"北海道時代"カテゴリーの記事一覧
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「ハシモトリョウコ」とホテルのロビーで待ち合わせをし、
改めて会社の登記簿謄本をもらい、一応内容もその場で確認させてもらいました。
裏面には法務局登記官の印も押してあり、一緒に貰った運転免許証のコピーと住所も合ってました。
ただ、驚いた事に役員の欄には、先月までウチの会社の
仙台支店と仙台中央支店の支店長だった2人の名前が載ってたんです。
「この2人は・・・。」
「そう。この間まで、お宅にいた子たちよね。今はウチで新規立ち上げ事業に携わってくれてるの。」
「そうなんですか・・・。」
一応、その場で社判と代表印を改めて契約書に押してもらい、
返済期日と入金方法を締結し、その日は会社に戻ってきました。
2人の前支店長は、てっきり自分が転勤してくるから辞めたと思っていたんですけど、
「引き抜きと言うか、2人とも30万づつ出資しててパチスロ店を一店舗づつ任されるんだそうですよ。」
「なんだそれ。騙されてんじゃねーか。あいつら。」
なんて話してその場は終わったんです。
その後、慌ただしいままハシモトの事なんて全く頭になく2ヶ月が過ぎたある日、
会社に白髪の初老の紳士とボディガードみたいなイカツイ男が来店したんです。
「イシカワさんって方、いるかぃ。」
「はい、少々お待ち下さい、ませ。」
普段、「・・・ませ。」なんてつけたの聞いた事ない無愛想な事務の子が、
「あーあ。あれ、絶対ヤ〇ザですよ。」なんて、余計な事を言うんですよ。
函館時代もそういう場面は何度かありましたから、ほかの方に迷惑がかからないように
「あ、そう。わかった。奥の応接間にお通しして。・・・しかし、何でオレの名前知ってんの?」
「知りませんよ。そんなの。」
応接室で名刺を渡され、そこには案の定あの有名な組織のお名前が。
ボディガードは立ったままで椅子に座らないんですよね。
なんだよコイツ、と思いながらも、どっかで会ったような気がする・・・。
「で、今日はどういったご用件でしょうか?」
「あんた、ハシモトリョウコって知ってるだろう。」
「・・・。そういった事にはお答えできないんですよ。」
すると後ろに立ってるボディガードが、いきなり
「なんだと!コラー。しらばっくれんじゃねーぞ。」
「コラ!やめんか。だったら橋下商事という会社に覚えはあるだろう。」
「すいません。顧客情報は一切お話しできないんですよ。申し訳ないんですけど。」
あーあ、こういうの面倒くせーな、なんて思ってたら急に思い出したぞ!!
後ろに立ってる男・・・あの時、ホテルのロビーにハシモトと一緒にいた、フェラーリ乗ってた旦那だ!
ん?どういうこと?なんで旦那がここにいるワケ??
こっちの頭が混乱してるとも知らずに、その紳士はこう続けたんです。
「ハシモトリョウコってのは、偽名だよ。本名はワシらも知らん。あんたの会社もはめられたんだよ。」
「どういう事でしょうか・・・。それに、後ろの方は、たしか旦那さん・・・ですよね?」
「ハシモトの旦那?ハシモトがそう言ったのか。」
「ええ。まぁ・・・。」
「はっはっは~。あんたも見た目通り、まだ若いのう。」
「はぁ・・・。」
「全部ウソじゃよ。あいつは詐欺の常習で、指名手配されてる女じゃ。」
「えっ。」
・・・つづく。 -
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久しぶりに、長編昔話をオチなしでひとつ。
これは今から17年前、とある金融系の会社に勤めていた頃、
函館から仙台の東北支社に支社長で転勤してきたときの話しです。
当時、仙台にあった支店3店舗はどこも業績が悪かったため、
支社としての存続を賭けテコ入れを命じられて転勤してきました。
いろいろと調べてみると、まず契約書がいい加減なんですよ。
東北人の甘さと言うか情が厚いというか、保証人のない契約書やら
印鑑のない契約書やら身分証明書のコピーのない契約書やらが
ゴロゴロ出てくるんですよ。
聞けば、「後から印鑑持ってくるって言ってたんで。」とか
「保証人がいないんですよ。」とか信じられない答えが返ってくるわけです。
まぁ、当時は新規契約のノルマばかりで評価されてましたから、
少しくらい甘い契約でも、とりあえず新規を獲っとけば
一時シノギにはなってたのも、原因のひとつだったんですよね。
でも、そういういい加減な契約をした顧客に限って、後から焦げ付くもんなんです。
結果的に契約書もいい加減だから回収の詰めも甘くなる。
完全な悪循環に陥ってました。
そんな中、一枚の未回収カードに目がとまりまして。
「有限会社 橋下商事」と手書きで書かれた契約書には、
橋本の三文判が押してあるだけ。
コレが法人契約だって言うんだから、呆れてモノも言えない。
自分の勤めていた会社は表向きは携帯電話のリース業もやってたんですけど、
その橋下商事の取引内容を見ると、携帯電話5台をリースしているにもかかわらず、
1台も通話料金を払っていない事が判明。
当時はまだ携帯の基本料金が16000円だった時代でしたからね。
しかも、フリーローンキャッシングのほうも一度も返済実績がない。
すべて合計すると金額も相当額いってるわけです。
早速、仙台支店の支店長シライを呼んで契約時の事情を聞くと、
「ハシモトリョウコ」と名乗るその社長は、東京の有名タクシー会社の会長の隠し子で、
新規パチスロ店を立ち上げるために仙台に来て会社を設立したばかりなんだそうです。
不動産屋やパチスロ業者との打ち合わせに携帯電話が必要だったということと、
会社設立手続きがバタバタしてて、仮契約みたいな形から入ったんだと。
「だったら、後から会社の登記簿謄本もらってあるんか?」
「すいません。もらってません。」
「じゃ、今からでもいいから登記簿謄本もらえ。
それと会社の横判と代表印を押させろ。
それがなければ個人契約に切り替えて、二人保証人つけさせろ。」
「はぁ・・・。今からですか・・。」
「当たり前だろ。こんな契約書でどうやって回収するんだよ。
モメるようなら、オレが直接話すから今すぐ電話しろ。」
案の定、電話でモメにモメましたけど、
最終的には登記簿謄本と社判と代表印をもらうことになったんです。
そして約束の日、待ち合わせの仙台駅前ホテルメトロポリタンのロビーに、
男性と一緒にコーヒーを飲んでる「ハシモトリョウコ」がいました。
そして、その男性がこちらに気付き、軽く会釈をしてそのまま立ち去ったんです。
「今の、ウチの旦那様なの。フェラーリで来てるから目立っちゃって。」
なんて言ってる傍から、
「バ、バ、バババブア~ン!!!」
なんて爆音を立てて真っ赤なフェラーリが走り去って行きました。
塩沢トキみたいな派手なメガネの奥に光る眼光の鋭さは、
海千山千を渡り歩いてきた女の生き様を物語っているようでした。
そしてこの時はまだ、これから起こるすごい事件に巻き込まれようとしているなんて
これっぽっちも思ってもいなかったんです。
ジャジャジャーン、ジャジャジャ~ン!
サスペンスタッチで、次につづく。 -
毎度ありがとうございます!
先日の同級生の訃報以来、意識的に酒を飲まずにいたんですけど、
昨日は少し早めに店じまいして、サノとケンシとでサクッと飲みに出掛けました。
二人で東京に行ったり、のちに奥さんになる彼女を紹介したりと、
なにかと良い付き合いをさせてもらってます。
で、「20代は尖がってたな。」「結構、調子こいてたな。」なんて話しで盛り上がりまして、
丁度そんな中、我が家の引っ越しで懐かしい写真が出てきました。
93年という事は17年前、25歳の頃ですか。
函館の某金融系企業で支店長をしていて、朝の出勤時にパチリ。
よく、アッチ系の人と間違えられてました(笑
この1年後には、支社長として仙台に転勤するんですけど、
当時は、いくらいい給料を貰ってても、あんまりやりがいはなかったですね。
自分が何をやりたいのか、どこに向かって歩いて行くのか、全く考えてなかった頃です。
毎日、お金に振り回されていた毎日でしたねぇ・・・。
随分と人間の汚い部分も見ましたし、お金の価値観も変りました。
人に言える綺麗な話しばかりじゃなかったですけど、若いうちにいい経験をさせてもらいましたし、
世の中を渡り歩いて行く上での度胸や覚悟を培えたのも、この頃です。
英語も出来ないのにアメリカで一人旅をしていたり、過酷な労働環境で長距離運転手をしていたり、
それぞれが、それぞれのその瞬間を必死で生きていたんです。
そんな風に各々歳をとってきて、
今、こうしてくだらない話で盛り上がって酒を飲める事に、感謝しないといけませんよね。
いろんな場面で酒飲む機会がありますけど、なるべく楽しいお酒を飲みたいものです。
みなさんも楽しいお酒、飲んで下さいませ。ヤァ\( ̄▽ ̄o)(o ̄▽ ̄)ノヤァ -
毎度ありがとうございます!
流通センターでアルバイトを始めて10日ほどたった、ある夜。
朝まで帰ってこなかった彼女と大喧嘩になって、そのままの勢いで別れたんです。
若さなのか、単純なのか、自分の気持ちだけで突っ走って
彼女にしてみたら有難迷惑だったんでしょうね、きっと。
本来なら、彼女が何も言わずに東京に行ったのを知った時点で終わってる話なんですよ。
今の時代なら、携帯で話して「別れましょ。」で終わりだったでしょうから。
それを、田舎から突然東京にやってきて、10時間も待ったなんて聞かされて
「オレも東京来てバイトするから。」じゃ、重たいし、熱すぎるし、何よりイタイ(笑
そりゃ、別れ話も切り出しにくくもなりますよね。
彼女のためにと言うよりも、
「北海道から誰も知らない東京に出てきて、彼女のためにドカジャン着て頑張ってるオレ」
っていう画がカッコいいと思ってたのかもしれないですね。
帰りのチケット代もないまま、渋谷から東急世田谷線に飛び乗って、
タダシのいる上町までたどり着くのが精一杯だったんです。
「カッコわりーな。オレ。」
「別に。そんなこと、ねぇんじゃねーの。」
なんて会話を何十回と繰り返しながら、その日は朝まで飲んだくれました。
吐くまで飲んで、吐いたらまた飲んで・・・。
今から25年近く前の出来事です。
今は、その娘がどこで何をしているのかは知りませんし、知りたいとも思いません。
だけど、自分の中で「東京」を思い浮かべる時や、
羽田からモノレールに乗って「流通センター」を通過する時には、
必ずと言っていいほど、あの時の青臭い自分がまだその場所にいるようで、
切なくて照れくさいような妙な感覚になってしまうんですよね。
その後も、同じような恋愛を繰り返しては別れ、少しづつちょっとづつ大人になっていって、
25年後の自分には愛すべき家族ができて、好きな商売をしながら鶴岡で暮らす事になるなんて、
ドカジャンを着て必死に作業していたあの時の自分には、想像できなかったでしょうから。
来週、また「東京」に行きます。
あの時と同じように、一人で羽田へと向かいます。(完
長文、お付き合いありがとうございました。
なお、描写がリアルすぎて万が一、家庭生活に不具合が生じそうになった際には、
速やかに全編削除いたします事をご了承下さい。(笑 -
毎度ありがとうございます!
東京で、まるでトレンディドラマみたいな再会を果たしたんですけど、
実際はそんなにカッコいいものでは全然なくて・・・。
少し落ち着いてから彼女の話を聞くと、
「借金を返すために少しでも効率のいい仕事をするために東京に来たの。」
「今はデニーズで夜のバイトしてるんだけど、これからは昼のバイトも探すつもり。」
「送ってくれたのはオーナーで、深夜のバイトの子は危ないからってみんな送ってくれるんだよ。」
「東京は以前も住んでたから、生活には慣れてるし。」
「お姉ちゃんが彼氏のところに行ったから、ここ好きに使っていいんだ。」
「借金のこと言っても仕方ないと思ったし、心配するでしょ。けど、ごめんなさい。」
「デニーズ」が何かもその時は知らなかったんですけど、何となく納得したんですよね。
で、「7月に入れば2ヶ月間大学は休みに入るから、オレもこっち来て何かバイトするよ。」
なんて約束して、北海道に一旦帰ったんです。
約束通り7月にまた東京に来て、自分も効率のいいアルバイトを探して見つけたのが、
日給15000円、経験不問、食事付き、制服貸与、交通費あり、日払い可、という仕事。
勤務地は流通センター内の、紀文の関東配送センターだったんですよね。
東京モノレールも、まだ天王洲アイル駅はなかった頃です。
標準語を話す怪しい中国人や、自称早稲田を語るスカした学生に混じって、
一列づつ「ハイ、これ制服ね。」と渡されたのは、真夏なのにドカジャン!
倉庫内全体が冷蔵庫になっている中で、ダンボールに入ったおでん種が
ベルトコンベアーで流れてくるんですけど、その箱には1番から88番まで
番号が書いてあるんです。
1番:横浜そごう 2番:新宿高島屋 3番:多摩プラーザ みたいに配送先ごとのパレットが
サッカーグランドくらいの広さにビッシリあるのを、全部覚えないとなんなかったんですよね。
で、配送時刻になるとリフトでトラックに積み込みするんですけど、そこは微妙に冷蔵庫の外なんですよ。
寒いところから、いきなり外の蒸し暑いところに出ると、もう身体がダルダルになるわけです。
で、また中に入ってダンボールを延々と運ぶのを繰り返すんですよね。
10時から22時までずっと冷蔵庫の中で、パレットとベルトコンベアーの間を、
ダンボールを持って何百回と往復するわけです。
体はさすがにキツかったですけど、それでも彼女のためにと頑張って続けてましたね。
あの日の夜までは。
・・・つづく。 -
毎度ありがとうございます!
「東京視察」まであと一週間あるんですけど、東京というと忘れられない思い出がありまして。
長くなりそうなんで、気楽に読み流して下さい。
夏の予選が終わり、野球部寮を出て念願の自宅通学に切り替わった高3の秋。
その頃、学校が終わると真っ直ぐに向かう喫茶店があったんです。
姉妹で経営していたその喫茶店は、当時流行の麻雀のゲーム機が置いてあって
コーヒー一杯で何時間も居座っていれたわけです。
毎日通っているうちに、自分より2歳年上だった妹さんの方と、付き合うことになったんですよね。
自分は北海道の大学に進学したんで、春からは遠距離恋愛になったんですけど、
1年くらいは行ったり来たりしながら、そんな関係が続いてたんです。
でも、翌年のGWに突然、音信不通になってしまったんですよ。
携帯もない時代ですから、北海道からじゃ全く現状を把握できなかったんです。
ようやくお姉さんと連絡がついて、話しを聞いたら
「店の経営が厳しく借金しか残らなかったから、店を閉めて妹は東京にいる姉の所に行った」
って言うんですよ。
18やそこらで、彼女が急に何の連絡もないままいなくなって、
「はい。そうですか。」ってヤツは一人もいないと思うんですよね。
そのまま東京行きのチケットを買いに行ってましたから。
飛行機に乗ったのも、山手線や地下鉄やら一人で都内を移動したのも、この時が初めてでした。
鶴岡のお姉さんから聞いた住所は、京王線笹塚駅そばのマンションだったんですけど、
何時にどこから帰ってくるのかすら分からないまま、10時間くらいはマンションの前に座ってましたね。
今思えば、バカみたいな行動ですけど、当時はまだ若かったと言うか熱かったと言うか・・・。
ようやく、夜中の1時くらいだったと思います。
一台の古いベンツがマンションの前に止まって、中から彼女が降りてきました。
礼儀正しくお辞儀をして、ベンツを見送っている彼女に近づき声を掛けたんですよね。
「ど、どうしてここにいるの?」
「お姉さんから聞いたんだ。ここにいるって。」
「そうなんだ。ゴメンね、心配かけちゃって。」
「なんで、何にも言ってくれなかったんだよ。」
「ゴメンね。とりあえず、中に入ろっか。」
8階までのエレベーターの中で、聞きたいことを整理するんですけど、
たくさんありすぎて何がなんだか、自分でもワケ分かんなくなってるんですよ。
「借金ってどういうこと?」
「なんで何も言ってくれなかったわけ?」
「今、仕事は何してんの?」
「なんでこんな時間に帰宅すんの?」
「あのベンツの人は誰?」
お姉さんが彼氏と一緒に暮らし始めたために空いたというワンルームの部屋に入って、
その、ひとつひとつの質問に答えてくれたんです。
・・・つづく。