『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

東京一年生
毎度ありがとうございます!

今朝は久しぶりに竹原ピストルの「東京一年生」を聞いて昔を思い出していました。

「東京一年生」って言葉が、何だか30年前の自分を思い出します。
高校の商業科から大学の商学部を卒業して漠然と希望した証券業界に進み、大阪での研修を経て
日本株式の中心「兜町支店」に配属された、あの頃の自分に重ねてしまいます。

我孫子発の始発の常磐線に飛び乗り、北千住で東京メトロ日比谷線に乗り換えて茅場町まで、
満員電車に揺られ、ただがむしゃらに日々を暮らしていたのを思い出します。

毎日ネクタイにスーツを着て、アタッシュケースにポケットティッシュと名刺を山ほど詰め込んで、
毎日毎日飛び込み営業と電話営業のその先にある自分の未来なんて、何も見えず何も考えれず、
東京の大都会の景色の中に紛れ込んでいた、若き日の自分の姿です。

デジタルロックにフローリングとロフト付きの真新しい部屋で、弁当ばかり食っていました。

あの頃すでに完全週休二日制に、新卒で25万円の初任給と寮という名のワンルームマンション。
優遇されていた当時の環境と、それに反してやっている仕事の無力感と疲労感とのギャップ。

休日はいつも上野のパチンコ屋で一日を潰し、勝てばガード下の飲み屋で一杯ひっかけて、
負ければフーッと大きなため息と、澱んだ東京の空を見上げて「なにやってんだろうな、オレは」
と嘆いた日々が、懐かしくも切ない思い出として鮮明に心に刻まれています。

どこに行くにも、駅の路線図と料金表を見ないと電車に乗れなかった自分が、
定期片手に当たり前のように改札をすり抜け、乗り換えホームまで走っていることにふと気づいて、
少しづつ東京の人になっていく自分に妙に寂しくも嬉しくなってみたりして。

東京への憧れがなかったといえばうそになります。
実際に東京での暮らしは、20代でまだまだ調子こきたい自分には楽しかったのも事実ですし。

ただ、仕事に対する満足感というか充実感が全くの0%でしたから、なんか背伸びしてる自分と
これでいいんだと思い込もうとする自分が常にいました。

30年の時が過ぎ、たまに行く東京は、田舎で暮らし田舎で商売する自分に刺激と発見を与え、
今でも大きく影響を受ける街であることには違いありません。
さすがに、この歳からは東京で暮らしたいとは思いませんけどね。
たまに行くからいいんでしょうね。

「しばらく東京にも行ってないなぁ。」などと思いつつ、竹原ピストルの「東京一年生」を
リピートで繰り返し聞きながら、煮込みを作るいつもの自分です。

♪暮らしづらいのは街のせいじゃない 暮らしづらいのは大丈夫、夢があるからさ~
 頑張れ 頑張れ  東京一年生   頑張れ 頑張れ  東京一年生~♪

耳に残るフレーズと、鼻歌でも歌えそうないい曲です。
今日も頑張ります。











 

コメント

1. 無題

東京ピストル最高ですね❗

2. 無題

気がつけば庄内18年、東京&埼玉25年……いつのまにか逆転していた、みたいな感じです。早いなあ。
まあ記念誌の締切もあっというまでしたけど(笑)。

3. >名無しさん

竹原ピストル、最高です。
何回も繰り返し聞いてると、その歌詞の深さと
意味が染み込んできます。
あの声も男だったら、誰もが憧れるでしょう(笑

4. >サードコーチャーさん

もう、「東京の人」ですね、完全に(笑

それでも東京一年生があったわけで・・・

自分は仕事が頑張れずに東京挫折組でしたけど
今見る東京の景色は、当時よりも余裕を持って
見ることができているような気がします。

記念誌、ラストスパートで頑張りましょう!!
コメントを書く