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毎度ありがとうございます!
先日の新聞折込チラシでの求人募集に1名のお問い合わせがありました。
土曜日に面接ですので、まだ何もわかりませんけど、いいご縁になればなと思っています。
過去には、採用しても初出勤前日に辞退なんてこともありましたし、歓迎会をやった次の日から
来なくなったこともありましたから、どうなるかは全くわかりませんけどね。
なんとか頑張ってもらいたいと思っています。
今朝のニュースで、アメリカントラディショナルファッションの代表格「ブルックス・ブラザーズ」が
経営破綻したと大きく報道されていました。
日本企業は合弁会社のため、販売は継続できるようだと書いてありましたけど、
ユニクロ全盛の今の時代では、今後も厳しいことには間違いないでしょう。
高校野球が終わって自宅通学になってから、兄貴の影響でアイビーファッションにはまって、
JプレスやVANやマクベスのブレザーやチノパンを好んで愛用していました。
Yシャツは当然ブルックスブラザーズのボタンダウンシャツが定番だったものです。
もともとはアメリカのウォール街の金融マンたちに愛されたアメカジブランドですけど、
アメリカ大統領なども好んで着用したことから、一気に世界中に広まったグローバルブランド
だったんですけどね。
大学時代も含めて、アイビーファッションにはまっていた自分にとっては、
品物がいいものは値段もいいものだという認識でした。
革靴も、当時はリーガル以外は買ったことがありませんでしたし。
Jプレスのブレザーもそうですし、リーガルのサドルシューズも今は履くことがなくなりましたけど
ちゃんと現役で着用できる状態で大切に保管しています。
自分の場合は、単純に太ったためにサイズがなくなってしまって着れない買えないだけです。
痩せたらまた着てみたいですけどね。
これでも、大学に入学するまでジーンズを穿いたことがなかったんですよ。
ジャージ以外は、チノパンやチェックのスラックスしか持っていなかった高校生ですから(笑
結婚して親になり、自分の事よりも子供たちにかかるお金を優先する暮らしになると、
床屋も1,000円カットで十分になってきますし、車も好みの外車を乗るわけにもいきません。
さらに、今はユニクロをはじめ格安で色彩豊富なカジュアルブランドが乱立してますから、
お父さんたちがみんな同じ服を着ていても仕方ないのかもしれませんね。
実は去年、ヤフオクでJプレスのピーコートを買ったんです。
コートだけに自分でも余裕で着れるサイズだったんで購入したんですけど、
あの真っ赤な裏地とJプレスのタグが、若かった頃のアイビー魂に火がついて、
ピーコートに合うストライプのマフラーまで買っちゃったりして。
いいものは年季が入っても状態がいいですし、型も崩れずに長く着れますから。
野球のグラブもそうですけど、ちゃんとお手入れしておくことも大切です。
そういうのは苦にならないタイプなんですよね。
これでちゃんと洋服を畳めれば完璧なんですけどね。
ハンガー収納が大好きですもんね。
天は二物を与えませんでした(笑
さて、朝から地震速報や豪雨被害とコロナ感染者増加のニュースばかりが流れています。
この先、どうなっていくんでしょうかね、この国は。
すぐそこにある娘や息子の時代には、どうなっているんでしょうか。
それでも今の自分の一日を頑張るしかありません。
どんなに慰めやお悔やみの言葉を綴っても、自分が代われるものではありません。
自分の日常を一生懸命に生きて、必死で稼いだお金から税金を納め、被災された方々への復興や
救済にしっかりと使ってもらうことしかできないですから。
だから今日も自分のために家族のために、そして誰かのために頑張ります。
のんびりやってますので、のんびりと寄ってみてください。
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毎度ありがとうございます!
気がつけば、もう7月に入ってました。
「煮こみ」の販売は終了していますが、ご予約には対応します。
「えだまめ」は今週中にスタートできればいいんですけどね。
生産農家のマサトモくんからの連絡待ちです。
昨日は河北町にある【といや】さんまで「かつ丼」を食べに行ってきました。
前回は、そばとミニかつ丼のセットで不完全燃焼でしたんで、今回はズバリ王道の「かつ丼」のみ。
玉子でとじていないカレー味のソースかつ丼は、一度食べるとクセになリます。
個人的にはキャベツの千切りを敷いても旨いと思うんですけど、逆にこのシンプルさが
豚肉の甘さも引き立てていて、むしろこのカタチでいいのかもしれませんね。
本当は、東根にある「石臼十割そば森久」に行く予定だったんですよ。
開店時刻の10時を目指して出発する予定が、愛犬カールが診察を受けることになったうえに
高速を使わずに終始112号を使って内陸入りしたらもの凄く時間がかかってしまって、
出発から1時間半かかってようやく河北を通過するレベルだったんですね。
朝メシを食わず「森久」にかけていたんで、もう腹がペコペコだったのと、すでに「といや」に
行列が出ていたんで、このままかつ丼を食べようと予定を変更したのでした。
カミさんもお気に入りのかつ丼ですので、反対意見も出ずに駐車場に滑り込みます。
行列だと思っていたら、ソーシャルディスタンスで座席配分に慎重になっていただけで、
すぐに入店できたうえに他のお客様との間隔も十分確保されていました。
といやを教えてくれたマキくんにメールすると、一寸亭の冷たい肉中華もおすすめですよと
追加情報も教えてもらって、といやから一寸亭にハシゴすることにしたんです。
時刻はピークの12時半でしたから、すでに一寸亭にはもの凄い行列が出来ていて、
「長時間並んでまで食事をしない。」という我が家の家訓に従って、次回の宿題にすることにしました。
途中にある蕎麦屋はどこも行列ができている反面、ラーメン屋は比較的に並んでいないのも
内陸特有の昼食あるあるなんでしょうか。
「冷たい肉そば」の需要がよほど大きいのか、蕎麦屋に行列なんて鶴岡では見かけない光景に、
正直なとこ驚きましたもんね。
逆に鶴岡で「冷たい肉そば」を注文することがあまりありません。
カミさんは月山道にある「田麦荘ななかまど亭」の「冷たい鳥そば」は好んで食べていますが、
自分はここでは絶対に「冷たい鳥油そば」を注文します。
なんでだろうな。
やっぱり「冷たい鳥そば」や「冷たい肉中華」の旨さにまだ出会ってないからでしょうね。
無意識ですけど、メニューにあっても注文しないですもんね。
やっぱり中華は温かいほうが好みだし、固い親鶏の肉よりチャーシューが好きですかね。
そういう意味では、教えてもらった「一寸亭」の冷たい肉中華は、かつ丼を食べた後でも
是非食べてきたかったところです。
時間指定の荷物が自宅に届くこともあって、本当にメシだけ食ってとんぼ返りしてきました(笑
ドライブしながらカミさんと世間話しするのが楽しみだから、それでいいんですけどね。
さて、昨日の求人プレスに求人募集広告を載せました。
一回の掲載にも15,000円の経費がかかります。
本当に困っています。
どなたかいませんかね。
このままスタッフが決まらなければ、大きな決断をしなければなりません。
なんとかそれは避けたいところではありますが。
悩みすぎて円形脱毛症になりそうです。
自分一人での営業となった場合、カウンターのみでの営業となるでしょう。
小上がりは使用できません、というか、やきとんを焼きながら一人では回せません。
グループでのご利用は出来なくなりますので、必然的に売上も下がるでしょう。
もしもそれで食えなくなったら、別のカタチで商売をやります。
息子が高校を卒業したら鶴岡でなくてもいいわけですから、他の場所もありえます。
コロナだの景気だの不安要素はたくさんありますが、本当に困るのは人手不足です。
悩みは尽きませんね。
それでも自分の今日一日を頑張るだけです。
今週もよろしくお願いします。
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毎度ありがとうございます!
愛車ピクシスのナンバー灯をLEDにしてもらうため、いつもの佐藤タイヤへ行ってきました。
さすがアダチ大先生、作業時間1分、速攻で作業完了です。
ココアを飲みながら世間話をしていると、店長のハラダくんから
悲しいお知らせを聞かされました。
もう7年くらい前に、ウチで面接をして採用したミチヤが亡くなったと。
採用はしたけれど在籍期間はわずか一週間、土曜に歓迎会をやって月曜にはもう来ませんでした。
何が辞める理由だったのかは、自分にはわかりません。
ただ、期待していたのも確かですし、随分とフレンドリーで働きやすい雰囲気を作って
長く頑張ってもらいたかったという気持ちもありました。
ミチヤが辞めたとしても、もちろん自分は佐藤タイヤには行っていましたし、たまにハラダくんから
ミチヤの近況も聞かされていたりして、元気に頑張っているもんだと思っていたんです。
ご病気でお亡くなりになられたそうで、まだ48歳は早すぎる旅立ちです。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
長い人生においては人との関わりや交わりとさえ表現できない、いわば点のような一瞬だけの
出会いがたくさんあるものです。
昨日のブログの大学時代の下宿の住人だって、1年間同じ屋根の下で暮らした仲間とはいえ、
おそらくこの先の自分の人生において絶対に再会することはないでしょう。
たくさんの仕事やバイトをやってきて、その時その瞬間に出会ったり一緒に働いた仲間は
数え切れないほどいたわけです。
そういう関係性の希薄な人との点のような関わり合いのたびに、
「きっとこの先この人とは二度と出会うことがないだろうな。」と
冷静に思ってしまう自分が、いつの時代でもそこにいました。
流通センターでアルバイトしていたときも、水産会社で働いていたときも、証券会社時代でも
サラ金時代にも、その出会いの終わりには何か物悲しさを感じていたんですね。
よく辞める時に「送別会やりましょう。」とかいうじゃないですか。
本当にもうここにいる人たちとは会うことはないだろうな、と思って酒を飲んでましたから。
それが鶴岡に帰ってきてからですかね。
狭い田舎の街ですから、どこかで何かのタイミングでばったり出会うことのほうが多いんですね。
ラーメン屋だったり、三川イオンだったり、ホームセンターだったり・・・
「おー!久しぶり~!」なんて再会は、鶴岡では日常茶飯事ですもんね。
鶴岡で出会った人たちは、またどこかでばったり会うと思って間違いないですから(笑
すべての出会いが内容の濃い付き合いになるわけでも、深い話しの出来る関係性になるわけでも
ないんですけど、そう考えてみると改めて人との出会いの繰り返しが、その人の人生を左右すると
言っても過言ではない気がします。
壮大なRPGの主人公のように、たくさんの経験と出会いを繰り返し、経験値や得意な分野を極め
最初の頃には考えられないような成長を遂げていくというね。
だから、人の数だけ人生の主人公がいるということ。
生きていくことはそんなにドラマチックなものではなく、ごく平凡なものだと気づかされます。
いま自分はブログを書くというライフワークの中で、どうでもいい昔の話しや、誰やねんそれ
みたいな昔出会った人のことを書くことができます。
過去に出会った人たちを忘れない、良くも悪くもその出会いを覚えていることって、
なんだろな、大袈裟じゃなく自分にとってのエネルギーのような気がするんですよね。
今日も誰かと出会うかもしれません。
いつもの自分の場所で、今日ものんびりと頑張ります。
やんちゃで一緒に働ける人、いたら紹介してください。
その出会い、大切にさせて頂きます。
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毎度ありがとうございます!
大学1年生だった1年間、下宿生活を送ったことがある。
高3の9月には新潟の金融機関に就職が内定していたのを反故にして、
田中先生と親に無理言って行かせてもらった北海道函館市での大学生活だった。
下宿代は、当時でたしか1ヶ月5万5千円だったと思う。
平日の朝晩2食付で日曜日は食事が出なかった。
土曜日の夜はカレーかジンギスカンとメニューが決まっていた気がする。
高1からすでに実家を出て野球部寮で過ごしたものの、やはり食事の面を心配してか
オフクロが下宿でないと仕送りをしないと言い張り半ば強引に決めた大学斡旋の下宿屋だった。
その下宿屋は本館と別館の二棟があって、老夫婦がいるのが本館で、
その若息子夫婦がやっているのが、すぐ裏にある別館だ。
自分は、老夫婦のいる本館2階の階段を上がってすぐの201号室になった。
本館の住人は、全部で学生が5人。
自分の隣の202号室は室蘭から来た同期のナガオ。
203号室には函館高専の1コ年下の高専生。
204号室には短期大学に通う女子短大生。
そして1階の101号室には、すでに留年を繰り返して何歳かも分からない先輩がいた。
下宿生は風呂が付かなかったから男女が同居していたのかもしれないけど、
今考えると防犯もセキュリティもあったもんじゃないわけで。
洗濯機も1個しかなく、誰かが使っていれば次の人が洗濯機の前にカゴを置くルールだった。
風呂も銭湯が基本だけど、この頃はまだ車を持っていなかったから、近場のアパート暮らしの
同期に甘えてシャワーを借りていた気がする。
原チャリくらいないと生活に不便な丘の上の学生街で、ホンダの50CC「ダックス」を買った。
今もなお持っていたらゴリラやモンキーに次いでプレミアが付くであろう往年の名車だ。
大学4年間のなかで、一番大学に通った1年間だった(それでも出席率40%)ことを振り返っても、
大学1年生のときが最も充実していたことは間違いないと思う。
深夜の交通誘導いわゆる「棒振り」警備員のほかに、結婚式場のボーイや温泉旅館の布団敷きなど、
とにかくバイトバイトに明け暮れた毎日を送っていた。
特に温泉旅館の布団敷きのバイトは学生にはおいしくて、出勤と同時に社員食堂でメシを食って、
7階まである客室の1部屋1部屋の宿泊人数を確認して、ツアーバスで函館山の夜景を
見に行っている間に、2人1組になって布団を綺麗に敷いていく仕事だ。
呼吸を合わせてバッとシーツを広げ、上下同じように余白を折り曲げて布団の下に折り込むだけの
単純な作業ではあったけど、息の合わないヤツと組むと時間がかかって仕方がない。
枕カバーまでセットしてカーテンを閉めて1部屋がようやく完了だった。
すでにお客様のプライベート空間に合鍵を使って入室し、布団を敷くだけの単純作業だったけど、
脱いだばかりの服が散らかっていたり、かばんのチャックが開いていたりと、ちゃんとした
道徳観と使命感を持っていないと学生には少し危うい仕事だったのかなと思う。
そのせいか、今でも旅館に泊まるときには貴重品は絶対に持ち歩くか金庫にしまうし、
カバンやバックはできるだけ部屋の見にくい場所に置くクセがついてしまった。
(もちろん旅館宿泊が危ないという話ではありません。)
メシは食べれるし、仕事が終われば修学旅行客を装って風呂にも入ってこれたし、
貧乏学生には天国のようなアルバイトだったのは言うまでもないだろう。
そして1年間で小遣いや生活費で使った金額の他に50万円を貯めて、下宿生活に別れを告げた。
大学2年からは家賃4万5000円のアパート暮らしを始め、38万円で買ったマイカー持ちと
生活の自由度はMAXに変化していった。
親からの仕送りの金額は下宿生活と変わらないことを条件に説得したため、引越しと同時に
ガソリン代やアパートでの食費を稼ぐために、ますますアルバイトに没頭する生活になり、
大学3年と4年の2年間は、テスト以外ではほとんど講義を聴いたことがない。
テストは、意味のない言い回しで無駄に理屈っぽく「であるからして、こうなるであろう。」
的な論文調の文章を書いてなんとか乗り切っていたし、それでもダメなら直接教授に日本酒を
持って行って「先生、お願いしますよ~」と酒を酌み交わして追試で単位を獲得するという、
大学時代にすでに「癒着」という処世術も自然に身につけていた(笑
ある意味それだけ面倒見のいい大学だったし、心の広い教授が多かった古き良き時代だったと思う。
もしも大学時代に後悔というか、やり残したことがあるとすれば、何かしらの国家資格を
取っておくべきだったと、今でも心の底から思っている。
教員免許や会計士は、大学でしっかりと勉強しておかないと絶対に取れない資格でもある。
その職業になりたいかなりたくないか、就いたか就かないかではなく、大学に行かなければ
取れない資格を取っているという大学生活の証みたいなものが何もないのが心残りなのだ。
たしかに視野が広がり、たくさんの貴重な経験もさせてもらった。
大学に行かなければ知り合わなかった仲間もたくさんいるし、函館は第二の故郷だと思っている。
アルバイトの経験や、時間とお金の管理などすべてにおいて自分自身の自己管理が培われたのも、
大学の4年間だったというのは間違いないところでもある。
結果的には、やりたくないことはやらず、やりたいことだけやっていた自堕落な4年間だったかも
しれないけれど、人生において貴重な時間ではあったという話しだ。
4年間という時間の充実感と少しの後悔・・・
将来の自分の姿が見えるのならば、あの時あの時間に出来たことは他にもあった気がしてならない。
あの6畳一間の下宿生活は、まさに期待と不安とが入り混じった初々しい時間だったと言える。
あれから30年の時が経った今ても、入学式に着て行ったJプレスの紺色のブレザーは
今でも大切にクローゼットにしまってある。
もう絶対に着ることが出来ない細身のブレザーを見るたびに、いつになるかは分からないが、
また時間があれば大学時代の思い出話を回想してみたいと思う。
大学時代のレポートを思い出して今日は論文調に書いてみました。
先生、これでなんとか単位を、単位をお願いします(笑
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毎度ありがとうございます!
あなたは夢をよく見るタイプですか?
将来の夢ではなく、睡眠時に見る「夢」のことです。
自分は基本的に睡眠が浅いせいか、夢をよく見ます。
で、最近ハマっているのが「夢占い」なんですよね。
スマホで見た夢のカタチを入力すると、その夢が持つ意味や予兆、さらには深層心理など
結構な部分が当たってるんで、夢を見た翌朝は必ず調べるのがお決まりになってきました。
先日見た夢は「靴を履かずに裸足でスニーカーを買いにあちこち探し回る」というものでした。
早速、スマホで「靴を履かずに歩く夢」と検索すると・・・
【裸足でどこかを歩く夢や靴を履かずに歩く夢は、あなたに必要な協力者や補助者が今のままだと
見つからないことを暗示しています。もしくは、しばらくは自分一人で乗り越えなければならない
課題や問題にぶつかることを象徴しています。特に歩けないような場所を裸足で歩く夢は、壁や
困難が待ち受けている可能性がある警告夢になります。】
たしかに、未だにバイトスタッフが決まりません。
弟子のユウヒも独立に向けて動き始めましたんで、いつまでも今の状態が続くわけではないんですね。
口には出しませんが、すぐ先の将来に不安を抱えていることは間違いありません。
そういう普段から抱えている深層心理が、きっと夢になって出たのかも知れませんね。
そして今朝は「一人で焼肉」している夢を見ました。
で、早速検索すると…
【焼肉を食べる夢には、あなたが今やる気に満ち溢れていることを暗示しています。
もし何かやってみたいことや、これまで温めていたことがあるなら、是非この夢を見た機会に
行動に移してみましょう。具体的にそういった事がなくても日頃の仕事や学業や日常生活も
うまくいくので何事も前向きに取り組んでみましょう。】
いい夢じゃないですか。
ならば求人募集について、今日具体的に動きます。
大学や高専に直接行って、求人募集広告を掲示してもらってきます。
夢は自分の意思では見ることができませんから、無意識という名の深層心理が大きく影響する
ものだと思っているんですね。
「予知夢」とかは誰でも一度は経験しているのではないでしょうか。
初めて来た場所なのに、以前に見た記憶があるとか、
初めて聞いた歌なのに、サビの部分が懐かしく感じるとか、
車を運転していて、ふとこの場面見たことがあるなと感じたとか・・・
くだらない夢だと思っていても、内容を覚えているならちょっと検索してみてください。
何か普段の生活で注意するようになったり、前向きになったりと結構自分の場合は参考にしています。
あくまでも参考ですからね。
「信じるか信じないかはあなた次第です!」
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毎度ありがとうございます!
突然ですが、本日の営業は「臨時休業」とさせていただきます。
ご不便をお掛けしますがよろしくお願いいたします。
仕入先の加盟店親和会の理事を引き受けることになり、その理事会の会合に出席するためです。
もう10年も前でしょうか。
親和会を中心に「食べ歩きMAP」の製作を提案したことがありました。
その企画自体がボツになったことよりも、そもそも親和会ってなんなのよ?という
基本的な部分の理解ができないまま、年会費を払いつつ会員としては名を連ねていたわけです。
5年位前には加盟店による「東松山視察旅行」を敢行したこともあります。
40店舗加盟しているなかで、視察旅行に参加した加盟店はわずか4店舗でした。
言い出しっぺは自分でしたから、もう少し盛り上がるのかと思っていたら、
たったの4店舗でサロンバス1台を豪華に貸切ですから(笑
でもね、正直そんな感じでいいと思っていました。
そもそも何をする会かも、どこに向かっている会かも、よく知らない会なわけだし。
当然のごとく、責任も使命感もありませんしね。
それが会長から直接電話があって「理事を引き受けてもらえないか。」ですもん。
はっきり言って「面倒くさい」だけです。
こうして、年に何回かはお店を休む必要も出てきますしね。
今日はその一丁目一番地の「何をする会なの?」「何のために年会費を取ってるの?」
という基本的な疑問をしょっぱなからカマして来ようと思っています。
同じ仕入先から内臓を仕入れて商売しているやきとり屋や居酒屋約40店舗が名を連ね、
毎年新年会しか活動しないのならば、解散するか会費ゼロにすべきでしょう。
自分が考える飲食店が横並びで組織する親和会にできること・・・
それは食文化推進都市としての庄内やきとり文化の情報発信と、
地元の養豚をはじめとする地産地消と食の安心のPR活動だと思っています。
でもすでに、そんな活動は山形県内では寒河江市が積極的に取り組んでいますから、
今さらジローの後出し感は当然否めませんけどね。
飲食業界には「全国7大やきとりの街」というのがあって、そこに鶴岡も名乗り出て
「全国8大やきとりの街」を目指すくらいの活動をやってもらわないと。
長くなるのでもう止めますけど、ここにきて会の存在意義を考える時期に来ているのかもしれません。
ま、あくまでも個人的な考えですけどね。
たぶん、大人しく会合に参加してきます。たぶん。
で、昨日は父の日でしたね。
我が家では、何もしないのが毎年の父の日。
みんなが元気で健康ならば、それでいい。
でも、旨いもんくらいは食いたいじゃないですか。
というわけで、朝9時から酒田のまぐろ専門店で「海鮮丼」を食ってきました。
カミさんは「マグロユッケ丼」だったかな。
のんびり朝からドライブしながら食べる海鮮丼は、やっぱり旨かったです。
天気も快晴で、時間があれば遊佐のフルーツサンドを買いに足を延ばしたいところでしたけど、
午後から千羽鶴を作るために父母の会の集まりがあったんで、残念ながらUターン。
自分はデスクワークが残ってたんで、千羽鶴製作はカミさんに頑張ってきてもらいました。
というわけで、今日はお休みをいただきます。
が、いつものようにお店で仕込みはやります。
今日できる仕込みは、今日のうちにやっておきたいもので。
それでは今週もよろしくお願いします!