"北海道時代"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
昨年、大学時代の仲間から連絡があって「近いうちにみんなで集まろう!」なんて話で
盛り上がったことを書いた記憶があります。
そのうちのメンバーが横浜に遊びに行った際に、関東に住む仲間と合流して盛り上がり
昼間っからベロンベロンになって電話をくれたのでした。
仕込みで手が離せなかったのでイヤホンマイクで会話しながら「久しぶり~」なんて
取り留めのない会話をしてたんですけどね。
「今度、サプライズで鶴岡行くわー!」
「いや、サプライズはだめだって。」
「そんなの関係ねーべさ!突然行くからさ。」
「いやいや・・・」
「ノリちゃんのやきとり食えればいいんだ。」
「いやいや・・・」
酒飲んでテンション上がってる相手に、何を語っても、何をお願いしても通じるわけがありません。
「せっかく来るんだったらオレも時間作るからさ。ちゃんと事前に教えろよ、な。」
電話の向こうでギャハハハが止まらない連中に「今、仕込みしてっから。」とだけ伝えて
電話を切りました。
その後、その3人になにがあったのかは知る由もありません。
気がつけばLINEグループを作った張本人が、そのグループを退会してるじゃないですか。
すぐに「お前、LINE抜けてるけど、どうしたんよ?」と電話したら
「別に。もうあいつらのノリにはついていけないから抜けた。」なんて言います。
おそらくですけど久しぶりに横浜で再会して、あの頃の大学生に戻ったような感覚で
「おもしろけりゃいいべさ。」「そんなの関係ないっしょ!」で盛り上がったんだと覆います。
それで、いい加減いい歳こいたオッサンになって、いつまでも学生のノリでギャーギャーやって
予定や計画も立てずに、相手の状況も汲み取らない一方的な会話に疲れたんでしょうね。
そもそも「みんなで函館で再会しよう!」と立ち上げたLINEグループでしたから。
酒飲んで好き勝手に盛り上がって、いきなり「みんなで鶴岡行くべ!」はあんまりだとしても、
だからといって自分で立ち上げたグループを退会することはねーだろとは思うんですけど、
そういうところがね、この歳にもなると「みんな面倒くさい感じ」になるわけですよ。
キッチリやりたいヤツに、テキトーでいいヤツ。
キッチリやりたいヤツにしてみたら、そういうノリには「ちゃんとやろうぜ。」と思ってるし
テキトーでいいヤツは「別に仕事じゃねーんだから楽しくやればいいべや。」と思う。
それぞれの考え方はいいとして、問題はそれぞれの意見を飲み込めないってとこなんですよ。
みんなが、お互いの「我(が)」を通そうとして譲れないし、合わせようとしないんですね。
そこがこの歳にもなると「やっかい」で「面倒くさい」ところなんですよ。
で、6人のLINEグループが気づけば2人抜けてるし。
キッチリ派の自分にとって、わけのわからないどうでもいいLINEグループ自体がストレスなんで
「またみんなで楽しく集まろうって時に誘ってくださーい!」ってコメント残して退会しました。
学生の頃は何となく価値観が一緒で、みんなが面白いことやテンションは共有できていたと思う。
それぞれの暮らす土地で、それぞれの生活があって、それぞれの立場があって大人になった。
思い出話やノスタルジックに浸って、その時テンションが上がることもあるだろう。
それを否定するつもりもないし、自分だって流されやすくて単純な人間だと思っている。
でも今の自分は「時間」だけは大切にしたいと思っているんですね。
家族と過ごす「時間」
仲間と過ごす「時間」
好きなことをやっている「時間」
一生懸命に働く「時間」
だからノープランの計画は、あまり好きじゃないんですよ。
大人なんだから予定くらい組めるだろって思っちゃう。
そういうことを思う自分のことも、反対から見たら「面倒くさいヤツ」として映ってるはずです。
正解不正解はない話しなんですけど、リアルな58歳の交友関係での一コマでした。
みんな面倒くさいオッサンになりましたとさ(笑
ではまた。
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毎度ありがとうございます!
我が家のガレージは縦長でして、縦に自家用車を3台駐車しています。
休日はそれぞれの用事で出かけるので、前列からの車の順番は毎回変わってきます。
でも出勤は①カミさん→②息子の順に出掛けますんで、翌朝に車を入れ替える作業が
必要になってくるんですよね。
今朝も先頭の息子の車を動かすために運転席に乗り込んだら、助手席のシートの上に
無造作にも財布が置いてあるんですよ。
最近から通い始めたトレーニングジムから帰ってきたのが夜中の0時頃でしたから、
車上荒らしされる一番危ない時間帯でもあります。
うっかりだったとしても、免許証や資格証やカードも入ってる財布ですからね。
盗まれるかも、という危機感が希薄すぎますよ。
そういえば、みなさんは「車上荒らし」されたことありますか?
自分はあります。
24歳の時でしたかね。
函館近くの小さな漁村で、水産会社で働いていた時です。
小さな町でしたから、よそから来た自分のことは大体は知っていたはずです。
あの時は流行っていたマークⅡに乗っていた時で、うっかりドアロックを忘れてたんですよね。
早朝に港まで行こうと思って車に乗り込んだら、すぐに違和感に気がつきました。
サンバイザーにかけてあったサングラスや積んでいたCDやアクセサリーが全部ないんですよ。
そしてコンポの音が出ないんで振り返ると、当時はトランクに置き型だったカロッツェリアの
イルミネーションスピーカーも引っこ抜かれて無くなってるんですよ。
あれはショックだったなぁ。。。
盗られたモノなんかよりも、盗ったヤツがいるっていうことの方がショックだった。
自宅前の道路を渡った昆布を干す砂利のところに止めていて、もしも窓でもあければ
全部家の中から見える位置にあったにもかかわらずですよ。
大事にしていたジッポやサングラス、トランクの中に入れていた工具や仕事で使う胴長から
なぜか知り合いの名刺なんかも全部丸ごと持って行かれてました。
窃盗団の仕業なのか、近所の嫌がらせなのかなんなのか、結局は分からないままです。
財布やカード類の貴重品は置いてなかったんで、面倒くさくて警察にも届けませんでしたから。
その後すぐに函館市内で就職が決まって、そっちにアパートを借りて家も出ましたしね。
ただ、若い頃のあの経験は今でも活きています。
田舎だから、鶴岡だから、は通用しないと思った方がいい。
警戒心だけは緩めない方がいいんですよ。
我が家は人が出入りするたびに施錠するのが決まりです。
必ずカギを使って開けて、中に入ったら必ず施錠する。
簡単で当たり前のようだけど、そういう警戒心は常に持っておかないとダメだと思うんですよ。
息子も、財布を盗まれてからでは遅いんですけどね。
ふと、そんなことを思い出した朝でした。
人生、良いことばかりではないですよ。
今週もがんばります。
ではまた。
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毎度ありがとうごいざいます!
ステ看の話しは一応前回ので完結したわけですけど、ここからはスピンオフということで。
最近のテレビのように、本編終了後のHuIuフールーみたいなものですかね(笑
小樽の新規開拓を狙いトラックで出発はしたものの、猛吹雪のため5号線を途中で引き返し、
そのまま支店の倉庫に隠していたステ看200本の存在が、なぜ支社長にバレてしまったのか・・・
当時、函館支店の事務をやっていたヨッシーと札幌支店の支店長が密かに付き合っていて、
そこからリークされたんですよね。
「あのさ。実はウチの支店長、ステ看なんか捲いてないんだよ。」なんてアイツ言ったんだろうなぁ。
ばかやろう!捲いてないじゃなくて捲けなかったんだよ、天気が悪くて!
結局は社内結婚したヨッシー夫婦と、30年経った今でも年賀状のやり取りをしているくらいですから
まったく怒っても恨んでもいませんし、今では笑い話になるオイシイ鉄板ネタです(笑
函館で同期入社のエビちゃんも札幌に転勤し、退職して独立したあたりまでは連絡を取っていたけれど
多額の借金を抱えて事業は失敗、奥さんとも離婚して今はどこで何をしているのかは分かりません。
「こんな会社にはいたくないからです。」と言い放った仙台の☆係長は、その後結婚され
優しい旦那さまとお子様に囲まれて、幸せに暮らしているそうです。
初めて支店ノルマを達成し、初めて貰った報奨金に目を丸くして驚いていた仙台のエンミは、
フランスW杯のサッカーをテレビで観ながら突然の心臓発作で若くして亡くなってしまいました。
リストラ宣告をするためにやってきた自分を、周りの社員がみなギラギラと敵視する中で、
「仙台で自分が一番好きなラーメンを食べにいきませんか。」と誘われ、エンミと二人で並んで食べた
「姫ラーメン」は、30年経った今でも自分も仙台で一番好きなラーメンです。
函館で入社した時の上司でステ看のいろはを教えてくれたイトウ支店長は、
携帯電話がらみでヘタ打って池袋支店に飛ばされ、今は札幌でバスの運転手をしているはずです。
その数年後、池袋支店でイトウさんの部下として働いていた女子社員と自分の幼馴染が
なんと東京で結婚し、やんちゃの看板の筆文字は、実はその彼女が書いてくれたものです。
その後、二人は離婚してしまい今では書き直しを依頼することはできませんが(笑
こうして振り返ってみると、30年の時を経て今でも連絡を取っている人もいれば、
すでに亡くなってしまったり、連絡が取れずに消息不明の人もいます。
幸せに暮らしている人もいれば、突然LINEが来てまた連絡を取るようになった懐かしい人もいます。
人が生きていくという事は、すべては「人との出会い」なんだと改めて気づかされます。
たくさんの人と出会い、良くも悪くもたくさんの経験をしてきて、今の自分があるわけです。
過去の自分の生き方を否定せず、今ある自分への道標だと思えるような日々を送ることができれば、
無駄な出会いや人生の遠回りということはないはずなんですよね。
のんびりと起きた日曜の朝。
カミさんが作ってくれたワンプレートの朝食を食べながら、
今の自分にとっての幸せを感じた時間です。
これから、カミさんの車のタイヤ交換に取りかかります。
みなさまにとって素敵な日曜日になりますように。
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毎度ありがとうございます!
電柱に看板を取り付けるには所轄の警察署長の許可が必要で、その許可のないものについては
当然ですが道路交通法違反で違法です。
さらに、取り付けの現場を押さえられると軽犯罪法違反で現行犯逮捕もありえます。
盛岡に関しては市で条例が定めており、即日看板を撤去するか、もしくは撤去にかかる費用の全額を
負担するか、そのいずれにも対応しない場合は罰金刑が処されるという説明だったと思います。
即日撤去は無理なので、後日盛岡の警察まで行き現金で5万円を支払った記憶があります。
それが処分費用だったのか罰金だったのかは記憶が定かではありません。
警察署の押収品置き場みたいなところで、ステ看を指さして写真を撮られたことまでは覚えています。
その事件がきっかけで、その後、営業強化費でステ看を発注することは全支店でNGとなりました。
ステ看がきっかけでヘタ打った自分が、ステ看で起死回生の一発を放ち、そしてまたステ看が
仇となり行政処分されるという、なんともステ看に振り回された激動のサラリーマン時代でした。
その数か月後・・・
身内に不幸があり、転勤が絶対条件のサラリーマン生活に別れを告げ、
函館に戻ってコンビニ商売の道を歩くことになったわけです。
仙台で初めて報奨金をもらって喜んでいた営業マンも一人辞め、また一人と辞めていき、
数年後には会社そのものが潰れたと元同僚から聞かされました。
もう30年近く前の話しです。
いくら会社の指示や方針といえど、違法行為は絶対にダメですよ。
そして今でも、あの時☆係長がまっすぐに自分の目を見て言い放った言葉・・・
「こんな会社にはいたくないからです。」という正直な叫びだけがなぜか耳に残っていて、
あんなふうに会社を辞めれたらどんなに清々しいのだろうかと想像したこともあります。
4年間の短いサラリーマン生活でしたけど、貴重な経験をさせてもらいました。
これだけ時間が経って、あの時のことがこうしてブログのネタになるなんて想像すらできなかったし、
そんな話しでも続きを読みたいという人までいるなんて、世の中本当に不思議なことばかりです。
それでは、20代の頃の思い出の世界から現実に戻るとしますか。
風呂に入ってゆっくりと休みます。
おやすみなさい。
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毎度ありがとうございます!
仙台にやってきました。
成績の悪い仙台支店と仙台中央支店は、北海道支社が管理することになるため東北支社を解体し、
11名いた女子社員のうち2名を残し、ほかは全員解雇という非情な任務に取りかかります。
北海道からリストラ宣告をするために、ワケのわからんヤツが来るとすでに噂になっていて、
初日から殺伐とした雰囲気の東北支社に出社しました。
早速ホテルの会議室を手配し、一人ひとりと面談しながら退職を承諾させなくてはなりません。
「☆係長には残ってもらえ。もう一人はお前が面談して決めろ。」と耳元で囁かれていましたので、
有能で女性ながら係長をやっていた☆さんと最初に面談したんです。
「会社としては☆さんの能力を評価していますし、今後も会社に残って活躍して欲しいと思っています。」
「ありがとうございます。でも私は会社を辞めます。」
「え、辞める?」
「はい。辞めます。」
「差し支えなければ、その理由を聞かせてください。」
「こんな会社にはいたくないからです。」
「・・・なるほど。」
それはそれで正しい。
そして、その正しいことをはっきりと言える☆さんだからこそ、会社も評価していたということ。
仕事がバリバリできる人が、もったいないと言われながらも突然会社を辞めるのは、
その人が有能だからだと思うんですよね。
できる人・賢い人だからこそ、会社の闇や問題点を見抜き、早々と見限るわけです。
☆さんの辞めます宣言を皮切りに「入社した時と話が違う!」「人としてどうなんですか!」
「労働基準監督署に訴えてやる!」「退職金が納得いかない!」「こんな会社潰れろ!」などなど、
散々な罵詈雑言を浴びながらも最終的には全員が辞めることになり、とりあえず仙台に来て
最初のミッションは遂行できたカタチになりました。
そして、ここから営業としての自分の反撃が始まります。(半沢直樹じゃありませんよ。)
「今日からは自分が仙台支店と仙台中央支店を統括する。まずは新規問い合わせの電話を鳴らすため
ステ看を捲くぞ。金曜の夜10時、全員黒い服を着て軍手持参で会社に集合してくれ。」
「ステカンって何ですか?」
「ばかやろう、ステ看も知らねーのか!今までの支店長は営業強化費を何に使ってたんだよ。」
「ポケットティッシュとリーフレットですかね。」
「そんなんで新規の電話が鳴るなら苦労しねーんだよ。」
確かに、ポケットティッシュやリーフレットなら就業時間内に交代で仙台駅前で配ることもできます。
でも、気合いと根性と結果だけを求められていた会社ですから、夜中の違法行為だろうが何だろうが
過酷なことをやればやるだけ「あそこの支店はよくやっとる。」と高く評価されてもいたわけです。
歓楽街や飲食店が立ち並ぶ仙台市内には、テレクラやキャバクラの路上看板があちこちに立っていて
云わば「ステ看パラダイス」みたいな場所で、もの凄く仕事がやり易かったですね。
なんの後ろめたさもなく、トラックから飛び降りてジャンジャン電柱に立てていけるんですから。
ぬるい環境だった仙台2支店を、北海道式のスパルタで気合いを入れ直した結果、
全国51支店の中で万年最下位とブービーの支店が、仙台支店が11位、仙台中央支店が18位と
とんでもない大躍進を遂げることになったんですよ。
初めて手にする「報奨金」の金額を見て、みんなが「こ、こんなに貰えるんですか。」と
驚いていた顔は今でも忘れられません。
そして、この仙台でのステ看効果に活路を見出した自分は、今度は新たな新規開拓地として
大学のある盛岡に目をつけ、また金曜の夜にステ看満載のトラックのハンドルを自ら握り、
一路、盛岡に向かって爆走していたのでした。
「盛岡は大学もあるし、これはいけるぞ!」
「うっす!」
その週明け、月曜日の朝。
フリーダイヤルで電話が鳴るのが当たり前だと思って意気揚々と出社した自分に、
非情にも一本の電話が入ります。
「盛岡の警察署です。ちょっと看板の件で責任者の方のお話を伺えますか。」
つづく。
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毎度ありがとうございます!
支店長会議の席上で、捲いていないステ看を捲いたと咄嗟にウソをついてしまい、
もう後には引けなくなった自分は、次回の臨店(支社長が各支店を回る)までには
絶対にステ看を捲かなくてはならない状況になってしまってました。
雪で電柱が顔を出していない焦りはありましたけど、幸いにも函館は札幌と車で4時間も離れてますし、
しばらくは臨店の予定がないことも知っていたんです。
それが・・・
ある日の夜8時。
支社長から電話が入り「オイ!お前、オレを騙したんか!」ともの凄い剣幕で激昂しているんです。
「あ、いや・・・」
「そこにステ看何本あるんか言ってみい!オイ!」
「に、200です。」
「お前、明日すぐに札幌に来い!わかったか!」
「ハイ。」
終わったと思いましたよ、完全に。
札幌に向かう特急北斗の窓から、冬の噴火湾の寒々しい景色を眺めながら
「なんでステ看を捲いていないことを支社長は知ったんだろう。」と推理はしたものの
正解が分かるはずもなく、そのまま札幌駅まであっという間に着いてしまってました。
何を言われたかは、ここでは書けません。
Vシネマのセリフみたいなのが、ド迫力で浴びせられます。
ただ、最終的に下された処分は「東北支社のある仙台に転勤」でした。
北海道の人は北海道の居心地があまりにいいので、あまり内地(本州)に転勤したがりません。
杜の都仙台と言えど、北海道からは左遷みたいなものと同然なんですよね、感覚的には。
誰も行きたがらないし、行ったとしてもすぐ辞めちゃう。
で、ラッキーだったのが、前任の東北支社長が同様に会社を辞めるタイミングだったこと。
ヘタ打ったのに、役職は昇格して地元の東北に戻ってこれるという願ってもない状況だったんです。
山形の隣ですし、週末はいつでも帰ってこれるし、自分にとっては最高の転勤です。
でも、そのくらい社内では誰も行きたくない場所だったんですね。
特に東北支社は、仙台の信販会社を買収した際にそこが運営してた電話レンタル会社を
支店として管理し、成績も全国で最下位という社内ではどうしようもないエリアだったんです。
そして、仙台に飛ばされた自分に与えられた最初のミッションは、
「11名いた女性の支社社員を2名まで減らせ。」
早い話し、リストラの肩たたきをしろということです。
なおさら誰も行きたがらないわけですよね。
つづき、読みたい人いるのかな。
一旦終わりにしようか。