毎度ありがとうございます!
今日は、高校2年生になった娘の誕生日です。
17歳。
青春真っ盛りですよね。
自分の17歳、高校2年の5月といえば、野球部寮で地獄の日々を過ごしてました。
2年生にはなったものの、4月から1年生が入部してきて、そのしつけや態度が悪いと、
「おい、2年。お前ら、なんとかしろや。」
なんて、余計なことでやられるわけです。
野球部員は全寮制だった時代です。
自分達は、現役を最後まで野球部寮で過ごした、最後の登高寮世代なんですよ。
1コ下の地元の生徒は、自宅からの通いになってますからね。
振り返れば、“高校時代”なんてぼんやりした時代なんかじゃなく、
16~18歳までは“鶴商野球部時代”でしかありません。
高校生活なんて甘ったるい記憶は、まったくないですもんね。
あるのは、厳しかった練習と、辛かった寮生活しかない。キッパリ。
大袈裟ではなく、「野球部にあらずは、鶴商にあらず。」というイメージがあったくらい、
野球部への力の入れようはハンパない時代でした。
それゆえに、学園生活や高校生生活などという楽しそうな世間とは完全に隔離された、
ある種独特の治外法権ばりの空間の中で過ごした青春時代でしたね。
今になれば、その時間や経験が自分にとって大きな財産になってる、
なんて美談で語れますけど、当時は奴隷みたいなもんですから
毎日生きていくのに必死でしたもんね。
あれって、娯楽や息抜きなどとは無縁の閉ざされた空間だからこそ、
後輩をいびるんですよ。
他に楽しみがないからなんですよね。
もう少し、野球に打ち込める環境だったらなぁ、なんて今さらながら思う事もあります。
先輩たちも下級生時代にやられてきた経験があるもんだから、
上級生になったら、同じように嫌な先輩になっていくんですね。
代々、先輩の悪いとこだけ似るもんなんです(笑
かく言う自分も含めて・・・。
まぁ、今はそんな事はないでしょうけど、当時は監督自らが鉄拳制裁してた時代でしたからね(笑
でも、そんな高校時代でしたけど、これっぽっちも後悔はしてません。
良くも悪くも大きなものを学び、手に入れたと思ってますから。
下手くそだった自分みたいなヤツが、辞めずに最後まで続けた事が、なによりの「誇り」です。
そして、鶴商学園から鶴岡東という野球部の歴史の中に自分もいて、
大人になってからでも先輩後輩とのつながりの大切さを感じているわけです。
普通の学生時代を過ごされた方々には、理解しにくい価値観かもしれませんけど。
今度生まれ変わっても、もう一回、あの頃の鶴商学園に行きたいと思います。
ただ、今度は是非、「特待」で(爆
娘もいま、自分の目標に向って頑張っています。
勉強と野球、カタチは違えど辛く挫折したくなるときもあるでしょう。
でも、その先にあるものは、今の苦労なくしては手に入れることが出来ないんだよと。
これからも娘の成長を楽しみに、見守って行こうと思っています。
今日は、高校2年生になった娘の誕生日です。
17歳。
青春真っ盛りですよね。
自分の17歳、高校2年の5月といえば、野球部寮で地獄の日々を過ごしてました。
2年生にはなったものの、4月から1年生が入部してきて、そのしつけや態度が悪いと、
「おい、2年。お前ら、なんとかしろや。」
なんて、余計なことでやられるわけです。
野球部員は全寮制だった時代です。
自分達は、現役を最後まで野球部寮で過ごした、最後の登高寮世代なんですよ。
1コ下の地元の生徒は、自宅からの通いになってますからね。
振り返れば、“高校時代”なんてぼんやりした時代なんかじゃなく、
16~18歳までは“鶴商野球部時代”でしかありません。
高校生活なんて甘ったるい記憶は、まったくないですもんね。
あるのは、厳しかった練習と、辛かった寮生活しかない。キッパリ。
大袈裟ではなく、「野球部にあらずは、鶴商にあらず。」というイメージがあったくらい、
野球部への力の入れようはハンパない時代でした。
それゆえに、学園生活や高校生生活などという楽しそうな世間とは完全に隔離された、
ある種独特の治外法権ばりの空間の中で過ごした青春時代でしたね。
今になれば、その時間や経験が自分にとって大きな財産になってる、
なんて美談で語れますけど、当時は奴隷みたいなもんですから
毎日生きていくのに必死でしたもんね。
あれって、娯楽や息抜きなどとは無縁の閉ざされた空間だからこそ、
後輩をいびるんですよ。
他に楽しみがないからなんですよね。
もう少し、野球に打ち込める環境だったらなぁ、なんて今さらながら思う事もあります。
先輩たちも下級生時代にやられてきた経験があるもんだから、
上級生になったら、同じように嫌な先輩になっていくんですね。
代々、先輩の悪いとこだけ似るもんなんです(笑
かく言う自分も含めて・・・。
まぁ、今はそんな事はないでしょうけど、当時は監督自らが鉄拳制裁してた時代でしたからね(笑
でも、そんな高校時代でしたけど、これっぽっちも後悔はしてません。
良くも悪くも大きなものを学び、手に入れたと思ってますから。
下手くそだった自分みたいなヤツが、辞めずに最後まで続けた事が、なによりの「誇り」です。
そして、鶴商学園から鶴岡東という野球部の歴史の中に自分もいて、
大人になってからでも先輩後輩とのつながりの大切さを感じているわけです。
普通の学生時代を過ごされた方々には、理解しにくい価値観かもしれませんけど。
今度生まれ変わっても、もう一回、あの頃の鶴商学園に行きたいと思います。
ただ、今度は是非、「特待」で(爆
娘もいま、自分の目標に向って頑張っています。
勉強と野球、カタチは違えど辛く挫折したくなるときもあるでしょう。
でも、その先にあるものは、今の苦労なくしては手に入れることが出来ないんだよと。
これからも娘の成長を楽しみに、見守って行こうと思っています。
コメント
1. 無題
私も卒業生ですが、とにかく『勉強』の高校生活でした。
7時間授業+某予備校のゼミ。部活禁止。というか参加は無理。
娘さんと同じ科卒業だと思いますが、今はどんな感じなのでしょう?
本当に大変だったけど今思えば良い思い出です。
今週土曜日夫婦でお邪魔しますので宜しくお願いします。
2. >佐藤妻さん
佐藤妻さんも「特進」でしたか。
同じ卒業生とは存じ上げませんでした。
今は、7時間目がなくて0時間目と1時間目をぶっ通しでやる
【ゼロイチ】なる時間割ですね。
朝8時すぎから、すぐに授業開始です。
特進もⅠ類とⅡ類があって、娘のⅡ類は部活OKですけど、
野球部員以外、あんまり見かけませんね~。
というか、特進に野球部員がいるというのも時代なのかも知れません(驚
昔はいわゆる「野球バカ」しかいませんでしたもんねww
土曜日、お待ちしております。