『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

先生を偲ぶ
毎度ありがとうございます!

今日は恩師田中先生の命日です。
甲子園の93回大会の年ですので、もう12年も経ちましたか。
時の流れは本当に早いものです。

田中先生が亡くなってからも、自分自身の暮らしは変わりません。
相変わらず毎日串を打ち、焼き台の前に立ち、たまに仲間と酒を飲む暮らしです。

あの時、まだ小学生2年生だった息子はその2年後に野球を始め、中学でもそして母校の高校でも
しっかりと野球を続けてくれて、今は社会人クラブチームで硬式を続けてくれています。

ヘタクソな息子ですけど、田中先生にもどんなもんか見てもらいたかったですけどね。
「お前よりはイイな。」と先生なりに褒めてくれたとは思うんですけど、どうでしょうか。

先月末に、田中先生の13回忌法要を執り行うため息子ケンが山形から帰省したタイミングで
タケシと一緒に顔を出してくれました。

ケンの息子も野球を始めていて「お父さんにも孫が野球やってるとこ見てもらいたかったですね。」と
しみじみと話してました。

先生なら、きっと目を細めて喜んだことでしょうね。
いや、絶対に天国で見てると思いますよ。

自分たちにとってはとても厳しい先生でしたけど、現役中に「お前なんかやめちまえ!」とか
「お前なんかいらねーよ!」とか、そういう追い込むような叱り方は一度もされたことがないです。

たとえ目の前にいるのが高校生だったとしても、好きで野球をやっているという根幹の部分だけは
絶対に摘み取らない指導だったと今でも思っています。

現役を引退した途端に、その接し方は穏やかで優しい顔つきで話しかけてくれたことを
今でもはっきりと覚えています。

卒業してからも帰省するたびに赤川のグラウンドに顔を出すと、茂木先生と一緒に手招きして
呼び寄せては「函館はどうなの?」とか「お前が行ってから後輩たちも北海道に行くようになった。」とか
本当にどうでもいいような何でもないような会話が出来ることが嬉しかったんですよね。

グラウンドに顔を出すと必ず「いつまで休みなの?明日は着替えてノックしに来いよ。」と
冗談なのか本気なのか分からないような笑顔で帰り際に見送ってくれたものです。

先生の持つ、厳しさの中にある「優しさ」に気づくまでは随分と時間がかかったわけですけど、
亡くなるまでの10年間という時間が今の自分にとって大きな影響を与えていることは
言うまでもありません。

先生の「お前がやれ。」という、あのひと言がなかったら事務局は引き受けていませんでしたし、
マスターズ甲子園で先生にもう一度甲子園の土を踏んでもらおうという突拍子もないイベントも
実現できていなかったはずです。

自分が現役時代、まだ小学生だった息子のケンとも、まさか一緒に酒を飲むような付き合いが
出来るとは、あの頃のお互いには想像もつかない縁だと思うんですよね。

ケンも鶴岡に帰ってきたらお店に顔を出してくれるんでありがたいんですけど、
タイミングが合わなくて、なかなか一緒に飲みに行けていないのだけが残念です。

子どもの話、野球の話、審判の話、仕事の話、そして先生の話・・・
今この歳になったからこそ出来る話しもありますし、積もる話も山ほどあります。

またこっちから山形市まで行って、七日町飲みでも企画しないと収まりませんけどね(笑
審判をやっているケンの姿も見てみたいものです。

先生、また8月8日がきましたよ。
12年の間に随分といろんなことがありましたよ。
そして、相変わらず自分はやきとんを焼いてます。

近いうちにケンと飲もうと計画中です。
あの頃と違って「ケンくん。」とは呼んでいないけれど、気さくに話せるいい関係です。
先生とあまり一緒に飲めなかった分、ケンに付き合ってもらいますから(笑

またブログに書かせてもらいますね。
ではまた。




コメント

1. 無題

ん"ん"!ケンじゃないの〜、ケン君でしょ〜!!(笑)

2. >エスコバーさん

「ケン・・・くん。」

茂木先生に随分と叱られましたけど、
小学生を君付けして接待するとは
思ってもいませんでしたよ!!(笑

3. 無題

お返しにやんちゃさんの息子さんを接待させて頂きますよ!もちろん「君」付けで(笑)

4. >ジュニアさん

いやいや、丁重に遠慮させていただきます(笑
同じ接待なら「七日町ツアー」でお願いしますよ!
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