毎度ありがとうございます!
8月8日、恩師田中先生を思い出す朝です。
今夜、甲子園に向けて出発する息子たちの後ろを追って、保護者乗り合いでレンタカーを借りて
自分も甲子園に出発する日でもあります。
田中先生が旅立たれたあの夏も、暑さと忙しさとで目が回っていた夏でした。
昨年、創部50周年記念誌の制作にあたり、田中先生の奥様から大量の写真やアルバムを
お借りしていました。
もちろん、貴重なお写真ばかりですので大切に慎重に扱わせていただいていたのですが、
その返却の際に息子のケンくんから「実家には他にも父さんの写真がたくさんありますので、
鶴商時代の写真は家にあるよりもOBの皆さんが持っていてくれたほうが嬉しいです。」と
お申し出があったんです。
いろいろと迷ったのですが、お言葉に甘えて今は自分がその大切なアルバムを保管させて
いただいています。
ケンくんとも連絡を取り合う仲ですし、何かあればすぐ対応できるとなると自分かな、と。
実は、明日も甲子園で会う約束をしていますし。
今朝起きて一番最初に田中先生のアルバムを開いていました。
輝かしい甲子園での記念写真やスナップ写真のほかにも、甲子園予選のパンフレット用に撮影した
自分たちの代の白黒写真もありました。
もちろんカラー写真全盛の時代でしたけど、パンフレットがモノクロでしたから、
あえて白黒で撮ったものでしょうか。
どこで撮影したものか、まったく覚えていませんが1985年6月2日の刻印があります。
ミズノのメッシュを着ているんで、春季県大会のあたりかもしれません。
この頃の田中先生はまだバリバリのスパルタで、夏を見据えてチームの仕上げの真っ最中でした。
7月に入るとそれまでの追い込みがウソのように練習時間も短くなり、通称「楽レン」と呼ばれ
昼過ぎには練習も終わり、引き続きグラウンドに残って練習する1、2年生の姿を眺めながら、
赤川の土手を寮に向かって帰る時間が本当に幸せだったことを覚えています。
チーム力が整っていた年も、下級生主体の育成の年も、それでもいつでも甲子園を明確に狙う
田中先生の姿を自分たちもすぐ近くで見てきましたから、OBとなった今でもその年の結果に
とらわれることなく、いつの時代でも一生懸命サポートしていこうという思いは変わりません。
勝って甲子園が決まったときだけに協力するのではなく、むしろ勝てない時や
結果が出なかった時ほど応援していかなければならないという気持ちが強いです。
田中先生にも、ゴルフに行く車の中でOB会の話しをよく聞かされました。
「金(OB会費)の協力もありがたいが、一番はグラウンドに顔を出してくれること。」
そういわれると、いつも赤川のグラウンドには誰か知らないOBが来るもので、
バッティングピッチャーやらノッカーをやってくれるものでした。
今だから言えますけど田中先生や茂木先生のノックとは違って、めちゃくちゃ下手なもんで
さーこーい!なんて声は出すものの、「どこ打ってんだよ!」なんて内心思ってましたもんね(笑
OBとしてひと仕事終わると、タバコで一服しながら楽しそうに田中先生と談笑する姿に、
高校生ながらミョーに憧れたものです。
田中先生もあんなふうに笑いながらOBと話すんだ・・・
OB会の事務局を引き受けるかどうかを相談した際にも「お前がやれ。」という短い会話に、
なぜかしら嬉しくなったものです。
先生からあの言葉から14年ですかね。
事務局を引き受けて今回で4回目の甲子園出場の準備に追われています。
そろそろ後輩を育てて事務局を退きたいと思っていますが、田中先生は何というでしょうか。
あの頃憧れたバックネット裏のシーンのように、一服しながらリラックスした表情で
「おつかれさん。まぁ一服しろ。」と言ってくれるでしょうかね。
先生、明日また後輩達が甲子園で暴れまわりますよ。
銀傘の上で茂木先生と一緒に見ていてくださいね。
また先生のアルバムを開かせてもらいます。
そこにはまだ見たことがない先生の表情が写っているかもしれません。
大切に、大切な先生の思い出とともに。
8月8日、恩師田中先生を思い出す朝です。
今夜、甲子園に向けて出発する息子たちの後ろを追って、保護者乗り合いでレンタカーを借りて
自分も甲子園に出発する日でもあります。
田中先生が旅立たれたあの夏も、暑さと忙しさとで目が回っていた夏でした。
昨年、創部50周年記念誌の制作にあたり、田中先生の奥様から大量の写真やアルバムを
お借りしていました。
もちろん、貴重なお写真ばかりですので大切に慎重に扱わせていただいていたのですが、
その返却の際に息子のケンくんから「実家には他にも父さんの写真がたくさんありますので、
鶴商時代の写真は家にあるよりもOBの皆さんが持っていてくれたほうが嬉しいです。」と
お申し出があったんです。
いろいろと迷ったのですが、お言葉に甘えて今は自分がその大切なアルバムを保管させて
いただいています。
ケンくんとも連絡を取り合う仲ですし、何かあればすぐ対応できるとなると自分かな、と。
実は、明日も甲子園で会う約束をしていますし。
今朝起きて一番最初に田中先生のアルバムを開いていました。
輝かしい甲子園での記念写真やスナップ写真のほかにも、甲子園予選のパンフレット用に撮影した
自分たちの代の白黒写真もありました。
もちろんカラー写真全盛の時代でしたけど、パンフレットがモノクロでしたから、
あえて白黒で撮ったものでしょうか。
どこで撮影したものか、まったく覚えていませんが1985年6月2日の刻印があります。
ミズノのメッシュを着ているんで、春季県大会のあたりかもしれません。
この頃の田中先生はまだバリバリのスパルタで、夏を見据えてチームの仕上げの真っ最中でした。
7月に入るとそれまでの追い込みがウソのように練習時間も短くなり、通称「楽レン」と呼ばれ
昼過ぎには練習も終わり、引き続きグラウンドに残って練習する1、2年生の姿を眺めながら、
赤川の土手を寮に向かって帰る時間が本当に幸せだったことを覚えています。
チーム力が整っていた年も、下級生主体の育成の年も、それでもいつでも甲子園を明確に狙う
田中先生の姿を自分たちもすぐ近くで見てきましたから、OBとなった今でもその年の結果に
とらわれることなく、いつの時代でも一生懸命サポートしていこうという思いは変わりません。
勝って甲子園が決まったときだけに協力するのではなく、むしろ勝てない時や
結果が出なかった時ほど応援していかなければならないという気持ちが強いです。
田中先生にも、ゴルフに行く車の中でOB会の話しをよく聞かされました。
「金(OB会費)の協力もありがたいが、一番はグラウンドに顔を出してくれること。」
そういわれると、いつも赤川のグラウンドには誰か知らないOBが来るもので、
バッティングピッチャーやらノッカーをやってくれるものでした。
今だから言えますけど田中先生や茂木先生のノックとは違って、めちゃくちゃ下手なもんで
さーこーい!なんて声は出すものの、「どこ打ってんだよ!」なんて内心思ってましたもんね(笑
OBとしてひと仕事終わると、タバコで一服しながら楽しそうに田中先生と談笑する姿に、
高校生ながらミョーに憧れたものです。
田中先生もあんなふうに笑いながらOBと話すんだ・・・
OB会の事務局を引き受けるかどうかを相談した際にも「お前がやれ。」という短い会話に、
なぜかしら嬉しくなったものです。
先生からあの言葉から14年ですかね。
事務局を引き受けて今回で4回目の甲子園出場の準備に追われています。
そろそろ後輩を育てて事務局を退きたいと思っていますが、田中先生は何というでしょうか。
あの頃憧れたバックネット裏のシーンのように、一服しながらリラックスした表情で
「おつかれさん。まぁ一服しろ。」と言ってくれるでしょうかね。
先生、明日また後輩達が甲子園で暴れまわりますよ。
銀傘の上で茂木先生と一緒に見ていてくださいね。
また先生のアルバムを開かせてもらいます。
そこにはまだ見たことがない先生の表情が写っているかもしれません。
大切に、大切な先生の思い出とともに。
コメント
1. 無題
チャンスをもらいユニフォームに袖を通す寸前で辞めてしまいましたけどね・・・(いつかお話します)
明日はテレビの前から応援なりますが、選手達には普段どうりのプレーを期待しています。
あ、スタンド応援席も要チェックですね。
必ず映り込んでください((笑)
2. >通りすがりの散髪屋さん
結構ドラマチックなエピソードをお持ちのようですなぁ。。。
今夜決戦の地へ出発いたします!
当然「勝つ」と信じています。
県大会決勝のようにNHKのカメラだけ意識して
応援も頑張ります(笑
地元から応援宜しくお願いします!!
3. さっき知ったんだけど
宜しくね(笑
4. 無題
おめでとうございます。
秋田からやんちゃに
向かう途中の高速で
3年ぶりに校歌を歌いましたよ。
そして今はやんちゃで
焼き場前のバッターボックスに入って
祝杯をあげてます(笑
5. >萬年幹事の松さん
歓喜の瞬間はもの凄い歓声でしたから
是非お土産話しを聞いてください(笑
6. >萬年幹事の松さん
いつもユウヒがお世話になり申し訳ありません。
そちらは昨夜は延長戦だったそうで、ありがとうございました!!