『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

6番ファースト アイタ
毎度ありがとうございます!

昨年あたりから、自宅北側の外壁ボードが傷んできていることに気付いていて、
応急処置的に同級生のアイタにパテ埋めと外壁塗装をお願いしたんです。

アイタとは中学・高校と6年間チームメイトでした。
小学校の頃は別の学校でしたけど、その評判は他校の自分達にも聞こえてくるほどの
いわゆる「怪童」「怪物」といわれる野球少年だったんですよね。

もちろん中学に入ってもすぐに上級生に混じって試合に出ていましたし、
グラウンドにプロのスカウトが視察にきていたこともあったくらいです。
ここでは書けませんけど、高校入学時にも凄いエピソードを引っさげて、
鳴り物入りで入学したという、本当に期待されていた大型左腕投手だったんですよ。

田中先生も、アイタの入学には手ごたえを感じていたようで、チーム力では投打のバランスが良かった
自分達の1コ上の代に甲子園を狙っていたのは、誰の目から見ても明らかに感じれました。
実際には3回戦であっさりと負けてしまって、翌年の夏に自分達が準決勝まで勝ち上がってもまだ、
「去年のチームで狙いたかった。」なんて未練タラタラのコメントをしてたくらいですからね。

今のように、大会日程に余裕がなかった時代ですから、いい投手が2枚いるチームは
断然有利だったわけで、そういう意味でもアイタの出来にはチームの明暗が懸かっていたわけです。

ただ昔から、スピードは早いけど、コントロールがいまひとつだった。
ファーボールやデッドボールでランナーを溜め、ストライクを取りにいった甘いストレートを狙われ
タイムリーを打たれるという繰り返しだったんですよね。

最後の3年の夏は、肘だか肩を痛めていて、ファーストでの出番しかなくなってました。
守備では自分も自信があったけど、アイタほど打てなかった自分は出場機会がなくなりました。
それでも、一塁コーチャーとして挑んだ最後の夏は、何となくそのポジションにも満足していて、
自分の中にそんなに熱いものは無くなっていたのかもしれません。
それは、決してアイタのせいなんかじゃなく、自分の中で何となく冷めていたんでしょうね。

お互いが社会人になり、それぞれの道を歩きながら、
またこうして鶴岡に戻ってきて繋がっていることに、
幾つになってもくされ縁というか、やっぱり同じ釜のメシを食った
仲間という感覚が強いんですよね。

その分、アイタには無理も言いますし、わがままもたっぷり言います(笑

「今回も、ほとんど儲けが出ない仕事だぜ。」なんて愚痴ってましたけど、
それでも同期の特権をフルに使って、ガッチリやってもらいますよ(笑

この間、神奈川からヤマシタさんが来てくれたときにも、忙しい中、顔を出してくれました。
投手として期待されていたアイタを、田中先生に言われて上級生のヤマシタさんが
マッサージしていたエピソードにも全米が涙しましたもんね(泣

以前、住んでいた自宅やお店の外壁、今の自宅のガレージもアイタに塗ってもらいました。
なんだかんだ言いながらもちゃんとやってくれるアイタに感謝しつつも、
素直に「ありがとう。」と言わないひねくれた自分がここにおります(笑

今回こそ、ちゃんとお礼を言わなきゃ・・・。
いや、たぶん、言わないだろうな。

んー、なんか上手くまとまらないけど、まっいっか(笑



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