"家族"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
日曜日、57歳の誕生日を迎えました。
なにか特別に嬉しいとか、もうすぐ還暦かとか、そういう感覚は特にないですけどね。
ただただ、丈夫な身体に生んでくれたおふくろに感謝する日です。
家でも特にケーキやプレゼントもなく、それは自分が望んでいたことなんで全然構いません。
娘から「お父さんの誕生日に食べてね。」と贈られてきたふぐ料理セットで、てっさとふぐ鍋を
カミさんと息子とみんなで食べられたことが一番嬉しかったですね。
息子は警報当番のない日曜日だったんで昼近くまで寝ていて、昼からは後輩タザワに頼まれて
鶴岡ポニーの練習の手伝いに行ってました。
大したプレーヤーでもないのに、役立つことなんてあるんだろうかと思ってましたけど、
本人的には充実した時間だったようで、メシを食いながら「こういう休日を過ごしたいんだよ。」
なんてボソッと呟いていました。
いつもブログに書いてますけど自分は、いい仕事をするためには、いい休日が必要だと思ってます。
身体を休めるために一日寝て過ごすこともあるかもしれませんが、それだと夕方に起きたら
「また明日から仕事かぁ。」とイヤイヤ会社に行くだけの一週間になりませんか。
映画でも、釣りでも、野球でも、食べ歩きでも、ドライブでも、模様替えでも、小旅行でも、
一週間を頑張れる楽しみや休日のワクワクを小さくてもなんでもいいから計画しておくと、
一週間なんてあっという間だし仕事も頑張れちゃうものなんですよね。
それを「気力の充実」といいます。
その気力の充実度が人生の幸福度につながっていくわけですから、どんな仕事に就くかとか、
いくら稼ぐとかいうことよりも、どんな休日を過ごせるか、自分らしい時間を持てるかという方が、
自分の人生観の中ではウェイトが大きいような気がしています。
どんな仕事でも、どんな会社でも、どんな商売でも、簡単で楽なものなんて一つもないでしょう。
だからこそ、そこで頑張る糧やガソリンがないと走り続けるのが困難になってくるんですね。
家族みんなが置かれた場所で咲く花のように、平凡でも自分らしく地に足をつけて、
頑張ることと楽しむことを上手く繰り返しながら、それぞれの日々を笑顔で過ごしてくれることが
自分にとっては何よりのプレゼントだし、いつでもそれを願っています。
だから、「ふぐ美味しい!」と喜ぶカミさんの笑顔と「野球面白かったよ」と楽しそうな息子と、
みんなで笑いながら夕食を囲めただけでも、今年の誕生日はいい誕生日でした。
さて、煮込みが出来上がるまではもう少し時間がかかりそうです。
家族みんなが出勤したこの時間から、朝食の後片付けとゴミ出しと買い出しが待っています。
仕方なくやらされている家事じゃなくて、自分がやりたくてやっている家事です。
だから面白い、だから楽しいんですよ。
今日も一日頑張っていきましょう!
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毎度ありがとうございます!
2泊3日で帰省していた娘と愛犬ルカが成田に帰っていきました。
少しの間でしたけど家族全員集合して、賑やかに楽しい時間を過ごすことができました。
カールとルカも兄弟のように仲が良く、家の中のどこに行くにも2匹が一緒についてきて
その動きや表情にも随分と癒されました。
娘がこのタイミングで帰省したのは、90歳になったおばあちゃんの誕生日当日に
湯野浜温泉のホテルに連れて行って「卒寿」のお祝いをしてあげるためだったんですね。
涙もろいおばあちゃんは終始、泣いて喜んでくれたそうです。
いいおばあちゃん孝行ができてよかったです。
その翌日、新潟までドライブしながら「へぎそば」を食べつつ、新潟市内でショッピング。
その車中では昨夜のおばあちゃんの様子や会話なんかを聞きながら、新潟まで向かってたんです。
90歳という年齢もあって、自然に会話も今後の介護のことや医療のことになっていました。
娘も末期の患者さんを扱う病棟で勤務していますので、すんなり状況を理解し会話が成立するご家族と
急に揉め始めるご家族とのリアルな医療現場の話しも教えてくれました。
自分も親父が26の時に、おふくろは42の時に亡くなってますから、その当時の自分にできることは
全てやってあげたという実感はあります。
まぁそれでも、もっとこうしてあげれたのかもとか、こう言ってあげればよかったかなと
自問自答することは今でもあるわけですけどね。
おふくろに関しては兄貴とも相談して「本人に告知をしない」という選択をしたことが
はたして本当に本人にとって良かったのかどうか・・・
もしかしたら自分の人生の締めくくりに、おふくろなりにやりたいことや整理したいことが
あったんじゃないかとか、そんな自責の念にかられることが今でもあります。
親父は自宅で息を引き取って天命を全うしたはずなのに、救急搬送したことで心臓だけ動かされて
植物状態で半年以上も病院で家族の付き添いが必要になり、函館から戻ってくる度に実家の家族が
誰が病院に泊まるかで揉めていて、帰省中はずっと自分が病院で過ごしていた記憶があります。
そんな話しを娘にも聞かせていたら、その流れで「お父さんは告知してほしい?」とか
「延命措置はどこまでやってほしいと思ってる?」と娘が聞いてくるんですよね。
もちろんカミさんにも同じことを聞いてました。
なんだろうな・・・
なんか縁起でもねーぞ!なんて感覚ではなくて、自然に今の自分の考えを冷静に話せたこと、
元気なうちに娘に自分の思いを伝えられたこと、いずれ訪れる自分の終活についての希望を
話せたことでなんかスーッと身体が軽くなった気がしたんですね。
たとえ後から考え方が変わろうとも、元気なうちに明るく話せるうちに、
自分の思いはちゃんと伝えておくべきだなと思いましたね。
ゴウの時のように、ある日突然にということもある。
サノの時のように、余命宣告されてということもある。
若くして旅立った友人たちの面影に、自分のことに置き換えて今から家族に話しておくことを
教えられていたような気がします。
娘からも今の病院で昇進の話しがあること、それでも成田よりも埼玉で働きたいこと、
今抱えている娘なりの悩みや迷いも聞くことができてよかったと思います。
短い時間ではあったけれど大切な話しもできましたし、ルカともたっぷり遊べました。
やっぱり自分は仕事人間というよりも家族人間なんだと改めて実感しますね。
それが自分にとっての「幸せのカタチ」なんだと思います。
楽しい時間はあっという間に終わってしまうものだけど、こんな小さな楽しみや喜びを
日々の中で繋ぎ合わせて、次のワクワクに向けてまた今日も頑張っていくだけです。
次のワクワク・・・28日の弘前の組み合わせも決まりましたけど、それはまた次回に。
今日ものんびりまったりやってまーす。
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毎度ありがとうございます!
今朝、遅い夏休みをとった娘が帰省しました。
あさっての12日にはまた成田へ帰るんですけどね。
短い時間だけれど、全員揃った家族の時間を楽しみたいと思います。
ちょっとスピリチュアルな話しなんですけど、昨年、成田山新勝寺で買って来た「身代わり札」を
カールがかじって粉々にしてしまったんです。
身代御守札とは自身に成り代わって災難を除け、心と身体をお守りしてくれる木のお札なんですね。
不動明王様の分身とされ、割れたりしたら自分に代わってお札が災難を受けとめてくれたとして
お不動さまのご加護を受けられる大変ありがたいお守りです。
その後からなんですよ、カールに数々の災難が起きるようになったのは。
お守りを噛み砕いて紐を食べたところから始まって、生米を食べて酷い下痢になったり、
強力洗剤を舐めてショック状態になったり、ウコンのサプリを誤食してしまったり、
数日間酷い血便が止まらなかったり、階段から落ちて膝の関節を脱臼したり・・・
日常の管理が悪いと言われればそうなのかもしれませんけど、明らかに今までの行動からは
想像できない日常トラブルが起きていたんですね。
なんか、本来ならば自分に降りかかるはずの災難が、身代わり札を噛み砕いてしまったカールに
代わりに行ってしまったのかなと、自分なりに思ってしまったんですよね。
ようやく今は体調万全になりましたけど。
そんな話しをカミさんから聞いた娘が、帰省前にわざわざ新勝寺に立ち寄って
カールの厄払いのお参りと新しいお札を買ってきてくれました。
今日からまた身代わり札を首からぶら下げて仕事に励もうと思います。
カールもルカとの再会を喜んでいるようですし、また家の中が賑やかになりました。
明日はお休みを頂いて、ちょっとドライブしながら新潟か仙台にでも行こうかと思っています。
というわけで、今日も頑張ります。
煮込みは12日(木)からスタートします。
ではまた。
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毎度ありがとうございます!
先日の弘前での野球応援の際に「釣りボウズ」の仲間でもあるカズユキから
ポータブル電源を借りて行ったんですよね。
お土産はもちろん「もつ次郎の煮込み」でしたけど(笑
スタンドでスピーカーを使うようになってから、遠方の球場の際は予備電源として
毎回カズユキから借りるようになったんです。
中古で買ったワイヤレススピーカーも充電式で、炎天下のスタンドでどのくらい連続使用できるのかも
実際は分からず不安だったし、途中で充電が切れて音が鳴らなくなるのも避けたかったんですね。
他にもコンバットマーチを編集したタブレットも充電が必要なわけですし。
一試合だけなら出発前にフル充電しておけば、その試合は充電が足りることは分かってました。
けど実際には社会人の試合は勝てばダブルヘッダーになることが多く、電源を入れっぱなしで
5時間以上連続で使う場面も想定しておかないとならないんですね。
まあ、車まで戻れば隙間時間でも充電はできますけど、球場によっては駐車場が遠かったり
満足な充電量が得られなかったりで不便でもあったわけです。
カミさんと相談して、最近の豪雨災害や地震災害のニュースを見ながら「防災用品」としても
我が家でもポータブル電源を常備しておいたほうがいいんじゃない?ということになって
カズユキから実際に借りて使い方にも慣れているブルーティ社のEB3Aを購入しました。
ほぼ新品状態の物だったんですけど、AC充電コードが欠品ということで半額以下で出品されてました。
ただ、このモデルはデスクトップパソコンでも使っている3ピンコードで充電できる優れもので、
家には以前使っていたパソコンのコードが数本余っています。
極端な話し、ハードオフで100円で売っている3ピンコードでも使えるということなんです。
というわけで、昨日無事に届いて箱を開けてみると、これどう見ても新品ですよ。
しかも純正の箱にもきちんと入っていて、よく見たら本体の入っている箱の底が二重底になっていて
中にしっかりと3ピンコードもDCコードもビニール袋に入ったまま収納されてました。
出品者は箱の底まで気付かなかったのかなぁ。
なので結果的には何の欠品もなく、ほぼ新品の商品を半額以下で買えたという超ラッキーな話しです。
なんか実際にポータブル電源が手元にあると、いろいろと使い道が広がりますねー。
球場だけでなく車中泊でも使えますし、キャンプでも夜釣りでもBBQでも活躍しそうです。
宝の持ち腐れにならないように、普段から見えるところに置いて気軽に車に積んで出かけたいと思います。
さて、今日から9月の営業が始まります。
今月も祝日が二つありますし、弘前行きも計画しています。
お盆休みを9月にずらした娘も愛犬ルカを連れて帰省しますし、また休業日の多い月になりそうです。
今日もまだまだ暑い日になりそうですね。
体調には気をつけて水分補給を忘れずに頑張っていきましょう。
ではまた。
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毎度ありがとうございます!
明日、明後日と「夏休み」を頂いて弘前に行ってきます。
先週の連休が「お盆休み」なら、今週は「夏休み」となりますかね。
東北クラブカップの応援を含めて、カミさんと「津軽観光」を楽しんでこようと思います。
カールも同行して、弘前のペットホテルに預けます。
思えば、野球の応援だけでも東北六県は全部制覇してますね。
他にも新潟、千葉、埼玉と車酔いもせず、助手席のカミさんに抱っこされたまま爆睡してます。
人間のように、行った先々で美味しいものを食べたりはできませんけど、
その土地の風を感じながら球場周辺を散歩したり、海を見たりするのは好きなようです。
球場周辺が公園になっている場所が多く、普段の散歩をしている地元のワンちゃんもいたりして
そんな時間も楽しみだったりします。
先日、息子の作業着の汚れを落とす液体洗剤を買って、その後100均にその洗剤を入れるボトル容器を
買いに寄ったら、その買い物のわずかな時間に液体洗剤の入ったビニール袋を破って、どうやら
舐めてしまったようなんですよ。
その時には何ともなかったんで、100均の駐車場で洗剤をボトルに移し替えて車内が大惨事には
ならなかったんですけど、その30分後から体中に赤い湿疹が浮き出てきて、目も真っ赤に充血し
ヨダレも出てきたりして明らかに危ない状態になってしまったんです。
もうね、そこから動物病院に直行したんですけど、もう気が気じゃなくて。
普段はカミさんの膝の上にいるのに、ずっと運転してる自分の膝の上にいてグッタリしてるんですよ。
マジで死ぬんじゃないかと覚悟した瞬間でしたね。
動物病院では解毒剤と抗アレルギのぶっ太い注射を打って、そのまま経過観察となりました。
翌日まで血尿・血便・嘔吐があれば再受診ということで、なんとか大ごとにならずに済んで
ホッとしました。
カールも我が家の大切な家族です。
ちょっとした不注意が取り返しのつかない事態になるところでした。
言葉は話せないけれど、その表情で意思の疎通はできますし感情を伝えることもできます。
想像力を働かせ危険だと想定できるものや、誤飲や誤食につながらないように
周辺の環境を管理することも飼い主である自分たちの責任なんですよね。
来月には娘が愛犬ルカを連れて帰省する予定です。
昨年末に二週間帰省した以来の再会を今から楽しみにしています。
二週間ずっと一緒に暮らし、毎日ベットで一緒に寝て、カールの後ろをくっついて歩いて、
成田まで娘たちを送り届けた帰り際には、不覚にも泣きそうになったくらいですもんね。
我が家にはまだ孫はいませんけど、きっと孫と同じように可愛いくて仕方ない子たちです。
いつまでも仲良く、少しでも長生きしてほしいと思います。
明日は早朝から出発して昼前には弘前に到着予定です。
弘前に「富士そば」はありませんけど「ゆで太郎」はあります。
弘前まで行って「ゆで太郎」かよ、と言われそうですけど、安くて早くて旨いんですよ。
しかもゆで太郎は「もつ煮」も提供していて1Kg単位で冷凍の持ち帰りまでやってるんですよ。
これはお土産で買ってこなくてはなりません。
鶴岡にもできないかな。
仙台にある「神田そば」でもいいんですけどね。
ああいう立ち食いそばをモチーフにした安価で気軽に食えるそば屋が鶴岡に欲しいです。
昨日も、悪役商会のトモカズからダカラ1ケースの差し入れを頂きました。
前回の差し入れ分もまだ残ってるんで「毎回差し入れしなくていいよ。」と何度も言ってるのに
律儀に毎回差し入れしてくれます。
ゆで太郎の煮込みは、もちろんトモカズにもお土産を買ってきます。
義理堅いアイツは「やんちゃの煮込みの方が旨いっス。」とか言いそうですけどね。
的場浩司はスイーツ通ですし、中尾彬も食通で有名でした。
「強面の悪役ヅラした男は実は舌が繊細で肥えてる説」は立証できると思うんですよ。
トモカズに貰う和菓子でもスイーツでも顔に似合わずいい所を知ってますし、
実際に食べてどれもみな美味しい物ばかりですもんね。
ああ見えて「ハズさない男」ですよ。
まぁ明日は安全運転で行ってきます。
人工芝が美しく綺麗な球場で、観ている方もワクワクするような地方球場です。
一生懸命にやってくれれば結果は二の次ですよね。
また来週から宜しくお願いします。
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毎度ありがとうございます!
昨日、珍しく親父の夢を見た。
なんの夢だったのかは思い出せないが、親父の夢だったことは覚えている。
せっかく親父が夢に出てきたので、今日は少し親父の話しでも書いてみたいと思う。
大正生まれで12人兄弟の長男として生まれた親父は、自分が生まれた時には44歳だったから
小学生に上がる頃には50歳、昭和の時代にその年齢の父親は周りを見渡しても誰もいなかった気がする。
滅多に顔を出さない親父が学校にくると「お前んち、じじちゃん来たなが?」と同級生たちに
からかわれたこともあった。
親父には寡黙で威厳があって怖かったイメージがある。
家畜商といえば聞こえはいいが、俗にいう「馬喰(ばくろう)」を生業としていて、
ダボズボンに腹巻をして財布も持たずにお札を腹巻に入れていた若き日もあったようだ。
赤ん坊の頃は親父に抱っこされている写真が残ってはいるものの、物心ついた頃からは
肩車やおんぶはおろか手を繋いで一緒に歩いた記憶すらない。
もちろんそれが普通で、それで寂しいなどと思ったことは一度もないが、
寡黙さの中にある自分に対する愛情も子供心に感じていたのも事実だ。
日本海沿岸の小波渡や暮坪の知り合いの家に行くついでに釣りを教えてくれたり、
余目や狩川で同じく畜産仲間のところに行けばお菓子を買ってくれたものだった。
そんな親父に一言だけ「ありがとう。」を言えなかった日のことを覚えている。
自分が中学に上がってすぐの頃、歳の離れた兄貴が応援団長をやっていたのもあって
家には長ランだのボンタンだの3タックのハイウエストの学生ズボンなんかが残っていた。
いわゆるツッパリブームというかファッション不良とでもいうか、中学1年生でいきなり
ボンタンを履いて白エナメルで学校に行くという、とんだ大馬鹿野郎だった。
そんなことが噂になっているとも知らずに、そのまま調子に乗っていたらすぐに上級生に目をつけられ、
ある日いきなり自宅に怖い先輩たちが4~5人できて、近くの公園に呼び出され囲まれたことがあった。
「お前、1年のくせになに調子乗ってんだ?」
「いや、べつに。」
「なんだコラ!やっちまうぞ!」
と胸ぐらを掴まれボコられそうになった瞬間に、後ろから
「おい!何やってんだクソガキども!こんな大人数で一人を囲みやがって、おい!」
腹巻姿に雪駄履き、咥えタバコで凄みを効かせた親父が鬼の形相で立っていて、
一瞬にしてそいつらを蹴散らしてくれたわけだ。
「大丈夫か?」と聞く親父の声に背を向け、返事もせずに家に戻った。
親に助けられたこと、親父がトラブルを解決してくれたことがむしろ恥ずかしく思えていて、
心の中では「ありがとう。」どころか「余計なことすんなよ!」とムカついていたほどだったと思う。
些細な出来事だったけれども、あの日の事は大人になり親になった後まで自分の中でトラウマになっていて
子どものトラブルに親が介入することは「恥ずかしいこと」という間違った固定観念をもってしまった。
娘が小学校でイジメにあった際にも「子ども同士のことだろ」「わざわざ親が出ていかなくても」と
タカをくくっていて、その初動の遅れからイジメがどんどんエスカレートして大ごとになり、結果的に
解決こそはしたものの、娘にもカミさんにも心に深い傷を負わせてしまったことを今でも後悔している。
過干渉と過保護、クレーマーとモンスターペアレント・・・
それぞれの境界線や区別は難しいけれど、純粋に我が子に降りかかる受難を親が取り払うことを
「恥ずかしいこと」などと思ってしまっては、じゃあ一体誰が守ってやるのかということになる。
親が味方にならずして、誰が味方になるんだよと。
あの時、助けてくれた親父に「ありがとう。」と素直に言えていたなら、その後の自分の価値観や
固定観念も少し変わっていたのかなと後悔することがある。
離れて暮らす娘にも、一緒に暮らす息子にも、そして愛するカミさんにも何かトラブルがあれば
周りにどう思われようとも誰に笑われようとも、今はためらうことなく一歩前に出るだろう。
あの時怖くて目をつぶった自分の前に、腹巻に雪駄履きでタバコを咥えたスーパーマンが現れたように。
そのスーパーマンも自分が26歳の時に、病には勝てず享年71歳であの世に旅立ってしまった。
振り返れば、親父が亡くなってからの人生の時間の方が長くなってしまったことに驚いてしまう。
でも不思議と寂しくはない。
いつでも親父は心の中にいたし、かっこいい男のイメージはそんな親父の姿だったからだ。
世間には、
強豪校で野球部にいる息子を想う親がいる・・・
遠くに嫁いで子育てに追われる娘を想う親がいる・・・
学校でうまく馴染めない子を想う親がいる・・・
仕事が上手くいかないと悩む子を想う親がいる・・・
それらは、いつでもいくつになっても親だからこそ想う感情であって、なにかあった時には寄り添い
そっと手を差し伸べてあげられる我が家だけのスーパーマンであってほしい。
自分もいつまでもそうでありたいと思って親父の背中を追いかけている。
そして今ならためらうことなく言えるだろう。
「親父、ありがとうね。」と。