"家族"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
昨日は、娘のリクエストで「永遠の0」を観に、カミさんと3人で【鶴岡まちキネ】に行ってきました。
単刀直入に言うと「男たちの大和」同様に、心打たれたいい戦争映画だったと思います。
(まだ観ていない方は、若干ネタバレもありますのでご注意ください。)
自分は基本的に、映画は「娯楽」エンターテイメントだという思いが強いんですよ。
スポンサーがあって、決められた尺に情緒感溢れる主題歌が流れ、感動的なセリフがあって・・・。
内容的には、「アルマゲドン」と一緒なんだと思うんですね、失礼ながら。
地球や国の危機のために、主人公が命を投げ出して死に向っていく使命感と悲壮感というストーリー。
映画やドラマの内容すべてを鵜呑みにはして観てはもちろんダメだと思うし、
知識や教養を得るのなら、やっぱり活字を読まないとダメだと思うんですね。
でも、「戦争という紛れもない過去があって今の自分達が生きている。」というメッセージは
十分に感じることができました。
なぜなら、自分の親父も兵士として出兵していたからなんです。
大正12年生まれの親父は戦争時にはバリバリの成人男子ですから、実際に出兵し
陸軍第七師団歩兵第26連隊に所属し、帯広で終戦を迎えたと聞いたことがあります。
東北から集められた若者たちは、北海道の戦地に赴くことが多かったそうで、
函館、旭川、帯広と移動していったそうなんですね。
戦艦大和や零戦に乗る特攻隊員のような、死を覚悟した出兵だったのかは分かりません。
資料によると、北海道を拠点とする第七師団は総兵数1万人とも言われ、
満州やガナルカナル島やアッツ島での戦火の拠点となった場所でもあり、
実際に帯広には空爆があったことなどから、想像を絶する覚悟で出兵したことは想像できます。
親父が生きているときに戦争の話しを何度かしたことがあったんですけど、
戦時中のことは、あまり多くを語ろうとはしなかったんですよね。
ただ、北海道や帯広の人たちにはお世話になった、といつもいつも言っていました。
自分が、高校3年になって思いつたかのように「北海道の大学に行かせてくれ。」と言った時にも
親父だけは反対しなかったのは、なにか運命的なものを感じていたのかもしれません。
今の時代の生活が当たり前のように生まれ、当たり前のように生きてきたけれど、
戦争という壮絶な時代が確かに70年前に実際にあって、その上に今があるということ、
おじいちゃんは実際に兵隊として、お国のために家族のためにと戦地に向かったんだよと、
この事実だけは子供達に伝えていかなければならないと思ってます。
もしも戦争で親父が死んでいたら、今の自分はいません。
映画を観ていて、現代に生きる孫たちが特攻隊だった祖父のことを調べ、
たくさんの特攻隊の生き残りの人たちに話を聞いていくストーリーは、
特攻隊で死に行く悲壮感や、エンディングに流れる美しいメロディよりも、
実際に戦争に行った自分の親父がどんな想いで戦争と向き合って
その後を生きてきたのか、ということを無性に知りたくなったんですよね。
劇中、主人公が最愛の妻に向かって何度も繰り返す「必ず戻ってきます。」というセリフよりも、
「私たちだけが特別なのではない。あの当時、一人ひとりに同じような物語があった。
ただ、みんな、何事もなかったように生きているんだ。それが戦争で生き残ったということなんだ。」
と語る生き残った祖父の言葉に、この映画のすべてがあったように思いました。
実際に戦地に向かった自分の知らない親父の姿と重なって、心揺さぶられた映画でした。
また観たい映画でした。
是非、お勧めいたします。
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毎度ありがとうございます!
娘の試験結果が出るまで、なんとなく落ち着かない日々を過ごしていたんですけど、
昨日結果が出て、埼玉の看護学校に進学することになりました。
地元にある看護学校は残念ながら不合格でしたけど、埼玉の看護学校の方も
6倍近くの難関を突破しての合格ですんで、堂々と胸を張って頑張って欲しいと思ってます。
親孝行な娘で、経費的な面を考えて地元の看護学校を第一志望にしてくれていたせいか、
なんとなく、まだまだここで一緒に暮らすイメージしかなかったんですけど、現実的に
4月には埼玉に送り出すのがちょっと寂しいし、親として心配な想いもたくさんあります。
本人はサバサバしてて「ちょっくら外も見てきます。」なんて笑って話してましたけど、
となりでカミさんがポロポロ泣いちゃってるんですよ(笑
気持ちは痛いほど分かりますし、正直、自分も寂しいですよ、そりゃ。
でもね、同じ結果だったとしても考え方をちょっと変えてみるだけで、
現実の受け止め方も大きく変わってくるものなんですね。
もしも、地元の学校の結果が先に「不合格」と出ていて、そのあとに倍率6倍の埼玉の結果が
「合格」と出たら、きっと「よかった!よかった!」と大喜びしてるハズなんですよね。
第一志望か第二志望かの違いはあるにせよ、看護師になるための道はここから始まるんです。
ここがゴールじゃないんです。
決勝で負けて「銀メダル」になって、表彰台で悲しい顔してるヤツよりも
堂々と光り輝く「銀メダル」ぶら下げて、ここから新しい生活をスタートできればいいんです。
いや、銀だと思っていたメダルが、あとから金だったことに気付くなんてこともありますしね。
自分も高校受験に失敗して、野球のセンスもないのに鶴商で野球部に入ったわけです。
それなりに敗北感と悲壮感もあったけれど、辞めずに最後まで続けることができた。
「銀」・・・いや「銅」以下だと思って入学した鶴商だったけれど、今の自分にとっては
「金」以上の輝きと価値あるものだったと、本気で思っています。
人生、すべて近道できるわけじゃない。
遠回りだと思っていることが、実は後から見れば
最善の道だったりするんですね。
思った通りにいかないからこそ、人は物事を考え
周りを見渡し環境に順応していくんです。
恩師、田中先生にも二人でゴルフをしながら、よくそんなことを教えて頂きました。
ピンまで最短コースで狙う自分や、ミスショットのたびに嘆く自分を見て、
「イシカワ。急がば回れだ。周りをよく見てみろ。反対側は、あんなに広いぞ。」
「ひとつのミス=ボギーじゃない。パーチャンスは、まだまだたくさんある。」
「ティグランドに立ったときにイメージするプランは、上手くいかなくて当たり前と思え。」
娘にとっても、親元を離れ寮生活をしながら、実習や看護師資格取得を目指していくのは、
言い表せない不安もたくさんあると思います。
でも、その先にある目標に向って、しっかりと自分の足で歩いていって欲しいと思います。
看護師になりたい学生はたくさんいるのに、医療の現場では看護師不足が叫ばれていて、
実際に看護学校に入学し看護師になれるのはひと握りしかいないという現実に、
言いたいことはたくさんたくさんありますけど、それはまたいつの日か。
今は残り少ない娘と過ごす時間を満喫したいと思っています。
今日は、娘と息子と3人で、お昼はラーメンでも食いに行こうかなヽ(´∀`)ノ .:。+゜。
合格、おめでとう゚+.(o´∀`o)゚+.゚
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毎度ありがとうございます!
スイマセン、10日ぶりですか・・・
随分とブログもご無沙汰していた気がします。
いつもの年だと、1月の連休に開催される野球部OB会に向けての準備や、
OB会終了後の残務処理に追われ、2月に入れば入ったで今度は確定申告の準備と、
バタバタ続きの1月~2月を送っているんですけど、今年はそこに娘の受験という一大イベントが
加わりまして、もういろんなストレスが蓄積されているここ数ヶ月だったんです。
カミさんやおばあちゃんが看護師なので、娘は小学生の頃から「将来の夢は看護師です。」と
これまで一切ブレずにその夢に向って頑張ってきました。
成績は、そんなに良いわけではないけれど、それでも一生懸命に勉強はやっていたようです。
看護師になるには、大きく分けて二つの道があります。
ひとつは3年課程の看護専門学校(高看)に進学して国家試験に合格すること。
もうひとつは2年課程の准看学校(准看)に進学して准看護師試験に合格すること。
正看護師免許取得を目標とした以上は、入学も国家試験大変だけど看護専門学校に
進学してもらいたいし、本人もそのつもりで今まで頑張ってきました。
娘は、推薦試験のない地元の看護学校を第一志望としましたんで、
他校を推薦試験で受けるわけにはいかなかったんですよね。
すべての専門学校を一発勝負の一般入試を受けなければならない現実は、
言葉では言い表せないプレッシャーも相当あったと思います。
実際、本人の実力より低い偏差値の専門学校を受けたのに、不合格となったところもありましたし、
倍率も7倍とか5倍とかが当たり前で、低くても3倍という狭き門だったんですよ。
最初から、受かるなら県外の学校でもいいと割りきっていれば、自分の学力に見合った看護学校を
ピンポイントで推薦で受験することもできたんですけど、あえてそうしなかったんです。
おかげさまで、すでに合格をもらった県外の看護学校もありますから少しはホッとしてますけど、
ここまできたらなんとか地元の学校に決まってほしいと、家族みんなで応援してきたわけです。
試験や学校の制度には、いろいろと書きたいことが山ほどありますけど、
すべての試験が終わって、まだ結果が出ていない段階ですので、
今はただ、結果が出るのをじっと待つしかありません。
そして、その結果がどうであれ、地元に決まるにせよ県外に出すにせよ、
春からの新しい環境への準備で、ますます忙しくなりそうなことは確かです。
ブログの更新頻度もあまり高くはないでしょうけど、タイミングを見つけて更新できればと思っています。
気楽に気長にお付き合いいただければ幸いです。
ふと思えば、今日で1月も終わり、ですか。
今年は特に、時の経つのが早く感じます。
もう少し、ゆっくりと一日一日を生きてみたいというのが本音ですけどね。
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毎度ありがとうございます!
先週開催しておりました「10周年感謝祭」には、たくさんの皆様にご来店いただきました。
そして、たくさんのお花やお祝いの品、お祝い電報に温かいお言葉を頂戴しました。
この場をお借りして、感謝申し上げます。
皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m
そんな先週のキャンペーン真っ最中に、娘が受験のため一人で上京して頑張ってきました。
新幹線乗り換え、宿泊、バス、タクシー、会場の下見、そして試験本番と、
時間的にタイトなスケジュールに、初めての経験ばかりの一人旅です。
「何かあったらどうするの?」と一緒に行きたいカミさんを、「いつまでも子供じゃないんだから!」
と大ゲンカしてまでも、一人で行かせたかったんですね。
試験に受かるかどうかは別としても、そういう経験が必ず将来役立つ事を知ってますから。
「何も試験の時じゃなくても・・・」とカミさんは言いますけど、そういう時間的にも精神的にも
余裕がない時だからこそ対応力と知恵が培われると思うんですよね。
夏休みに東京に遊びに行かせた時に、間違って反対の大宮まで行っても笑い話しで済んだのは、
あくまでも遊びで行ってるからなんですよね。
でも、今回はそうはいかない。
迷ったり、分からなくなったらすぐに人に聞かないと、取り返しがつかなくなるわけです。
その代わりに、随分と細かく書いた行程表を渡して「このとおりに進んでいけば大丈夫。」と
駅までカミさんと二人で見送りに行ったんですね。
そしたら偶然にも、娘の小学校時代の担任の先生が娘さんといらっしゃって、
「娘が東京で受験なんで、これから一緒に東京に向うんですよ。」なんて言うんですよね。
「ほーらね。」みたいな顔をしてこっちを見るカミさんを振り切って、自由席に乗るという先生に
「同じ電車でしょうから、何か分からないことがあったら、ひとつ宜しくお願いします。」
と頭を下げ、娘の乗る指定席4号車の停車ラインの前に並んでたんですね。
自分達にとっては当たり前のことでも、初めての経験では分からないのが当然です。
「なんで、ここに並んでるの?」
「ここ見てみ。【特急いなほ4号車】ってプレートあるだろ。ちょうどここにドアがくるんだよ。」
「ふーん。」
「新潟駅の乗り換えホームは上だからな。上!忘れるなよ。」
「切符は自動改札に三枚入れて、二枚しか出てこないから。慌てるなよ。」
「そんなのもわかんないのに本当に一人で大丈夫なの?」
みたいな顔してるカミさんとは視線を合わせず、そうこうしてるうちに特急いなほがホームに到着。
昔は停車時間もたっぷりあった気がしてたんですけど、今は1分あるかないかですもんね。
指定席4号車の車両から乗ったのに、なぜか連結わたって5号車の方に行こうとしてるんですよ。
「おいおい!逆!逆!4号車!」
なんて言ってるうちに、そのままプシューとドアが閉まって出発進行~!
「・・・あれ?」
「大丈夫かな。」
「うーん。大丈夫だろ。」
「だから言ったじゃん。」
「うん。まさか、そっからとは・・・」
「・・・。」
その後も、ホテルまでの道に迷ったり、乗ったバスがSuicaが使えないバス(思い込み)だったり、
さまざまなことがあったようですけど、無事に試験も終わり、みどりの窓口で指定席変更までして、
予定より早い新幹線で帰ってきました。
「あー疲れた~。」とは言いながらも、「結構いろんな人に親切にしてもらった。」という
娘の表情を見ると、一人で向わせたのが間違ってなかったと確信できます。
翌日には、歴史の好きな娘と二人で「清須会議」を観に行ったりして、
なんとなく大人になった気がする娘と、のんびりとした時間を過ごしてリフレッシュしました。
そして11年目に入った今朝も、いつものように煮込みを作りながらブログを書いてます。
そんな毎日ですが、そんな毎日が充実しています。
今日もいつもの場所で、のんびりとお待ちしております。
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毎度ありがとうございます!
昨日、11月3日は息子の誕生日、ちょうど10歳になりました。
勉強の方は自分に似て、からっきしダメですけど、元気にスクスクと成長してくれてます。
この間のブログで書きましたけど、自分にとって子供達の成長が日々の暮らしの励みであり、
いろんな出来事とともに、親として自分も成長させられているんだなぁと実感してしています。
今は娘の受験&将来の話しと、息子の野球に忙しい我が家です(笑
で、あらためて思い返してみると、自分の10歳の頃の記憶って、どのくらい残ってますか?
10歳、小学4年生の自分です。
担任の先生やクラスメイト数名は思い出せるものの、日々の生活で何に熱中してたとか、
誰と仲良く遊んでいたか、なんて記憶は、ほとんどないんですよね。
6年生くらいにもなると最終学年ということもあってか、もう少し鮮明な記憶も残ってますけど、
4年生10歳となると、なかなか思い出せません(笑
むかしは今と違って、親がビデオ廻したり写真とったりなんてしませんでしたから、
今となって残っているのは遠足の時のスナップ写真くらいですもんね。
親も忙しく、家族でどこかに出かけたり、外食したりした記憶も全くありませんけど、
間違いなくその瞬間を生きてきたのに、そのことを忘れてしまっている寂しさが募ります。
勉強はどうだったのか。
好きな子はいたのか。
何が一番楽しかったのか。
好きな食べ物はなんだったのか。
家ではどんな子供だったのか。
・・・残念ながら、ほとんど思い出せません。
思い出したからどうのこうのというわけではないんですけど、自分の事なのに忘れてしまっている
というのがなんだか悔しいんですよね。
「お父さんの10歳の時はどうだったの?」なんて息子に聞かれても、
日が暮れて「もうすぐ晩ごはんだよ!」と親が呼びに来るまで公園で野球してたなぁくらいの、
ぼんやりとした記憶だけですもんね。
好きな子っていたのかな?
うーん、それも思い出せないなぁ。。。
ま、子供達には元気に成長してくれれば、それでいいんですけどね。
これからも、きっといろんな出来事が起きて、そのたびに
一緒に考えさせられたり、泣いたり笑ったりしていくんでしょうけど、
それをまた日々の暮らしの励みにして楽しみながら歩いていければ、
それが一番なんだと思っています。
誕生日おめでとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。 -
毎度ありがとうございます!
しばらくひいていた風邪も、やっとのことで完全に治りました!!
なんだかんだで二週間近くも鼻水鼻声に悩まされ、つくづく中年のおっさんの風邪っぴきは
治りが悪いもんなんだと痛感させられました。
ご心配をおかけしましたが、もう完璧です(笑
で、昨日は息子の小学校で「2分の1成人式」という4年生の学年行事がありました。
当初はカミさんが出席の予定でしたんで、久しぶりにスポ少のないゆっくりとした土曜日だと思ってたら
急遽、職場の講演会だかなんだかに出席しなくちゃならなくなったようで、自分がピンチヒッターです。
式の中で、それぞれの生徒がこれから10年後の自分の夢を発表する場面があったんですけど、
息子の将来の夢は・・・「ぼくは、プロ野球選手になりたいです。」なんて、言ってました(笑
まぁ、野球選手でもサッカー選手でも何でもいいんですけどね、元気で健康に育ってくれれば。
担任の先生のお話しにもあったんですけど、生まれてからのこの10年間で、
本当にたくさんのことが出来るようになりました。
歩けるようになり、話せるようになり、勉強できるようになり、友達とも遊べるようになった。
当たり前のようだけど、たった10年でもたくさんの驚きと感動をもらってきました。
そういえば、娘が4年生10歳の時に発表した10年後の将来の夢は
「医者か看護師の医療系(いりょうけい)です。」って言ってたのを思い出しました。
女の子は現実的というか、その夢もブレずに看護師志望のまま18歳になってます。
どの道に進もうが、自分の足でしっかりと歩いていけるように、
親はそれを応援するだけです。
自分にとっても、子供の成長とともに歩いてきた10年なんだということを
改めて気付かされた、感慨深い【2分の1成人式】でした。
自分も、まだまだ頑張らないといけませんね。
そんな決意を胸に、また来週からいつものように気合いを入れて頑張ります!
今朝は早くから起きて、ティーボール大会が中止になったため5年生以上が参加予定だった
「やまが杯」に急遽参加することになって集合までしたものの、こちらも雨天中止となりました。
昨日から、ずっと雨降ってんだから、もっと早くに分かりそうなもんなんだけどなぁ。
結果論だけど、もっと早く連絡くれたら、今日のOB会コンペに行けたじゃん。。。ちぇ!
すべての予定がポッカリと空いてしまって、何にも予定がない!!
そんな日曜日も、たまにはいいか。
みなさまも素敵な休日をお過ごし下さい。