『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

暴力の正当化
毎度ありがとうございます!

残念ながら、また強豪校の指導者の暴力が発覚しましたね。
秀岳館のサッカー部、東海大菅生の野球部、市立船橋のバレー部・・・
正直、こんなの氷山の一角どころか、髪の毛の先にも満たない数でしょう。

しかし、ぶっ飛ばさないと強くできないんでしょうかね、スポーツの世界は。
忍耐だの根性だのと、ぶっ飛ばされても「はい!」と服従することが勝つために必要なファクター
のように見せかけて、実は絶対服従の恐怖を植え付けてコントロールしているわけですよ。

「言ったとおりにやらないとお前なんか使わねーよ、バカヤロウ!」ということなんでしょう。
昭和じゃあるまいし、未だにそんなことやってるバカな指導者がいることに驚きです。

手まで出さないにしても、バカだのアホだの辞めちまえだの、そんな罵詈雑言は
この辺の高校野球の世界でも当たり前に見受けられます。

スポ少や中学部活の指導でもあるくらいですから、スポーツの強豪校ともなれば
「手ぐらい出ることも覚悟のうち。」で入学させなければならないと勘違いしている親も
実際には多いことにも驚かせられます。

その典型的なセリフが
「なんだったらコイツのことぶっ飛ばしてもらっても構わないんで、ビシビシ鍛えてやってください!」
などと、入学の段階でそういう暴力や暴言を受け入れる「覚悟」を持って来てることのアピールを
口にする親も多いと聞きます。

まず、これが勘違いする指導者がなくならない一つの要因です。
「オレはお前の親から了解を得てるんだ!」「文句があるなら親を呼べ!」みたいな。
そして、ある程度の結果が出てくると、それがいつの間にか「必要悪」のように容認されていく。

これ、グラウンドやコートの外でやられたら「暴行罪」が成立するんですよ、ビンタ一発でも。

どこの親でも、我が子がオギャーと産まれた時に感動した純粋な愛情や無垢な愛おしさや、
我が子の健やかなる成長を夢見たあの日の先に、強くなるために立派な選手になるために…
みたいなワケの分からん理由でぶっ飛ばされている我が子を直視できますか。

もしそれが、しつけや必要な厳しさだと言うのなら、
「必要ならオレがぶっ飛ばしますから、報告だけお願いします。」と言うべきですよ。

もしもぶっ飛ばすほどの理由があって、たとえば万引きをした、タバコを吸った、酒を飲んだ…
そんなもの指導者が手を出さなくても、親の責任だし親のしつけでしょうが。

テレビでそういう暴力の映像が流れるたびに、自分は
「何の権限があって、人んちのガキに手ぇ出してんだよ。」と言いたくなります。
「お前んちのガキが同じようにやられたら、どう思うんだよ。」と。

逆に、指導者が社会のルールを破ったら、逆に指導者をぶっ飛ばしてやればいいんですよ。
「信じてついてきたのに(預けてきたのに)、あんたは何をやってんだ!」って。
どうせ隠蔽して表に出ないんだったら。

仙台育英が甲子園で優勝し、そういう暴力や暴言を使わずに全国制覇できたという事実は
東北に初めて優勝旗がきたことよりも、新しい指導方法・新しい育成方法、新しいチーム作りの
今後のスタンダードとして、本当の意味での革命が巻き起こらないかと期待しているところです。

「おたく、まだそんなやり方なんですか。まだそんなこと言ってるんですか。」
みんなで言ってやればいい。

もう何十回と読み返した愛読書「野球と暴力 殴らないで強豪校になるために」は
機会があったら是非ともみなさんに読んでもらいたい一冊だと思っています。

本には、殴って強くしてきた指導者にも、殴られてもそれが強くなるためだと耐えてきた選手たちにも
昭和の鉄拳野球を経験してきた自分には「そう言うだろうね。」という予想通りの言葉が並びます。

でもね、もう令和の時代ですよ。
目標達成のための方法論の違いのように同じテーブルの上に並べて議論しがちですけど、
いい加減、指導者も親も目を覚まさないとだめでしょう。
暴力を正当化してはいけませんよ。

本当はこのテーマで、もっともっと書きたいことが山ほどあるんですけど、
自分にもいろいろと立場がありますんで、ここらで止めておきますね。

詳しく話したい方はカウンター越しにトークしましょう(笑

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