毎度ありがとうございます!
9月6日、酒屋のゴウが亡くなって一年が経ちました。
自分にとって大切な人が、すでに何人も旅立ってしまっているわけですけど、
不思議なことにゴウだけはまだ亡くなってしまったという感覚がないんです。
どこか遠くへ、ちょっと仕事の関係で今は鶴岡にいないんだっけ?みたいな感覚というか、
会おうと思えばいつでも会えるし、電話をかければ「どうもッス」って出そうな感覚なんですよね。
田中先生や同級生サノも亡くなったことは突然だったけれど、病気療養中ということは知っていたんで
ついにこの日がきてしまったか、という心の準備もどこかでできていたのかもしれません。
ゴウの旅立ちは本当に急だったし、あまりにも突然すぎました。
亡くなって数日間、いや一年経った今でもその実感がないなんて、本当にある日突然目の前から
いなくなってしまった現実を、どこか受け入れきれていない自分がいるのかもしれません。
ゴウは、今尚もがき苦しむコロナ禍での商売を、どんなふうに天国から見ているんだろうか。。
エルグランドを譲り受けた時に、あまりの燃費の悪さに愚痴をこぼせば、
「この車は燃費のことを気にしたらダメなんすよ。トルクと広さが売りなんスから。」と笑い吹き飛ばし、
昨年のコロナで営業自粛になった時には、
「こんなの、薬が出来たらすぐに収束しますよ。もうちょっと、もうちょっとの我慢スよ。」
と励ましたうえに、当時入手が困難だった不織布マスクを一箱ポンと置いて行ったりして。
名前の通りに豪快で、いい男でした。
年下と飲んで、自分が会計をする前にすでに会計が終わっているヤツなんて、
後にも先にもゴウただ一人しかいませんでしたからね。
人一倍カッコつける。
でも、それが嫌味じゃない。
だからまたあいつのために、と思ってしまう。
あの日の夜、ゴウと同期で野球部の後輩タケシ、ナガオカ、マサヨシと
ゴウとも何度も通った福鮨のカウンターで献杯していたんですよね。
みんな、泣いても泣いても涙が止まらなかったことを思い出します。
そして、あの日からちょうど一年が経った。
この一年、良くなったと思えばまた悪くなり、ジェットコースターのような売上の中でも、
必死になって踏ん張ってきたと我ながら思うときがあるんですよね。
少なくとも、お店をたたまずに今もこうして提灯に明かりをつけることが出来ているだけでも、
ゴウはきっと「大丈夫ですよ、やんちゃさんは大丈夫!」と根拠もなく励ますことでしょう。
そしてきっとこう言うはずだ。
「こんなの、もうちょっとですよ!今日パーッと飲みに行きますか、パーッと!」と。
寂しくないか、ゴウ。
そっちでも楽しく豪快にやってるか。
心が折れそうなとき、お前と無精に飲みたくなる夜がある。
そして改めてお前がいない現実をかみしめて、一人寂しく行きつけの暖簾をくぐる・・・
きっと今夜は、たくさんの人たちがゴウの思い出で一杯やることでしょう。
賑やかな場が好きだったあいつのことを、みんなが思い出しながら。
みんなに顔くらい出してやれよ、ゴウ。
みんないつもの店で待ってると思うぞ。
おれは今日も店を開けて、自分の今日を頑張るだけです。
ゴウ、せばまだの。
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