毎度ありがとうございます!
10月25日。
同級生で酒屋だったサノが天国に旅立って、昨日でちょうど1年が経ったことになる。
あっという間の1年だった気がする。
振り返ること10年前の、開業して3年目の春。
サノとは中1の頃、クラスメートだったにも関わらず、一回も話しをしたことがなかった。
それでも、日本酒の講師や利き酒師として新聞やメディアに取り上げられているのは知っていて、
自分も日本酒の事を勉強したい、もっと深く日本酒を知りたいと、同級生ケンシに頼んで
「サノとセッティングしてくんない?」とお願いしたのがきっかけだった。
その時に「お前も少しは勉強してくれよ。」と、とりあえず初歩の初歩の初歩で
購読を勧められたのがコミック「夏子の酒」だった。
近くのブックオフで表紙の色褪せた全巻を大人買いして、何度も何度も読み返した日が懐かしい。
その数年後、銀座通りに地酒専門店をオープンする際にレイアウトで全巻貸して欲しいとお願いされ
そのまま貸したことさえ忘れていたくらいの古いマンガ本だった。
アイツが亡くなる3ヶ月前、入院していたと聞いていたのに突然電話がかかってきて、
「返すものがあるから今から自宅に行ってもいいか?」と自宅前の車の前で
立ち話をしたのが最後に見たアイツの元気な姿になってしまった。
その際に、何か身の回りを整理しているかのように大きな紙袋にしっかりとロープで縛り上げて
ガッチリと梱包してある「夏子の酒」と、尋常ではないくらいに痩せてしまっていたアイツの姿に、
すでに余命宣告されていたことすら知る由もなかったその当時の自分でも、
何ともいえないような嫌な胸騒ぎがしたことを今でもはっきりと覚えている。 学生時代というよりも、商売を始めてからのここ10年の
深い深い付き合いだったと思う。
一緒に東京出張に行き、池袋のサンシャインビルでの公開利き酒会に
二年続けて行ったり、新宿のグリーンサウナに泊まったりした日が懐かしい。
高校を卒業してすぐに上京したことを聞かされて、当時住んでいた新宿二丁目の路地裏にある
薄暗い寮に案内してもらったり、金もないのにいつも飲んでいたというゴールデン街の中を徘徊し、
旨いから絶対に食え!というわりには、絶対に身体に悪いだろうっていうくらいドロドロした
謎の豚骨ラーメンを啜りながら、飲まないビールを片手に饒舌に語るアイツの姿も忘れられない。
吹けば飛ぶようなやきとん屋でも、ホームページは絶対にあったほうがいいと、
今のやんちゃのホームページ全てを無料で作ってくれた。
どんなことでもいいからブログを書いて、見た目とは違うお前を知ってもらった方がいいと
おだてられて始めたブログも、今年ですでに7年目に突入してしまった。
渡會本店の専務に掛け合ってくれて、ウチのような小さなお店のためだけにオリジナルで
「徳蔵」という限定酒を造ってもらうことにまでなって、今ではたくさんの「徳蔵」ファンの
みなさまに愛飲して頂いていることが嬉しい。
アイツが自分にしてくれたこと、自分に残してくれたものは、
今でもカタチとなり継続し残っているものがほとんどだと思う。
亡くなる10日前に奥さんからもらったアイツが病床で書いたという手紙には、
「ノリと仲良くできて10年間本当に楽しかったよ。」と震える字で書いてあるのを見て、
開店前にもかかわらず店でも涙が止まらなかったし、帰ってきて深夜に一人で声を出して泣いた。
何も出来ずに、何もしてあげれずに、ただその時を待つしかないという無念さと悔しさで
朝方までかかってアイツに頑張れ!諦めるな!と手紙を書いた。
カミさんには「本当に本当に今必死に頑張っている人に【頑張れ】は禁句だよ。」と教えられても
頑張れ!頑張れ!頑張れ!諦めるな!諦めるな!諦めるな!と書き綴ることしかできなかった。
あれから1年が経った。
いろんな経緯があって、お墓やご自宅の仏壇に手を合わせに行くことは控えている。
でもアイツとの会話や一緒に飲んだ酒の銘柄は全て覚えているし、たまにこうしてアイツとの事を
思い出して一人、居酒屋で盃を傾けるくらいが自分にはちょうどいい。
昨日もサノの命日だからと献杯に来てくれたケンシと口喧嘩してしまった。
いつまでも大人になりきれない気の短いオレがいる。
オレ達も来年はもう50歳になる。
常に飲んでいる薬も1個や2個では済まなくなってきた歳だ。
アイツは今、どんな景色を見ているんだろうか。
そんなオレのことを笑っているだろうか。
久しぶりにアイツと飲みたい夜だった。
合掌
10月25日。
同級生で酒屋だったサノが天国に旅立って、昨日でちょうど1年が経ったことになる。
あっという間の1年だった気がする。
振り返ること10年前の、開業して3年目の春。
サノとは中1の頃、クラスメートだったにも関わらず、一回も話しをしたことがなかった。
それでも、日本酒の講師や利き酒師として新聞やメディアに取り上げられているのは知っていて、
自分も日本酒の事を勉強したい、もっと深く日本酒を知りたいと、同級生ケンシに頼んで
「サノとセッティングしてくんない?」とお願いしたのがきっかけだった。
その時に「お前も少しは勉強してくれよ。」と、とりあえず初歩の初歩の初歩で
購読を勧められたのがコミック「夏子の酒」だった。
近くのブックオフで表紙の色褪せた全巻を大人買いして、何度も何度も読み返した日が懐かしい。
その数年後、銀座通りに地酒専門店をオープンする際にレイアウトで全巻貸して欲しいとお願いされ
そのまま貸したことさえ忘れていたくらいの古いマンガ本だった。
アイツが亡くなる3ヶ月前、入院していたと聞いていたのに突然電話がかかってきて、
「返すものがあるから今から自宅に行ってもいいか?」と自宅前の車の前で
立ち話をしたのが最後に見たアイツの元気な姿になってしまった。
その際に、何か身の回りを整理しているかのように大きな紙袋にしっかりとロープで縛り上げて
ガッチリと梱包してある「夏子の酒」と、尋常ではないくらいに痩せてしまっていたアイツの姿に、
すでに余命宣告されていたことすら知る由もなかったその当時の自分でも、
何ともいえないような嫌な胸騒ぎがしたことを今でもはっきりと覚えている。 学生時代というよりも、商売を始めてからのここ10年の
深い深い付き合いだったと思う。
一緒に東京出張に行き、池袋のサンシャインビルでの公開利き酒会に
二年続けて行ったり、新宿のグリーンサウナに泊まったりした日が懐かしい。
高校を卒業してすぐに上京したことを聞かされて、当時住んでいた新宿二丁目の路地裏にある
薄暗い寮に案内してもらったり、金もないのにいつも飲んでいたというゴールデン街の中を徘徊し、
旨いから絶対に食え!というわりには、絶対に身体に悪いだろうっていうくらいドロドロした
謎の豚骨ラーメンを啜りながら、飲まないビールを片手に饒舌に語るアイツの姿も忘れられない。
吹けば飛ぶようなやきとん屋でも、ホームページは絶対にあったほうがいいと、
今のやんちゃのホームページ全てを無料で作ってくれた。
どんなことでもいいからブログを書いて、見た目とは違うお前を知ってもらった方がいいと
おだてられて始めたブログも、今年ですでに7年目に突入してしまった。
渡會本店の専務に掛け合ってくれて、ウチのような小さなお店のためだけにオリジナルで
「徳蔵」という限定酒を造ってもらうことにまでなって、今ではたくさんの「徳蔵」ファンの
みなさまに愛飲して頂いていることが嬉しい。
アイツが自分にしてくれたこと、自分に残してくれたものは、
今でもカタチとなり継続し残っているものがほとんどだと思う。
亡くなる10日前に奥さんからもらったアイツが病床で書いたという手紙には、
「ノリと仲良くできて10年間本当に楽しかったよ。」と震える字で書いてあるのを見て、
開店前にもかかわらず店でも涙が止まらなかったし、帰ってきて深夜に一人で声を出して泣いた。
何も出来ずに、何もしてあげれずに、ただその時を待つしかないという無念さと悔しさで
朝方までかかってアイツに頑張れ!諦めるな!と手紙を書いた。
カミさんには「本当に本当に今必死に頑張っている人に【頑張れ】は禁句だよ。」と教えられても
頑張れ!頑張れ!頑張れ!諦めるな!諦めるな!諦めるな!と書き綴ることしかできなかった。
あれから1年が経った。
いろんな経緯があって、お墓やご自宅の仏壇に手を合わせに行くことは控えている。
でもアイツとの会話や一緒に飲んだ酒の銘柄は全て覚えているし、たまにこうしてアイツとの事を
思い出して一人、居酒屋で盃を傾けるくらいが自分にはちょうどいい。
昨日もサノの命日だからと献杯に来てくれたケンシと口喧嘩してしまった。
いつまでも大人になりきれない気の短いオレがいる。
オレ達も来年はもう50歳になる。
常に飲んでいる薬も1個や2個では済まなくなってきた歳だ。
アイツは今、どんな景色を見ているんだろうか。
そんなオレのことを笑っているだろうか。
久しぶりにアイツと飲みたい夜だった。
合掌
コメント
1. 閉店
私も泊まったことがありますが、建物も壊されるようです。
2. >しんさん
直接グリーンプラザ新宿を見に行ったんですよ。
いろんな意味で寂しくなりますね。