毎度ありがとうございます!
8月8日は、恩師田中先生の命日です。
あれから2年・・・月日の経つのは本当に早いものです。
2年前の8月8日、自分は家族とイオン三川で買い物をしていました。
7月27日に母校「鶴岡東」が30年ぶりの甲子園出場を決めてくれて、
その寄付金集めやOB会の取りまとめに奔走している最中だったんですね。
その日も、弾丸応援ツアーバスにウーロンハイを作って持っていくための【タンクジャグ】を
購入しに、甲子園モードで浮かれ気分でイオン三川にいたことを覚えています。
11時くらいに、田中先生の娘さんと同じ職場にいる後輩OBのマサヨシから電話が入って、
田中先生の訃報を聞かされました。
体調がすぐれないとは聞いていたんですけど、4日後には「智弁学園」との一戦が控えている
まさかこのタイミングでお亡くなりになるとは、夢にも思っていませんでした。
「えっ、なんで?ウソだろ、おい。なんでよ?」
そうとしか言えず、ショッピングモールの雑踏の中で、一人固まったように立ち止まってました。
とりあえず、OB会長や相談役に連絡し、何から手をつけていいのかすら分からぬまま、
帰路についたんです。
先生と一緒に、甲子園のアルプスに行きたかったです。
甲子園のアルプススタンドで、たくさんの教え子達に再会し喜ぶ姿を見たかったです。
あの夏は、自分の人生の中でも、すごく嬉しいことと、すごく悲しいこととが一気に押し寄せた、
激動の夏だったことは忘れられません。
それでも2006年に、高校野球OBチームによる「マスターズ甲子園」に出場するために、
鶴商学園OBたちと聖地甲子園の土を踏んで、ベンチに座ってもらえたことだけは、
事務局を務めた自分の誇りでもあるし、唯一の自慢でもあります。
選手がグランドに出るためのスロープや、勝利監督インタビューのお立ち台の位置や、
室内練習場の狭さや、その全てを饒舌に高潮した顔で語ってくれたのも嬉しかったです。
勝っても負けても一試合だけの、いわば思い出作りのイベントゲームにもかかわらず、
先頭打者のユウジに向って「ユウジ!ユウジ!」と叫んでいたんですよ。
甲子園の広いファールグランドに、スタンドのざわめきやブラスバンドの音楽やらで
その声はバッターボックスに向うユウジには届かず、隣にいた自分が
「ユウジに何か伝えましょうか。」
「うん。初球は必ず甘い球がくるから、初球から思い切って振っていけ!」
「了解です。おい!ユウジ!・・・」
この試合が遊びだ、イベントだ、なんてことは一切関係なく、
先生は現役時代の気迫そのままに甲子園のベンチにいたんです。
そんな先生の気迫ある姿に、ベンチ裏で汗を拭うふりして
溢れてくる涙を拭いてました。
そんな先生の元気な姿が、嬉しかった。
現役時代と同じような気迫ある先生の想いが、嬉しかった。
だからこそ、「今度は現役チームの応援で甲子園に行きましょうね。」と話していただけに
突然の訃報に、ただただ狼狽していた自分が思い出されます。
あっちでも、野球やってるんでしょうかね。
野球よりゴルフを満喫してるのかもしれませんね。
ゴルフもたくさん一緒に行きましたね。
また先生との思い出話しを、書いてみたいと思います。
お盆で、下に降りてきてるかな。
だったら先生、ゴルフ行きましょうか(笑
8月8日は、恩師田中先生の命日です。
あれから2年・・・月日の経つのは本当に早いものです。
2年前の8月8日、自分は家族とイオン三川で買い物をしていました。
7月27日に母校「鶴岡東」が30年ぶりの甲子園出場を決めてくれて、
その寄付金集めやOB会の取りまとめに奔走している最中だったんですね。
その日も、弾丸応援ツアーバスにウーロンハイを作って持っていくための【タンクジャグ】を
購入しに、甲子園モードで浮かれ気分でイオン三川にいたことを覚えています。
11時くらいに、田中先生の娘さんと同じ職場にいる後輩OBのマサヨシから電話が入って、
田中先生の訃報を聞かされました。
体調がすぐれないとは聞いていたんですけど、4日後には「智弁学園」との一戦が控えている
まさかこのタイミングでお亡くなりになるとは、夢にも思っていませんでした。
「えっ、なんで?ウソだろ、おい。なんでよ?」
そうとしか言えず、ショッピングモールの雑踏の中で、一人固まったように立ち止まってました。
とりあえず、OB会長や相談役に連絡し、何から手をつけていいのかすら分からぬまま、
帰路についたんです。
先生と一緒に、甲子園のアルプスに行きたかったです。
甲子園のアルプススタンドで、たくさんの教え子達に再会し喜ぶ姿を見たかったです。
あの夏は、自分の人生の中でも、すごく嬉しいことと、すごく悲しいこととが一気に押し寄せた、
激動の夏だったことは忘れられません。
それでも2006年に、高校野球OBチームによる「マスターズ甲子園」に出場するために、
鶴商学園OBたちと聖地甲子園の土を踏んで、ベンチに座ってもらえたことだけは、
事務局を務めた自分の誇りでもあるし、唯一の自慢でもあります。
選手がグランドに出るためのスロープや、勝利監督インタビューのお立ち台の位置や、
室内練習場の狭さや、その全てを饒舌に高潮した顔で語ってくれたのも嬉しかったです。
勝っても負けても一試合だけの、いわば思い出作りのイベントゲームにもかかわらず、
先頭打者のユウジに向って「ユウジ!ユウジ!」と叫んでいたんですよ。
甲子園の広いファールグランドに、スタンドのざわめきやブラスバンドの音楽やらで
その声はバッターボックスに向うユウジには届かず、隣にいた自分が
「ユウジに何か伝えましょうか。」
「うん。初球は必ず甘い球がくるから、初球から思い切って振っていけ!」
「了解です。おい!ユウジ!・・・」
この試合が遊びだ、イベントだ、なんてことは一切関係なく、
先生は現役時代の気迫そのままに甲子園のベンチにいたんです。
そんな先生の気迫ある姿に、ベンチ裏で汗を拭うふりして
溢れてくる涙を拭いてました。
そんな先生の元気な姿が、嬉しかった。
現役時代と同じような気迫ある先生の想いが、嬉しかった。
だからこそ、「今度は現役チームの応援で甲子園に行きましょうね。」と話していただけに
突然の訃報に、ただただ狼狽していた自分が思い出されます。
あっちでも、野球やってるんでしょうかね。
野球よりゴルフを満喫してるのかもしれませんね。
ゴルフもたくさん一緒に行きましたね。
また先生との思い出話しを、書いてみたいと思います。
お盆で、下に降りてきてるかな。
だったら先生、ゴルフ行きましょうか(笑
コメント
1. 無題
智辯学園との試合、立派に戦えたのも田中先生が甲子園の空で見守ってくれたからでしょうか?そしてこの時、サードのポジションには先に亡くなられた茂木先生んちの直矢…2人で一緒にご覧になってたのでしょうか?(田中先生がビシバシ言って、茂木先生がフォローに回るみたいな(笑))
2. >八百長ゴルファーさん
銀傘の上で二人並んで見ていてくれてたのかもしれないな。
あの夏は、嬉し泣きと悲し泣きが入り混じりって
涙も枯れ果てた気がします。
3人で、ゴルフ行ったなぁ。。。
今となっては、もっと先生の球、ちゃんと探してあげれば良かったな(笑
3. 無題
なんか涙が出ちゃったな・・・
4. 無題
5. >萬年幹事の松さん
野球部員以外にも怖い先生って、田中先生くらいだったもんな。
いい先生でした。本当に残念無念です。
6. >田中の娘☆さん
こんなブログにコメントまで頂いて恐縮しまくりです。
生前の先生との出来事を心の中で思い出すだけに留まらず、
こうして文字にして読んでもらうことも、ひょっとしたら供養に繋がるのかな、などと
勝手に解釈して記事にさせて頂きました。
ご家族にとって、不愉快だったりご不満な点がございましたら、すぐに削除いたします。
先生には本当にお世話になりましたし、野球以外にもたくさんのことを教えて頂きました。
言葉では言い尽くせないくらいに、感謝しております。
まだまだたくさんの思い出があります。
またいつか、先生の人柄と共に書かせていただければと思っております。
お母上様にも、どうぞ宜しくお伝え下さいませ。
コメント、ありがとうございました。
7. 無題
8. >田中の娘☆さん
思い出話しもたくさんありすぎて・・・(笑
先日、県野球場でお兄さんとあったんですけど、ユウタくんとも初めて会えました(´▽`)
先生もお孫さんの誕生をすごく楽しみにしてたの思い出して、
スタンドでまた涙ぐんでしまいました・・・(ノд-。)
よかったら2011.9.15の過去ブログ「追悼記事」の方も読んで頂けたら嬉しいです。
お盆で、こっちに来てるんでしょうね。
会いたいですね、先生に。
9. ??
10. >??さん
文面から推測するに同期か1コ上の方でしょうか。
もう少し分かりやすいハンドルネームでお願いしますよ(* ´Д゜*)
しかし、誰か気になる(笑
ま、いずれにしてもコメントありがとうございます。
今、息子もスポ少で野球を始めたばかりで、甲子園なんて
まだまだ先もその先って感じですよ。
まずは、野球を好きになること・・・今はまだ、そこからです。
自分達が田中先生と茂木先生にに教わったことって、
社会人になったり親になってみて、やっと分かることも多かったんだなって、
改めて思い知らされます。
いい師と、いい仲間に巡りあいました。
一生の宝物ですよね。
11. 無題
91
12. NONAMEさん
残念無念です。