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毎度ありがとうございます!
ただ今の時刻4時30分、雨の鶴岡です。
この時期だと6時頃までは夜が明けません。
夜から少しづつ朝焼けに変わり、辺りの景色が色づいてくる時間帯になると、
なんだか一日の始まりを感じて、よっしゃーと気合いの入る自分です。
最近は遠出していませんから、久しぶりに旅に行きたいですね。
学生時代から、車でも電車でもバスでも「旅」といえば夜中の移動が常でしたから、
うっすらと夜が明けていく様をぼんやりと眺めているのは昔から好きだったんでしょうね。
大学が函館だったこともあって、バイトして車を買うまで当時は青函連絡船に乗り青森からは
大阪行きの白鳥に乗るのが一番効率が良かったんですよ。
函館を夜中の1時頃に出港する青函連絡船に乗り込み、ジャンジャンというドラの音を聞きながら
離れていく函館の灯りを眺め、いよいよ帰省できるというワクワク感を味わっていたものです。
当時は大きな荷物を担いだ行商のおばちゃんが多く乗っていて、カーペット敷きの二等客室の広間が
風呂敷で包まれた荷物で溢れていたのを覚えています。
5時くらいに青森に着いて6時始発の白鳥が発車するまでの乗り継ぎ時間で、
ホームにある立ち食いそばを食うのもお決まりでした。
立ち込める湯気と出汁の香りに吸い寄せられ、玉子やかき揚げでプチ贅沢を楽しんだりして。
そのままキヨスクで西村京太郎の本を買ったり週刊誌を買ったりして、車内での時間も満喫します。
鶴岡到着は午前10時30分くらいだったかな。
函館を出て10時間くらいはかかって帰省していたものです。
今でこそなんの不思議もないんですけど、高校出たばかりの18歳で時刻表片手に
夜中に函館を出発して船と電車を乗り継ぐ一人旅なんて、随分としっかりしていたなぁと、
今の息子と比べると、当時の自分がどれだけ大人だったかを実感します。
いや、自分だけでなく、当時の18歳なんてもう立派な大人だったですよね。
もちろん失敗もたくさんしてきたし、恥ずかしい経験もしてきました。
全く違う方面に行く電車に乗ってしまったこともあるし、鶴岡まで寝ていて急に飛び起きて
荷物を持たずにホームに降りて、そのまま電車は行ってしまったり・・・
まぁ何とでもなりましたけど(笑
たとえば、自分の指定席に間違って誰かが座っていて爆睡していたら、どうしますか。
①たたき起こして席を移ってもらう。
②とりあえず自由席にでも座る
③車掌に交渉して座席を代えてもらう。
どれも正解です。
というよりも知識と適応力なんですよね。
指定席を持っていても自由席には座れるし、車掌に言えば席だって代えてもらえる。
もちろん寝ている人を起こして移ってもらうのもいいでしょうし。
勇気をもって口に出して聞けば教えてもらえること、そしてそれが後の知識になることを
経験してこそ初めて身につくわけですよね。
バイトして車を買ってからは、フェリーに乗って青森からは国道7号線を運転して帰省してました。
当時はナビなんてないですから、ロードマップを助手席に積み込んで、休憩しながら地図を見て、
それが当たり前でしたからね。
今はスマホ片手に、なんでも情報が手に入ります。
それはそれで便利だし、時間も有効に使えて効率もよく役立ってはいます。
昔は、その先に何があるのか、が分からないところからスタートですから。
予想到着時刻なんて誰も教えてくれなし、その先にガソリンスタンドがあるのか、
メシを食うドライブインがあるのか、何の情報もないわけですよ。
そういえば、秋田の手前でガス欠で車が止まったこともあったし、青森で10月なのに急に雪が降って
夏タイヤでは峠越えができなくて路肩で6時間くらい寝ていたこともあったっけ(笑
当時のコンビニだって、青森にサークルKとホットスパー、秋田にヤマザキデイリーしかなくて、
しかも夜中はやってなかったのが当たり前でしたからね。
便利でもなんでもない(笑
そういう不測の出来事ってないですもんね、今は。
出発前に宿を予約して、メシを食うのも食べログで検索すれば丁寧に星の数まで付けて教えてくれる。
いきなり飛び込んだ食堂の生姜焼き定食が絶品で、おばちゃんと仲良くなってそれ以来通ってる、
なんてエピソードは今はあまり起こりえないでしょう。
なんて、どうでもいい事を書いているうちに夜が明けましたね。
御朱印帳片手に、のんびりと電車やバスで行く旅に行きたくなりました。
来月にカミさんを誘って新潟あたりまで行ってこようかな。
今週も始まります。
寒い日が続きますが、焦らずのんびりいきましょう。
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10月25日は同級生サノの命日です。
あれから5年が経ちましたか。
今年は25日が日曜日ということもあって、毎年恒例の「偲ぶ会という名ばかりの大宴会」は
昨夜のうちに敢行されたのでした。
いつものようにサノのサの字も出てこないグダグダの大宴会ですけど、
いつものように参加者にとっては楽しいだけの同級生飲み会です。
毎年毎年「どこが偲ぶ会やねん!」とツッコミを入れたくなるほどの盛り上がりの中で、
去年は久しぶりにやんちゃに来たハタケがレバーの旨さに感動して涙を流し、
「お前、そこで泣くんかい!」と非難と爆笑をさらっていました。
そんな飲み会を毎年開催していることだけでも、あの世でアイツも喜んでくれていることでしょう。
ケンシが飲み会を企画・招集して、翌日に自分がブログで文字にして記す・・・
自分が旅立った後に、仲間たちがこうして毎年集まってくれているなんて、
オレなんか・・・といつも自虐的だったアイツは夢にも思っていなかったことでしょう。
想いは生き続ける、ということなんでしょうね。
今年のサノの命日に何を感じたかといえば「家族のぬくもり」でしょうか。
あと何年生きているのかは、誰にもわかりません。
それでも自分の傍には大切な家族がいるという安心感は、何ものにも変えれない
かけがえのない存在であることに気づかされます。
自分にもやがていつかは訪れる「死」というものを、若い頃は怖くてしかなかったものです。
それが、親父やおふくろの最期を看取り、大切な仲間たちの死もたくさんたくさん経験し、
自分なりの「役目」を見出すことで、死への恐怖感も随分と薄れてきたんですね。
そんな死生観を胸に秘めながら、ふとまだ独身の同級生カジボに今からでも遅くないから
誰かいい人を紹介してあげたいと思ったんです。
仕事にも、お金にも、そして時間の使い方にも不自由はしていないでしょう。
でも、誕生日に「おめでとう」と祝ってくれたり、風邪をひいた時に「大丈夫?」と
心配してくれる人がそばにいないというのは、やっぱり寂しいものだと思うんですよね。
逆に相手のために何かをしたり、旅行に行ったり美味しいものを一緒に食べたり、
同じ時間を過ごし、感性を共有することの素晴らしさというものを諦めて欲しくなかったんです。
まだまだこれから今からでも、素敵な女性が現れれば、恋愛や結婚を恐れずに思い切って一歩前に
踏み込んで欲しいなと、大きなお世話でしょうけどおせっかいを焼くことにしたんですね。
オレたちも、もう53歳です。
亡くなる同級生も増えてきて、この先の定年まで、その後の老後のことと、
明るい未来を思い描けないような年齢に差し掛かってきたわけです。
だからこそ今、誰かを求めて欲しかったし、誰かに求められて欲しいんですよ。
若い頃のような燃え上がる恋愛はできないのかもしれません。
それでも真剣に相手と向き合う気持ちの余裕があるならば、相手の容姿や持っているモノではない
人としての本質に向き合えるならば、きっと満塁ホームランが飛び出しそうな気がします。
同級生サノが亡くなったことがきっかけで集まりだした飲み会で、
同級生カジボのこの先の人生の充実度を心配している自分がいました。
すべては、生きているからこそできることなんです。
人生まだまだこれからですよ。
サノやゴウとあっちで酒を酌み交わすのは、まだまだ先になりそうです。
実は我が家では、昨年の羽黒山登山から御朱印集めがブームになっているんですよ。
カミさんと御朱印帳を持って、今日もどこかの神社にお参りに行って来ます。
厳かな気持ちで真摯に手を合わすことが、こんなにも心穏やかになるということに驚きながらも、
行く先々の街で、どこか楽しみを見つけてワクワクしている二人です。
この秋は、湯殿山神社本宮、秋保神社、上杉神社、甲子大黒天本山、南岳寺即身仏へ
参拝し御朱印を頂いてきました。
今日は天気を見ながら、酒田方面の神社に行ってみようかと思っています。
御朱印については、また今度でも。
素敵な日曜日をお過ごしください。
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毎度ありがとうございます!
53歳の朝。
いつものように4時半で起きて弁当を詰め、煮こみを作る朝です。
いつもと変わらない毎日を送れることに、ささやかな幸せと有り難さを感じる今年の誕生日です。
結果を出せず、もがき苦しむ息子の背中を「今日も頑張れよ。」とひと声掛けて送り出す誕生日の朝に、
ふと息子の野球をやっている姿を1年以上見ていないことを思い出しました。
プレゼントとして買ったりもらったり出来るものではないけれど、この誕生日に何かもらえるなら
野球をやっている息子の姿を見せてもらいたいですかね、やっぱり。
となれば、ここは息子に頑張って叶えてもらえるといいんですが、どうでしょうねぇ(笑
そういえば、来月下旬には成田にいる娘が久しぶりに帰省するそうです。
いつ以来かと思って振り返ってみると、昨年の夏に両家で食事会を開催した時以来でしたから、
もう1年以上は会っていないことになります。
もちろん普段からLINEなんかでやり取りはしてるんで、元気なのは分かっています。
看護学校時代の友人も誰もいない千葉に引越しをして、しばらくは求めている環境の病院がなく、
仕事が落ち着くまで時間がかかったこともカミさんから聞いていました。
焦る必要はまったくありません。
そんなときほど深呼吸して回りをゆっくりと見渡せば、違う角度から物事が見えてきたりするものです。
ちゃんと料理はしているんだろうか。
夫婦仲良くやっているんだろうか。
貯金はできているのだろうか。
生命保険はどうなってるだろうか。
車のナンバー変更は無事にできただろうか。
いくつになっても、嫁に出しても、親として心配事は尽きないものですね。
来月またひとつ楽しみなことができました。
関東からの帰省ということもあって、GoToトラベルを使ってどこかの宿に泊まるんだそうです。
GoToは建前で、本当のところは看護師としての娘の気遣いなのでしょう。
大好きなカールもいるし、そのままになっている自分の部屋のベットで寝たいだろうに。
一瞬でも再会できるだけで、親としてはもちろん嬉しいです。
もっとゆっくりのんびりできたらいいんですけどね。
次はきっと来年の夏に、野球をやり遂げた息子も一緒に千葉に行くことになるでしょう。
「家族でオレだけディズニーランドに行った事がない!」って文句を言ってますから(笑
誕生日の朝・・・
煮こみを作りながら書いているブログは、結局は子どもたちのことでした。
53かぁ。
随分と歳をとったもんです。
気持ちはまだ33くらいですけど(笑
今日も一日頑張りましょう!
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毎度ありがとうございます!
酒場好きの心と鼻をくすっぐった名店「くろ田」をあとにして、終電に乗るカサマツくんと二人で
駅まで歩きながら、今夜のエンディングトークをしていました。
「終電時間に合わせて飲む。」という時間の使い方もどこか懐かしく、サラリーマン時代を思い出して
自分的には全然酔っていないと思っていたんです。
改札で別れを惜しむ恋人のように「じゃ、また。」と手を振って、自分はまたホテルのある国分町へ。
実は、ゴウがなくなったことをきっかけに、少し食生活を見直そうかと
カミさんと一緒に炭水化物抜きダイエットに取り組んでいたんですよね。
取り組むといっても、ストイックに一切口にしないというほどのものではなかったんですけど、
米はほとんど口にせず、ラーメンだけは週一回だけ食べていいルールでやってたんです。
もちろん腹は減ります。
米だって食べたくなります。
そんな時に誰も知らない見知らぬ街で酔っ払って、欲望だらけの繁華街で一人徘徊しているんですよ。
何かが弾けてしまったのかもしれません。
スマホの写真には、どこか知らないすし屋の「えんがわ」の写真が残っていました。
そういえば、立ち食いすし屋だった気がする・・・。
数年前に東京出張した際に、立石の「栄寿司」や中野の「にぎにぎ一(イチ)中野本館」など、
鮨っ食いの王道の立ち食いスタイルにハマっていたのもあって、「立ち食いすし」の看板に
吸い寄せられたんだと思うんですよね。
写真に残っている「えんがわ」以外に、なにを食ったのかは不明(笑
旨くて唸った記憶もまったくないから、そこそこの握りと、
それなりの雰囲気だったんだろうと思う。
それは、器や照明を見れば何となくお店の雰囲気も分かるわけで。
そして、深夜の爆食いはとどめを知らず、その後さらに長浜ラーメン「一閃閣」で
とんこつラーメンと餃子を注文していたみたいです(汗
あ、少しだけ思い出してきました。
ラーメンと餃子を頼んで、写真を撮ったあとにそのままカウンターにうつ伏したらしく、
店員のおねーちゃんに「お客さん、大丈夫ですか?」と声をかけられた気がします。
一口だけは食ったのかなぁ。
「残しちゃってごめんなさい。」と謝っていた記憶だけはあるんですけどね。
どうやってホテルまで帰ったのか、何時に帰ったのかも全く覚えていません。
ルームナンバーが奇跡的に車と同じ「822」だったのがラッキーだったのかもしれません。
シャワーも浴びず、布団も掛けず、出掛けたままの格好で大の字で寝ていました。
それでも普段からの4時半起き生活が染み付いていて、アラームがなる前には目が覚めるという(笑
石巻への出発は5時半の予定でしたけど、そのまま熱いシャワーを浴びて予定時刻より早く
ホテルをチェックアウトしました。
もちろん朝食なんか食べる気力も体力もなく、コーヒー片手に約1時間の運転で到着しました。
試合はすでに記した通りに初戦敗退となりましたが、この試合は開始前から個人的に
「先制点を取らないとやられるだろう。」と思っていました。
理由は書きませんし、書けません。
やっている選手が一番わかっていることでしょうから。
今は保護者の立場ですけど、OBとして20年近くも間近で見てきました。
一回戦で負けた時も、決勝で負けたときも、30年ぶりに優勝したときも、甲子園で勝利したときも、
強いときも弱いときもずっと支えてきたし、冷静にこの目で見てきました。
強さには理由と裏付けがあります。
弱さにも理由と原因があります。
そこをいかに気づき修正できるかでしょうね。
思ったよりハードな二日間になりました。
それでも、なにかと忙しい日常の中で、好きなことだけやれた二日間でしたから、
充実以外のなにものでもありません。
ゴウのことがあって、やりたいことや見たかったことを成し遂げることなく、
ある日突然に旅立ってしまう悲しさを思い知らされたのと同時に、ほんの少しの時間を割いても
行きたい場所に行くことや、会いたい人と会うことの大切さを改めて痛感した気がします。
また時間を見つけて、どこかの街に繰り出そうと思っています。
その時はまた、ブログでダメダメな自分も含めて報告しますね(笑
またお付き合いください。
ありがとうございました。
今日も頑張ります!
(後輩タザワの撮った早朝の石巻市民球場の写真が綺麗だなと思ってよく見たら
ちゃっかり自分が写っていたのでブログ用にパクリましたw)
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毎度ありがとうございます!
二軒目の「ちょうつがひ」では、のっけからお通しの極旨「はらこ飯」に驚かされ、
アジフライと鱈フライの二択で悩んだ末に、店員さんの「今日は絶対に鱈フライです!」と
言い切るセールストークに乗っかって、本当に人生史上で一番旨い鱈フライを食って、
完全にマウントを取られノックアウトされてしまいました。
酒田出身の店員さんと何度も握手して「酒田でお店出す時は必ず声をかけてください。」と
しつこいくらいに会話した記憶があります。
23時頃の終電まではもう少し時間があったんで、正月のゴルフ遠征では一度も営業日に行けなかった
「おでん三吉」に行くことにしたんです。
寒くもなく暑くもなく、夜風が酔った身体に心地いいなあと感じながら三吉まで歩いてる途中に、
ふとシブい佇まいのやきとり屋さんの前で立ち止まります。
「シブいな、ここ。」
「あー、くろ田さん珍しく座れますね!」
「お店の雰囲気いいよねー。いつも混んでるの?」
「ええ。ここのハラミが絶品なんですよ。」
豚ハラミと聞いて素通りはできません。
あっさりと行き先を変更して、L字のカウンターの端っこに座らせてもらいます。
お母さんの仕切る焼台の前で、ハラミ・煮こみ・おまかせ串セットを注文します。
焼いている手元を写真撮ってもいいですか、と確認してから一枚だけパシャリ。
ハラミ一本をそのまま焼いて、最後にハサミで切って盛るスタイルが斬新です。
煙で充満するためか入り口も窓も開放されていて、コロナ対策も完璧ですもん(笑
ハラミはシンプルな味付ですけど、後引く旨さがどんどん押し寄せてきて箸を置くヒマがありません。
程なくして出てきた煮こみは少しキムチ鍋のような辛さもあって不思議な感覚でしたけど。
肉をハサミで切るスタイルといいピリ辛の煮こみといい、韓国料理が根底にあるのかもしれませんね。
あめ色に変色した壁も天井も、昨日今日に色付いたものではない歴史を感じます。
東京の上野界隈のガード下を彷彿させる名店くろ田は、やきとりも間違いのない旨さでした。
22時を回ったところで会計を済ませ、カサマツくんと一緒に駅まで歩きます。
もっともっと話したいことがあったし、正直まだまだ時間が足りなかったですよね。
次回は新人ルーキーのイマイッシュも一緒に飲もうと約束して改札で別れました。
・・・たぶん仙台駅で。
このへんから記憶がぶっ飛んで、正直どの駅まで歩いて、どこで別れたのかも定かではないんです。
飲んだ酒の量は大したことなかったんですけど、普段からの疲れと寝不足、そしてアカスリで
リフレッシュした身体にアルコールが効いたのか、自覚がないくらいに酔ってたんでしょうね。
カサマツくんと別れて、また一人国分町に戻って歓楽街を徘徊してしまうのでした。
明日は5時半起きで、石巻まで行かなくてはならないのに。
大丈夫か、オレ。
・・・つづく。
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毎度ありがとうございます!
石巻まで東北大会に行ってきました。
試合は残念な結果でしたけど、それが現実ですし、今の実力ということです。
来春に向けて、この冬一層の努力を期待します。
というわけで、前泊した仙台の夜の話しでも。
カサマツくんとの約束の時間は夕方5時。
それまでひと風呂浴びてアカスリをしなくてはなりません。
昼頃に出発して、山形市にあるスーパー銭湯「テルメ」に向かいます。
仙台南ICで降りてパチンコ屋のところにあった極楽湯がなくなっていたんで、
泉方面に行って戻るよりも、山形で途中下車する効率優先判断です。
何よりも前回アビコ先生と行った「財布忘れ事件」の際に、そのおばちゃんの力強さと
しっかりとした施術の確かさは、身を持って実証済みでしたからね。
前回は30分のAコースを選んだのに45分のBコースになっていて、密かにラッキーでしたけど、
今回はAコースで申しこんだものの、久しぶりのアカスリと体格のデカさを見て、おばちゃんが
「アナタハ30フンデハ、ムリダヨ。チャントヤルナラBコースニチェンジシタホウガイイネ。」と
想定内の営業をかけてきます。
15分ケチって嫌々アカスリされるよりも、気前良くコースチェンジして「OK!しっかり頼むよ。」と
お願いしたほうがお互いが気持ちがいいでしょう。
ましてや、前回はおまけで得した分もあるわけですからね。
アカスリタオルがおろし立てだったのか、少し痛かった部分もありましたけど、
ビックリするくらいのアカが出ました。
中途半端な施術より、このくらいゴシゴシやってもらったほうが気持ちいいんです。
ひと皮剥けて身体が軽くなり、サッパリしていよいよ仙台に入ります。
今夜のホテルは「ホテル定禅寺」というビジネスの格安ホテルです。
どうせ素泊まりで国分町で飲むわけだし、利便性と価格で迷いはありません。
以前ゴルフをやっていた頃は、仲間と正月恒例の初打ちを松島チサンカントリーでやっていて、
仙台遠征時の常宿でもあるホテルなんですね。
ただでさえ安いホテルなのに、GO TOトラベル使って2200円の支払いでした。
これでアカスリの追加料金分の元が取れたわけです(笑
5時少し前にカサマツくんと合流し、希望していたホルモン屋を目指して長町まで移動します。
長町で飲むのも25年ぶりくらいでしょうか。
定期を使って南仙台駅から通勤していた頃は、休みの日に飲みに行くのも仙台駅まで来るのが
面倒くさくて、一人で長町で飲む機会も多かったんですよね。
その頃から比べると、長町も随分とタワーマンションが建ちました。
それでもチープな一杯飲み屋街も残っていたりして、どこか懐かしさも感じます。
久しぶりの再会と近況を話しながら、お目当ての「ホルモン長町」に到着したものの、
なんと休業日にぶつかってしまってました。
そんなことも十分に想定の範囲です。
そんなことは大した問題じゃないんです。
「どこに行きたいか」よりも「誰と飲みたいか」なんですから。
そしたらなんと、そのホルモン長町の向かいのお店もホルモン屋だったんですよ!
そんなミラクルってあるの?(笑
で、迷いなく「TORISEN」に入店。
生ホルモン(塩)っていうのがあって、それと網脂レバー、そしてセンマイ刺しで十分です。
お互いに野球をやっている息子の話しや、鶴岡を担当していた頃の話しや、そしてゴウの話し。
積もる話しがたくさんあって沈黙ゼロのマシンガントークで、肝心のホルモンの感想は、正直、
覚えていないんですよね、ごめんなさい(笑
でも美味しかったですよ、間違いなく。
そして、二軒目は勾当台まで戻ってあらかじめ予約してくれていた「ちょうつがひ」へ。
そう、ここはあの人気店「ちょーちょ」の3店舗目なんだそうです。
そう聞かされれば2店舗目の「ちょーちょむすび」にも行きたくなります。
メニュー、価格、雰囲気、接客と、すべてにおいて満足できるお店です。
今回もなんの不満もなく、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごしてきました。
店員さんに酒田出身の青年がいて、いずれは酒田で開業したい夢があるんだそうです。
是非頑張って酒田でお店出してください!
絶対に応援しますから。
うーん、時間的にもう一軒行けるなぁ。
となれば、宿題店となっていた「おでん三吉」に向かいます。
でも、結果的には「三吉」には辿り着けませんでした。
・・・つづく。