毎度ありがとうございます!
昨日、スタッフのユウスケの家の貸駐車場で、自殺未遂騒動があったそうなんですよ。
車のマフラーにホースを付けて車内で排ガス自殺をしようとしていた男性をユウスケが発見、
すぐに警察に通報して車内から救出された男性は一命を取りとめたそうです。
車内にはメモ紙に書かれた遺書も見つかり、もう少し通報が遅ければ間違いなく死んでいたでしょう。
ブログには書かずにいたんですけど、北海道時代の同僚も先月40過ぎの若さで自殺したと
連絡が入っていたばかりで、悲痛な想いをしていたところでもありました。
死ぬほど辛い、死ぬしか方法が見つからない、本人たちはみなそう思うんでしょうが、
死にたくても死なない人や、死ぬ気で頑張っている人も世の中にはたくさんいるわけで、
あえて突き放す言い方をするならば、「いらない命ならくれよ。」と声を大にして言いたいわけです。
もっともっと生きたかったのに、無念のなか死んでしまった人がどれだけいることか。
そういえば、小学6年生の頃、自殺について作文を書かされた記憶があります。
みんなが「自殺は良くない。」「親不孝だ。」「卑怯だ。」「弱い人間だ。」と書くなか、
自分は「ぼくにとっては「死ぬ」ということが何よりも一番怖いのに、それを実行に移す勇気がある人は、
実はすごく強い人間だと思うし、そんな人間に憧れる。」と書いて、あとから職員室に呼ばれて
先生に怒られたことを思い出しました。
昔からひねくれていたというか、逆説的に皮肉ったつもりだったんですけど、
30年以上経った今でも、自分には自殺する勇気はありませんし、もちろん憧れたりもしません。
ただ、死んだつもりでもう一回頑張れることってあると思うんですよ。
実際に本当にどん底で頑張ってる人もいるはずですし。
そういう努力や頑張りを放棄して、死を選択するというのは、いくらその人の人生とはいえ
方法や選択が間違っている気がしてならないんですよね。
今日も日本中のどこかで、また誰かが自殺することでしょう。
そのすべてを受け入れる、受け止めることはできませんし、簡単に否定も肯定もできません。
でも、少なくとも自分のこれまでの人生において、少しでも関わった人や交流のあった人の自殺は
正直、残念とか悲しいとかという感情の前に、「なにやってんだ、バカヤロウ!」といった怒りや
憤りを感じてしまうわけです。
人生には死にたくなるほど辛く悲しい出来事や、逃げ出したくなることや、
自分の力だけではどうにもならないことも、たくさんあることも知っています。
金がない、仕事がない、人間関係が上手くいかない、家に居場所がない、借金で首が回らない、
会社で大きな失敗を犯した、家族を事故で亡くした、生きていく意味を見出せない・・・
それらの困難から逃げずに、悩み苦しみもがきながらも力強く生きていく者こそが
本当の意味での「強い人間」なんだと、今になれば分かってくることなんですけどね。
楽しいこと、良いことばかりの人生じゃないですけど、頑張って生きてさえいれば、
いい事の方が絶対に多いものなんだと信じて、これからも生きていこうと思っています。
人は、つらく悲しいとシクシク泣くから4×9=36
でも楽しくて嬉しいとハハハと笑うから8×8=64
足すとちょうど100になる。
だから人生は楽しいことのほうが多いんだよ、と。
梅雨空が晴れるように、抱えているものを吐き出して、
新しい空気を吸い込んでみましょう。
必ず、明日はやってきます。
人間、そのままでもいつかは死ぬんですから、
生きてる間くらい、やれることはやってみましょうよ。
自分にとっての今日という日を大切に、今日も一日頑張っていきましょう!
昨日、スタッフのユウスケの家の貸駐車場で、自殺未遂騒動があったそうなんですよ。
車のマフラーにホースを付けて車内で排ガス自殺をしようとしていた男性をユウスケが発見、
すぐに警察に通報して車内から救出された男性は一命を取りとめたそうです。
車内にはメモ紙に書かれた遺書も見つかり、もう少し通報が遅ければ間違いなく死んでいたでしょう。
ブログには書かずにいたんですけど、北海道時代の同僚も先月40過ぎの若さで自殺したと
連絡が入っていたばかりで、悲痛な想いをしていたところでもありました。
死ぬほど辛い、死ぬしか方法が見つからない、本人たちはみなそう思うんでしょうが、
死にたくても死なない人や、死ぬ気で頑張っている人も世の中にはたくさんいるわけで、
あえて突き放す言い方をするならば、「いらない命ならくれよ。」と声を大にして言いたいわけです。
もっともっと生きたかったのに、無念のなか死んでしまった人がどれだけいることか。
そういえば、小学6年生の頃、自殺について作文を書かされた記憶があります。
みんなが「自殺は良くない。」「親不孝だ。」「卑怯だ。」「弱い人間だ。」と書くなか、
自分は「ぼくにとっては「死ぬ」ということが何よりも一番怖いのに、それを実行に移す勇気がある人は、
実はすごく強い人間だと思うし、そんな人間に憧れる。」と書いて、あとから職員室に呼ばれて
先生に怒られたことを思い出しました。
昔からひねくれていたというか、逆説的に皮肉ったつもりだったんですけど、
30年以上経った今でも、自分には自殺する勇気はありませんし、もちろん憧れたりもしません。
ただ、死んだつもりでもう一回頑張れることってあると思うんですよ。
実際に本当にどん底で頑張ってる人もいるはずですし。
そういう努力や頑張りを放棄して、死を選択するというのは、いくらその人の人生とはいえ
方法や選択が間違っている気がしてならないんですよね。
今日も日本中のどこかで、また誰かが自殺することでしょう。
そのすべてを受け入れる、受け止めることはできませんし、簡単に否定も肯定もできません。
でも、少なくとも自分のこれまでの人生において、少しでも関わった人や交流のあった人の自殺は
正直、残念とか悲しいとかという感情の前に、「なにやってんだ、バカヤロウ!」といった怒りや
憤りを感じてしまうわけです。
人生には死にたくなるほど辛く悲しい出来事や、逃げ出したくなることや、
自分の力だけではどうにもならないことも、たくさんあることも知っています。
金がない、仕事がない、人間関係が上手くいかない、家に居場所がない、借金で首が回らない、
会社で大きな失敗を犯した、家族を事故で亡くした、生きていく意味を見出せない・・・
それらの困難から逃げずに、悩み苦しみもがきながらも力強く生きていく者こそが
本当の意味での「強い人間」なんだと、今になれば分かってくることなんですけどね。
楽しいこと、良いことばかりの人生じゃないですけど、頑張って生きてさえいれば、
いい事の方が絶対に多いものなんだと信じて、これからも生きていこうと思っています。
人は、つらく悲しいとシクシク泣くから4×9=36
でも楽しくて嬉しいとハハハと笑うから8×8=64
足すとちょうど100になる。
だから人生は楽しいことのほうが多いんだよ、と。
梅雨空が晴れるように、抱えているものを吐き出して、
新しい空気を吸い込んでみましょう。
必ず、明日はやってきます。
人間、そのままでもいつかは死ぬんですから、
生きてる間くらい、やれることはやってみましょうよ。
自分にとっての今日という日を大切に、今日も一日頑張っていきましょう!
コメント
1. …。
やんちゃさんとおかやんさんで。
まんず簡単に死ぬなっちゃ、て事で二人共元気に暮らしていますが(笑)
2. >しんさん
そう、簡単に死を選ぶなって話しなんですけどね。
当人達にとっては、悩みぬいた末の答えなのかもしれませんけど、
生きていくことの方がずっと大変なわけですよ。
お二人とも、お元気そうでなによりですけど、
シャレになってませんがな。
3. 死を考えさせられた年
「死」と向き合う場面が多かった年でした
夏、海で高校生ふたりが溺死した事故を目の当たりにしました
仏さんが引き上げられる場面を見てしまい、
かつてない程の衝撃と悲しみに襲われました
無念の表情のまま硬直したその子の顔が、
それからしばらく瞼に焼きついたままでした
秋、会社の先輩が自死
赤川の河川敷で車に練炭つんで、
「十分、幸せな人生でした」と遺書を残し、冷たくなっていました
それから半月後、
祖母が90歳の天寿を全うしました
初孫として、最期の一息まで見てあげられました
悲しかったけど、心は穏やかでした
それからさらに半月後、
叔母がガンで他界しました
定年退職し、これから人生を楽しもうとした矢先に、病魔に蝕まれました
「生きたい生きたい」と願いながら逝きました
理不尽な死と自然に迎えた死
様々なカタチの死に接し、動揺し、自責の念にかられ、悲しみ悩んだ後、
「死」に対し、極めて冷静になっていた自分がいました
そして、この先、どんなに不恰好でつまらない人生になったとしても
与えられた時間を最期までしっかり生きていこうと強く思ったのを覚えています
あ、なんかしんみりしちゃいましたが、
まぁ、生きてりゃそのうち良いことあるもんですよね
いまが全てじゃないって、じっとガマンする時も大切ですから(^ω^)
てか、
鶴岡市!ヤバいすよ
市民に説明なし、上限なしでもっとおカネ積む気ですよ
圧倒的与党多数の議会も「こうならヤケクソ」とばかりに、
議案通しちゃうみたいだし
いいんですかね、民意無視の市政運営(´Д` )
4. >酒田むすめさん
そう思うのが自然なんでしょうけどね。
身内の死や、身近な知人の死に直面したときに
人は改めて自分にも必ず訪れる「死」を考えるのかも知れませんね。
極論ですけど、もしも今の自分が一文無しになって家族とも離れ離れになったとしても
「死」は選択しないでしょうね。
リヤカー引っ張ってでもダンボールハウスに寝てでも
何かしらで這い上がってくる自信があります。
死ぬ気で頑張るとはそういう覚悟のことですよ。
っていうか、例の工事の件ですよね。
そういうのって新聞やテレビのマスコミが発信しないと
一般市民レベルには伝わらない内情だと思うんですよ。
もっと詳しく、取り上げてもらうわけにはいかないんでしょうか?
役所がヤバイのか、市民がヤバイのか、
この際はっきりさせたいところです。
さらに税金投入とは、信じられませんね。
それが本当ならば、呆れてモノも言えません。
終わってますね。
5. きょう付の
そこに書いてあることが真実です
3回くらいの連載になるようです
6. >酒田むすめさん
早速、購入してきます!!
つうか、だったら山新あたりが真っ先に記事にするべきだと思うんですけど・・・
そのへんも一体どうなってるんだと。。。
7. 地元紙は…
こういうものは、中央紙の方がやりやすいみたいですよ
8. むむ
9. >酒田むすめさん
当初から納得できずにいた者の一人として、この上さらなる予算の上積みは
税金の無駄遣い以外の何ものでもありませんよ。
外観なんて真四角でいいんですよ!
その分、中の音響壁やシートなどの内側にこだわって
地元の業者に発注すればいい話なんです。
市民感覚なんてそんなもんじゃないですか。
10. >しんさん
「噂の東京マガジン」あたりで取り上げてもらって
山口良一あたりがリポートしに来て、全国放送で取り上げられないと気がつかないんですよ。
ヤバイ方向に向かってます。
11. マジメに
取り上げられたら、鶴岡市民が恥ずかしい思いしちゃいますけど、
そうでもしないと分からないのかも
老若男女、たくさんの市民に話を聞いても
やんちゃさんと同じ意見しか聞こえないです
大切なのは中身「音響」「居住空間」
それが最優先で、デザインは予算を見てその次の話と
こうなったら仕方がない、良いもの出来るんだったら、5年でも待つとも言っています
賛成しているのは、市側の一部とデザインフェチな若干の建築家、もしくは〝もどき〟くらいのようです
わたしはいまの計画の問題点も対案も
ある方のアドバイスで見えていますが、
市側は、お金積むくらいしか思いつかないみたいです
あと、相当アタマが硬化して意固地になってるみたいなとこもあります
前回の6億円増額は、震災復興による人件費と資材費の高騰分と言い訳しましたが、
今回はなんと理由付けするのかなぁ
施主は、あくまで市民です
ここでしっかり説明責任を果たして、市民の見解を伺わなければ
予算増額なんてやれるものではありません(正気なら)
市側がそんなに現行のデザインでいきたいというのなら、
まずは自腹切って、少しでも足りない分を補おうとする気概くらいみせて欲しいものです
税金なんだと思ってるんすかね(´Д` )
12. お金かけても
うーん。
どうせなら席が移動できるコンベンションセンターみたいなのがいいかなぁ。
イベントが催せるし。
てか、税金は鶴岡市に払ってるのよねぇ…未だに。
13. >酒田むすめさん
自分達の税金がどんなふうに使われようとしているのか、
しっかりと意識している人たちって、口で言うほど表に出てこないんですよ。
辛抱強いのか奥ゆかしいのか、争うことを避ける傾向にある。
だから、好き勝手にやられてしまうし、対案や見直しといった応対もとらずに
さらには市民の声にも耳をかさずに押し切ってしまう。
役人や政治家の資質ももちろんのこと、我々市民の声も
もっと大きくしていかないとならないのかもしれませんよね。
14. >しんさん
更なる税金投入での予算額アップがはたして妥当なのかどうか、
これからの動向にご注目下さい。