『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

もう少し独り言
毎度ありがとうございます!

ゆっくりとした休日の朝です。
が、確定申告の準備も平行して行っているんで、そうそうゆっくりもしていられないんですけどね。

昨日の「体罰」の話し、予想通り反響も大きかったです。
「体罰は怠罰、そして退罰」というタイトルのせいか、少し誤解されたのかもしれませんけど、
自分はなにがなんでも「体罰反対」というわけではありません。

自分自身も叩かれて育ってきたし、我が子をも体罰を持ってしつけをしています。

スポーツや教育現場でも“ある程度”の体罰はあってしかるべきだとも思っているんです。
だけど、そこに信頼関係がなくちゃ一方的な暴力ととられても仕方ないでしょ、ってことなんですよ。
叩く側の人間性にも関係してくるわけですし。

中途半端な指導者や教育者も多いのに、一方的に「体罰」という名で
正当化するんじゃないよって思うんですよ。
しかも、どこ行っても「怒り上手」のほうが多くて、しっかり「褒め上手」な師が少ないですし。

必要なら、手を上げてもらって全然かまいませんよ。
そんなことで、いちいち文句は言いませんから。
だけど、もう一歩踏みとどまって、叩かずとも分からせる方法論というか、
教える側の心の余裕も必要なんじゃないかとも思うわけです。

とかく、我々のように厳しい時代を乗り越えてきた人間ほど「俺達の時代は・・・」なんて
自分達がやられてきたこと、やってきたことを正当化してる気がするんですよ。
なんかちょっと、むかしを美化しすぎな気がします。

体罰をなくしたら、根性のある人間は育ちませんか?
体罰をやったら、真っ直ぐな人間が育ちますか?
家庭でやるべきこと、学校に任せること、全て混同していませんか?

いい機会です。
みんなで考えていきましょうよ。

昨日も書きましたけど、体罰だけをクローズアップして今の時代を語ることはできません。
とても大きな、とても複雑な明日の日本への課題です。

まずは相手の話しに耳を傾けることから、はじめてみましょうよ。
強く真っ直ぐな人間に育ってほしいと願うのは、みな同じなんですから。
方法論の違いを、お互いにどう理解していくかです。

b8b8235d.jpeg自分は、ゴルフをやるようになってから、他人とかかわることへの
考え方が大きく変わってきたと思っています。
ゴルフをやれば、なにかヒントがあるかもしれませんよ。

しがない酒場の店主の独り言です。
本気の全否定コメントはご遠慮下さい。
疲れますんで(笑

久しぶりに打ちっぱなしでも行ってこようかな(笑

節分の日曜日、素敵な休日をお過ごし下さい。
恵方巻きは、ゆっくり静かに食べましょう。

「福は内~、鬼は外~!」



 

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