『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

補足
毎度ありがとうございます!

今週も慌ただしい中、一週間の営業が終わりました。
最近、何かと家の中のことで忙しく動き回り、どっと疲れが出た感じです。

「疲れが出たら身体を休める。」簡単そうで一番難しいことですよね。
特に、休日はお父さん業もあるもんで、今日は参加したい酒飲みイベントもあえなく断念・・・。
残念ですけど、仕方ないですからね。

今日は母校、鶴岡東高のグランドに、夏の大会の差し入れでも持っていって、
直前の選手たちの様子でも見てこようと思ってます。
ここ最近はあんまりグランドにも行ってなかったもんで、
邪魔にならないように少し時間を掛けて見てきます。

eyes0174.jpgもうこの時期は、がむしゃらな練習はいりませんよね。
ゲージの中では気持ちよくバットが振れていて、
ノックの時は足さばきが軽快で声がよく出ていれば、それでよし。

軽めの練習でも、モチベーションを落とさないように、
上手くコントロールしてほしいところです。

ところで、先日までの自分のブログを見たお客様から、
「背番号ってそんなにこだわるモノなの?」と、ご質問がありました。

背番号の前に、試合用のユニホームはベンチに入ったメンバーしか着れなかったんですよ。
それ以外は、たとえ3年生でも白い練習用ユニホームを着て応援してたもんです。
鶴商学園では、そのベンチから漏れた白装束の集団を「白虎隊」と呼んでいました。

今時は、試合の応援ともなれば、ベンチ外も全員が試合用のユニホーム着てますけど、
当時は誰の目から見ても、はっきりと色分けされてしまうわけです。
3年間、「白虎隊」っていう先輩方も、たくさん見てきましたし、
ベンチ入りメンバー発表に漏れて、帰りの赤川の土手を涙して帰る姿も身近で見てきました。

自分達の学年は44人が入部して、最後は11人しか残らなかった学年でしたから、
背番号は温情で、上級生からレギュラー番号を付けさせてもらえたんだと思います。
現に、自分の同級生で、三塁コーチャーをやっていたフジタは背番号6でしたけど、
最後の夏は一度も出番はありませんでしたし、ライトのクリハラも背番号9だったけど代打専門だった。

背番号は監督なりの思いやりだったのかも知れないですけど、
自分はその中途半端さがイヤだったんですよね。生意気言いますけど。
今は珍しくないですけど、背番号15を付けたキャプテンなんて、どこにもいない時代でしたからね。
試合にも出ないのに一ケタつけてる選手なんて、強豪校見渡してもどこにもいませんでしたよ。


開幕が近づいてきてテンション上がって、高校野球ネタが続いてしまいました。
何とぞ、ご勘弁のほどを・・・。

暑くなりそうですが、みなさま素敵な週末をお過ごし下さい。

コメント

1. 赤川G

お疲れ様です。
すみませ~ん、高校野球ネタではなく赤川Gに懐かしさが蘇りました。_(._.)_

僕は鶴工ラグビー部でした。
鶴商野球部の隣で練習しておりました。
うちらが使ってたグランドは市からの借り物でして
整備されたグランドじゃないので
それはも~、小石混じりで生傷が絶えませんでした。時々石拾いもしたんですよ。
でも、あのグランドで過ごした3年間は何物にも代えられないですね。
やってよかったと今でも思います。

炭の前は暑いですが頑張りましょう~

2. >ヒデさん

ヒデさん、鶴工ラグビー部でしたか~。
ほんと隣のグランドでしたもんね。

丁度、自分達の年代頃に同好会として発足した記憶があります。
当時は、県内に山形中央にしかラグビー部がなかったハズ。
ものすごい点差で負けていても、最後まで諦めずにボールを追っている姿を
真近で見てて、陰ながら応援してたもんです。

監督とかいないのを見計ってヘッドギアつけさせてもらったり
スクラム組んで押し合ったり結構、絡んでたんですよ。

練習終わりの赤川の土手が、何とも言えない黄昏感が出てて
「今日も一日終わったなー。」って感じでした。
懐かしいですよね。
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