毎度ありがとうございます!
今週も慌ただしい中、一週間の営業が終わりました。
最近、何かと家の中のことで忙しく動き回り、どっと疲れが出た感じです。
「疲れが出たら身体を休める。」簡単そうで一番難しいことですよね。
特に、休日はお父さん業もあるもんで、今日は参加したい酒飲みイベントもあえなく断念・・・。
残念ですけど、仕方ないですからね。
今日は母校、鶴岡東高のグランドに、夏の大会の差し入れでも持っていって、
直前の選手たちの様子でも見てこようと思ってます。
ここ最近はあんまりグランドにも行ってなかったもんで、
邪魔にならないように少し時間を掛けて見てきます。
もうこの時期は、がむしゃらな練習はいりませんよね。
ゲージの中では気持ちよくバットが振れていて、
ノックの時は足さばきが軽快で声がよく出ていれば、それでよし。
軽めの練習でも、モチベーションを落とさないように、
上手くコントロールしてほしいところです。
ところで、先日までの自分のブログを見たお客様から、
「背番号ってそんなにこだわるモノなの?」と、ご質問がありました。
背番号の前に、試合用のユニホームはベンチに入ったメンバーしか着れなかったんですよ。
それ以外は、たとえ3年生でも白い練習用ユニホームを着て応援してたもんです。
鶴商学園では、そのベンチから漏れた白装束の集団を「白虎隊」と呼んでいました。
今時は、試合の応援ともなれば、ベンチ外も全員が試合用のユニホーム着てますけど、
当時は誰の目から見ても、はっきりと色分けされてしまうわけです。
3年間、「白虎隊」っていう先輩方も、たくさん見てきましたし、
ベンチ入りメンバー発表に漏れて、帰りの赤川の土手を涙して帰る姿も身近で見てきました。
自分達の学年は44人が入部して、最後は11人しか残らなかった学年でしたから、
背番号は温情で、上級生からレギュラー番号を付けさせてもらえたんだと思います。
現に、自分の同級生で、三塁コーチャーをやっていたフジタは背番号6でしたけど、
最後の夏は一度も出番はありませんでしたし、ライトのクリハラも背番号9だったけど代打専門だった。
背番号は監督なりの思いやりだったのかも知れないですけど、
自分はその中途半端さがイヤだったんですよね。生意気言いますけど。
今は珍しくないですけど、背番号15を付けたキャプテンなんて、どこにもいない時代でしたからね。
試合にも出ないのに一ケタつけてる選手なんて、強豪校見渡してもどこにもいませんでしたよ。
開幕が近づいてきてテンション上がって、高校野球ネタが続いてしまいました。
何とぞ、ご勘弁のほどを・・・。
暑くなりそうですが、みなさま素敵な週末をお過ごし下さい。
今週も慌ただしい中、一週間の営業が終わりました。
最近、何かと家の中のことで忙しく動き回り、どっと疲れが出た感じです。
「疲れが出たら身体を休める。」簡単そうで一番難しいことですよね。
特に、休日はお父さん業もあるもんで、今日は参加したい酒飲みイベントもあえなく断念・・・。
残念ですけど、仕方ないですからね。
今日は母校、鶴岡東高のグランドに、夏の大会の差し入れでも持っていって、
直前の選手たちの様子でも見てこようと思ってます。
ここ最近はあんまりグランドにも行ってなかったもんで、
邪魔にならないように少し時間を掛けて見てきます。
もうこの時期は、がむしゃらな練習はいりませんよね。
ゲージの中では気持ちよくバットが振れていて、
ノックの時は足さばきが軽快で声がよく出ていれば、それでよし。
軽めの練習でも、モチベーションを落とさないように、
上手くコントロールしてほしいところです。
ところで、先日までの自分のブログを見たお客様から、
「背番号ってそんなにこだわるモノなの?」と、ご質問がありました。
背番号の前に、試合用のユニホームはベンチに入ったメンバーしか着れなかったんですよ。
それ以外は、たとえ3年生でも白い練習用ユニホームを着て応援してたもんです。
鶴商学園では、そのベンチから漏れた白装束の集団を「白虎隊」と呼んでいました。
今時は、試合の応援ともなれば、ベンチ外も全員が試合用のユニホーム着てますけど、
当時は誰の目から見ても、はっきりと色分けされてしまうわけです。
3年間、「白虎隊」っていう先輩方も、たくさん見てきましたし、
ベンチ入りメンバー発表に漏れて、帰りの赤川の土手を涙して帰る姿も身近で見てきました。
自分達の学年は44人が入部して、最後は11人しか残らなかった学年でしたから、
背番号は温情で、上級生からレギュラー番号を付けさせてもらえたんだと思います。
現に、自分の同級生で、三塁コーチャーをやっていたフジタは背番号6でしたけど、
最後の夏は一度も出番はありませんでしたし、ライトのクリハラも背番号9だったけど代打専門だった。
背番号は監督なりの思いやりだったのかも知れないですけど、
自分はその中途半端さがイヤだったんですよね。生意気言いますけど。
今は珍しくないですけど、背番号15を付けたキャプテンなんて、どこにもいない時代でしたからね。
試合にも出ないのに一ケタつけてる選手なんて、強豪校見渡してもどこにもいませんでしたよ。
開幕が近づいてきてテンション上がって、高校野球ネタが続いてしまいました。
何とぞ、ご勘弁のほどを・・・。
暑くなりそうですが、みなさま素敵な週末をお過ごし下さい。
コメント
1. 赤川G
すみませ~ん、高校野球ネタではなく赤川Gに懐かしさが蘇りました。_(._.)_
僕は鶴工ラグビー部でした。
鶴商野球部の隣で練習しておりました。
うちらが使ってたグランドは市からの借り物でして
整備されたグランドじゃないので
それはも~、小石混じりで生傷が絶えませんでした。時々石拾いもしたんですよ。
でも、あのグランドで過ごした3年間は何物にも代えられないですね。
やってよかったと今でも思います。
炭の前は暑いですが頑張りましょう~
2. >ヒデさん
ほんと隣のグランドでしたもんね。
丁度、自分達の年代頃に同好会として発足した記憶があります。
当時は、県内に山形中央にしかラグビー部がなかったハズ。
ものすごい点差で負けていても、最後まで諦めずにボールを追っている姿を
真近で見てて、陰ながら応援してたもんです。
監督とかいないのを見計ってヘッドギアつけさせてもらったり
スクラム組んで押し合ったり結構、絡んでたんですよ。
練習終わりの赤川の土手が、何とも言えない黄昏感が出てて
「今日も一日終わったなー。」って感じでした。
懐かしいですよね。