毎度ありがとうございます!
昨日は酒屋のゴウの命日でした。
あの日から2年、時の経つのは早いものです。
ゴウが亡くなってから、自分の中で一つだけ変わったことがあります。
それは、可能な限り快適な暮らしで日々を過ごそう、と意識するようになったことです。
自分自身の予定(飲み・旅・遊び)だけではなく、家の中での問題点を後回しではなく
可能な限り改善していこうという自分の中での「意識」のことです。
庭の外壁の汚れも気になってはいても何年もほったらかしていましたし、
玄関ドアの取っ手のガタツキや、裏口の扉の合わせのズレ、風除室のコーキング再施工や
庭の雑草対策、風呂のタイル補修に物置きの断捨離などなど、思いついた時にやっておかないと
万が一の時にカミさんや息子では対応できないようなことを、やっておきたいということなんです。
もちろん、そのほとんどのことにはお金(料金)がかかりますから、いくら思い立ったと云えど
それら全てを一気に改善することはさすがに無理でしたけどね。
少しづつ財布と相談しながら今月出来ること、来月にはやりたいことを計画的に準備して、
この2年間で随分と改善改修が進んだと思っています。
我が家は中古で家を購入したんで、ここにきてあちこち修繕が必要になってきているんですね。
まだまだ手を加えたい部分もたくさんありますけど、さすがに少しずつしかできませんから
項目をリストアップして優先順位を決めて着手していこうと思っています。
あとは、たてた予定は実行するし、出来ない予定はたてない。
調子のいい曖昧な返事や、不要な約束はしない。
これも意識的に変わってきたことかもしれませんね。
お調子者でいい加減なイメージのゴウでしたけど、交わした約束は絶対に守る男でしたし
そのために見えないところでスケジュールを調整したり、周囲の人にも根回ししたりしていて、
年下だけれど、頼もしく頼りになる唯一無二の男でしたね。
あの日の驚きと悲しさは時の経過とともに少しずつ薄れてきて、今は悲しさよりも「淋しさ」を
ふとした時に感じることの方が多くなった気がします。
田中先生やサノもそうだけど、関わった人たちの心の中で思い出が褪せないのならば、
お墓参りや仏壇に手を合わせずとも、それはそれでいいんだと思うんですよね。
心に在りし日の面影が浮かび、懐かしく想い続けながら色褪せないでいること・・・
自分の中での供養とは、そういうことです。
ブログに思い出話を書き綴ることも、自分にとっては大切なことなんですよね。
アイツに「なにやってるんすか!」と笑われないように、
今日も自分の一日を生きるだけです。
ではまた。
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