"その他"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
おでん家のオープンが近づき、なんだかいろいろとやることや手配することが多くなってきて、
自分が開業するわけでもないのに、なぜか緊張してきている気がします。
昨日は荘内神社から神主さんをお招きして、商売繁盛と安全祈願を合わせて御祈祷して頂きました。
あとは、肝心のおでんの味だけですかね。
昨日、初めて出汁を味見させてもらいましたけど、若干薄い気がします。
丁寧に出汁を取ってますので良く言えば「お上品な味」、厳しく言えば「少し物足りない味」です。
味覚は個人差があります。
もちろん濃口の人や薄口の人もいますので、一概に自分の舌が正解というわけではありませんが、
お酒のアテとしてのおでんなら、もう少し味が濃くてもいいと思いました。
ただ、おでんの難しいところは時間の経過とともにその表情が変わっていくこと。
少しづつ蒸発していくおでん鍋のツユに、どの濃度の出汁を注ぎ足していくのかが
一番の難しいところなんですよね。
家で食うおでんなら目の前の鍋に作った一回分の味を完成させれば、それでいいわけです。
でも、商売のおでんとなると、常に四角いおでん鍋に具を充填しながら、いつ売れてもいいように
具材の味の滲み具合とツユの濃さと旨さを安定させておかなくてはなりません。
足していった先のツユの変化が怖くて、今の味が少し薄くなっているのかなと感じました。
ツユの色が濃くなっていくのは気にする必要はありません。
お客様にお出しする「今」を100%で出さないといけないのは分かっているんでしょうけどね。
自分にも、コンビニとは云え7年間毎日毎日おでんを仕込んで触ってきたという経験もあります。
おでんを扱う難しさも多少は分かっているつもりです。
姉は、不安と緊張で寝れていないと言っていました。
それは当たり前なんです。
自分もそうでした。
煮込みの味がわからなくなって、レシピのノートもぐちゃぐちゃになってしまって、
自分では寝たつもりだったのに、夜中の2時に思いついたように突然バッと目が覚めて、
そのまま煮込みを作りながら台所のテーブルで何度寝てしまったことか。
それでも、実際に目の前でお客さんに「美味しい!」と言ってもらえるまで、
これっぽっちも自信なんてなかったし、今でも正直迷うこともありますし。
限られた原価の中で、美味しさと効率性とのバランスを図りながら「安くて美味しい!」と
お客様に喜んでもらえる一品を作るのは至難の業なんだと思うんですよね。
素人の作るおでんや煮込みやラーメンは「原価率」なんて関係ないんだから。
たまの休日にお父さんの作るラーメンの原価を聞いてみてくださいよ。
絶対に商売にはなりませんからね(笑
今は「生みの苦しみ」というやつです。
そして商売には「持続の苦しみ」というのもあります。
その「持続の苦しみ」が「継続の楽しみ」に変わるのは、やっぱりお客様の喜んでくれる笑顔と
みなさまからの「美味しい!」の一言なんだと思います。
今はただ「頑張れ!」としか声をかけてあげることしかできません。
やんちゃに来てくださるお客様はみなさん良い方ばかりですし、そんなたどたどしい姉のことも
どこか楽しみに見守りながら可愛がっていただける方々ばかりだと思っています。
遠慮なく「やんちゃから聞いておでんを食べに来ました!」と声をかけてやってください。
その方がきっと姉もホッとするはずですから。
そして是非とも感想を聞かせてください。
食べログやSNSとかで辛口採点するよりも、みなさまの言葉で育ててあげてほしいと思います。
オープンは4月23日(金)17時~です。
どうぞ宜しくお願いいたします。
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毎度ありがとうございます!
最近の我が家では「おでんは、ご飯のおかずになるか否か」論争が起きていまして、
自分は「なる」派、カミさんは「ならない」派なんですよ。
みなさんはどうですか。
おでんでごはんは食べられますか?
自分は食に対しては、あまり偏見を持たずに何でも食べるほうですから、
お好み焼きでごはんも食べれるでしょう。(実際に食べたことはないけど)
たこ焼きは、マヨがあるならギリギリいけると思います。
ただ、納豆は食べるけど、ごはんにはかけない派です。
卵かけごはんも食べれるけど、その食べ方が好きじゃないんです。
ごはんの上に何かを乗せて「かっこむ」のが好きじゃないんですよ。
白いごはんは、白いまま食べたいんですよね。
かつ丼も牛丼もちゃんと好きですけど、理想をいうなら「カツ煮定食」のほうが好き。
海鮮丼もよく食べるけど、理想をいうなら「刺身定食」が好きなわけです。
なので、ふりかけをかけたり、たらこをアツアツごはんに乗せて…なんてことはないです。
嫌いなわけでも、食べられないわけじゃないですからね。
イクラ丼はもちろんイクラ丼で食べますし、うな重も死ぬほど大好きですので、
ご馳走してくれるという方は遠慮なく誘ってください(笑
あ、そうそう「おでん」の話しでした。
好きなネタ5品を選べと言われれば、大根・がんも・玉子・ごぼう・トマトですかね。
二周目に、ちくわ・しらたき・さつま揚げ・昆布・牛すじあたりかな。
はんぺん・ちくわぶ・こんにゃく・じゃがいもは自らはチョイスしないかも。
変わりダネで、手羽元とかウインナーがあれば注文してしまうでしょうね。
なんだか、無性に腹がへってきました(笑
「おでん家でん」のメニューは、なにがあるのかは自分もまだ知りません。
酒場好きの一人として、おでん家のオープンを自分も楽しみにしています。
山形に猛烈に広まりをみせるコロナ感染拡大のスピードが怖いですけど、
なんとか無事に船出してほしいと心の底から願っています。
おでんで一杯・・・たまらんですなぁ。
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毎度ありがとうございます!
「臆病者」
知っているのに 誰も声を上げない
聞いているのに 誰も動かない
感じている違和感を表に出すこともなく
何かに怯え 何かに忖度し ただ時が流れるのを待つだけ
そして自分も そんな大人のひとりだということに腹が立つ
集団心理や事なかれ主義というのは怖いもので、間違っていることを間違っていると
どれだけの人が声を上げて発することができるのでしょうか。
偉そうに意見しても、その言葉が自分に跳ね返ってくることもあります。
目上の人には意見をせず、白いものでも黒だと言われれば黒だと答えることを良しとする
日本人特有の忖度や気遣いというものが鬱陶しいと感じることがあるんですよね。
この世に「白いカラス」はいませんよ。
自分にできること、自分が変えれることは小さなことかもしれないけれど、
それは小さすぎて目には見えないことかもしれないけれど、それは誰かのためじゃなく
これからの自分のために、自分の人生を後悔しないためにアクションするだけです。
なんのこっちゃ分からない内容ですいません。
忘れないために記したメモみたいなもんです。
そんな日もあります。お許しを。
本当は「白いカラス」は臆病者の自分自身の心の中にいるのかもしれませんね。
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毎度ありがとうございます!
以前にブログで告知していた「おでん屋」オープンの件ですが、
ようやく詳細が決まりましたので、ご報告いたします。
【おでん家 でん】
鶴岡市睦町6-14 (旧ビデオセンター隣)
カウンター6席 小上がり4名
オープン予定日は4月23日(金)17時から
昨年、定年退職となった自分の姉が一人で切り盛りする、小さな小さなおでん屋です。
飲食店未経験のどどど素人がイチから始めるお店ですので、不便なことや至らないところ満載の
お店になると思います。
このコロナ禍のなか、誰しもが新規の飲食店開業を心配するのは当たり前のことでしょう。
それでも昔から「自分のお店を持つこと」を夢見て、仙台~天童と保険の仕事で頑張ってきた姉です。
借り入れせずに僅かな退職金を元手に「第二の人生は夢だったお店をやりたい。」という姉の言葉を
反対する理由はどこにもありませんでした。
自分もやんちゃを始める時に、みんなが反対するなかで姉だけは賛成してくれてましたから。
お店の看板のロゴ作成や自分にできることは全て協力しましたけど、エアコンや給湯器なども
そのまま使えたのは、小資本でスタートする姉にとっては本当にラッキーだったと思います。
以前はやきとり屋の店舗でしたからカウンターの椅子も6脚全てそのまま使えますし、
冷蔵庫も食器棚もブラウン管テレビも全部知り合いからの貰いものだそうです。
肝心のおでんが美味しいか美味しくないのかは、まだわかりません。
オープン直前に身内らに振る舞う日があるそうなんで、その日まで楽しみにしています。
やんちゃのお客様からも、随分とおでん屋についてのお言葉を頂いていました。
みなさん口々に「おでん屋さん出来るの楽しみだわ~」とか「オープンしたら絶対に行きます。」とか
想像した以上に「おでん屋」への反応が良く、なんとか無事に船出はできそうですけどね。
商売はスタートよりも「継続」が大事ですから。
オープンから1か月くらいは息子のユウヒがサポートでおでん屋に入ります。
姉本人は生ビールも置きたいとか言ってますけど、最初は大変だと思いますけどね。
一応、開店は17時からで閉店時間はまだ未定です。
おそらく10時くらいまで、でしょうか。
定休日も日曜日とは決めたようですけど、祝日の営業は決まっていないようです。
そういう諸々のことも含めて、自分でやりながら決めていけばいいんです。
自分としては、やんちゃ閉店後に寄れればいいんですけど、おそらく時間的に無理でしょうね。
馴染みのお客さんたちと一緒に行くのは、まだ先のことになるでしょう。
まだまだ危なっかしく心配事は尽きませんけど「おでん屋」なんですから、
カウンターの中に椅子でも座って、のんびりゆっくりやってほしいと思っています。
あとは、山形県全域に緊急事態宣言だのマンボウだのが発令されないことを祈るばかりです。
機会があれば、是非お立ち寄りください。
よろしくお願いいたします。
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毎度ありがとうございます!
息子が昨日から合宿のため、今日から10日間は4時半に起きる必要がありません。
それでも今朝は5時で起きてしまいました(笑
もう生活リズムが完全にオッサンです。
ここ数日間は新しく「おでん屋」を開業する自分の姉からの依頼で、看板のロゴを作ったり、
塗装屋さんや看板屋さんや酒屋さんとの打ち合わせに忙しくしておりました。
店名や場所やオープン日程などの詳細は4月に入ってからご報告できるかと思います。
いろいろとしがらみもあって、不特定多数の見るこのブログではまだ公表できない事情もあるので、
詳細の気になる方はお店でこっそりお教えいたします(笑
やんちゃよりも小さなお店で、素人がイチからスタートする手作りなお店です。
このコロナ禍の中で、素人が始める新たな商売が成り立つのか、という不安は当然ありますけど、
自分はそれなりに需要はあると思っています。
もちろん本人の努力とセンスは必要ですけどね。
背伸びせずに「身の丈」でやればいいと思うんです。
自分もお客さんとして「おでん屋」で一杯やりたいですもん。
お店がオープンしたら、是非一緒にお付き合いください。
あ、でもそんな時間まではやっていないのかも(困
というわけで、今週も始まります。
いつもの一週間を穏やかに、そしてまた忙しく過ごせますように。
今日も頑張ります!
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毎度ありがとうございます!
今日は、先日ちょっとだけ匂わせたおでん屋の話でも書こうかと思ったんですけど、
あまりにもムカついて、どうしても書きたいネタがありまして。
昨夜帰宅してヤフーニューズを読んでいたら、毎日新聞の記事が載っていました。
横浜市の一部の市立小学校で、東日本大震災から10年となった3月11日の給食の献立として卒業などを祝う赤飯が予定され、学校関係者から不適切との声を受けて直前に差し替えられていたことが判明した。市教委の担当者は取材に事実関係を認め「配慮が足りなかった」と話した。市教委健康教育課によると、11日に赤飯が予定されていたのは市内約340校のうち戸塚、瀬谷、保土ケ谷、泉の各区と南区の一部にある計89校。赤飯は例年、卒業や進級を祝うために年度末に献立になる。今年も数日間に分けて市内全校で提供する予定だった。 数日前に、複数の学校の関係者から「どうなのか」と疑問の声が市教委に寄せられた。急きょ食材の納入業者などと調整し、別の日の献立と差し替えた。該当の学校の児童や保護者には10日に理由を含め説明したという。 献立は市教委の担当者らが年間予定を組む。秋に見直しをする機会もあるが、今回は直前まで11日の献立が赤飯ということは問題視されなかった。同課は「市として十分な配慮ができなかった」としている。
どう思いますか、これ。
340校のうちの89もの学校で卒業や進級を祝う給食の赤飯が、3月11日を理由に差し替えになるって、
どう考えても異常だと思いませんか。
それも東北から遠く離れた横浜の小学校で。
東日本大震災で甚大な被害を被った方々を想う気持ちはとても大切なことだと思うけれど、
だったら阪神淡路大震災や熊本地震、ほかにもたくさんの自然災害や天災が起きた日はどうすんの。
毎日が誰かの命日でもあるわけで、そのことと子どもたちが給食で赤飯を食べることのどこが
「不適切」で「配慮が足りない」ことになるんだって話しなんですよ。
そんなことまでして、実際に家族を亡くされたご遺族の方々は喜びますかね。
天国にいる方々は、子どもたちが健やかに元気に育ち、その節目を祝う赤飯を食う姿を見て
怒るとでも思ってるんでしょうか。
このクレームをつけた複数の学校関係者の方々は、普段どんな生活をしてるんですかね。
普段の生活のなかの何気ない会話の中で出る「笑顔」や、美味しいものを食べて「楽しい」とか
そういう感情を「何かの日」に置き換えて、その感情を押し殺して生活してるとでもいうんですか。
どうしても3.11だというなら「いただきます」の前に黙とうすることだってできる。
今の自分たちと同じ年頃の子どもたちがたくさん被害にあったことをしっかりと学びながら、
普段の何気ない生活を大切に感謝していきましょう、って教えるのが教育じゃないんですか。
そのことと、卒業・進級おめでとう!の赤飯となんの関係があるんですかね。
横浜で3月11日に生まれた子どもを持つ親御さんは大変ですよ。
お祝いのケーキを買うのにもコソコソ買わなくちゃならなくなっちゃう。
何でもかんでも不謹慎だの不適切だの、過剰に反応しすぎなんですよ。
特に、教育現場にはとんでもない思想や発想を持つ方々がたくさんいますからね。
命あるものが「今を生きる」ってどういうことですか。
今回の話しとは少しズレますけど、亡くなられた方の「意思」とか「遺言」とか
「言い残した言葉」とかってあるじゃないですか。
もしもですよ、もしもその故人からの言葉や遺言が、残された者の負担になるようなことならば、
そんなものに縛られて生きていく必要は全くないと自分は思っています。
生きていくということは答えは一つでは決してないし、想定外のことも人生にはたくさん起こるから。
社長やってた親の遺言で「会社のことはお前に任せた。」と言われても、会社経営に興味のない
息子にとっては苦痛なだけでしょう。
「オレが先に死んだら再婚はせずに、オレへの愛を貫いてほしい。」なんて言われても、
好きな人ができたなら、その感情を押し殺す必要もないでしょうよ。
今を生きる人にとって、自分らしく幸せになるために負担になるような言葉を残されたとしても、
そんなものに縛られて、狭い場所で息苦しく生きていく必要は全くありません。
たとえ聞かされたとしても、そのことを反故にしたからといって、どうなるというんですか。
お化けでも出るというんですか。
天国にいるものたちは、いつまでも悲しみ涙し塞ぎ込んでいる姿よりも、
その後を明るく活き活きと楽しく、そして逞しく生きる姿を見たいはずです。
人生の中で出会い、少なからずとも影響や刺激を受けて、その時間を一緒に過ごした現実は
決して変わるものでもないし、自分の心の中に思い出としてそっとしまっておけばいいんです。
悲しみの深さや、立ち上がるまでの時間は人それぞれです。
周りがどうこういう事じゃない。
横浜の子どもたちには、赤飯をモリモリ食って元気に育ってほしいと思うし、
これからも食べることの「楽しさ」や、食材の「有り難さ」を学んでほしいと思います。
あまりにムカついて、今朝はコーヒーを一杯も飲まずに一気に書き上げました。
これからコーヒーを淹れて、少し落ち着きます(笑
ではまた。