『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

あれから18年
毎度ありがとうございます!

昨日は親父の命日でした。

あの世で生まれ変わるための立ち日とも言いますが、
俗世界に生きる自分は命日といったほうがピンときます。

あれから18年・・・月日の経つのは本当に早いものです。

親父が危篤だと知らされたのは、まだ函館にいた頃、26歳の夏でした。
それ以前から入退院を繰り返し、どことなく心の準備みたいなものは出来ていたつもりだったんです。
青森から車を飛ばしてようやく病院に駆けつけて、ベットに横たわる親父と再会した時には
体中チューブや機械だらけで、すでに意識はありませんでした。

あの頃の自分はまだ若く、人前で泣いたり涙を見せることがカッコ悪いと思ってましたから、
親父の知人がお見舞いに来て涙していくのを、平静を装いながら眺めていたんです。

そのまま鶴岡に滞在予定の一週間を、病院の親父のそばで過ごしました。
一旦、鶴岡を離れる最後の日の明け方、同級生のシンジがお見舞いにきてくれて
「父ちゃん、頑張ったべや。」
と声をかけてくれたとき、不覚にも涙がこぼれ病院の屋上で号泣してしまいました。

次に帰ってくるのは葬式の時だと思ってましたし、このときが最後になるのは分かっていたんです。
話しかけても返ってくる言葉もないまま、自分からの一方的な会話を最後に、病院を後にしました。

「親父、もういいぞ。もう楽になれ。・・・ありがとうな。そして・・・ごめんよ。」

それから一ヵ月後の9月3日、親父は天国に旅立ったのでした。

当時、まだ26歳。
結婚はしていたものの、北海道でフワフワ生きていた頃です。
人生経験も中途半端に、なにも出来ないくせに意気がって生きていた気がします。

義理人情に厚く、周りの人たちに慕われた親父の背中を追いかけているうちに、
男の生き方を自然に学んでいたのかもしれません。

c34e3600.jpeg自分は、親父が大好きでした。
これからも、大好きな親父です。

そしてこの春、おふくろも旅立ちました。
あの世で、またおふくろにキャンキャン言われてるんじゃないかと
心配ですけど、そんな姿さえ今となっては微笑ましく思い出します。


まだまだ頑張るから、見ていてくれよ。
あの世では、ケンカすんなよ(笑
家族になにか災難が起こるときは、必ず教えろよ。

そして・・・夢でもいいから、たまには二人で出てこいよ。

 

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