"家族"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
日曜日の審判2連チャンの疲れからなのか、ぎっくり腰やっちゃいました。
棚の下にあるフライパンを変な体勢で取ろうとして、ピキッ!って一発終了です。
その場に崩れ落ちましたもんね。
歳のせいにはしたくないけれど、本当に情けないですねー。
まぁ腰痛はもう20代の頃からですから、完全なる持病なんですけど、
久しぶりに、ここまで抜けました。
階段も四つんばいじゃないと上がれませんし、寝返りも出来ません。
それでもコルセットをガッチリ巻いて、なんとか焼き場には立っています。
焼くのはいいんですよ、仕込みがツライんです。
常に下を向きながら3時間くらいは仕込みしますんで、その頭を支えている背骨から腰に
ズドーンと激痛が走ります。
ロキソニンでは誤魔化せなかったんで、昨日は坐薬を入れて痛みを取り除きました。
尿管結石で血尿が出た際に、お守り代わりにもらっていた坐薬は常に常備しているんですね。
やっぱり、痛み止めには座薬が一番効きます。
今日これから、鍼打ってきます。
週末は、高校野球の県大会準決勝・決勝があります。
もちろん応援には行く予定ですけど、あの攻撃時の毎回立って応援っていうのが腰にツライ。
今回はこの腰ですし、保護者とは離れてOB席で座りながら観戦しようかな。
そして、今朝はカミさんが当直のために、朝早く起きて息子の弁当作りからスタートです。
週末ともなれば、朝4時起きしてカミさんが弁当を作るために早起きしてるんですけど、
そのカミさんを起こすのが自分の役目になってます(笑
ていうか、何時起きだろうと、家族で一番最初に自分が起きます。
朝食を食べさせ「行ってらっしゃい!」と送り出すまで、一緒の時間を過ごしてます。
カミさんや息子が朝早くから起きているのに自分だけ寝てる、なんてことは絶対にありません。
たとえ2時に寝て4時に起きる、だとしても絶対に自分が最初に起きてしまうんですよね。
自分はコーヒーを飲んで、のんびりしてるだけですけど。
夜の仕事をしている自分にとって、朝は唯一の家族の時間です。
なんだかんだと細かく話すシーンもないけれど、家族全員が顔を揃えれるのは朝だけですから。
「おはよう。」のトーンで大体の調子や疲れ具合も分かりますしね。
カミさんと息子に「行ってらっしゃい!頑張ってな。」と声をかけるのが毎日の日課です。
食べた朝食の洗い物をしてから、ブログを書いたりカールの散歩に出掛けたりします。
もちろんお店の買出しも午前中に済ませますし、酒田に日本酒を仕入れに行くのも午前中です。
昼食は11時ですかね。
そして必ず1~2時間は寝ます。
ソファーで昼寝ではなく、しっかりとベットに入ってちゃんと寝るようにしています。
そして肉を仕入れて仕込みへと、そんな毎日の繰り返しですよ。
今日は、息子の部屋にエアコン取り付けの予定ですかね。
高校生になって、教科書を全部学校に置いてくるようになってから、部屋が綺麗という(笑
そんな自分の木曜日です。
それぞれの日常を精一杯、そして穏やかに過ごせますように。
行ってらっしゃい!
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毎度ありがとうございます!
あたかかくなってきて煮込みの注文率が低くなってきたので、
ゴールデンウィーク明けから煮込みを作っていません。
いつもは5月いっぱいとか、6月中旬頃までは販売しているんですけど、
少し気温とにらめっこしながら、日々作るかどうかを決めます。
煮込みがなくても「ミミのごぼう煮」があったりしますので、
汁物や温かいものがご希望のかたは是非ご注文くださいませ。
煮込みを作らないということは、朝から時間が取れるということでもあって、
連日のブログ更新となります。
今日は「一人旅」の話しでも。
あれは確か小学4年生か5年生だったと思います。
9歳離れた兄貴がすでに山形市で銀行員として働いていて、鶴岡駅から電車に乗って山形駅まで
一人旅したのが初めてでした。
その当時、山形まで電車で行くには陸羽西線のどこかで乗換えがあった気がします。
余目だったかな、新庄だったかも。
リュックサックひとつ背負って切符を握り締め、緊張しながらもワクワクしながら
電車の窓から流れる景色を眺めていた記憶も、しっかりと残っています。
「なにか分からないことがあったら、駅員さんや周りの大人に聞け。」
おふくろからの注意事項は、ただそれだけ。
今思えば、よく子供一人で送り出したと思いますよ。
山形駅に無事に着いて、迎えに来てくれた兄貴の顔を見て安心したというか、
ホッとしたというか、泣きたくなるくらいになんとも嬉しかったものです。
車は日産サニーで、カーコンポからはサザンオールスターズの「いとしのエリー」が流れていました。
小白川にあった銀行の独身寮に着くと、部屋の中は資生堂タクティクスのいい匂いがして
大人として社会人として生活していた兄貴の姿をカッコいいと憧れていましたもんね。
その日の夕方に、シネマ旭で「スーパーマン」を観ました。
おそらく初めて観た洋画でしたけど、子供ながらも純粋に面白かったですねー。
スクリーンに広がる壮大なスケール感と迫力の大音量、今でも鮮明に覚えています。
映画を観終わって洋食屋で牛タンシチューなるものを食べたのも、この時が初めてでした。
カレーでもハヤシライスでもない、中に肉の塊がゴロゴロ入っている茶色い料理・・・
そしてこれがハンパなく美味しいじゃないですか!
6畳一間の部屋に帰ってきて、ベットの方に自分を寝かせてくれました。
ベットに寝るなんていうのも、実はこの時が初めてだったかも(笑
翌日には、兄貴の彼女らしいお姉さんと一緒に大沼デパートに行って買い物をした記憶があります。
名前も顔も覚えていないけれど、看護婦っていうのはなぜかしら覚えているという(笑
駅に送ってもらう直前に、寮に250ccのホンダのバイクが納車されて
「母ちゃんにはバイク買ったって言うなよ。」と口止めされたのも 覚えています。
サザン、タクティクス、映画、牛タンシチュー、ベット、バイク・・・
そのすべてがカッコよく大人をイメージするものでしたね。
蔵王にスキーに連れていってくれたのもそうですし、大人になってからは
兄貴がやっているからとゴルフも始めました。
野球を始めたのも、アイビーファッションにはまったのも、
今の自分を形成するにあたって、親以上に兄貴に影響を受けたことに
違いはありません。
おふくろが亡くなるずっと前に、あの時の山形一人旅のことを聞いてみたら、
兄貴が「山形まで一人で電車に乗せて来させろ。何でも経験だから。」と
言ったんだそうです。
ありがたいものですね。
なぜかふと、そんな事を思い出した金曜日の朝でした。
さて、週末に向けてラストスパートです。
それぞれの思い出を胸に今日も一日頑張っていきましょう!!
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毎度ありがとうございます!
昨日は息子の入学式でした。
いよいよこの日が来たな、っていう感じでしょうか。
ここからは本人の頑張りと意地との勝負です。
心も身体も逞しい大人になるために、根性の三年間がスタートしました。
今後は息子のことをブログに書く機会も減るでしょうね。
まさに「陰ながら」に徹したいと思っています。
ということで、今日は娘の車の件でなんでだろう思ったことを書いてみようかと思います。
車そのものにはなんら不満がなかったんですけど、唯一デジタルTVだけがワンセグしか
映らなかったんですよね。
しかも映っているTVもブラウン管サイズで、粗い画質で両端は黒の余白で出ている始末。
こっちから中古のナビを送ってやったんで、故障なのか配線ミスなのかがわかりません。
電装屋が取り付けたのか、販売店の方が取り付けたのかは分からないんですけど、
納車前の電話のやり取りのなかで「デジタルTVチューナーが外付けタイプの古いモデルでしたので
フルセグの電波を拾いにくく、映りはあまり良くないですね。」とは聞かされていたんですよ。
ただ、そのパナソニックのストラーダは、今も自分とカミさんの車に付けているモデルですし、
同じようにデジタルチューナーは外付けのタイプなんですけど、山形の田舎でも普通に問題なく
フルセグが映っています。
フィルムアンテナも2本のタイプですから、その仕様も全く同じモデルです。
なのに埼玉でフルセグが全く映らないというのが不思議なんですね。
パックカメラ取り付けと合わせて3万以上の工賃を出していながら、この状態というのは
正直面白くないところなんですよね。
となると、繋いだ配線のミス(間違い)なのか、アンテナ線や接点などの不良なのか、
それともチューナーの故障なのか、ナビ本体の問題なのか・・・
ちなみにフィルムアンテナは新品を送ってあります。
いつものアダチ先生の見解では、おそらく配線のミスではないかというんですけど、どうでしょう。
TVが全く映らないのではなくて、画質の悪いワンセグ画像だけが映っている状態です。
まぁ娘の運転にはむしろ映らないほうが運転に集中できますし、別に困ることもないんでしょうけど、
一応お金を出して取り付けた以上は、この状態で完成ですでは面白くないわけです。
でも、本当に故障か不具合かもしれませんし、その場では「なるほど。」と答えてきました。
購入した熊谷の車屋さんも個人とはいえ、とても親切でしたし対応も丁寧でしたんで
クレームとか文句とか言うつもりもまったくありません。
本当にいい方でした。
ただ、軽自動車の白ナンバー(ラグビーワールドカップバージョン)を希望したつもりが、
オリンピックのバージョンで交付されていたりして、若干の行き違いというか勘違いというか、
そういうのもあったもんですから、思い込みによる配線のミスの可能性もあるのかなーなんて
思うところもあるわけですよ。
今度、娘のところに行った際に助手席下に取り付けたTVチューナーを確認してきますので、
誰か自分に配線を教えてくださーい(笑
車といえば、我が家のファミリーカーエルグランドの「普通化計画」もようやく最終章。
社外の18インチホイールに履かせていた235/50のタイヤもツルツル坊主で、
買い替えが必要だったんですよね。
純正ホイールが好きな自分は、夏タイヤとホイールの両方を買う予定だったんですけど、
ホイールが綺麗だとタイヤが坊主だったり、タイヤが使えると思うとホイールが傷だらけだったりで、
まともなものを探すとなると4万くらいは普通にしてるんですよね。
さすがに、金がかかりすぎる!ってことで、妥協して18インチのタイヤだけヤフオクで
購入することにしました。
国内メーカーの16年製で4本とも6mm以上のバリ山があって、送料込みの15,000円!!
送料を3000円とすると1本あたり3000円ですから、これ以上ないお得な買い物をしました。
運転席のドアパンチや、助手席側パワースライドとクウォーターパネルの凹みは仕方ありません。
いつも乗る際に気にはなるけど、そこまでは車に金をかけられませんし。
となると、やっぱりデントリペアでしょうかねぇ。。
最初に比べれば、随分と手をかけましたし結構綺麗になりました。
あとは丁寧に安全運転で乗るだけです。
今週も始まりましたね。
また一週間よろしくお願いします。
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毎度ありがとうございます!
寒河江市に住むおばあちゃんの姉「寒河江のおばちゃん」が、91歳の誕生日を迎えました。
まだまだ元気、まだまだ達者なおばあちゃんです。
数年前に兄の「白岩のおじちゃん」が亡くなってしまい、85歳のおばあちゃんと久しぶりの再会に
手を取り合いながら喜んでくれていました。
息子の高校入学も凄く喜んでくれて、何度も「頑張ってなぁ~」と声をかけてくれました。
寒河江市は中山町の県野球場のとなりですし、天童SCも車で15分程度で着きます。
自分が試合に出て頑張る姿を、寒河江のおばちゃんに是非とも球場で見せるんだという、
息子にとって新しい目標ができました。
あとは本人の覚悟と努力でしかありません。
朝方に積もった雪も月山道では圧雪することもなく、終始2WDのまま寒河江まで走破できました。
3500ccV6エンジンのトルクは、2400ccエンジンとは確かに吹け上がりが違います。
登坂車線での追い越しも、ストレスなく一気に駆け上がります。
若い頃に乗っていたフォードのエクスプローラー4000ccエンジンを彷彿させるような、
重低音のサウンドが車好きのハートをくすぐります。
詳しい寸法は比較してないですけど、10系のアルファードよりもE51エルグランドの方が
確実に車内は広く感じます。
セカンドシートに乗ったおばあちゃんも「前のよりも広いねぇ。」と喜んでくれていました。
ただ、オーディオやナビが日産純正ということもあって、使い勝手は悪いです。
古い車であればあるほど、やっぱりナビは社外にしないと話しになりませんわね。
寒河江のおばちゃんに会いに行くと、帰りに外まで出てきたおばちゃんに窓から手を出して、
いつまでも手を離さずに「つぎ会うまで元気でなぁ~」と涙するおばあちゃんとの毎回の光景に、
我が家みんなホッコリしてしまう感動のシーンがあるんですけど、エルグランドの二列目の窓は
開かないうえに、スモークを貼ったもんで外からは全く見えない真っ黒状態なんですよ。
そんなことは分からないおばちゃんは、窓に向かって手を差し伸べてくれてるんですよね。
「おばちゃん!後ろの窓開かないから。ごめんね。」といいながら助手席の窓から、
後ろに座るおばあちゃんと手を握り合っていました。
頼むぜ、日産!そういうとこだぞ!
まぁ、それでも少しづつ使い勝手の悪さを改善しつつ、故障箇所も格安で修理して、
ボディの鉄粉も取り除いたら輝きも戻ってきたおかげで、やっと自分の車という愛着が
湧いてきましたかね。
なかなかいい車ですよ。
昨日は、家族サービスというよりも、おばあちゃん孝行の一日でした。
いい休日を過ごしました。
また一週間が始まります。
今週も頑張っていきましょう!!
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毎度ありがとうございます!
先週の金曜日、息子の中学校の卒業式でした。
月並みですけど、本当にあっという間の三年間でしたね。
毎週末はほぼ野球、野球、野球の日々・・・本当に忙しかったです。
自分自身もこの三年間で、本当にたくさんの経験をし、たくさんのことを学ばせてもらいました。
1年生の頃は、偉大なる先輩たちの活躍を身近で見ながら、全軟東北大会まで経験さてもらいました。
会場となった福島県の夕方のニュースで、頑張る選手達以上にスタンドでメガホンを叩いて盛り上がる
四中保護者の映像が流れたのもいい思い出です。
横浜スタジアムまであと一歩のところでしたけど、中学野球のレベルの高さを肌で感じた
貴重な経験でした。
新チームになり、上級生に交じって唯一スタメンで試合に出させてもらった一年間でした。
5番ファーストという重責を担いながらも、中総体では調子が上がらないうえに
最後のバッターとなってしまい「先輩たちに申し訳ない。」と泣き崩れる息子の姿に
翌年のリベンジを誓った日のことを今でもはっきりと覚えています。
最上級生となり、キャプテンとして4番としてキャッチャーとして、9人ぎりぎりのチームから
よく引っ張ってきたと思います。
キャプテンとして苦しんでいた時期には、カミさんにも随分と悩みを打ち明けていたそうです。
そんな苦労話しも、息子にとっても親にとってもいい勉強をさせてもらったと思っています。
その後、部活引退からすぐに通わせてもらった野球教室では、いきなり県の予選会を優勝し、
初の全国都道府県対抗野球大会に出場させてもらいました。
バスでは一睡もできずに、静岡県沼津市まで行った事もいい思い出です。
そして全国大会出場の際には、たくさんの方々から寄付金を頂戴し、その温かい気持ちへの
感謝を胸に、選手・保護者みんなで戦った静岡での三日間でもありました。
11月まで続く中学硬式大会JLBYでも、キャッチャー以外のポジションも経験させてもらい、
なんと最後の最後に優秀選手として表彰されるとは夢にも思っていませんでした。
たくさんのいい指導者の方々に熱心に教えていただいたこと、
たくさんのいい仲間たちに出会えて、一緒に努力してこれたこと、
そして、たくさんの地域の方々に支えて頂いたこと、
息子の中学三年間は、そこに尽きます。
高校は、本人の意思を尊重して我が母校鶴岡東に進学します。
もちろん甲子園を目標に、泥まみれの日々も覚悟のうえです。
卒業式の際にもらった息子からの手紙には
「三年間、支えてくれてありがとう。ちゃんとお礼を言えなかったこと後悔しています。
今度はお父さんの夢だった甲子園にオレが連れて行きます!」と、
汚い字ながらも丁寧に書いてありました。
そう、本当の勝負はこれからです。
田舎の人数ギリギリのチームでしかやってこなかった気優しい地元の子たちの、
意地と根性と負けん気に期待しながら今まで以上に鶴岡東を応援していきます。
楽しい時間をありがとう!
お前はもうとっくにオレの背中は越しているよ。
そして、ここからの三年間にこそ、自分自身がこれから生きていくうえで必要な
なにか大きなものを手にするヒントが秘められています。
それは、途中で辞めたら絶対に手に入りません。
レギュラーだろうが補欠だろうが、目の前にあることを必死に必死に頑張れば
その先になにか見えてくるものがあるでしょう。
そんな次の三年間にも期待しています。
いい卒業式でした。
ありがとう。
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毎度ありがとうございます!
日に日に寒さが増してきて、いつ雪が降ってもおかしくない日々が続いています。
先日の日曜日も、おばあちゃんの車も含めて3台分のタイヤ交換をやりました。
いい機会なんで、息子にもタイヤ交換を手伝わせながら手順を教えたら、
「次、オレやりたい。」なんて言うんで、途中からやらせてみたんですよね。
さすがに男子というか、最初の2本とカミさんの車とおばあちゃんの車2台分を
すべて息子が交換してくれました。
こんなにも軍手が綺麗なまま、タイヤ交換が終わったのは初めてのことです(笑
少しづつですけど、こうやって男の仕事を覚えてくれて「オレがやるよ。」なんて言ってくれると
やっぱり嬉しいもんですよね、父親としては。
自分もタイヤ交換はさすがに免許を取るまでやったことはなかったですけど、
家の仕事の手伝いは、随分とやらされていました。
ウチは家畜商で小屋に牛がいましたから、牛へのエサやりや、フンの回収や、藁敷きとか、
お手伝いというレベルを遥かに超越した過酷な作業を、中学生時代に手伝わされたものです。
臭い汚いなんて言ってられないんですよ。
ていうか、臭い汚いと口にしたことは一度もなかったですけどね。
それが我が家の仕事だと思っていたし、それが親父の仕事だと思ってましたから。
そのせいか、大学生になって車を自由に乗れるようになってからは、親父に何かと用事を
頼まれることが多くなって、二人で一緒に車で出掛けるシーンが多かったんですよね。
〇〇を買ってきてくれ、じゃなくて「〇〇を買いに行くから乗せていけ。」と頼むんですよ。
交差点に差し掛かると聞いてもないのに「左オーライ。」なんて教えてくれたりして、
親父なりに自分の運転を気にかけてくれていたんだと思います。
口うるさいおふくろとは違って、一度も「勉強しろ。」と言われたことはありません。
小学生から大学生まで、ただの一度も言われませんでした。
そのおかげで、恐ろしいくらいに勉強は出来ませんでしたけど、ここまで生きてきて
困ったことも一度もありませんでした。
特別に何かを親父に教わった記憶もないんですけど、人望があって、たくさんの人に頼られ、
嫌な顔もせずいろんな役を引き受けてリーダーシップを発揮してきた親父の背中だけは
子供のころから見てきたつもりです。
今、この歳になって、自分自身の置かれている環境や状況を見てみると、自分も誰かの後ろに
ついて行くよりも、自分が先頭になって歩いていくタイプの人間だろうと思っています。
それが成功するか否か、良いか悪いかは別問題としてですよ。
あくまでもタイプとして自己分析したら、の話しです。
そういう意味では、息子はどうなんでしょうかね。
先頭に立ってみんなを引っ張っていったり、何かを創造したり、自分自身の人生を
自分の手で切り開いていく強さや逞しさを持っているんでしょうか。
人数の少ないスポ少や部活で、たかだかキャプテンをやった程度のリーダーシップではなく、
何かを成し遂げるような意志の強さと実行力、行動力のことです。
もちろん、息子は自分とは別人格を持って生きているわけですから、
自分と同じ性格であるはずがないんですけどね。
「タイヤ交換っておもしれー!」と全部やってくれた頼もしい息子の背中に、
どんな大人になり、これからどんな将来が待っているのかを想像して眺めていました。
人に好かれ、人が集まる、そんな大人になってくれたらなぁ、などと勝手に思ってたりして。
勉強ができなくていいというわけではなくて、できなくても他のことでリカバリーできるというか、
人生には、人の生き方にはバランスというものがある、ということなんですよね。
試験で決まる公務員にはなれないでしょうけど、公務員が幸せとは限りませんしね。
勉強ができても、挨拶ができなかったり感謝の気持ちが持てないヤツは終わってるでしょう。
学生として、ならば勉強が出来るに越したことはないけれど、
人として、ならば勉強よりも大切なことがたくさんあります。
要は、それに気づくか、そこを理解できているか、だと思うんですよね。
そこに気づかなければ、ただのバカで終わりです。
勉強は出来なくても、本だけは読んで欲しいと思っています。
それはマンガから入ってもいいんです。
本から得る知識は、学校の授業では教えてくれない豊富な情報と見識を与えてくれるものだからです。
明日から学力テストだそうです。
自分は親父みたいに寡黙ではないので「お前、明日大丈夫なのか?」と聞いてしまいます(笑
あの成績で「大丈夫。」と言われても困るんですけど、今さら期待もしていません。
人間、誰しも得意不得意がありますからね。
「今日は徹夜で勉強する!」などとほざいている息子の戯言を「へー」と聞き流し、
これから風呂に入って、先日録画した「細かすぎて伝わらないものまね」を観てから寝ます。
それではみなさま、おやすみなさい。