毎度ありがとうございます!
3月に入り、なかなか更新できずにいるブログですけど、久しぶりに親父の話でも・・・。
うちのスタッフ、ユウタロウのお父さんが、バイトの日はユウタロウが帰ってくるまで寝ないで
晩酌しながら待っていてくれてる、なんて話を聞かされたもんですから、
自分も、亡き親父を思い出してしまいました。
最後に親父と呑んだのは、自分が24歳の時でした。
当時、函館に住んでいた自分が突然、思いつきで帰省した日のことです。
車で降り立った青森のフェリー埠頭から
「今から帰るから。たぶん夕方頃には着くと思う。」
「そうか。なんか食いたいモンあるか?」
「ん~。刺身がいいな。」
「そうか。気をつけて来い。」
「うん。わかった。」
なんて電話で話してたんです。
車を7時間走らせ、予定通り夕方6時くらいに実家に着いたんですけど、
どうやらその日の晩メシは焼き魚とコロッケの予定だったようなんです。
それでも、自分が突然帰ってくるからと予定にない刺身を親父は作ってくれていたんですね。
けど、その刺身を見たおふくろが仕事から帰って来て、そんな親父に小言を言ったんです。
「今日は、昨日のコロッケと焼き魚って言ってあったのに、わざわざ刺身なんか作って!」
その頃すでに年金暮らしで収入のなかった親父は、
言いたい事をグッと我慢してプイっと家を飛び出したんです。
そんな時は決まって、近所の「すき焼き屋」に行くのがお決まりのパターンでした。
「親父は何も悪くねーだろ!」と、
おふくろと自分も口論になったあと、自分も親父の後を追って「すき焼き屋」に向かったんです。
案の定、一人手酌で日本酒を飲んでる親父の姿がそこにはありました。
「・・・おう。」
「今日はゴメンよ。オレが刺身なんて言ったもんだから・・・。」
「・・・なんでもねえ。」
「しっかし、おふくろもムカツクよな!」
「・・・。」
親父は何も言いませんでした。
ただ、黙ってテレビに映る巨人戦を見上げながら、一人手酌でやってたんです。
その時に、「酒もタバコも自分のタイミングでやるのが一番旨いんだ。」と教えられました。
「お前も、自分でやれ。」と二人して手酌で飲んで、1時間くらい無言でやってましたかねぇ。
二人で何本飲んだのかは、覚えてないです。
ただ無言で飲んでる親子に、女将さんが徳利を運んでくるたびに話しかけてくれて、
「お父さん、いっつもあんたの事話して聞かせてくれてるのよ。ねえ。」
「・・・。」
「そうっすかぁ。デキの悪い息子だってでしょ。」
「ううん。三人兄弟の中であんたが一番優しいって。」
「・・・。」
「へぇ~。初めて聞いたなぁ。」
「鶴岡に帰ってきたら?ねぇ、お父さん!寂しいよね。」
「・・・別に。」
「ははは。」
今思えば、二人っきりでサシで飲んだのは、あの時が最後だったなぁ。
もっと、たくさん話しをしておけばよかった。
もっと、一緒に酒を飲んでおけばよかった。
もっと、もっと・・・
亡くなってから17年も経つのに、今でもたまに親父の事を想って寂しくなる夜があります。
昨日がそんな夜だったのかもしれません。
さーて今日は、息子と前から約束していた
「映画ドラえもん」を観に行ってきます。
親父と一緒の時間は、もう過ごす事ができないけど、
その分、家族とのこれからの時間を大切にしていきたいと思います。
みなさんも、素敵な週末をお過ごし下さいませ。
3月に入り、なかなか更新できずにいるブログですけど、久しぶりに親父の話でも・・・。
うちのスタッフ、ユウタロウのお父さんが、バイトの日はユウタロウが帰ってくるまで寝ないで
晩酌しながら待っていてくれてる、なんて話を聞かされたもんですから、
自分も、亡き親父を思い出してしまいました。
最後に親父と呑んだのは、自分が24歳の時でした。
当時、函館に住んでいた自分が突然、思いつきで帰省した日のことです。
車で降り立った青森のフェリー埠頭から
「今から帰るから。たぶん夕方頃には着くと思う。」
「そうか。なんか食いたいモンあるか?」
「ん~。刺身がいいな。」
「そうか。気をつけて来い。」
「うん。わかった。」
なんて電話で話してたんです。
車を7時間走らせ、予定通り夕方6時くらいに実家に着いたんですけど、
どうやらその日の晩メシは焼き魚とコロッケの予定だったようなんです。
それでも、自分が突然帰ってくるからと予定にない刺身を親父は作ってくれていたんですね。
けど、その刺身を見たおふくろが仕事から帰って来て、そんな親父に小言を言ったんです。
「今日は、昨日のコロッケと焼き魚って言ってあったのに、わざわざ刺身なんか作って!」
その頃すでに年金暮らしで収入のなかった親父は、
言いたい事をグッと我慢してプイっと家を飛び出したんです。
そんな時は決まって、近所の「すき焼き屋」に行くのがお決まりのパターンでした。
「親父は何も悪くねーだろ!」と、
おふくろと自分も口論になったあと、自分も親父の後を追って「すき焼き屋」に向かったんです。
案の定、一人手酌で日本酒を飲んでる親父の姿がそこにはありました。
「・・・おう。」
「今日はゴメンよ。オレが刺身なんて言ったもんだから・・・。」
「・・・なんでもねえ。」
「しっかし、おふくろもムカツクよな!」
「・・・。」
親父は何も言いませんでした。
ただ、黙ってテレビに映る巨人戦を見上げながら、一人手酌でやってたんです。
その時に、「酒もタバコも自分のタイミングでやるのが一番旨いんだ。」と教えられました。
「お前も、自分でやれ。」と二人して手酌で飲んで、1時間くらい無言でやってましたかねぇ。
二人で何本飲んだのかは、覚えてないです。
ただ無言で飲んでる親子に、女将さんが徳利を運んでくるたびに話しかけてくれて、
「お父さん、いっつもあんたの事話して聞かせてくれてるのよ。ねえ。」
「・・・。」
「そうっすかぁ。デキの悪い息子だってでしょ。」
「ううん。三人兄弟の中であんたが一番優しいって。」
「・・・。」
「へぇ~。初めて聞いたなぁ。」
「鶴岡に帰ってきたら?ねぇ、お父さん!寂しいよね。」
「・・・別に。」
「ははは。」
今思えば、二人っきりでサシで飲んだのは、あの時が最後だったなぁ。
もっと、たくさん話しをしておけばよかった。
もっと、一緒に酒を飲んでおけばよかった。
もっと、もっと・・・
亡くなってから17年も経つのに、今でもたまに親父の事を想って寂しくなる夜があります。
昨日がそんな夜だったのかもしれません。
さーて今日は、息子と前から約束していた
「映画ドラえもん」を観に行ってきます。
親父と一緒の時間は、もう過ごす事ができないけど、
その分、家族とのこれからの時間を大切にしていきたいと思います。
みなさんも、素敵な週末をお過ごし下さいませ。
コメント
1. 無題
2. >サノさん
そこをツッこむか(笑
思えば18からセカンドバックを持って歩いてるなぁ~。
正直、「そこは譲れない。」とこでもあるわけで。。。
3. 無題
そんで、また似合いますもの、ね☆
ウチは、親子で飲むのは会社の飲み会位で…(^▽^;)
息子とならもっと飲みたかったんだと思いますが、
娘とは恥ずかしさもあってか、実現しませんでした。
ワタシも父との「もっと」はいっぱいありましたけど、
今はもう叶いませんから、自分と自分のまわりの
「これから」を大切にしたいと思いまーす(o^∇^o)
4. うるっ
石田純一ばりに素足に
靴履いてるじゃぁねーすかっ!
さすがです。
写真を拡大して発見しました(笑)
5. >Milk lover さん
今は、パイソンのバックを愛用しています。
白蛇の皮は金運をもたらす、なんて言いますけど、
全くお金は増えてませんけどねぇ。
お父さんもきっと、もっと一緒に飲みたかったと思いますよ。
相手がたとえ娘でも、仕事の事や家族の事、教育論から幸福論まで、
社長をなさってたくらいですから話したい(教えたい)事が
山ほどあったと思います。
それには、自分たちがまだ若すぎたのかもしれませんね。
親になり、仕事も出来るようになって、
初めて同じ目線で話しが出来るみたいなのってあると思うんですよ。
今更言っても仕方のないことなんでしょうけど、
その分、家族や周りの方々との時間を大切にしていきましょうね。
6. >ヒデさん
「素足に靴」に食いつきましたか(笑
するどいですねぇ~。
ちなみにこの頃、石田純一ではなく「川合俊一」に似ていると、よく言われてました。
バレーは得意じゃなかったですけど…。
当時の「川合人気」にあやかって、随分とオイシイ思いもさせてもらいました(`ー´) クククッ
7. 無題
随分と月日が経った日記にコメするのは、ちとためらいましたが…
やんちゃさんがこのお父さんの日記を書かれた3/6は、ウチの親父の誕生日であり…
でもって、やんちゃさんの誕生日は10/20で、私は10/26。親父のたち日は10/23であり…
なんだか勝手に縁を感じてしまいコメっちゃいましたぁ♪(笑)
思わぬ災害に包まれている日本国ではありますが…親にもらったこの命、お互い、この世の役に立てて参りましょう^^b
8. >サクラ嬢さん
もうひとつ忘れてはならないのは、
自分が鶴商でサクラ嬢さんが日大という、悔しくて憎き縁でもあるということ(笑
3月6日は、お父さんの誕生日でしたか…。
不思議ですね~。
親父の事を無性に書きたくなった日でした。
そんな日にも、やっぱり何か縁を感じますよね。
こりゃ、「早く盃を酌み交わしなさい。」という暗示なのかも(笑
命ある者、残された者には、やらなければならない使命があると思うんですよ。
微力ではありますけど、常にその事を意識しながら生活してますし、
何より子供達に、この現実をしっかりと伝えていかなければならないと思うんですね。
ガキの頃、親父から聞かされた
「戦争の悲惨さや残忍さ」
「戦後の日本の逞しさ」
の話を今でも覚えているように。
お互いに、頑張りましょう!!
9. 無題
鶴商vs日大!!(笑)
命ある者、残された者には、やらなければならない使命がある・・・
私も、そう思います。
戦争の話を語れる人間は、日に日に減少しております。
もはや我々の年代でも少なく、もどかしいです。
福祉の仕事をしていると、高齢者の方々と戦争の話になることも多いのですが…職員の中でも、若いコならともかくベテランさんでも、それくらい学習しとけよー!ってくらい知らないヒトが多いです;;
我が家は軍人一家だったらしく、幼い頃から戦争の話はよく聞かされておりました。
高齢者の方々と話題を共有したり、今後に語り継いでいくのも、自分の使命のひとつかな?と勝手に思っております。
やっぱ。「早く盃を酌み交わしなさい。」ってコトなのかな?(笑)
でも。あまりにも似すぎてて、戦争勃発とか…ヤメっべねーっす!(爆)
そのうち、酒田むすめに"庄内ツアー"に連れてってもらいまーす♪
まずはお互い、頑張っときましょー^^b
10. >サクラ嬢さん
酒田むすめさんからは、あんな事やこんな事まで、お伺いしております…ヒイィィィ!!!!( ̄⊥ ̄ノ)ノ
その日が来る事を、楽しみにお待ちしております。