『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

オジサン

毎度ありがとうございます!

昨年からブログを書き始め、日々の出来事以外にも過去の話を引っ張り出しては
ネタにしてしまってるんですけど、そのおかげで忘れそうになっていた大切な人の事を
思い出すってこともよくあるんです。
今日はそんな話を・・・。

東京の証券会社を辞めた後、仕事も決まらないまま北海道に戻ったんですけど、
大学時代に住み慣れた函館ではなく、さらに車で1時間ほどの小さな港町に住んでいたんです。

昆布漁が盛んなその町には特別な仕事があるわけでもなく、
体が頑丈そうだというので近くの水産会社に就職が決まって働いていました。
水産会社と言えば聞こえはいいですけど、いわゆる漁師の手伝いみたいなもんです。

cd43c0ba.jpg午前3時に起きて暗いうちから船で沖に出て、港に戻ってから
魚を買い付け、トラックで函館の朝市に運ぶっていう毎日。
自分でも、コレでいいのかなって思ってたんですけどね。
赤いハイネックにドカジャン着て、白いゴム長にパンチパーマという、
どこからどうみても漁師のファッションで染まっていってました。

1週間前までは、東京の兜町でアタッシュケース持ってサラリーマンしてたのがウソみたいでしたから。

でも、その会社に社長の叔父さんって人がいて、いつも自分にこう言ってハッパかけるんですよね。
「いいかァ。親から大学まで出してもらったんだからよォ、こんな所にいてどうすんだよ!」と。

オジサンは数年前に奥さんを亡くして、小さな一軒家に一人暮らししてました。
甥のやってる水産会社を手伝いながら、自分も船で沖に出て生計を立ててたんですよね。
他の人が家族やみんなに手伝ってもらってやってる陸仕事を、
オジサンは暗くなるまで全部一人でやっていたんです。

なぜか自分のコトは面倒みてくれて、オジサンの家で毎晩お酒をご馳走になってたんですけど、
酔ってくると毎回毎回、おなじ説教するんですよ。

「こんな所にいつまでもいるな!もっとお前にしかできない仕事をやれよ!バカヤロー」と、
そう言ってはよく酒の入った茶碗をひっくり返してたもんです。

証券会社時代の同期ヤマヤから三軒茶屋のマツモトさんの件(過去記事「人情」参照)で
電話をもらった夜に、オジサンにそのコトを話したら、
「お前が東京でやってきたコトっつうのは、種まいたらすぐに芽の出るってもんじゃねーべ。」
「コツコツ地道にやってればなぁ、必ず誰かは見てくれてるもんなんだ。」
「もっと自分に自信持ってよォ、もっと陽の当たるトコいって頑張ってみろ!」
そう言われて、ようやく自分もその気になったんでしょうかね・・・。

それから1ヵ月後に、函館でまたスーツ着てアタッシュケースを持つ営業マンになってましたから。
しばらくしてオジサンの家にスーツ着て顔出したら、
「似合わねー!」ってゲラゲラ笑われたんですけど、すごく喜んでくれてましたね。
酒の入った茶碗片手に、「上がれ、上がれ」って嬉しそうだった。

その後の数年間は電話や年賀状で連絡取れてたんですけど、ある日突然、
「東京に出稼ぎに行くから、この家に来ても誰もいねーぞ」と電話をもらったのを最後に、
音信不通になってしまいました。

オジサン、どこかで元気でやってるよね?

オジサン、また茶碗で酒飲んでるんかな。。。

オジサン、やっぱりオレにはサラリーマン向いてなかったよ。。
 

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