『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

優しい笑顔で
毎度ありがとうございます!

昨日は幼馴染のジュンのお母上がお亡くなりになり、告別式に参列させていただきました。

3ヶ月前に癌が見つかり、最後まで頑張った人生だったという喪主のアツシくんの言葉に、
幼い頃の記憶が蘇ってきて胸が熱くなってしまいました。

いくつになっても自分の事を「ノリカズちゃん。」とちゃん付けで名前を呼ぶのは
ジュンの母ちゃんだけでした。
すでに亡くなったウチのおふくろも、自分のたくさんいる友人のなかでもジュンの事だけは、
大人になっても「ジュンちゃん。」とちゃん付けで呼んでいたものでした。
お互いがそんな関係です。

同じ町内で50mも離れていないご近所付き合いをさせていただきながら、
ジュンとは小学校から中学卒業までの9年間を、雨の日も風の日も毎日毎日一緒に
学校に通っていたんですね。
いわゆる「マブダチ」というやつです。

その後に引越しされた事もあって、母ちゃんの顔を見る機会が随分と減っていたんですけど、
孫のタクマとウチの娘が同級生だったり、結婚してから買った自宅がまた同じ町内だった事もあって、
子どものころのように気軽に声を掛けてもらっていました。

それでも、最後に母ちゃんと会ったのは10年前でしょうか。
その時もやっぱり「あれ~ノリカズちゃんだのー。息子さんだが?大っきぐなりそうだのー。」と
いつもと変わらない優しい笑顔で、まだ小さかった息子の頭を撫でてくれたものでした。

大人になって子を持つ親になってもなお、子どものころのままに「ノリカズちゃん。」と
親しく呼んでくれるひとが、もう誰もいなくなってしまったなぁと思うと、
なんとも言えない寂しさが込み上げてきていました。

親に盾つく多感な思春期時代のジュンと親との関係も見てきただけに、夜勤明けのキツイ体でも
母ちゃんの面倒をみるため秋田から足しげく通うジュンの姿にも、なんと声をかければいいのか
その言葉がすぐには見つかりませんでした。

告別式会場で久しぶりに見たジュンの顔にも憔悴さと寂しさは滲むものの、自分の顔を見て
差し出すその手は「今日はありがどの。最後までやれることはやってやったさげ。」という
自分自身の親への想いの強さも感じた手のぬくもりだった気がします。

オレ達も、もう五十です。
髪の毛にも随分と白いものが目立つ歳になりました。

ここ数年は、親しくお付き合いさせてもらっている友人の親御さんの葬儀に
参列することが本当に多くなってしまいました。

そんな年代でもあります。

ジュンの母ちゃんも、どうぞ安らかに、そしてこれからもご家族を温かく
見守ってくださるよう、しっかりとお祈りし手を合わせてきました。

ジュンとはこれからも仲良く付き合っていきますから。
母ちゃん、安心して見守っていてください。

合掌

 
 


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