毎度ありがとうございます!
先日、40年前の写真をおふくろからもらいまして。
「馬市場」と呼ばれていた自宅前の道路で、保育園の遠足前に撮った一枚だそうです。
多分4、5歳のころだと思います。
どうです、この威風堂々たる仁王立ち姿は(笑
結構、この写真、気に入ってます。
自分の子供の頃の、しかもこの世に生まれてまだ数年という
ピュアな時間を感じることができるというのもありがたい事です。
将来、なにになりたいか?なんて、何にも考えていないでしょうね。
当然、可能性は無限大にあったはずだし、みなと同じように育ってきたんだと思う。
この頃の自分に、今の自分の姿を見せてやったら何て言うんだろうな・・・。
「こんな人生になっちゃったけど、いいか?」
「うん。いいよ。」
「おい、友達だけは大事にしてこいよ。勉強はダメだから。」
「うん。わかってる。」
なーんか、のび太くんの会話みたいなイメージになっちゃいましたね(笑
さて、先日、野球部のかなり年下の後輩からコメントをもらいました。
その後輩の顔を自分は知りません。
その後輩も自分の顔を知らないでしょう。
当然、話しをしたこともありません。
でも、名前は知っているという・・・。
5年前、些細な事件を起こし、今は鶴岡を離れ仙台に住んでいるんだそうです。
3年間頑張ったのに、その事件がきっかけでOB会を除名になっていると思ってたようなんですね。
職を失い、家を失い、信用をなくしてしまった当時の彼に、
3年間必死で頑張ったあの時間さえも認めないなんて、誰にも言う権利はありません。
「人間、長く生きていればフケも落ちるし、靴の底も汚れるもんです。」と田中真紀子は言った。
誰にでも一つや二つ、自分の人生の中で
心にやましいことや人には言えない部分ってあると思うんですよ。
自分だって、順風満帆な人生だったわけではありませんしね。
随分と虚勢を張ってた時期もあったし、見栄をはって嘘をついたことも、
他人をあざむいたこともあります。
結果的に、他人の心を傷つけていたこともあったでしょう。
人間は過ちを犯してしまう生き物なんだと思うんです。
なぜなら、心があるから。
心があるから欲があるんです。
その欲のために、時に人は自分を見失う。
以前にも、過ちを犯してしまった後輩を雇っていたことがあります。
周囲の人が離れていったなか、「一緒に野球やるか?」と誘ったのがきっかけだったんですけど、
仕事のなかったあいつに仕事を与え、うるさい事も随分と言った分、面倒も見たつもりです。
あいつなりに、一生懸命頑張ったんだとは思うんですけど、最後は自分をも裏切った。
自分の心の中は「今度こそ生まれ変わってくれるハズ。」という思いがあっただけにショックだった。
人間、どこからでもいつからでもやり直せると思ってはいるけれど、
高校時代ごときを振り返っても、本当の自分の心は揺さぶられないと思う。
もっと幼少期の自分の写真をみるといい。
しかも、そこには親も一緒に写っている写真がいい。
ズルさや汚れを知らない自分と、溢れんばかりの愛情を注いでくれた親の姿に、何を感じるのか。
ファインダー越しに見ている親の目線に気付くことができるか。
そういうピュアな気持ちを心の底から呼び起こさないと、人は簡単には変われないのかもしれない。
いつの日か、その後輩が飲みに来た時に、この目で確かめてみたいと思います。
・・・少し長くなりました。
今日は、これから家族で買い物に出かけます。
みなさんも素敵な週末をお過ごし下さい。
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