『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

タイミング

毎度ありがとうございます!

今朝起きてすぐにパソコンに向かって作業していたら、明らかに肌寒いと感じるんですよね。
半袖からロンTへ、ハーフパンツからジャージへと切り替えるタイミングです。

何かを切り替えるタイミングというか、切り替わった直後の感覚というか感触というか、
言葉では上手く表せない「その瞬間」というものが結構好きだったりします。

タオルケット一枚で寝ていたものが羽毛布団をかけた瞬間とか、
新しい車を購入してエンジンをかけた瞬間とか、
秋用のスエードブーツに足を入れた瞬間とか、
新しいメニューをカウンターに並べた時とか・・・

そう考えると、大学生から社会人になるタイミングなんかもそうだったのかもしれません。

21才の春。
3年間住んだ函館のアパートを引き払い、本社のある大阪に入る直前まで鶴岡で過ごしていました。

前にも書いたように、学生アルバイトも数多くやりながら、働く先々で可愛がってもらい、
学生なのにワンランク上の責任ある仕事を任せてもらったりして、社会人としての適応力というか
証券マンとしてやっていくことへの根拠のない「自信」があったんですよね。

根拠のない「自信」、それはすなわち「過信」となるわけですけど、この時に気づくはずもありません。

当時の学生の就職は「野球部」「応援団」「ラグビー部」からいいところに決まる、
みたいな世間の雰囲気があって、体育会系のサークル活動をやっていたわけでもないのに、
高校時代のおつりとアルバイトの経験が活きたのか、証券会社に一発で内定が決まったんです。

高校は商業科、大学も商学部商学科、そして兄は銀行員でしたから、何となく金融系に進もうと
漠然と肌で思っていたことではありました。

決してなりたかったわけでもない。
でもどこかには就職しなければならない。

その時、そのタイミングがきたから選択したにすぎません。
それなのに、高校野球やってきて挨拶ができてアルバイト経験も豊富で、
社会人としての適応力に変な自信があって、会社の上司やお客様にも可愛がってもらえるだろう、
営業成績もそこそこいいところまで行くだろう、そのくらいのイメージは持ってましたからね。
今思い返しても勘違いも甚だしい大バカ野郎ですよ、マジで。

入社式で見る60人の同期はどこか皆幼く見えて、大阪での3か月の研修期間を経て
意気揚々と東京兜町支店に配属されたんですね。

1年にも満たない証券マン時代に唯一後悔があるとすれば、自身の担当エリアを「世田谷」にしたこと。
東京でお金持ちが住む街として真っ先に思い浮かんだのが世田谷でした。

どうせ金融の営業をするならば、お金持ち相手の方がいいだろうという計算もありましたし、
大学時代から幼馴染のタダシが住んでいた世田谷に遊びに行って土地勘もあったこともあって、
「新入社員は町工場とかがある下町のエリアにしとけ。」という支店長の助言を振り切り、
一発狙いに走って見事なまでに都会の厳しさを味わうことになったんですね。

町工場の社長は人情派も多く地方出身者も多いことから、山形や函館の話しは東北や北海道へと
話しが広がりやすく、何度も通うことで懐に飛び込める可能性があるということ。
直接会社で名刺交換ができるということも大きな理由でした。

一方、高級住宅街はインターホン越しでしか挨拶回りしかできず、昼間はお手伝いさんが対応して
家主と会うことなんて全くと言っていいほど叶わないわけです。

焦っていましたねぇ。。。
こんなはずじゃないって。

途中から、世田谷に向かう途中の渋谷区三軒茶屋方面でローラーをかけてましたけど、
在籍中の新規契約は、ただの1件も獲れませんでした。

同期が少しづつ契約を取ってくる中、最後まで新規が獲れない自分に支店長から
「親でも兄弟でもいいから新規を引っ張ってこい!」と叱咤され、気持ちが切れたんです。

奨学金も借りずに大学まで出してもらって、この上ノルマが達成できないからお金を預けてくれなんて
いくら勘違いなバカでも言えるわけがないでしょう。

短かった自分の東京でのサラリーマン生活の終わりです。
でも、今思い返せば早いうちに東京で挫折して良かったのかもしれません。

人生にはいろんなタイミングがあります。
今朝はふと、肌寒さからそんな昔のことを思い出した朝でした。

今日ものんびりやります。
ではでは。




コメント

コメントを書く