毎度ありがとうございます!
今日から仕事始めです。
いつも以上に気合いが入って朝4時に起きて煮込みを作っています。
さて、みなさんはどんな年末年始休みだったでしょうか。
自分の場合は、一度も飲みに出掛けなかったという珍しい休みを過ごしました。
カミさんがあまり休めなかったというのもあったんで、家のことをやっていた日々でしたね。
年賀状も年々届く枚数が減ってきて、それに伴って自分が出す枚数も減ってきていて、
今年の年賀状にも「今年をもって・・・」というコメントがいくつか書いてあったりして
これも新しい時代の象徴の一つなのかもしれませんけど、なんだか寂しさも感じます。
年賀状でしか繋がっていない友人たちや、年賀状でしか読み取れない先方の様子などもあったりして
自分的には年賀状の良さや必要性も感じていた側の一人です。
確かにLINEやSNSでも年賀状と同じ内容がジャンジャン送られてきますけど、
相手の住所や家族の名前まで知っている間柄というか距離感というか、
こんな時代だからこその親密感が唯一残ってたような気がしてたんですけどね。
結婚しても離婚しても、引っ越ししても、孫が生まれても、会社を退職しても、
そういう相手の近況を知る唯一の機会がなくなっていく淋しさとでもいうんでしょうか。
今から30年以上前に携帯電話業界の創成期に携わっていたものとして、アナログからデジタルになり
ガラケーからスマホになり、その変化のスピードはあっという間に自分の知識やスキルの届かない
ところまで一気に進化し、常に「便利になったなぁ」という感覚の繰り返しの中で生活してきました。
たくさんのことがスマホ一つで出来るようになり便利になってきた半面で、その普及や手軽さが
年賀状というアナログなコミュニケーションを希薄なものにしてしまったというのなら、
その変化さえも受け入れていかざるを得ないのかもしれませんけどね。
もうひとつ、この正月に寂しかったことの一つに実家での「正月礼」をやらなくなったこと。
すでに両親が他界している我われ兄弟3人にとっては、正月に親族みんなで揃って飲むのが
毎年の恒例行事だと思っていました。
姉にも孫が生まれ、兄貴も定年退職を控え、我が家では息子が転職をしたりして、
同じ鶴岡に住んでいながらもお互いの近況や家族の様子なんかを酒を酌み交わしながら知るのが、
楽しみの一つでもあったし、正月とはそういうものだと思って生活していたんですけどね。
これも「時代の変化」で片づけていいんですかね。
そのうち、親族の葬式にも呼ばれなくなったりして。
親族の間でもこれだけ関わり合いが希薄になっていってる時代に、
わざわざ年賀状なんて書いてる場合ではないのかもしれませんね。
そう考えると、なんか妙に納得してしまう自分がいたりします。
こちらの思いだけでご負担になるといけませんから、先方に合わせて自分も対応するだけです。
まぁ、年賀状を出そうとも出さなかろうとも、お付き合いのある方々におかれましては
今年も変わらぬ親交のほどよろしくお願いいたします。
今年はどんな一年になるんでしょうかね。
ではまた。
今日から仕事始めです。
いつも以上に気合いが入って朝4時に起きて煮込みを作っています。
さて、みなさんはどんな年末年始休みだったでしょうか。
自分の場合は、一度も飲みに出掛けなかったという珍しい休みを過ごしました。
カミさんがあまり休めなかったというのもあったんで、家のことをやっていた日々でしたね。
年賀状も年々届く枚数が減ってきて、それに伴って自分が出す枚数も減ってきていて、
今年の年賀状にも「今年をもって・・・」というコメントがいくつか書いてあったりして
これも新しい時代の象徴の一つなのかもしれませんけど、なんだか寂しさも感じます。
年賀状でしか繋がっていない友人たちや、年賀状でしか読み取れない先方の様子などもあったりして
自分的には年賀状の良さや必要性も感じていた側の一人です。
確かにLINEやSNSでも年賀状と同じ内容がジャンジャン送られてきますけど、
相手の住所や家族の名前まで知っている間柄というか距離感というか、
こんな時代だからこその親密感が唯一残ってたような気がしてたんですけどね。
結婚しても離婚しても、引っ越ししても、孫が生まれても、会社を退職しても、
そういう相手の近況を知る唯一の機会がなくなっていく淋しさとでもいうんでしょうか。
今から30年以上前に携帯電話業界の創成期に携わっていたものとして、アナログからデジタルになり
ガラケーからスマホになり、その変化のスピードはあっという間に自分の知識やスキルの届かない
ところまで一気に進化し、常に「便利になったなぁ」という感覚の繰り返しの中で生活してきました。
たくさんのことがスマホ一つで出来るようになり便利になってきた半面で、その普及や手軽さが
年賀状というアナログなコミュニケーションを希薄なものにしてしまったというのなら、
その変化さえも受け入れていかざるを得ないのかもしれませんけどね。
もうひとつ、この正月に寂しかったことの一つに実家での「正月礼」をやらなくなったこと。
すでに両親が他界している我われ兄弟3人にとっては、正月に親族みんなで揃って飲むのが
毎年の恒例行事だと思っていました。
姉にも孫が生まれ、兄貴も定年退職を控え、我が家では息子が転職をしたりして、
同じ鶴岡に住んでいながらもお互いの近況や家族の様子なんかを酒を酌み交わしながら知るのが、
楽しみの一つでもあったし、正月とはそういうものだと思って生活していたんですけどね。
これも「時代の変化」で片づけていいんですかね。
そのうち、親族の葬式にも呼ばれなくなったりして。
親族の間でもこれだけ関わり合いが希薄になっていってる時代に、
わざわざ年賀状なんて書いてる場合ではないのかもしれませんね。
そう考えると、なんか妙に納得してしまう自分がいたりします。
こちらの思いだけでご負担になるといけませんから、先方に合わせて自分も対応するだけです。
まぁ、年賀状を出そうとも出さなかろうとも、お付き合いのある方々におかれましては
今年も変わらぬ親交のほどよろしくお願いいたします。
今年はどんな一年になるんでしょうかね。
ではまた。
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