『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

母の日に想う
毎度ありがとうございます!

昨日は、「母の日」でしたね。
ウチでは、8日の娘の誕生日と合わせて一緒にお祝いしました。

昨日もカミさんは仕事で不在でしたんで、午前中から子供たちとカーネーションを買いに出かけたり、
午後からは息子のTボール講習会やら運動会のリレー選考会やらで、忙しく動き回ってました。

DSC_0168.jpgそんな慌しさの中、ようやく一息ついたところで宅配寿司も届いて
「さぁ始めよっか!」という時に、娘とカミさんがなにやらコソコソ話してる。

「ちょっと、出かけてくるから。」
「はぁ?どこに?」
「すぐ、そこまでだから。」

20分ほどして戻ってきた2人の手には、白いカーネーションがありました。
「おばあちゃん(おふくろ)にも、お花をあげようと思って。」

おふくろと親父の写った写真立ての後ろにある花瓶に、綺麗なカーネーションが飾られました。

すごく嬉しかったし、すごくありがたかったですよね。
と同時に、そんなことこれっぽっちも頭になかった自分が、情けないやら恥ずかしいやらで、
めちゃくちゃカッコ悪かったですけどね。

自分に欠けているもの、自分には見えていないものを、パートナーが補ってくれたり
カバーし合えてると思えた時に、家族を持つことの素晴らしさを実感するような気がします。

そう思えば、おふくろが生きていた頃は、毎年花をプレゼントしていましたし、
誕生日には、おふくろが好きだったあやめ色のものを、なにかしらプレゼントしていました。

物持ちのいい人で、もう何年も前にプレゼントしたバックの取っ手が擦り切れていても
「気に入ってて、こればっかり使ってるから、全然気にならない。」って
新しいのを買ってあげるまで、ずっとそのバックを使ってくれてたもんです。

亡くなってしまったことで、そんな母への感謝の気持ちさえ薄れていってしまっていたこと・・・
そして今を生きるということ、過去を顧みるということ、出会いがあれば別れもあって、
親しくなったり疎遠になったり・・・いろいろと、人生考えさせられますよね。


しっかし、先週は懐かしい人たちとの再会に、胸躍らせた一週間でした。
昔の記憶を辿って、あの頃を懐かしむことも、今の日常にとっては“非日常的イベント”なわけです。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、今頃は彼らにとっての日常の生活に戻っているはずです。

自分も煮込みを作り、ブログを書いて、仕込みをして、いつもの月曜の朝を迎えています。

でも、気分的には、いつもの日常の朝とは違っていて、懐かしい再会がもたらしてくれた
「オレも頑張らなきゃ!」という晴れやかな、そして爽やかな気分の月曜日なんですよね。

また会いたい、また会おう、という想いが、次回再会の日までのガソリンになって頑張れそうです。

鶴岡は、ポカポカ陽気の月曜日。
外は、だんだん半袖でもいいかも、ってくらいあったかいです。

今日の煮込みは、いつもより少しだけ「優しい味」になっているかもしれません(笑

今週も一週間、頑張りましょう!!

コメント

1. 無題

こんにちは(^^)
少し話がズレてしまうんですが、俺が函館離れて6年になるんですが、やはり離れてしまうと、年に二回位しか函館には帰らなくなってしまいます。
久しぶりに帰省して真っ先に思う事があります。それは、両親の「老い」です。
函館いる時は頻繁に会えていたので全然気付かないもんですが、やはりそこは非常に気になるし、寂しくもあります。
頭の中では、出来る限り親孝行しなきゃと思っていても、中々出来ていない現実があります。
このまま年二回ペースで帰省していたら、後何回両親に会えるのかな⁈なんて考える夜もあります。

石川さんのブログを見て、もっと親孝行しようと誓った月曜日でした(^^)

2. >タムちゃん。

無事に八戸に戻られたようで、安心しました。

ご両親を想う気持ち、すごくよく分かります。
「元気な姿を見せてあげるだけでも親孝行なんだよ。」なんて他人は簡単に言いますけど、
それ以上の何かをしてあげたい年齢になってきてるんだと思うんですよね。

自分は、【モノ】より【時間】を共有してあげてほしい。

一緒に食事をしたり温泉に入ったりして、楽しいことや美味しいものを
たくさん共有して欲しいと思うんです。
いつの日か、体調を崩されて入院なんかしてしまったら、何か欲しいものなんてないだろうし
どこにも連れて行ってあげれないんです。
それどころか、一緒にご飯も食べられない。

何気ない日常の【時間】をたくさん共有して、たくさん親孝行してあげてください。

てか、オレが持たせた「金華豚の味噌漬け」は、親に食べさせるべきだったんじゃね?(笑
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