やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ
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毎度ありがとうございます!

先週の金曜日、鶴商時代の先輩シンジさんが東京から遊びに来てくれました。
シンジさんは単なる先輩だけではなくて、鶴商野球部登高寮201号室の同部屋でして
我われで言うところの自分は「部屋子」にあたります。

まさに毎日の寝食を共にした関係でもあります。

ストイックで本当に厳しい先輩でした。
夕食後、毎日のように室内練習場でティーを何箱も打っていたんですけど、
球上げしている自分に「今、ここを意識しているから、お前も見ててくれ。」などと
1年生のゴミのような自分にもグリップの位置だったり左肩の開きだったりと、
気にしているポイントをチェックさせるものでした。

性格のひん曲がったほかの先輩には死ぬほどぶっ飛ばされましたけど、
シンジさんは自分に一度も手を上げたことはありませんでした。
むしろ、他の先輩にボコボコにやられていると「もう、そのへんでいいんじゃない?」などと、
助け舟を出してくれて救っていただいた日のことを忘れることはありません。

上手い人ほど後輩には手を出さないもんなんだな、とひとつの法則みたいなものを
自分の中で見つけた瞬間でもあります。
先輩も自分たちの代でもそうですけど、野球が下手なヤツほど後輩に手を出すものでした。
情けない話し、それはもちろん自分を含めてですけど。

卒業式のあと、野球部の3年生だけはなぜかみんな学ランからビシッとスーツに着替えて
街に繰り出すのが恒例行事になっていて、その姿がやけに眩しくカッコよく見えたものです。

卒業以来、何度かお会いする機会はありましたけど、こうして一緒に酒を飲むのは初めてでした。
もちろん、現役時代のようなピリピリとした雰囲気はそこにはもうなくて、気さくに楽しく
そして懐かしく、あの地獄の登高寮でクソまずいメシを食って戦ってきた仲間意識のほうが
この歳にもなれば大きいのかもしれませんね。

野球部時代を最後まで寮で過ごしたのは、自分たちが最後の世代です。
あの地獄の日々に戻りたいとは思わないけど、もう一度みんなで1ヶ月くらいなら
生活したい気もします(笑

結局2時くらいまでは飲んでいましたけど、一番酔っていたのはマナブさんでした。
地元にいる同期はほとんどいませんから、たまにこうやって昔を懐かしんで酒を飲むのが
いつも以上に楽しかったようで、いつもよりもハイピッチで日本酒を飲んで同級生の女子に
下ネタでドン引きされいても、責めるわけにもいきませんわね(笑

そんなマナブさんの姿も嬉しかったです。
いつもは、こんな生意気な後輩を相手に「うんうん」聞きながら酒を飲んでるわけですから、
マナブさんにとっても本当に楽しい夜だったんでしょう。
「シンジ、ちょいちょい鶴岡に来れるだろ?また鶴岡に顔出してくれよ。」と何十回も繰り返していました。

くだらない下ネタ連発に同じ話しを何度も何度もするマナブさんに、
「おい!オヤジ。酔っ払いすぎだぞ!!」と、どっちが先輩か分からないトーンで
ツッコミを入れるワタルも、翌日電話がきてまったく記憶がないそうです(笑

奇しくも201号室のシンジさんと自分、205号室のマナブさんとワタル。
さっきの話じゃないけれど、もう一度だけ戻るなら部屋だけはチェンジしてください!(笑

そのくらい205号室は、後輩たちが羨むほどの「楽部屋」だったんですよ。
一緒になってラーメン食ってたり、先輩にタメ口こいても怒られなかったりして。

それに対して、我らが201号室は他の部屋が4人部屋なのに対して、下級生は自分のみ。
さらにシンジさんとスズキさんの持つ雰囲気から、さながら危ない人たちの「組」というか、
毎日が殺伐としていて、おそらく同期のだれにお願いしても代わってはくれないでしょうね。

自分にとっては、それが良かったんでしょうか。

そういえば、自分は現役時代に安岡力也のホタテマンに似ているという理由で
「ホタテ」というあだ名をつけられていたんですけど、シンジさんは自分を「ノリ」と
呼んでくれていたことにも、なんというか嬉しかったというか気恥ずかしかったというか、
不思議な感覚でもありました。

自分自身、当時の先輩や同期に「ホタテ」と呼ばれるのは何とも思わないんですけど、
もうお互いに大人ですから気を使ってくれたんでしょうかね。

確かに自分の後輩たちにも「オヤジ」「ボケ」「ネコ」「ダルマ」「不気味くん」だの、
当時からヒドイあだ名で呼んでいた後輩もたくさんいますけど、卒業してからは自分も自然に
苗字や名前で呼ぶようになりました。

ただ「クサコン」のことだけはどうしても「ジュン」とは呼べないんですよね(笑
一番訂正してあげたいあだ名なのに、本当に申し訳ないです。

来月の50周年で会ったときに、「ジュン!」って呼んでみようかな。
あいつ、絶対に気がつかなくてシカトしそうだけど。

自分はなんと呼ばれても全然平気です。
気を使わずに会話が出来るならば、それでいいです。

さーて、煮込みもいい感じに仕上がってきました。
今週も精一杯頑張りましょうか。
 
 











毎度ありがとうございます!

昨夜は雨の鶴岡、なるほどヒマなわけです。
そんなヒマな木曜日、トモカズが彼女を連れて顔を出してくれました。

見た目は完全にアウトですけど、性格と礼儀はちゃんとしています。
そこは野球人の成せる業なのか、アウトレイジに出てくるような顔ですけど、
見た目に反してちゃんとしています(笑

そして、その彼女も初めて紹介されましたけど、めちゃくちゃ可愛い子でした。
山形市出身だそうで、豚肉がスタンダードな庄内の食文化を話すと意外にも食い付いてくれて
山形で食す牛肉と豚肉の違いで、カウンター越しのトークも盛り上がりました。

やきとんと塩ホルモンも、美味しいと喜んでもらえたようで良かったです。

閉店後にスタッフのユウヒのマブダチ「ヒカル」の誕生日をお祝いするために、
いつもの福鮨に顔を出したら、やきとり米吉のマスター「ホシノくん」とまたまた遭遇。

ホシノくんは若くして、親和会の常任理事さまでもあられるわけですよ。

先日のブログで書いたように「寒河江やきとり」の勢いと発信力の高さに、
我われ庄内ミート親和会は今後どうしていくのかを、熱く語らずにはいられませんでした。

やはり役員会の中でも、重鎮と呼ばれる古参会員の腰は重たいようで、
何かを提案するにしても、なかなか腰は重いんだそうです。

どっかの組織と同じですよね、残念ながら。

トモカズの彼女が内陸出身であるにもかかわらず、庄内の「やきとり」やホルモンを
「美味しい、美味しい!」と喜んでくれていたその笑顔に、まだまだ我われの業界の
これからの発展と可能性は十分手応えを感じましたけどね。

他所からきて初めて良さに気づくこともありますし、気づかされることもあります。

もっともっとアンテナを張って、情報や反応に過敏になりながら、より良い未来を
みんなの手で作っていければなぁ、と思う気持ちに変わりはありません。

しかし、食べ終わって綺麗に器を重ねて片付けやすくして帰るところは、本当に感心させられます。
テーブル以外の食事ならば、正座してご飯を食べるほうがラクだという男ですからね。
本当に、人は見かけによりません。

同じお客様ではあるけれど、「おいっ!」と注文が横柄な方もいますし、
「オレは客だぞ!」という方も実際におります。

同じお客様ならば、トモカズのようなお客様に「おまけ」したいと思うのは当たり前でしょう。
わずか一品ではあるけれど「これ、食べなよ。」とおまけするくらいの気持ちの差は出ますよね。
それは、差別じゃなくて、あくまでも自分の心粋だもん。
単なる「おまけ」ですけどね、おまけ。

遠い昔、ワタルに頼まれて1年間だけ在籍していた軟式チームの現監督を務めていて、
来年こそ今年実現しなかったOB戦を企画しているそうです。
自分も声がかかれば審判をしに行くつもりです。

息子が高校を卒業して「もしもどこかで軟式をやりたくなったらウチのチームで獲りにいきます!」
と笑いながら話していました。

そんな日が来るといいですけどね。
でもその前に、まずはグリーン戦士として死に物狂いで頑張らなければ、ですよ。

ヒマでしたけど、心が温かくなった、そんな夜でした。

11月も今日で終わりです。
そして、おかげさまで今日は予約で満席です。

終わりよければすべてよし。
今月もありがとうございました 。









 
毎度ありがとうございます!

昨日の山形新聞に気になる記事が載っていました。

「やきとり課」頑張ります、の見出しも大きく、寒河江市職員有志らが「寒河江やきとり課」を
立ち上げ、
地元焼き鳥店でつくる「寒河江やきとり会」とも交流を深めながら、プロモーションの方法や
新メニュー開発などのアイデア創出につなげていく考え、だそうです。

26日には主要メンバーと寒河江やきとり会の店主らが「やきとり7大都市」の埼玉県東松山市
などを訪れ、現地関係者と情報交換会などを通じ、新メニューのヒントや行政支援の在り方について
多くを学んだ、と。

以前にもブログで書きましたが、ちょうど3年前の2015年11月に自分が言いだしっぺとなって、
庄内一円45店舗のやきとり店が名を連ねる庄内ミート親和会加盟の焼き鳥店の店主数名と
庄内ミート社長・常務らと一緒に東松山を視察したことがあります。

当時から自分自身の中に、庄内一円のやきとり店の発展と新メニュー開発、
町おこし的な庄内のやきとり文化の発信とPRプロモーション活動という発想は、
随分と昔から持っていましたし、実際にプレゼンテーションを行ったこともあります。

しかしながら、実際には自分一人の熱意では出来ることは限られていて、「ふーん」と
話しは聞いてはくれるものの、大きなうねりを生むことはできませんでした。

45店舗も加盟するやきとり店の団体があるにもかかわらず、横並びでの交流はなく、
もちろんみんなで新しく何かに取り組もうなどという発想も思考もなく、閉鎖的で保守的な
店主たちが加盟している単なる一団体にしかすぎません。

東北でもトップクラスの規模で稼動している庄内食肉公社のお膝元で、全国のどの地域よりも
新鮮でフレッシュな豚の内臓が流通していることも、大きなアドバンテージになっているはずなのに
自分のお店のことだけ、面倒くさいのはゴメンだわ、という土地柄でもあります。

やきとんを「やきとり」と呼ぶ食文化を持つのは、なにも寒河江市だけに限った話しではなく、
むしろ北海道を含めた東北地方では、それが当たり前の土地も全国には多数あるわけです。
もちろん、ここ鶴岡・庄内も含めて。

東松山出張から丸三年が経ち、寒河江市が「やきとり」を大きく全国に発信していこうという動きは
正直とても羨ましくもあり、逆にその何十倍も、もの凄く悔しい思いで新聞記事を読んでいました。

山形で「やきとり」といえば寒河江市、そんなイメージが定着するのも時間の問題でしょう。

山形市の食肉公社でさばく一日の豚は牛よりも少ない約200頭。
それに対して、庄内の食肉公社は一日1000~最大1200頭。

近県は秋田県や岩手県からも高品質で飼育された豚が各養豚場から持ち込まれ、
精肉・枝肉とに分類されて全国各地に流通されています。

本当に恵まれた環境の中で、我われは「やきとり」を食べているということなんですよね。
でも、だれもその利点というかメリットに気づいていないし、だれも教えてもくれないわけです。

海のない地域の方々に、庄内は日本海があるから魚は旨いよ、とは誰もが言うでしょう。
大山には昔からの酒蔵が多数あって、旨い日本酒がたくさんあるんだよ、と言うでしょう。

全国どこでも食えるラーメンが、今や山形のラーメンだけにとどまらず、庄内のラーメンの
クオリティの高さは、もはや説明する必要もないくらいに全国でも有名になっているのは、
ラーメンEXPOやご当地ラーメン祭りに代表されるような、イベント企画力と各店主の意気込みが
結集した行動力が成した功績だと自分は思っています。

庄内空港はいま「おいしい庄内空港」と呼称されています。

「おいしい庄内」という言葉に、庄内のお米、庄内の魚介類、庄内の日本酒、そしてラーメン、
他にもだだちゃ豆や柿・メロンなどの果物まで連想できても、やきとりをイメージする人は皆無でしょう。

2月の大山新酒まつりは寒いので「煮込みEXPO」をとなりの駐車場で開催してみたり、
天神祭りや寒だら祭りに親和会みんなで半被でも着て1ブースやきとり出店してみるとか、
イベント用に豪快に食べるスペアリブの商品化をみんなで考えてみるだとか・・・

実行できるかどうかは別問題として、アイデアは無限に出てきますけどね。

昨日の新聞を見ながら、何年も前からイメージしていたことが他の地域で動き始め、おそらく
これからどんどん「寒河江やきとり」という言葉をメディアや口コミで聞かされるであろう
今後の山形県のやきとり業界の未来に、悔しさとため息とを隠さずにはいられませんでした。

なにかやりましょうよ!
鶴岡のやきとり店の店主のみなさん!

自信を持って、誇りを持って。

なーんて、今さら遅いか。
なんとも悲しいかぎりですなぁ。。。




 
毎度ありがとうございます!

日に日に寒さが増してきて、いつ雪が降ってもおかしくない日々が続いています。
先日の日曜日も、おばあちゃんの車も含めて3台分のタイヤ交換をやりました。

いい機会なんで、息子にもタイヤ交換を手伝わせながら手順を教えたら、
「次、オレやりたい。」なんて言うんで、途中からやらせてみたんですよね。

さすがに男子というか、最初の2本とカミさんの車とおばあちゃんの車2台分を
すべて息子が交換してくれました。

こんなにも軍手が綺麗なまま、タイヤ交換が終わったのは初めてのことです(笑

少しづつですけど、こうやって男の仕事を覚えてくれて「オレがやるよ。」なんて言ってくれると
やっぱり嬉しいもんですよね、父親としては。

自分もタイヤ交換はさすがに免許を取るまでやったことはなかったですけど、
家の仕事の手伝いは、随分とやらされていました。

ウチは家畜商で小屋に牛がいましたから、牛へのエサやりや、フンの回収や、藁敷きとか、
お手伝いというレベルを遥かに超越した過酷な作業を、中学生時代に手伝わされたものです。

臭い汚いなんて言ってられないんですよ。
ていうか、臭い汚いと口にしたことは一度もなかったですけどね。
それが我が家の仕事だと思っていたし、それが親父の仕事だと思ってましたから。

そのせいか、大学生になって車を自由に乗れるようになってからは、親父に何かと用事を
頼まれることが多くなって、二人で一緒に車で出掛けるシーンが多かったんですよね。

〇〇を買ってきてくれ、じゃなくて「〇〇を買いに行くから乗せていけ。」と頼むんですよ。

交差点に差し掛かると聞いてもないのに「左オーライ。」なんて教えてくれたりして、
親父なりに自分の運転を気にかけてくれていたんだと思います。

口うるさいおふくろとは違って、一度も「勉強しろ。」と言われたことはありません。
小学生から大学生まで、ただの一度も言われませんでした。

そのおかげで、恐ろしいくらいに勉強は出来ませんでしたけど、ここまで生きてきて
困ったことも一度もありませんでした。

特別に何かを親父に教わった記憶もないんですけど、人望があって、たくさんの人に頼られ、
嫌な顔もせずいろんな役を引き受けてリーダーシップを発揮してきた親父の背中だけは
子供のころから見てきたつもりです。

今、この歳になって、自分自身の置かれている環境や状況を見てみると、自分も誰かの後ろに
ついて行くよりも、自分が先頭になって歩いていくタイプの人間だろうと思っています。

それが成功するか否か、良いか悪いかは別問題としてですよ。
あくまでもタイプとして自己分析したら、の話しです。

そういう意味では、息子はどうなんでしょうかね。
先頭に立ってみんなを引っ張っていったり、何かを創造したり、自分自身の人生を
自分の手で切り開いていく強さや逞しさを持っているんでしょうか。

人数の少ないスポ少や部活で、たかだかキャプテンをやった程度のリーダーシップではなく、
何かを成し遂げるような意志の強さと実行力、行動力のことです。

もちろん、息子は自分とは別人格を持って生きているわけですから、
自分と同じ性格であるはずがないんですけどね。

「タイヤ交換っておもしれー!」と全部やってくれた頼もしい息子の背中に、
どんな大人になり、これからどんな将来が待っているのかを想像して眺めていました。

人に好かれ、人が集まる、そんな大人になってくれたらなぁ、などと勝手に思ってたりして。
 
勉強ができなくていいというわけではなくて、できなくても他のことでリカバリーできるというか、
人生には、人の生き方にはバランスというものがある、ということなんですよね。
 
試験で決まる公務員にはなれないでしょうけど、公務員が幸せとは限りませんしね。
勉強ができても、挨拶ができなかったり感謝の気持ちが持てないヤツは終わってるでしょう。

学生として、ならば勉強が出来るに越したことはないけれど、
人として、ならば勉強よりも大切なことがたくさんあります。

要は、それに気づくか、そこを理解できているか、だと思うんですよね。
そこに気づかなければ、ただのバカで終わりです。
 
勉強は出来なくても、本だけは読んで欲しいと思っています。
それはマンガから入ってもいいんです。

本から得る知識は、学校の授業では教えてくれない豊富な情報と見識を与えてくれるものだからです。

明日から学力テストだそうです。
自分は親父みたいに寡黙ではないので「お前、明日大丈夫なのか?」と聞いてしまいます(笑
あの成績で「大丈夫。」と言われても困るんですけど、今さら期待もしていません。

人間、誰しも得意不得意がありますからね。

「今日は徹夜で勉強する!」などとほざいている息子の戯言を「へー」と聞き流し、
これから風呂に入って、先日録画した「細かすぎて伝わらないものまね」を観てから寝ます。

それではみなさま、おやすみなさい。
 


毎度ありがとうございます!

先週の日曜日の出来事です。

埼玉で働く娘が、急な5連休をもらったという理由で帰省していて、帰りは新幹線に乗る
新潟駅まで車で送って行ったんですよね。

車中とはいえ少しでも家族で一緒に過ごせますし、ちょっとした悪天候ですぐに運休になる
「特急いなほ」に、直前になってバタバタしたくないというのもありまして。

今回は、カミさんのリクエストで「万代バスセンター」の黄色いカレーをみんなで堪能し、
無事に新幹線乗り場で娘を見送って、イオンモール三川よりも数倍大きいイオンモール新潟南で
買い物を満喫して、晴天の秋晴れのなか一路鶴岡に向かって車を走らせていました。

途中、カミさんと運転を交代して「急いでいないんだから安全運転でいいからね。」と
声をかけてリアシートで少しくつろいでいた時です。

制限速度よりも特別遅く走っているわけでもないのに、ピッタリ後にくっついてきて、
なんていうか後ろが気になって走りづらい時ってありますよね。

その時も、一台のバイクが後にぴったりとくっついてきて、国道7号線の追い越し禁止車線にも
お構いなく一気にブヮーンと追い越して行ったんですよね。

そんな時って、みなさんどう思ってハンドル握ってます?

「あーあ、追い越し禁止なのにあんなに飛ばして・・・バカじゃないの。」くらいは思いませんか。

そして性格のひねくれてる自分は、もの凄い勢いで抜いていくバイクの背中を見ながら、
「ケッ、あんなの事故ればいいのに。」くらい心の中で呟いてしまうわけですよ。

そしてその数分後。
新潟との県境の交差点で赤信号で停まったら、左側にあの追い越したバイクが倒れていて、
その先の草むらに起き上がれないでもがいているライダーの姿が見えたんです。

「そこ左に曲がったところで、オレを降ろして!」
「えっ、えっ」
「あのバイク、事故ったかも。助けてくるわ。」

慌てて車から飛び出してライダーのところに向かうと、右折レーンの先頭にいたバスの運転手も
青信号なのに乗客をそのままにして運転席から飛び降りてきたんです。

「大丈夫?怪我してない?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「手貸すから起き上がれる?」
「あ、スイマセン。」

手を差し伸べて草むらから引っ張り上げると、幸いにもライダーは無傷のようです。
よく見ると年は50歳くらいのおっさんライダー。

「どうしたの?」
「飛ばしすぎて、信号で停まれんかった・・・」
「ずいぶんと飛ばしてたもんなぁ。あんまり無茶しないほうがいいよ。」
「そうですね。もう若くないしね。」

トンネルを出てすぐの交差点だったせいか、信号に気づくのが遅れたんでしょうか。
制御不能になったバイクはそのまま左の路肩へ突っ込んで、ライダーが投げ出されたようです。

奇跡的にも一緒に草むらに転倒していたバイクも無傷?なようで、一発でエンジンがかかって
何事もなかったかのようにバイクはそのまま北上して行ったのでした。

でも、バイク自体も大丈夫だったんだろうか。
ブレーキとか、クラッチとか、もっとちゃんと点検確認してから再出発したほうが
よかったと思うんだけどなぁ。

そういう、せっかちというか焦りやすいというか、あわてん坊な性格が、
バイクの運転にそのまま出ている気がしますよね。

少し行った先で、ブレーキが利かずまた事故ってたりして、って本気で思いましたもん。

まぁ、追い越された直後は「事故ればいいのに。」なんて心の中で呟いていたものが
まさか本当に事故っているなんて思ってもいなかったんでマジあせりましたけど、
大きな事故にならずに一応はよかったんですけどね。

青信号の先頭で運転手が飛び降りたバスの後方にはすでに渋滞が出来上がり、国道は
ちょっとしたパニックになってましたけど、人命優先の行動をとった運転手にも頭が下がります。

仕事であれ、ツーリングであれ、ドライブであれ、そんなに急いでどうすんの。
自爆は仕方ないにしても、これが対向車線だったらと思うとゾッとしますよね。

これからは自分も、追い越された際には「事故ればいいのに。」なんて思わずに
「気をつけないと、この先で事故るから飛ばすなよ。」くらいにしておきます。

そんな先週の出来事でした。
今週も安全運転でお願いします。

(イメージはこんな感じかな)













毎度ありがとうございます!

明日は祝日ですけど、休まず営業いたします。

開業から15年間使っている路上看板が、いよいよ寿命を迎えようとしています。
閉店後に店内にしまっているとはいえ、雨と雪の影響でフレームが錆でボロボロになりました。

飲食店のことを全く知らないド素人がスタートした商売ですので、今になって思えば
路上看板とか店頭看板とか理想やイメージよりも低予算を優先して、とにかくお金をかけずに
スタートした日のことを思い出します。

壁面看板は、常に風雪にさらされていますので、今の看板が3代目になります。
大きさや文字の配列、照明の色や角度も開業当時のものとは全く変わっています。

そういえば外壁の色も、うぐいす色でスタートして桜色になり今は黒に変わっていますしね。

お店の歴史というか、外観やメニューなども含めて少しづつ変化してきた中で、
路上看板だけは開業以来ずっと変わらず使ってきた思い入れのあるアイテムでもあったわけです。

次は路上看板にはせず、出し入れしなくてもいいように正面に電灯看板を作ろうと思っています。
それも、今の路上看板のアクリル板を抜き取って、新しいやんちゃの顔としても
引き続き活躍してもらおうと思っています。

雪が降る前には作りたいんですけど、大工のタカヒロのスケジュール次第ですかね。

ただ、看板の右下に銘酒「大山」のロゴが入ってるんですけど、
今は当店では取り扱いがないため、そのロゴは外したいところなんですよね。

路上看板をめぐっては、当時の酒屋さんとも一悶着ありましたし、
その後もいろんな騒動に発展したんですけど、これまでの歴史の中で
いろいろあった、ここでは書けない裏事情ってやつです。
お店では全部話せますけどね(笑

これから、買出しに出掛けます。
今日も一日頑張っていきましょう!!



 
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