毎度ありがとうございます!
自分の中で「行きつけのお店」と言えるお店が何軒かありますが、
昭和通りの「福鮨」も10年以上通い続けているお店です。
新人アルバイトが決まれば、ここで鮨を食べさせたり、
退職が決まった子がいれば、同じく鮨を食べさせ、
超多忙な日を乗り越えたら、スタッフと一緒に鮨をつまみ、
気の合う友人と一献というときにも、いつものカウンターの端に座ります。
そんな福鮨のおやっさんが先日お亡くなりになり、今日これから告別式に参列します。
おやっさんがお休みの日は、やんちゃにもよく自転車で来てくれました。
豪快に笑い、串は3本と煮込みを一杯、あとは焼酎のお湯割りをグイグイ…が
おやっさんのいつものパターン。
ネタケースの前で厳しい顔して握っている時には分からないおやっさんのもうひとつの顔を、
自分はたくさんたくさん知っています。
一緒にゴルフに行く約束を何度も何度もしても、やれ甲子園出場だの、やれ息子の野球だので
毎回毎回、自分が反故にしてしまうのを、おやっさんは笑って「そっち優先でいいんだ。」と
いつも笑って許してくれました。
ガンが見つかり息子のアキオくんに完全に店を任せると決めた夜にも、
いつものように一人でふらりと顔を出してくれて「マスター、アキオを頼むで。」と
ポツリと呟いた言葉は忘れません。
その日のおやっさんは饒舌で「なんで、すし職人になったの?」という自分の質問に、
金沢の専門学校時代に行きつけのすし屋ができて、カッコつけて鮨をツケで食っていたら、
卒業する時にはそのツケが払えなくて、そのままその寿司屋に見習いで入ったんだと、
冗談のようなマンガのような話しを聞かせてくれました。
その数年後には流しの板前として、新宿を拠点に都内のすし屋や料亭の板場で経験を積んで、
鶴岡市内の某有名寿司屋の立ち上げを手伝うために帰郷して、結婚、独立と波乱に満ちた
半生を面白おかしく教えてくれたんです。
今の福鮨も、お店のカウンター側しかなくて、奥のお座敷はなかったそうなんです。
少しづつ確実にお店を拡張していって「息子も跡を継いでくれて、オレは幸せ者だよ。」
といつものようにガハハと豪快に笑うおやっさんの顔がどこか寂しそうなのも気づいてました。
おやっさんは、板場に立ってこそおやっさんです。
病気で板場に立てないことが、本当に寂しかったんだと思います。
馴染みのお客さんと、触れ合えないというのはもちろんのことでしょうけど、それよりも
自分は、息子アキオくんと一緒に働けなくなった寂しさのほうが大きかったんじゃないかなと
あの日のおやっさんの顔を見て、ふと感じたんですよね。
アキオくんの握りも随分と上手くなってきましたけど、まだまだおやっさんとの差はあります。
自分は、おやっさんの握った鮨が好きです。
口に入れるとハラリとほどけるシャリの固さと、サビの効いたあの握りが大好きです。
もうあの旨い鮨を食べることができないのは、本当に残念で悲しいですけど、
ちゃんとこの舌が覚えていますから。
おやっさんの思い出と一緒に、あの味はこれから先も忘れることはないでしょう。
これからおやっさんに会いに行きます。
あっちでは、ゆっくりのんびりしてくださいよ。
高校野球にプロ野球にメジャー、ゴルフにボクシング・・・
多趣味だったおやっさんのことだから、じっとしていられないかな。
謹んで心よりご冥福をお祈りいたします。
また一人、大切な人とお別れしなければなりません。
寂しいです。
合掌
自分の中で「行きつけのお店」と言えるお店が何軒かありますが、
昭和通りの「福鮨」も10年以上通い続けているお店です。
新人アルバイトが決まれば、ここで鮨を食べさせたり、
退職が決まった子がいれば、同じく鮨を食べさせ、
超多忙な日を乗り越えたら、スタッフと一緒に鮨をつまみ、
気の合う友人と一献というときにも、いつものカウンターの端に座ります。
そんな福鮨のおやっさんが先日お亡くなりになり、今日これから告別式に参列します。
おやっさんがお休みの日は、やんちゃにもよく自転車で来てくれました。
豪快に笑い、串は3本と煮込みを一杯、あとは焼酎のお湯割りをグイグイ…が
おやっさんのいつものパターン。
ネタケースの前で厳しい顔して握っている時には分からないおやっさんのもうひとつの顔を、
自分はたくさんたくさん知っています。
一緒にゴルフに行く約束を何度も何度もしても、やれ甲子園出場だの、やれ息子の野球だので
毎回毎回、自分が反故にしてしまうのを、おやっさんは笑って「そっち優先でいいんだ。」と
いつも笑って許してくれました。
ガンが見つかり息子のアキオくんに完全に店を任せると決めた夜にも、
いつものように一人でふらりと顔を出してくれて「マスター、アキオを頼むで。」と
ポツリと呟いた言葉は忘れません。
その日のおやっさんは饒舌で「なんで、すし職人になったの?」という自分の質問に、
金沢の専門学校時代に行きつけのすし屋ができて、カッコつけて鮨をツケで食っていたら、
卒業する時にはそのツケが払えなくて、そのままその寿司屋に見習いで入ったんだと、
冗談のようなマンガのような話しを聞かせてくれました。
その数年後には流しの板前として、新宿を拠点に都内のすし屋や料亭の板場で経験を積んで、
鶴岡市内の某有名寿司屋の立ち上げを手伝うために帰郷して、結婚、独立と波乱に満ちた
半生を面白おかしく教えてくれたんです。
今の福鮨も、お店のカウンター側しかなくて、奥のお座敷はなかったそうなんです。
少しづつ確実にお店を拡張していって「息子も跡を継いでくれて、オレは幸せ者だよ。」
といつものようにガハハと豪快に笑うおやっさんの顔がどこか寂しそうなのも気づいてました。
おやっさんは、板場に立ってこそおやっさんです。
病気で板場に立てないことが、本当に寂しかったんだと思います。
馴染みのお客さんと、触れ合えないというのはもちろんのことでしょうけど、それよりも
自分は、息子アキオくんと一緒に働けなくなった寂しさのほうが大きかったんじゃないかなと
あの日のおやっさんの顔を見て、ふと感じたんですよね。
アキオくんの握りも随分と上手くなってきましたけど、まだまだおやっさんとの差はあります。
自分は、おやっさんの握った鮨が好きです。
口に入れるとハラリとほどけるシャリの固さと、サビの効いたあの握りが大好きです。
もうあの旨い鮨を食べることができないのは、本当に残念で悲しいですけど、
ちゃんとこの舌が覚えていますから。
おやっさんの思い出と一緒に、あの味はこれから先も忘れることはないでしょう。
これからおやっさんに会いに行きます。
あっちでは、ゆっくりのんびりしてくださいよ。
高校野球にプロ野球にメジャー、ゴルフにボクシング・・・
多趣味だったおやっさんのことだから、じっとしていられないかな。
謹んで心よりご冥福をお祈りいたします。
また一人、大切な人とお別れしなければなりません。
寂しいです。
合掌
コメント
1. 思い出の寿司
誕生日とかクリスマスとか、何が食べたいと聞かれたら寿司。
店で食べたことは無かったけれど、寿司といえばうちは福鮨だったなぁ。
ご冥福をお祈りいたします。
2. >しんさん
おやっさんの腕一本で永く愛されてきた名店だと思います。
世代が代わり、これからはアキオくんの顔で勝負しなくてはなりません。
行きやすいお店、敷居の高くないお鮨屋として
これからも皆さんに愛されますように。。。
それが一番のおやっさんの願いでしょう。
帰省の際には、是非「恋の山」のお燗で握りをつまみに行きましょう!