毎度ありがとうございます!
ふと、高校時代のことを思い出したんですけど、
鶴商学園の野球部寮にいた1年生時代に、初めて体験した事がいくつかあるんですよ。
ひとつは、遠征で行った千葉の九十九里で初めてセブンイレブンに入ったこと。
もうひとつは、ケンタッキーフライドチキンを初めて食べたこと。
特に、1年生なんかお菓子や炭酸ジュースが厳禁な上に、
寮のマズイめしだけでは到底お腹が一杯になる事がなかったんですよね。
たまに、親がダンボールに缶詰やらお菓子やらを詰めて差し入れしてくれるんですけど、
全部、先輩に持って行かれるわけです。
親は、自分に食べさせたくて持ってくるんですけど、全然自分の口には入らないんで、
そのうち「もう、持ってこなくていいよ。」と親に電話するほどでしたもんね。
そんな中、たしか同期のオオノ(ボクサー)の親が新潟から来る際に、
でっかいバケツみたいな箱に入ったチキンを差し入れで持ってきてたんです。
マズイめしで飢えている中、あの匂いは犯罪ですよ。
どこからともなくみんな集まってきて、まるで配給をもらう戦時中の子供のように、
1ピース貰って食べたのが初めてでした。
当時はまだ、庄内にはケンタッキーフライドチキンがなく、
当然それまで知らずに生きてきましたから
「ケンタ」なんて急に略されても一体何のことかも分かってない時代です。
どこまで食べれるのかすら分からず、いつまでも骨をしゃぶってましたもん。
人目に付かない部屋の片隅で、坊主頭が鳥の骨をチュパチュパ舐めっている画は、
今思い出しても、可哀想すぎて涙がこぼれてきそうです(笑
そして「この世にこんな旨い肉があったなんて!」とすごく感動したのを、はっきりと覚えています。
「いつか、あのチキンを死ぬほど食ってみたい!」
その思いは、大学生になるまで本気で思っていた野望だったんです。
で、大学生になったある夏の日・・・。
帰省したら同級生のシンジが「鶴岡にケンタッキーができたぞ。」なんて言うんで、
早速あの夢を叶えるべく、ケンタに買いに行ったんです。
「オレ、野球部寮にいたころ初めてケンタを食べたんだけどよ、一回死ぬほど食ってみたいんよ。」
「おれも、一回どれだけ食えるかやってみたい。」
で、パーティバーレル(15ピース)を買いましたよ。
それぞれ、ひとり一バケツづつ・・・(||゚Д゚)ヒィィィ!(゚Д゚||)アホカ!!
家に帰ってきて、二人向き合ってバケツを抱え込みながら「このくらい楽勝じゃね?」なんて言いながら
おもむろにカブリついていったんです。
5ピースあたりで胸ヤケしてきて、7ピースあたりで手が止まり・・・
「お前、オレの分も食わねーか?」
「ウップ。いらねーよ!オレも残ってんのに。」
仕方ないんで残ったチキンをひとつにまとめて、おふくろにあげたらスゲー喜んでくれたんですけど、
晩ごはんにキャベツ敷いた皿の上に、とんかつみたいに2ピースづつ乗って出てきたんですよ。
「・・・。おれ、今日メシいらね。」
今でも、ケンタッキーを食べると、この一連の出来事が頭をよぎります(笑
食べなくても、あの匂いにすでに反応してしまうんですよね。
絶対に無理と分かっていても、今度こそ、あのバケツを丸ごと全部食べたい衝動にかられます。
そうこうしている間に「初吉野家」と「初ロッテリア」も思い出しましたけど、それはまた次の機会にでも。
今日はケンタッキーが夢に出そう・・・
おやすみなさい。
ふと、高校時代のことを思い出したんですけど、
鶴商学園の野球部寮にいた1年生時代に、初めて体験した事がいくつかあるんですよ。
ひとつは、遠征で行った千葉の九十九里で初めてセブンイレブンに入ったこと。
もうひとつは、ケンタッキーフライドチキンを初めて食べたこと。
特に、1年生なんかお菓子や炭酸ジュースが厳禁な上に、
寮のマズイめしだけでは到底お腹が一杯になる事がなかったんですよね。
たまに、親がダンボールに缶詰やらお菓子やらを詰めて差し入れしてくれるんですけど、
全部、先輩に持って行かれるわけです。
親は、自分に食べさせたくて持ってくるんですけど、全然自分の口には入らないんで、
そのうち「もう、持ってこなくていいよ。」と親に電話するほどでしたもんね。
そんな中、たしか同期のオオノ(ボクサー)の親が新潟から来る際に、
でっかいバケツみたいな箱に入ったチキンを差し入れで持ってきてたんです。
マズイめしで飢えている中、あの匂いは犯罪ですよ。
どこからともなくみんな集まってきて、まるで配給をもらう戦時中の子供のように、
1ピース貰って食べたのが初めてでした。
当時はまだ、庄内にはケンタッキーフライドチキンがなく、
当然それまで知らずに生きてきましたから
「ケンタ」なんて急に略されても一体何のことかも分かってない時代です。
どこまで食べれるのかすら分からず、いつまでも骨をしゃぶってましたもん。
人目に付かない部屋の片隅で、坊主頭が鳥の骨をチュパチュパ舐めっている画は、
今思い出しても、可哀想すぎて涙がこぼれてきそうです(笑
そして「この世にこんな旨い肉があったなんて!」とすごく感動したのを、はっきりと覚えています。
「いつか、あのチキンを死ぬほど食ってみたい!」
その思いは、大学生になるまで本気で思っていた野望だったんです。
で、大学生になったある夏の日・・・。
帰省したら同級生のシンジが「鶴岡にケンタッキーができたぞ。」なんて言うんで、
早速あの夢を叶えるべく、ケンタに買いに行ったんです。
「オレ、野球部寮にいたころ初めてケンタを食べたんだけどよ、一回死ぬほど食ってみたいんよ。」
「おれも、一回どれだけ食えるかやってみたい。」
で、パーティバーレル(15ピース)を買いましたよ。
それぞれ、ひとり一バケツづつ・・・(||゚Д゚)ヒィィィ!(゚Д゚||)アホカ!!
家に帰ってきて、二人向き合ってバケツを抱え込みながら「このくらい楽勝じゃね?」なんて言いながら
おもむろにカブリついていったんです。
5ピースあたりで胸ヤケしてきて、7ピースあたりで手が止まり・・・
「お前、オレの分も食わねーか?」
「ウップ。いらねーよ!オレも残ってんのに。」
仕方ないんで残ったチキンをひとつにまとめて、おふくろにあげたらスゲー喜んでくれたんですけど、
晩ごはんにキャベツ敷いた皿の上に、とんかつみたいに2ピースづつ乗って出てきたんですよ。
「・・・。おれ、今日メシいらね。」
今でも、ケンタッキーを食べると、この一連の出来事が頭をよぎります(笑
食べなくても、あの匂いにすでに反応してしまうんですよね。
絶対に無理と分かっていても、今度こそ、あのバケツを丸ごと全部食べたい衝動にかられます。
そうこうしている間に「初吉野家」と「初ロッテリア」も思い出しましたけど、それはまた次の機会にでも。
今日はケンタッキーが夢に出そう・・・
おやすみなさい。
コメント
1. 無題
オレたちのときは、山形市内の常宿だった仙台屋の近くにあった『モスバーガー』です。山形って、なんて都会なんだ(;゜0゜)って思ったもんです。
2. >八百長ゴルファーさん
でも、庄交モールのバス乗り場側の「DomDomハンバーガー」で免疫がついていたんで
「モスバーガー」ではあまり感動はしなっかった記憶が…。
モスは3年になって食った記憶よりも、下級生時代のパシられた記憶しかないですね~。
1日に何個もパシる先輩がいて「また食うのかよ!」ってムカついて
走って買いに行ってたことをはっきりと思い出してしまいました(笑
確かに、山形の夜も都会を感じたなぁ。。。