毎度ありがとうございます!
母校の甲子園出場をきっかけに、自分が1年の時の1コ上2コ上の先輩方と
連絡を取らせて頂く機会が増えてきました。
そんな中、2コ上のハヤシさんから28年前の準々決勝「鶴商VS寒河江」のDVDを
わがままを言って送ってもらいました。
自分は高校1年生。
入部・入寮してから2ヶ月ちょっとしか経っていない頃でしたけど、あの日の事を鮮明に思い出しました。
30年前の甲子園出場の翌年の夏(自分は中3)、鶴商学園は同じく準々決勝で「寒河江」と対戦し
延長13回の末、辛くも3-2で逃げ切り準決勝に駒を進めていたんです。
あの頃の「寒河江」は、夏に大物食いをすると言われていて不気味な存在だったんですよね。
ずば抜けた選手がいるわけでもないのに、私立相手に俄然闘志むき出しで向ってくる。
そして奇しくも、その翌年も準々決勝は「寒河江」と対戦することになったんです。
この年の優勝候補でもあったシード校「米沢中央」を2回戦で撃破し、
好投手高山を擁する酒田南を接戦で制して勢いあるまま勝ち上がってきていたんですね。
一方、鶴商学園は同級生だったアイタが1年生からベンチ入りしシード初戦の置賜農戦に先発。
なんと先制の2ランを浴びるなどして大波乱の幕開けだったんです。
当時のエースは2年生シラサキさんでしたけど、そうそうたる3年生の中でのピッチングは
口には出せませんでしたけど、精神的に萎縮しているように自分には映っていました。
そして大会は、雨が続くんです。
三日ほど雨で順延し、常宿「仙台屋」で待機のレギュラー組は、テンションだだ下がりだったそうです。
その当時は、部員全員が帯同ではありませんでしたので、毎朝マイクロバスで白虎隊も出発し、
中止の決定を聞いては鶴岡にトンボ帰りするという、苦痛の時間を過ごしていたわけです。
3回から始まるこのDVDは3-0で鶴商がリードしている場面からでした。
そう、この試合、負けるなんてこれっぽちも思わなかったし、負けた瞬間も頭が整理できなかった。
今でこそ、高校野球独特の選手の心理状態や、一球の怖さ、試合の流れ、勝負どころなんかも
少しは分かるようになったと思ってるんですけど、あの時は初めて高校野球部員として
甲子園に行ってもらうためだけに、がむしゃらに応援していただけでしたからね。
逆転されるなんて、これっぽっちも頭に中になかった。
1点リードで迎えた9回表に、連続四球で満塁、パスボールで同点、スクイズで逆転。。。
今、目の前で何が起きているのか、理解できてなかったですから。
「えっ、・・・ えっ、・・・ えっ、・・・」の繰り返し。
そんな、スタンドからただ呆然と試合を見つめている28年前の自分もチラッと映ってました。
試合後、スタンドから選手控え室に降りて荷物を積み込むんですけど、
負けた選手のコメントを取る記者達との、「もういいでしょう!負けたんだから!!」みたいな、
その殺伐とした空気まで思い出しましたからね。
そして、そんな先輩達の目にも涙があった。
あんな鬼みたいに怖い先輩達が泣き崩れる姿をはじめて見て、
これが高校野球なのかと思ったものです。
その時に、絶対に甲子園に行きたいと、初めて思ったんですよね。
この人たちの分も、甲子園に行きたい!そう思った瞬間だったんです。
でも、自分達も行けなかった。
同じように泣き崩れる自分達の姿を同じように後輩達が見て、
きっと同じように心に誓ったと思うんです。
そんな時間の繰り返しが30年という時の重さでもあったわけです。
いろんなことを思い出したDVDでした。
自分達が日大に負けた時のDVDよりリアルに悔しさがこみ上げてきたし、
なんか懐かしくも忘れていた感情です。
「悔しさが人を強くする。」
今までの自分の人生を振り返った時に、心の奥底にあった強い感情なのかもしれません。
少しセンチメンタルな気分になった夜でした。
母校の甲子園出場をきっかけに、自分が1年の時の1コ上2コ上の先輩方と
連絡を取らせて頂く機会が増えてきました。
そんな中、2コ上のハヤシさんから28年前の準々決勝「鶴商VS寒河江」のDVDを
わがままを言って送ってもらいました。
自分は高校1年生。
入部・入寮してから2ヶ月ちょっとしか経っていない頃でしたけど、あの日の事を鮮明に思い出しました。
30年前の甲子園出場の翌年の夏(自分は中3)、鶴商学園は同じく準々決勝で「寒河江」と対戦し
延長13回の末、辛くも3-2で逃げ切り準決勝に駒を進めていたんです。
あの頃の「寒河江」は、夏に大物食いをすると言われていて不気味な存在だったんですよね。
ずば抜けた選手がいるわけでもないのに、私立相手に俄然闘志むき出しで向ってくる。
そして奇しくも、その翌年も準々決勝は「寒河江」と対戦することになったんです。
この年の優勝候補でもあったシード校「米沢中央」を2回戦で撃破し、
好投手高山を擁する酒田南を接戦で制して勢いあるまま勝ち上がってきていたんですね。
一方、鶴商学園は同級生だったアイタが1年生からベンチ入りしシード初戦の置賜農戦に先発。
なんと先制の2ランを浴びるなどして大波乱の幕開けだったんです。
当時のエースは2年生シラサキさんでしたけど、そうそうたる3年生の中でのピッチングは
口には出せませんでしたけど、精神的に萎縮しているように自分には映っていました。
そして大会は、雨が続くんです。
三日ほど雨で順延し、常宿「仙台屋」で待機のレギュラー組は、テンションだだ下がりだったそうです。
その当時は、部員全員が帯同ではありませんでしたので、毎朝マイクロバスで白虎隊も出発し、
中止の決定を聞いては鶴岡にトンボ帰りするという、苦痛の時間を過ごしていたわけです。
3回から始まるこのDVDは3-0で鶴商がリードしている場面からでした。
そう、この試合、負けるなんてこれっぽちも思わなかったし、負けた瞬間も頭が整理できなかった。
今でこそ、高校野球独特の選手の心理状態や、一球の怖さ、試合の流れ、勝負どころなんかも
少しは分かるようになったと思ってるんですけど、あの時は初めて高校野球部員として
甲子園に行ってもらうためだけに、がむしゃらに応援していただけでしたからね。
逆転されるなんて、これっぽっちも頭に中になかった。
1点リードで迎えた9回表に、連続四球で満塁、パスボールで同点、スクイズで逆転。。。
今、目の前で何が起きているのか、理解できてなかったですから。
「えっ、・・・ えっ、・・・ えっ、・・・」の繰り返し。
そんな、スタンドからただ呆然と試合を見つめている28年前の自分もチラッと映ってました。
試合後、スタンドから選手控え室に降りて荷物を積み込むんですけど、
負けた選手のコメントを取る記者達との、「もういいでしょう!負けたんだから!!」みたいな、
その殺伐とした空気まで思い出しましたからね。
そして、そんな先輩達の目にも涙があった。
あんな鬼みたいに怖い先輩達が泣き崩れる姿をはじめて見て、
これが高校野球なのかと思ったものです。
その時に、絶対に甲子園に行きたいと、初めて思ったんですよね。
この人たちの分も、甲子園に行きたい!そう思った瞬間だったんです。
でも、自分達も行けなかった。
同じように泣き崩れる自分達の姿を同じように後輩達が見て、
きっと同じように心に誓ったと思うんです。
そんな時間の繰り返しが30年という時の重さでもあったわけです。
いろんなことを思い出したDVDでした。
自分達が日大に負けた時のDVDよりリアルに悔しさがこみ上げてきたし、
なんか懐かしくも忘れていた感情です。
「悔しさが人を強くする。」
今までの自分の人生を振り返った時に、心の奥底にあった強い感情なのかもしれません。
少しセンチメンタルな気分になった夜でした。
コメント
1. お疲れ様です。
今日、お向かいさんでは1周忌法要が行われた
みたいですね。
1年って本当に早いですね。
生きている事の有難さをまた感じてしまいました。
本題とは関係なく書いてしまいました事を
ご了承下さいませ。
また、元気を頂きに伺います。
2. >ヒデさん
「光陰矢のごとし」まさに、あっという間です。
1年なんてつい昨日のようですもんね。
この間まで、雪かきしてた記憶がありますから(笑
そんな1年1年の積み重ねが自分の人生であり歴史でもあるんですよね。
お互い、頑張りましょう!!
また、顔を見せにいらしてくださいませ。。