毎度ありがとうございます!
お盆が明けてからも何かと忙しく、ブログの更新ができずにおりました。
10日ぶりの更新です。
この10日間で一番の出来事といえば、母校鶴岡東が三回戦で負けてしまったことですかね、やっぱり。
本当に残念です。
今年は同期ワタルの息子ソウマがレギュラーでベンチ入りしていて、
個人的にも例年以上に肩入れしていて、甲子園に行ってほしい年でもありました。
まだ子どもたちが小さかった頃は、ワタルの実家のある温海の海岸でファミリーBBQを楽しんだり、
お互いの子どもたちのお下がりをあげたりもらったりしてきた付き合いです。
30年ぶりの甲子園出場の際にも、夜通しバスの中で騒ぐおっさんたちと一緒に甲子園に行きましたし、
わが子とまでは言いませんけど、親戚のおじさんくらいの感覚で子どもの頃からソウマの成長を
陰ながら見守ってきたつもりです。
4つ下にあたるウチの息子に、Tシャツやらアンダーシャツやらをもらうたびに、ソウマの頑張りを
聞かせてあげていましたから、息子がソウマに憧れを抱くのは自然なことだったでしょう。
今も使っている素振り用のバットやラダーも、すべてソウマからのお下がり品です。
高校進学をどこにするか迷っている時期に家族で食事にきてくれて、あの明るいソウマの笑顔が
思春期と反抗期とが相まって、随分と悩んでいた顔だったのをはっきりと覚えています。
それだけに自分自身で鶴岡東に入学を決めたと聞かされたときには、わが子のように嬉しかったし、
下級生時代にスタンドで見かけると、いつも「ソウマ!頑張れよ!」と気軽に声をかけてきました。
新チームになり、見事レギュラーを勝ち取り試合に出るようになると、むしろ親のワタルの方を
随分と羨ましくも思っていたものです。
それだけ鶴岡東でレギュラーを勝ち取るということが簡単ではない事だと知っているからです。
OBの息子だろうが、関西からの特待生だろうが、シニア上がりだろうが、一切関係ありません。
与えられたチャンスをものにし、競争を勝ち抜いた者がベンチ登録される厳しい世界です。
春季大会では結果が出ずに登録を外され、悔しい思いでスタンドから応援していた寂しい横顔を
ワタルも傍で見てきて「お前なら絶対にやれる!」と鼓舞してきた親心も痛いほど分かります。
その悔しさを乗り越え、さらにバットを振り込み、最後の夏にまたレギュラーで戻ってきただけに、
もっともっと勝たせてあげたかったし、甲子園で活躍するソウマの姿をこの目で見たかったです。
ワタルと同じ背番号7を背負って、ワタルと同じ「1番レフト佐藤くん。」とアナウンスされた時は
感動して、試合開始前に胸が熱くなってしまいました。
高校野球はこれで終わってしまったけれど、人生の試合開始のサイレンはまだ鳴ったばかりです。
甲子園に出たとか出ないとか、レギュラーだったとか補欠だったとかは、
人生においては、さほど重要なことではありません。
その厳しくも凝縮された3年間の間に、社会を生き抜く【逞しさ】と、周りの状況を見て感じとる【感性】が
磨かれれば、いつの日か鶴岡東に入学して良かったと思える日が必ずくるはずなんです。
オレたちの夏、準決勝の日大山形戦、最後のバッターはワタルでした。
完全アウトの内野ゴロで一塁にヘッドスライディングして、そのまま立ち上がれず塁上で涙した
ワタルの無念さと、あの日の悔しさは、すでに息子ソウマが晴らしてくれたと思っています。
「オレの高校時代は不完全燃焼だった。」と、飲めば夜中にしつこく語るワタルもいま、
きっとそう思っているはずです。
少しゆっくりして、これからの自分の人生を、また自分の頭でしっかりと考えて、
歩んでいってほしいと思います。
いつまでも小さい頃のままだと思っていたソウマが、大きく成長し、逞しく必死に戦う姿に、
胸が躍らされ、熱く熱く感動した夏でした。
ソウマ、おつかれさん。
本当に頑張ったな。
そして、ありがとう。
お盆が明けてからも何かと忙しく、ブログの更新ができずにおりました。
10日ぶりの更新です。
この10日間で一番の出来事といえば、母校鶴岡東が三回戦で負けてしまったことですかね、やっぱり。
本当に残念です。
今年は同期ワタルの息子ソウマがレギュラーでベンチ入りしていて、
個人的にも例年以上に肩入れしていて、甲子園に行ってほしい年でもありました。
まだ子どもたちが小さかった頃は、ワタルの実家のある温海の海岸でファミリーBBQを楽しんだり、
お互いの子どもたちのお下がりをあげたりもらったりしてきた付き合いです。
30年ぶりの甲子園出場の際にも、夜通しバスの中で騒ぐおっさんたちと一緒に甲子園に行きましたし、
わが子とまでは言いませんけど、親戚のおじさんくらいの感覚で子どもの頃からソウマの成長を
陰ながら見守ってきたつもりです。
4つ下にあたるウチの息子に、Tシャツやらアンダーシャツやらをもらうたびに、ソウマの頑張りを
聞かせてあげていましたから、息子がソウマに憧れを抱くのは自然なことだったでしょう。
今も使っている素振り用のバットやラダーも、すべてソウマからのお下がり品です。
高校進学をどこにするか迷っている時期に家族で食事にきてくれて、あの明るいソウマの笑顔が
思春期と反抗期とが相まって、随分と悩んでいた顔だったのをはっきりと覚えています。
それだけに自分自身で鶴岡東に入学を決めたと聞かされたときには、わが子のように嬉しかったし、
下級生時代にスタンドで見かけると、いつも「ソウマ!頑張れよ!」と気軽に声をかけてきました。
新チームになり、見事レギュラーを勝ち取り試合に出るようになると、むしろ親のワタルの方を
随分と羨ましくも思っていたものです。
それだけ鶴岡東でレギュラーを勝ち取るということが簡単ではない事だと知っているからです。
OBの息子だろうが、関西からの特待生だろうが、シニア上がりだろうが、一切関係ありません。
与えられたチャンスをものにし、競争を勝ち抜いた者がベンチ登録される厳しい世界です。
春季大会では結果が出ずに登録を外され、悔しい思いでスタンドから応援していた寂しい横顔を
ワタルも傍で見てきて「お前なら絶対にやれる!」と鼓舞してきた親心も痛いほど分かります。
その悔しさを乗り越え、さらにバットを振り込み、最後の夏にまたレギュラーで戻ってきただけに、
もっともっと勝たせてあげたかったし、甲子園で活躍するソウマの姿をこの目で見たかったです。
ワタルと同じ背番号7を背負って、ワタルと同じ「1番レフト佐藤くん。」とアナウンスされた時は
感動して、試合開始前に胸が熱くなってしまいました。
高校野球はこれで終わってしまったけれど、人生の試合開始のサイレンはまだ鳴ったばかりです。
甲子園に出たとか出ないとか、レギュラーだったとか補欠だったとかは、
人生においては、さほど重要なことではありません。
その厳しくも凝縮された3年間の間に、社会を生き抜く【逞しさ】と、周りの状況を見て感じとる【感性】が
磨かれれば、いつの日か鶴岡東に入学して良かったと思える日が必ずくるはずなんです。
オレたちの夏、準決勝の日大山形戦、最後のバッターはワタルでした。
完全アウトの内野ゴロで一塁にヘッドスライディングして、そのまま立ち上がれず塁上で涙した
ワタルの無念さと、あの日の悔しさは、すでに息子ソウマが晴らしてくれたと思っています。
「オレの高校時代は不完全燃焼だった。」と、飲めば夜中にしつこく語るワタルもいま、
きっとそう思っているはずです。
少しゆっくりして、これからの自分の人生を、また自分の頭でしっかりと考えて、
歩んでいってほしいと思います。
いつまでも小さい頃のままだと思っていたソウマが、大きく成長し、逞しく必死に戦う姿に、
胸が躍らされ、熱く熱く感動した夏でした。
ソウマ、おつかれさん。
本当に頑張ったな。
そして、ありがとう。
コメント
1. 無題
ソウマの体つきはこの頃からは想像つかないくらいたくましい体になってました。トレーニング・練習を頑張った証です。
さて、あと5年後、うちのはどんな進路を選んでるんだろ…
2. 無題
追記、最初で最後の投稿かな(笑)
3. >仙台屋の自販機さん
応援ご苦労様でした。
5年はあっという間ですよ。
息子と共有できる密度の濃い時間です。
ゴルフやらなくなりましたからね、お互いに。
ウチのは一本で決まりです!!
4. >たぶんワタルさん
どんな結果であれ、どんな時間であれ、
一生懸命に野球に向き合った貴重な3年間だったと思います。
近いうちに飲みに行きましょう!
感極まって泣くなよ!(´□`。)
オレも泣いちゃうから(笑