毎度ありがとうございます!
昨日、珍しく親父の夢を見た。
なんの夢だったのかは思い出せないが、親父の夢だったことは覚えている。
せっかく親父が夢に出てきたので、今日は少し親父の話しでも書いてみたいと思う。
大正生まれで12人兄弟の長男として生まれた親父は、自分が生まれた時には44歳だったから
小学生に上がる頃には50歳、昭和の時代にその年齢の父親は周りを見渡しても誰もいなかった気がする。
滅多に顔を出さない親父が学校にくると「お前んち、じじちゃん来たなが?」と同級生たちに
からかわれたこともあった。
親父には寡黙で威厳があって怖かったイメージがある。
家畜商といえば聞こえはいいが、俗にいう「馬喰(ばくろう)」を生業としていて、
ダボズボンに腹巻をして財布も持たずにお札を腹巻に入れていた若き日もあったようだ。
赤ん坊の頃は親父に抱っこされている写真が残ってはいるものの、物心ついた頃からは
肩車やおんぶはおろか手を繋いで一緒に歩いた記憶すらない。
もちろんそれが普通で、それで寂しいなどと思ったことは一度もないが、
寡黙さの中にある自分に対する愛情も子供心に感じていたのも事実だ。
日本海沿岸の小波渡や暮坪の知り合いの家に行くついでに釣りを教えてくれたり、
余目や狩川で同じく畜産仲間のところに行けばお菓子を買ってくれたものだった。
そんな親父に一言だけ「ありがとう。」を言えなかった日のことを覚えている。
自分が中学に上がってすぐの頃、歳の離れた兄貴が応援団長をやっていたのもあって
家には長ランだのボンタンだの3タックのハイウエストの学生ズボンなんかが残っていた。
いわゆるツッパリブームというかファッション不良とでもいうか、中学1年でいきなり
ボンタンを履いて白エナメルで学校に行ったとんだ大馬鹿野郎だった。
そんなことが噂になっているとも知らずに、そのまま調子に乗っていたらすぐに上級生に目をつけられ、
ある日いきなり自宅に怖い先輩たちが4~5人できて、近くの公園に呼び出され囲まれたことがあった。
「お前、1年のくせになに調子乗ってんだ?」
「いや、べつに。」
「なんだコラ!やっちまうぞ!」
と胸ぐらを掴まれボコられそうになった瞬間に、後ろから
「おい!何やってんだクソガキども!こんな大人数で一人を囲みやがって、おい!」
腹巻姿に雪駄履き、咥えタバコで凄みを効かせた親父が鬼の形相で立っていて、
一瞬にしてそいつらを蹴散らしてくれたわけだ。
「大丈夫か?」と聞く親父の声に背を向け、返事もせずに家に戻った。
親に助けられたこと、親父がトラブルを解決してくれたことがむしろ恥ずかしく思えていて、
心の中では「ありがとう。」どころか「余計なことすんなよ!」とムカついていたほどだったと思う。
些細な出来事だったけれども、あの日の事は大人になり親になった後まで自分の中でトラウマになっていて
子どものトラブルに親が介入することは「恥ずかしいこと」という間違った固定観念をもってしまった。
娘が小学校でイジメにあった際にも「子ども同士のことだろ」「わざわざ親が出ていかなくても」と
タカをくくっていて、その初動の遅れからイジメがどんどんエスカレートして大ごとになり、結果的に
解決こそはしたものの、娘にもカミさんにも心に深い傷を負わせてしまったことを今でも後悔している。
過干渉と過保護、クレーマーとモンスターペアレント・・・
それぞれの境界線や区別は難しいけれど、純粋に我が子に降りかかる受難を親が取り払うことを
「恥ずかしいこと」などと思ってしまっては、じゃあ一体誰が守ってやるのかということになる。
親が味方にならずして、誰が味方になるんだよと。
あの時、助けてくれた親父に「ありがとう。」と素直に言えていたなら、その後の自分の価値観や
固定観念も少し変わっていたのかなと後悔することがある。
離れて暮らす娘にも、一緒に暮らす息子にも、そして愛するカミさんにも何かトラブルがあれば
周りにどう思われようとも誰に笑われようとも、今はためらうことなく一歩前に出るだろう。
あの時怖くて目をつぶった自分の前に、腹巻に雪駄履きでタバコを咥えたスーパーマンが現れたように。
そのスーパーマンも自分が26歳の時に、病には勝てず享年71歳であの世に旅立ってしまった。
振り返れば、親父が亡くなってからの人生の時間の方が長くなってしまったことに驚いてしまう。
でも不思議と寂しくはない。
いつでも親父は心の中にいたし、かっこいい男のイメージはそんな親父の姿だったからだ。
世間には、
強豪校で野球部にいる息子を想う親がいる・・・
遠くに嫁いで子育てに追われる娘を想う親がいる・・・
学校でうまく馴染めない子を想う親がいる・・・
仕事が上手くいかないと悩む子を想う親がいる・・・
それらは、いつでもいくつになっても親だからこそ想う感情であって、なにかあった時には寄り添い
そっと手を差し伸べてあげられる我が家だけのスーパーマンであってほしい。
自分もいつまでもそうでありたいと思って親父の背中を追いかけている。
そして今ならためらうことなく言えるだろう。
「親父、ありがとうね。」と。
昨日、珍しく親父の夢を見た。
なんの夢だったのかは思い出せないが、親父の夢だったことは覚えている。
せっかく親父が夢に出てきたので、今日は少し親父の話しでも書いてみたいと思う。
大正生まれで12人兄弟の長男として生まれた親父は、自分が生まれた時には44歳だったから
小学生に上がる頃には50歳、昭和の時代にその年齢の父親は周りを見渡しても誰もいなかった気がする。
滅多に顔を出さない親父が学校にくると「お前んち、じじちゃん来たなが?」と同級生たちに
からかわれたこともあった。
親父には寡黙で威厳があって怖かったイメージがある。
家畜商といえば聞こえはいいが、俗にいう「馬喰(ばくろう)」を生業としていて、
ダボズボンに腹巻をして財布も持たずにお札を腹巻に入れていた若き日もあったようだ。
赤ん坊の頃は親父に抱っこされている写真が残ってはいるものの、物心ついた頃からは
肩車やおんぶはおろか手を繋いで一緒に歩いた記憶すらない。
もちろんそれが普通で、それで寂しいなどと思ったことは一度もないが、
寡黙さの中にある自分に対する愛情も子供心に感じていたのも事実だ。
日本海沿岸の小波渡や暮坪の知り合いの家に行くついでに釣りを教えてくれたり、
余目や狩川で同じく畜産仲間のところに行けばお菓子を買ってくれたものだった。
そんな親父に一言だけ「ありがとう。」を言えなかった日のことを覚えている。
自分が中学に上がってすぐの頃、歳の離れた兄貴が応援団長をやっていたのもあって
家には長ランだのボンタンだの3タックのハイウエストの学生ズボンなんかが残っていた。
いわゆるツッパリブームというかファッション不良とでもいうか、中学1年でいきなり
ボンタンを履いて白エナメルで学校に行ったとんだ大馬鹿野郎だった。
そんなことが噂になっているとも知らずに、そのまま調子に乗っていたらすぐに上級生に目をつけられ、
ある日いきなり自宅に怖い先輩たちが4~5人できて、近くの公園に呼び出され囲まれたことがあった。
「お前、1年のくせになに調子乗ってんだ?」
「いや、べつに。」
「なんだコラ!やっちまうぞ!」
と胸ぐらを掴まれボコられそうになった瞬間に、後ろから
「おい!何やってんだクソガキども!こんな大人数で一人を囲みやがって、おい!」
腹巻姿に雪駄履き、咥えタバコで凄みを効かせた親父が鬼の形相で立っていて、
一瞬にしてそいつらを蹴散らしてくれたわけだ。
「大丈夫か?」と聞く親父の声に背を向け、返事もせずに家に戻った。
親に助けられたこと、親父がトラブルを解決してくれたことがむしろ恥ずかしく思えていて、
心の中では「ありがとう。」どころか「余計なことすんなよ!」とムカついていたほどだったと思う。
些細な出来事だったけれども、あの日の事は大人になり親になった後まで自分の中でトラウマになっていて
子どものトラブルに親が介入することは「恥ずかしいこと」という間違った固定観念をもってしまった。
娘が小学校でイジメにあった際にも「子ども同士のことだろ」「わざわざ親が出ていかなくても」と
タカをくくっていて、その初動の遅れからイジメがどんどんエスカレートして大ごとになり、結果的に
解決こそはしたものの、娘にもカミさんにも心に深い傷を負わせてしまったことを今でも後悔している。
過干渉と過保護、クレーマーとモンスターペアレント・・・
それぞれの境界線や区別は難しいけれど、純粋に我が子に降りかかる受難を親が取り払うことを
「恥ずかしいこと」などと思ってしまっては、じゃあ一体誰が守ってやるのかということになる。
親が味方にならずして、誰が味方になるんだよと。
あの時、助けてくれた親父に「ありがとう。」と素直に言えていたなら、その後の自分の価値観や
固定観念も少し変わっていたのかなと後悔することがある。
離れて暮らす娘にも、一緒に暮らす息子にも、そして愛するカミさんにも何かトラブルがあれば
周りにどう思われようとも誰に笑われようとも、今はためらうことなく一歩前に出るだろう。
あの時怖くて目をつぶった自分の前に、腹巻に雪駄履きでタバコを咥えたスーパーマンが現れたように。
そのスーパーマンも自分が26歳の時に、病には勝てず享年71歳であの世に旅立ってしまった。
振り返れば、親父が亡くなってからの人生の時間の方が長くなってしまったことに驚いてしまう。
でも不思議と寂しくはない。
いつでも親父は心の中にいたし、かっこいい男のイメージはそんな親父の姿だったからだ。
世間には、
強豪校で野球部にいる息子を想う親がいる・・・
遠くに嫁いで子育てに追われる娘を想う親がいる・・・
学校でうまく馴染めない子を想う親がいる・・・
仕事が上手くいかないと悩む子を想う親がいる・・・
それらは、いつでもいくつになっても親だからこそ想う感情であって、なにかあった時には寄り添い
そっと手を差し伸べてあげられる我が家だけのスーパーマンであってほしい。
自分もいつまでもそうでありたいと思って親父の背中を追いかけている。
そして今ならためらうことなく言えるだろう。
「親父、ありがとうね。」と。
コメント
1. 無題
2. >名無しさん
親父が笑っている写真は貴重なんですけど
お袋と二人でいい笑顔で写っていてお気に入りの一枚です。