『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

想いはひとつ

毎度ありがとうございます!

8月8日は田中先生のご命日です。
また今年も田中先生との思い出を書いてみたいと思います。

現役時代はほとんど会話をしたことがなかったわけですけど、30代半ばで鶴岡に戻ってきて
日中にわりと時間が取れるヤツだと認識されてからは、しょっちゅうゴルフに誘ってもらったり
二人で買い物にも出掛けたりしていました。

その車中ではいろんな思い出話をしながら行くんですけど、ある時こんな質問をしたことがあります。
「今、OB会の事務局をやらせてもらってますけど、甲子園に行った世代がOB会に
協力してくれないのはなんでなんですかね。」
「・・・。」
「県外生が多かったというのも分かるんですけど、振込みひとつ入れてくれないじゃないですか。」
「そうか…」
「田中先生は、あの世代の方たちと会いたいですか?」
「うん。久しぶりに会いたいな。」
「やっぱり、そうですよね。」
「OB会でみんなで会いたいな。」
「はい。」
「もっとお前が頑張れば、みんな集まる。」
「もっとですか…」

もちろん今は30年ぶりの甲子園出場を機に交流や連絡が密になり、みなさんからOB会に
出席頂いたり、振込みでOB会費を入金して頂けるようになりました。
本当に、本当に感謝しております。

県外に住むOBの方々にとってはなかなかOB会といわれても身近ではないし、
当時はなんというか、きっかけもなかったのだと今では理解できます。

でも、あの年の甲子園出場までは本当に運営には苦労していたんですね。
案内を出しても、人も集まらない。
振込先を連絡しても、お金も集まらない。
そして、田中先生の体調も万全ではない。

それでも、毎年同じ顔ぶれのOB会に毎年田中先生は必ず出席してくださいました。

二次会にも気さくに付き合ってくださって、酔っ払って出来上がった教え子たちの
「先生、先生!歴代の最強4番は誰ですか?」だの、
「先生!キミシマさんは、どんぶり飯5杯食ってたって本当っスか?」だの、
「アイボリーのユニホームは先生にとってアリですか?」などなど、
勢いに任せて思いつくまま質問されても、イヤな顔ひとつせず全て答えていたものです。

お亡くなりになられたその年の9月に、八乙女で当時の甲子園世代の方々約40名が集結して
「世代親睦会」が開催されました。

真ん中に先生の遺影を囲み、当時中学生だった自分が憧れた先輩たちと初めてお会いしながら、
楽しい時間を過ごさせて頂いた事は、自分にとってもいいきっかけになりましたし、
そこから今につながる大切なご縁を頂いたと思っています。

生前、先生がみなさんに会いたがっていたのを知っているだけに
「田中先生がご存命だったらなぁ」と、盛り上がる宴会場の方隅で
ぼんやりと一人先生との思い出に浸っていたのを思い出しました。

今ではお店に寄ってくださる先輩や、わざわざOB会で飲めと日本酒を送ってくださる先輩もいて、
本当にありがたく感謝の気持ちで一杯です。

失礼な感情をもっていたこと、本当に申し訳ありませんでした。
そして、いつもいつもOB会活動へのご理解とご協力、本当にありがとうございます。

先生には「お前がもっと頑張れ!」と激励されましたけど、自分が頑張ったわけではなく
先輩たちの母校への愛校心を先生が呼び起こしてくれたんだと思うんですよね。

いいOB会になりましたよ、先生。
あの懐かしい顔ぶれで一杯やりたかったですね。

そして、酔っ払った勢いで今なら必ずこう聞くでしょう。
「先生!そろそろ事務局あがっていいですか?」と。

今なら「うん。」と言ってくれそうな気がしますけど。。。
創部50周年の区切りの年までは、先生の遺言だと思って頑張ります!!










コメント

1. 無題

オレと相馬も5杯食っててぞー!

2. >横浜ベイスターマンさん

横浜連合じゃなくていいんですか?(笑

しかし、当時の寮のおかずで、めし5杯は異常ですって。

天下になって自由にすえひろの弁当食えるようになるまでは
ずーっと腹へっててマジで死にそうでしたよ(x_x;)。。。


3. 無題

嫌いだったひじきが1年の皿だけ超山盛りになっていて半年くらい辛かったなー・・・
まーそのおかげで好き嫌いの無い人間になれたよ。ヤバイ。昔のことを思い出してきた!

4. >横浜ベイスターマンさん

昼も弁当じゃ足りないから、購買のパン買いにパシられて(笑

「ジャーマン買ってこいよ!」
「ジャーマン無かったッス」
「だったらウエハー買ってこいよ!」
「ウエハーも売り切れでしたよ」
「なんでだよ!」
「コロネじゃダメっすか。」
「コロネじゃダメに決まってんべ!」

で、ボコられる昼休みの日常の光景。
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