毎度ありがとうございます!
日々の思っていること、感じたことを、好き勝手に書きなぐっているつたないブログですけど、
こんなブログでも、鶴岡の様子や共通の知人の様子を垣間見れるということで、
楽しみにしてくれる方々の声もたくさん頂戴しているんですね。
あえて、少し前の話しではありますけど、大晦日に亡くなった同級生の話しです。
小中学校と同級生だったマサシ、いや「マナミ」が亡くなったと一報が入ったのは大晦日のことでした。
中学校ではクラスメートにもなりましたし、自分たちの代では野球部のキャプテンだった男です。
鶴岡四中野球部時代は、自分がレフトで、マナミはセンター。
足の速いマナミには、随分と守備では助けてもらいました。
スポーツ万能で頭も良く、いつも笑っていた「マナミ」が亡くなったなんて、本当に信じられません。
恒例の正月ゴルフのため仙台から戻った日の、
1月4日のお通夜に参列させていただきました。
45歳という若さでの旅立ちはあまりにも早く、
喪主を務めた奥様の涙でかすむご挨拶の言葉に、
思わず涙がこぼれそうになりました。
マナミとの再会は、2年ほど前に会社の人たちと偶然に「やんちゃ」に来てくれたのが最初でした。
「ノリがやってんの、知らねっけ~。今度、家族みんなで来てもいい?」
「もちろん。是非、みんなで来てくれのぉ。」
なんて会話しながら、ボトルを入れたその後も2~3回は顔を出してくれていたんですよね。
子供の頃と少しも変わらずニコニコ笑うその表情に、こっちまでもがつられて微笑んでしまうくらい
温厚で優しかったあのマナミが亡くなったということは、あまりに受け止めにくい現実でもあったんです。
お母さんにお伺いしたところ「大腸ガン」だったとのことで、若さゆえに進行も早く転移を止めれず
「抗がん剤治療にも頑張ったんだけど、ガンには勝てなかった。」と悔やんでおられました。
お通夜の会場前に流れる生前の写真のスライドショーを拝見させてもらいながら、
飲みに来たときのマナミや、同じユニホームを着て戦った頃のマナミを思い出していたんです。
活発だったヤツだけに、本当に今でも信じられません。
この歳になってくると、今度はいつ自分の番になっても、不思議ではない年齢なのかもしれません。
自分も昨年、おふくろの最期を看取ったせいか、「死」というものに対する考え方が
より身近に感じるようになった気がします。
そのうちに、今度は自分にお迎えが来るのかも知れない。
だけど、そのことに怯えて過ごすのはやめようと思うんです。
いつか自分にも訪れる「死」があるんだとしても、そのギリギリまで楽しく笑って過ごしたいものです。
むかし聞いた誰の言葉か知りませんけど、心に残る言葉があります。
「あなたが生まれたときには、
あなた一人が泣いていても、
回りの人たちはみんな笑っていたでしょう。
ならば、あなたが死ぬときには、
回りの人たちみんなが泣いていても、
あなた一人は笑って死ねるような人生を送りなさい。」
今日を精一杯生きるということ・・・
その答えは簡単ではないのかも知れないけれど、楽しく笑える人生であるべく今を生きております。
今日は、重たい内容になってしまいました。スイマセン。
マナミのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌
日々の思っていること、感じたことを、好き勝手に書きなぐっているつたないブログですけど、
こんなブログでも、鶴岡の様子や共通の知人の様子を垣間見れるということで、
楽しみにしてくれる方々の声もたくさん頂戴しているんですね。
あえて、少し前の話しではありますけど、大晦日に亡くなった同級生の話しです。
小中学校と同級生だったマサシ、いや「マナミ」が亡くなったと一報が入ったのは大晦日のことでした。
中学校ではクラスメートにもなりましたし、自分たちの代では野球部のキャプテンだった男です。
鶴岡四中野球部時代は、自分がレフトで、マナミはセンター。
足の速いマナミには、随分と守備では助けてもらいました。
スポーツ万能で頭も良く、いつも笑っていた「マナミ」が亡くなったなんて、本当に信じられません。
恒例の正月ゴルフのため仙台から戻った日の、
1月4日のお通夜に参列させていただきました。
45歳という若さでの旅立ちはあまりにも早く、
喪主を務めた奥様の涙でかすむご挨拶の言葉に、
思わず涙がこぼれそうになりました。
マナミとの再会は、2年ほど前に会社の人たちと偶然に「やんちゃ」に来てくれたのが最初でした。
「ノリがやってんの、知らねっけ~。今度、家族みんなで来てもいい?」
「もちろん。是非、みんなで来てくれのぉ。」
なんて会話しながら、ボトルを入れたその後も2~3回は顔を出してくれていたんですよね。
子供の頃と少しも変わらずニコニコ笑うその表情に、こっちまでもがつられて微笑んでしまうくらい
温厚で優しかったあのマナミが亡くなったということは、あまりに受け止めにくい現実でもあったんです。
お母さんにお伺いしたところ「大腸ガン」だったとのことで、若さゆえに進行も早く転移を止めれず
「抗がん剤治療にも頑張ったんだけど、ガンには勝てなかった。」と悔やんでおられました。
お通夜の会場前に流れる生前の写真のスライドショーを拝見させてもらいながら、
飲みに来たときのマナミや、同じユニホームを着て戦った頃のマナミを思い出していたんです。
活発だったヤツだけに、本当に今でも信じられません。
この歳になってくると、今度はいつ自分の番になっても、不思議ではない年齢なのかもしれません。
自分も昨年、おふくろの最期を看取ったせいか、「死」というものに対する考え方が
より身近に感じるようになった気がします。
そのうちに、今度は自分にお迎えが来るのかも知れない。
だけど、そのことに怯えて過ごすのはやめようと思うんです。
いつか自分にも訪れる「死」があるんだとしても、そのギリギリまで楽しく笑って過ごしたいものです。
むかし聞いた誰の言葉か知りませんけど、心に残る言葉があります。
「あなたが生まれたときには、
あなた一人が泣いていても、
回りの人たちはみんな笑っていたでしょう。
ならば、あなたが死ぬときには、
回りの人たちみんなが泣いていても、
あなた一人は笑って死ねるような人生を送りなさい。」
今日を精一杯生きるということ・・・
その答えは簡単ではないのかも知れないけれど、楽しく笑える人生であるべく今を生きております。
今日は、重たい内容になってしまいました。スイマセン。
マナミのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌
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