
そんなものに縛られて、狭い場所で息苦しく生きていく必要は全くありません。
たとえ聞かされたとしても、そのことを反故にしたからといって、どうなるというんですか。
お化けでも出るというんですか。
天国にいるものたちは、いつまでも悲しみ涙し塞ぎ込んでいる姿よりも、
その後を明るく活き活きと楽しく、そして逞しく生きる姿を見たいはずです。
人生の中で出会い、少なからずとも影響や刺激を受けて、その時間を一緒に過ごした現実は
決して変わるものでもないし、自分の心の中に思い出としてそっとしまっておけばいいんです。
悲しみの深さや、立ち上がるまでの時間は人それぞれです。
周りがどうこういう事じゃない。
横浜の子どもたちには、赤飯をモリモリ食って元気に育ってほしいと思うし、
これからも食べることの「楽しさ」や、食材の「有り難さ」を学んでほしいと思います。
あまりにムカついて、今朝はコーヒーを一杯も飲まずに一気に書き上げました。
これからコーヒーを淹れて、少し落ち着きます(笑
ではまた。
今日は、先日ちょっとだけ匂わせたおでん屋の話でも書こうかと思ったんですけど、
あまりにもムカついて、どうしても書きたいネタがありまして。
昨夜帰宅してヤフーニューズを読んでいたら、毎日新聞の記事が載っていました。
横浜市の一部の市立小学校で、東日本大震災から10年となった3月11日の給食の献立として卒業などを祝う赤飯が予定され、学校関係者から不適切との声を受けて直前に差し替えられていたことが判明した。市教委の担当者は取材に事実関係を認め「配慮が足りなかった」と話した。市教委健康教育課によると、11日に赤飯が予定されていたのは市内約340校のうち戸塚、瀬谷、保土ケ谷、泉の各区と南区の一部にある計89校。赤飯は例年、卒業や進級を祝うために年度末に献立になる。今年も数日間に分けて市内全校で提供する予定だった。 数日前に、複数の学校の関係者から「どうなのか」と疑問の声が市教委に寄せられた。急きょ食材の納入業者などと調整し、別の日の献立と差し替えた。該当の学校の児童や保護者には10日に理由を含め説明したという。 献立は市教委の担当者らが年間予定を組む。秋に見直しをする機会もあるが、今回は直前まで11日の献立が赤飯ということは問題視されなかった。同課は「市として十分な配慮ができなかった」としている。
どう思いますか、これ。
340校のうちの89もの学校で卒業や進級を祝う給食の赤飯が、3月11日を理由に差し替えになるって、
どう考えても異常だと思いませんか。
それも東北から遠く離れた横浜の小学校で。
東日本大震災で甚大な被害を被った方々を想う気持ちはとても大切なことだと思うけれど、
だったら阪神淡路大震災や熊本地震、ほかにもたくさんの自然災害や天災が起きた日はどうすんの。
毎日が誰かの命日でもあるわけで、そのことと子どもたちが給食で赤飯を食べることのどこが
「不適切」で「配慮が足りない」ことになるんだって話しなんですよ。
そんなことまでして、実際に家族を亡くされたご遺族の方々は喜びますかね。
天国にいる方々は、子どもたちが健やかに元気に育ち、その節目を祝う赤飯を食う姿を見て
怒るとでも思ってるんでしょうか。
このクレームをつけた複数の学校関係者の方々は、普段どんな生活をしてるんですかね。
普段の生活のなかの何気ない会話の中で出る「笑顔」や、美味しいものを食べて「楽しい」とか
そういう感情を「何かの日」に置き換えて、その感情を押し殺して生活してるとでもいうんですか。
どうしても3.11だというなら「いただきます」の前に黙とうすることだってできる。
今の自分たちと同じ年頃の子どもたちがたくさん被害にあったことをしっかりと学びながら、
普段の何気ない生活を大切に感謝していきましょう、って教えるのが教育じゃないんですか。
そのことと、卒業・進級おめでとう!の赤飯となんの関係があるんですかね。
横浜で3月11日に生まれた子どもを持つ親御さんは大変ですよ。
お祝いのケーキを買うのにもコソコソ買わなくちゃならなくなっちゃう。
何でもかんでも不謹慎だの不適切だの、過剰に反応しすぎなんですよ。
特に、教育現場にはとんでもない思想や発想を持つ方々がたくさんいますからね。
命あるものが「今を生きる」ってどういうことですか。
今回の話しとは少しズレますけど、亡くなられた方の「意思」とか「遺言」とか
「言い残した言葉」とかってあるじゃないですか。
もしもですよ、もしもその故人からの言葉や遺言が、残された者の負担になるようなことならば、
そんなものに縛られて生きていく必要は全くないと自分は思っています。
生きていくということは答えは一つでは決してないし、想定外のことも人生にはたくさん起こるから。
社長やってた親の遺言で「会社のことはお前に任せた。」と言われても、会社経営に興味のない
息子にとっては苦痛なだけでしょう。
「オレが先に死んだら再婚はせずに、オレへの愛を貫いてほしい。」なんて言われても、
好きな人ができたなら、その感情を押し殺す必要もないでしょうよ。
今を生きる人にとって、自分らしく幸せになるために負担になるような言葉を残されたとしても、
そんなものに縛られて、狭い場所で息苦しく生きていく必要は全くありません。
たとえ聞かされたとしても、そのことを反故にしたからといって、どうなるというんですか。
お化けでも出るというんですか。
天国にいるものたちは、いつまでも悲しみ涙し塞ぎ込んでいる姿よりも、
その後を明るく活き活きと楽しく、そして逞しく生きる姿を見たいはずです。
人生の中で出会い、少なからずとも影響や刺激を受けて、その時間を一緒に過ごした現実は
決して変わるものでもないし、自分の心の中に思い出としてそっとしまっておけばいいんです。
悲しみの深さや、立ち上がるまでの時間は人それぞれです。
周りがどうこういう事じゃない。
横浜の子どもたちには、赤飯をモリモリ食って元気に育ってほしいと思うし、
これからも食べることの「楽しさ」や、食材の「有り難さ」を学んでほしいと思います。
あまりにムカついて、今朝はコーヒーを一杯も飲まずに一気に書き上げました。
これからコーヒーを淹れて、少し落ち着きます(笑
ではまた。
コメント
1. 3月11日に生まれて
あの頃はツイッターでも、おめでとうが不謹慎だとか言われてましたわ。
どこにでも、いつでも出てくる不謹慎厨。
そういった考え方こそ、当該者を下に見てなめてるとしか思えません。
バカみたいなクレームに、毅然と立ち向かえる人がいてほしいなぁ。
2. 35年前にも
3. >しんさん
現に、当時仙台で暮らしていた自分の姉とその子どもたち(ユウヒと弟)も
被災し避難所生活を経て、鶴岡に一時避難したくらいですから。
ただ、3.11は大きな災害がおこった日ではあるけれど
今を生きるものたちが全てを「慎まなければならない日」と
いう考え方にはどうしても馴染めないわけです。
そういう考え方の方々には不謹慎なヤツだとお叱りを受けるかもしれませんが
自分は今ある現実の中の出来事を優先させるべきだと思いますし
これからもそうであるべきだと考えています。
自分は毅然と立ち向かうことはできません。
論破されて終わりのタイプです。
4. >萬年幹事の松さん
赤飯の缶詰がダメなら、糖分補給のために食べるぼたもちも怒られるのかな。
枝豆を入れた豆ご飯なら大丈夫なんだろうか。
屁理屈な自分は、赤飯もぼたもちも豆ご飯も
米と豆ならみんな同じだろうと言ってしまいそうですけどね。
そもそも、今どき赤飯がお祝い飯だなんて概念、まだ残ってますか?
自衛隊だけに限らず、警察や消防や病院勤務などの命に携わる公務員にでさえ
「税金ドロボウ」などと罵声を浴びせる「官憎し」の危ない人種が
少なからずいる現実社会でもあるわけです。
でもね、そんな自衛隊員に手を合わせ感謝し
涙する災害被害者の方のほうが多いことに
自分は希望を持ちたいと思っています。
どんなものを食っているのか、なんてことよりも
どんな活動をしてくれているのか、
どんな汗を流してくれているのか、
そういうことのほうに興味を持ち、その本質に感謝する心だけは失いたくはありません。
在任中は大変な任務だったと思います。
本当にご苦労様でした!!