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毎度ありがとうございます!
会津若松のど真ん中に豪壮な構えで建つ鶴ヶ城を、もっとゆっくりじっくり見学したかったんですけど、
天守閣には残念ながら登ることが出来ず、後ろ髪を引かれる思いでお城を後にしました。
桜の咲く季節にでも、もう一度カミさんとカールを連れて訪れたいと思いましたね。
「想定外」の事故渋滞に巻き込まれ会津到着が2時間遅れてしまったため、昼食をとるタイミングを
完全に逃してしまっていて、ユウスケが「何も食ってないんで腹減ったっスね!」と騒ぎ出します。
息子が会津にいるオサムちゃんからの情報で味噌蔵の「満田屋(みつたや)」で味噌田楽でも
軽くつまんで小腹を満たそうと思ったら、なんと水曜日が定休日でした。(´;ω;`)ウッ…
ならばと、すぐ近くの末廣酒造に酒蔵見学に行こうと思えば、なんとすでに営業終了してるし(泣
そんなことってあるの?
全然予定通りにいかないじゃん!
「だったらもう、その辺の食堂で一品料理をつまみに瓶ビールでやろうよ。」と、
会津名物の「ソースかつ丼」のアタマだけを目当てに一斉にググりだします。
が、どこも14時で終了してるお店ばかりなんですよね。
すると、一軒だけ近くで営業してる食堂を発見して「もうそこでいいんじゃね?」と
ブンちゃんが車を駐車場に滑り込ませます。
「この辺の食堂でソースかつ丼がない店なんてないですから。」という会津出身のブンちゃんの
言葉を信じてとりあえず瓶ビールを注文すると、瓶ビールはスーパードライなんだそうです(笑
メニューにサッポロ生ビールと書いてあったんで、瓶もサッポロかと思いきや、まさかのアサヒ(汗
しかも、ブンちゃんから「体調不良のため、今日はノンアルで付き合います。」宣言まで飛び出します。
飲まないサッポロの営業と、アサヒスーパードライで一杯目を乾杯するという、カオスな状況。
ま、ま、気を取り直して「早速、ソースかつ丼のアタマだけもらおうか。」
「え?あれ?」
「どうした、ユウスケ。」
「マスター、【ソースかつ丼】自体がメニューにないっス。」
「えーっ!!」
「ブンちゃん、どういうことよ?」
「あ、いや、おかしいな。」
ざわつく一行に気づいたのか、食堂のご主人が「なんだったらソースかつ、出来ますよ。」と
優しく声をかけてくれたんですよね。
「ありがとうございます。わがまま言って申し訳ないです。観光で来たもので。」と
丁寧にお礼を言って、他にも何品か酒のアテになるようなものを一緒に注文します。
「お待ちどうさまでーす。ソースかつです。」
「おー!やったー!」
「はい、どうぞー!」
「・・・。」「・・・。」「・・・。」
こ、これが会津名物のソースかつなの?
うーん、普通にソースを掛けたとんかつにしか見えない。
なんか、カツごと秘伝のソースにジャボンと潜らせてヒタヒタになってるイメージだったんだけど。
それでも、わざわざ作ってくれた「ソースかつ」も肉厚ですごく美味しかったですよ。
ただ、日本全国どこでも「とんかつ」と呼ぶこのビジュアルは、正直「想定外」でしたね。
その後、何を話したかは覚えてません。
ただ、車に戻ってから「あれが会津名物のソースかつなの?」
「いや、ソースかつ丼のアタマではないです。」
「普通のとんかつにソース掛けたのと、どこが違うの?」
という問答をブンちゃんと何度も繰り返したのだけは覚えています。
もちろん、ちゃんと全部美味しく頂きましたし、ご主人の優しさも有り難かったです。
どうもご馳走様でした!
なんだかしっくりこない展開が続くなか「もう、今のうちにお土産買っちゃおうぜ。」
一行は鶴ヶ城そばのお土産屋さんに向かって車を走らせたのでした。
ここまで、何ひとつ思い通りに行ってません(笑
つづく。
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毎度ありがとうございます!
臨時休業を頂いて、会津若松市に行ってきました。
今回の旅の相棒は「焼鳥あばれん坊」のユウスケとの二人旅です。
ユウスケも独立してから8~9年は経っていますから、もう一人前の店主ですよね。
調理技術もさることながら、感覚や感性といったアンテナの感度が抜群に良い男なんで、
そんな感覚をすり合わせながら久しぶりに飲めることも楽しみにしていました。
集合時間は午前9時。
ユウスケの自宅まで自分が迎えに行くことになっていました。
2日前からの寒波の影響もあって少し早めの8時半に出発したんですけど、屋外に止めていたD:5を
久しぶりに動かしてみると、300mほど先の信号待ちでストンをエンストしたんですよ。
バッテリーチェックランプが点いていたんですけど、再始動すると一発でかかったんで、
しばらくぶりに動かしたんでバッテリーが上がり気味なのかな、くらいにしか思ってなかったんです。
またエンストしないようにニュートラルに入れて少し吹かしながら、ゆっくりと発進したんですけど
今度はキュルキュル音がして明らかに吹け上がらないんですね。
「あれ?なんかおかしいぞ。」と思ったら今度は何か焼き付てる臭いがしてきたんですよ。
ビニールが焼けているような、モーターが焼き付いているような、とにかくイヤな臭いです。
止まるにも朝の通勤ラッシュで思うようにはいかず、ユウスケの自宅までの2kmを自走して
なんとかかんとか辿り着きました。
出てきたユウスケも「なんか臭くないっすか?」とその異変に気づきます。
ボンネットを開けて覗いている間にイヤな臭いは消え、すでにキュルキュル音は止まっていたし、
煙や発火も見られなかったんで、このまま出発することにしたんです。
すでに出発から「想定外」の波乱含みの展開です。
この時、甲子園の応援帰りの高速で当時乗っていたアルファードのファンベルトが突然切れて
とんでもない展開になったことを思い出してました。
とにかく確証はないけど、無事に行って帰って来れることを祈るだけです。
いざ高速を使って月山道も越え、上山を過ぎて南陽に入ろうかという手前のトンネルで、
今度はハザードを上げて緊急停止。
トンネル内の工事かなんかで片側通行でもしてんのかな、なんて思っていたら
後ろからパトカーは来るし、消防隊員が消火器を担いで行くわ、救急隊員がストレッチャーを
押して行くわで、明らかにトンネル内事故だと気づきました。
初めて事故渋滞に巻き込まれましたけど、トンネル内で身動きもとれず先の状況が全く分からないまま
時間だけが過ぎていくのがどれだけ不安なことか。
ユウスケが車から降りて少し先を覗いてみると、100mくらい先に事故車両があるようで、
救急車や消防隊員でどんな事故なのかは見えなかったと言います。
不思議なもので、こういう時に限ってトイレに行きたくなってくるんですよ。
後続の車から降りてきた男性もトンネル内にトイレがあるのかを歩いて探しているようで、
「トイレを我慢してるのが女性なもんで・・・」と困惑していました。
行き交う消防隊員や機動隊員に「今、どんな状況ですか?」と声をかけても
「いま事故の処理をしていて、まだ再開のメドはたってません。」と言うばかり。
30分・・・1時間・・・1時間30分・・・
このまま夜になるならいっそ会津に行くの止めて山形で一杯やって帰ろうかな、なんて
邪な考えも思い浮かんでいたら、2時間経ってようやく車が動き出しました。
まだ会津までの半分ですよ。
すでに到着予定時刻だった12時30分を過ぎてから車が動き出し、今度はここから国道121号線を
まだ2時間近くは運転しなくてはならないわけです。
自宅を出たのが8時半、会津のホテル駐車場に無事に着いたのが14時すぎ。
運転嫌いの自分が6時間近くも運転しての道のりは正直「想定外」でしたけど、
無事にメーカー担当のブンちゃんとも合流して、まずは楽しみにしていた鶴ヶ城に向かいます。
天守閣は復元されたものとはいえ、石垣や城を囲むお濠は当時のままのところも多く残っていて、
江戸時代から幕末にかけての激動の時代にもこの場所に建ち、変わらず会津の城下を見下ろして
いたのかと思うと、その凛とした姿になんだか身の引き締まる思いがします。
もちろん天守閣に登って、9代藩主・松平容保(かたもり)の気持ちになって会津の街並みを
望むつもりでいたんですけど、4月29日まで天守閣の修復工事が行われていてその願いも叶わず。
今回の出張の中でも楽しみにしていた鶴ヶ城だっただけに、これも残念な「想定外」でしたね。
まあまあ、こういうことは旅ではよくありますから。
あんまり焦らずのんびり行きましょうか。
・・・なんて余裕かましてるのも今のうちです。
「想定外」の旅はまだ始まったばかり。
つづく。
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毎度ありがとうございます!
今日と明日は臨時休業となります。
以前から告知していた通り、会津若松市へ出張のためお休みいたします。
今回の旅の相棒は「焼鳥あばれん坊」のユウスケ。
ユウスケと泊りがけで出張に行くのも何年振りでしょうか。
まだゴウも生きていて、エリア担当のカサマツくんとの珍道中も懐かしいです。
ビールメーカーとしては自社取り扱い店舗ならば、誰と行っても問題ないのかもしれませんが、
自分にとっての「繁盛店視察出張」というのは、仕入れ先の酒屋単位が基本だと思っています。
サノでもゴウでも、もしもまだ生きていて一緒に繁盛店視察出張に行くとしたら、きっと
「必ず自分の酒屋と契約しているお店と行くのが当たり前。」と言うでしょうから。
たとえば、今回の会津出張でサッポロの取り扱い商品のワインを試飲したとします。
それがきっかけで、自分のお店でも提供したいと思った際に、最低入荷本数の制限とか
ケースやロット縛りのある商品もあったりするんですね。
そんな時に「ウチで半分買うからお前のとこも半分使ってみないか?」みたいな話になるわけです。
逆に、1本からでも購入できるけど、在庫の管理や諸々のことを加味して、どうせならその商品の
仕入れ先店舗を一気に増やしたいという酒屋側の思惑もあったりします。
適当に飲んでいるように見えても、それはれっきとした商談に変わりはありません。
ゴウが生きていれば、当たり前のように今回の出張にも同行しているはずです。
ゴウは亡くなってしまったけれど、ゴウを感じてゴウの生前と同じように付き合っていくことは、
我われ本間商店から仕入れている飲食店仲間にとっては当たり前の感覚なんですよね。
そしてなにより、メーカーとの交渉や付き合いは酒屋を経由して、というのが絶対的基本だと
サノにもゴウにも教えられてきました。
自分もその通りだと思います。
弟子のユウヒも連れて行ってあげたいところですが、仕入れ先の酒屋が違うので仕方ありません。
ユウヒにも自分の考えがあって酒屋を選んだんでしょうから、それは別に問題はないんですけどね。
というわけで、そろそろ支度して出発します。
油断していたら一面真っ白の冬景色に逆戻りですもんね。
安全運転で行ってきます。
どんなドラマが待ってるんでしょうか。
それはまたブログで報告させてもらいますね。
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毎度ありがとうございます!
昨日、公民館で飲んだ後に記憶がぶっ飛んで何も覚えていないというマナブさんからのLINEを見て
今日は自分も「公民館飲み」をテーマに書いてみようと思います。
その昔、まだ娘が小学生の頃に運動会の反省会で公民館で飲んだ時の話しです。
我が青柳町内会は学区イチ早く反省会を始めて、学区イチ遅くまで飲んでいるために
当時から「飲んだくれ町内会」として有名だったんですよ。
小学校の運動会ですから、もちろん町担当の教員も同席するわけですけど、
その年は新婚の若い男の先生が担当だったんですよね。
酒も入り遠慮のない高学年のお母さん連中にイジられ、お祝いの日本酒も2本3本と空になっていき、
さらには「飲んだくれ町内会担当教員」として気合いも空回りし、明らかなオーバーペースで飲み続け
気が付いたら先生がぶっ倒れてるんですよね。
その時はまだ低学年の保護者だったこともあって、遠巻きに見ていたカミさんらがその場で
看護にあたったんですけど、完全な急性アルコール中毒症状が出ていました。
「救急車を呼んだ方がいい。」という誰かの忠告も現実味をおびず、結局リヤカーに布団ごと
寝かせてお父さんたちで運んで行ったはずです。
でも最終的にはその後、救急車で運ばれたんだっけかなぁ、ちょっと記憶が曖昧だけど。
そのリヤカーを送り出してから教頭先生に連絡を取り、いろいろと後始末やら状況説明やらで
深夜0時を回り、そこまでの酔いも一気に醒めた状態になっていました。
大広間で当時の町監督から「こんなに飲ませたのは誰だ?」だの「町内会の汚点になる。」だの
急に説教が始まったものだから、こっちもだんだん頭にきてブチ切れてしまったんですよね。
自分の中で、その町監督が中学の後輩ということもあったんでしょうけど。
「ちょっと待てよ。お前も一緒に飲んでたのに急に説教かよ!」
「いや、それにしても、あきらかに飲ませすぎでしょ!」
「無理やり飲ませたんじゃない。テンションが上がって自分で飲んだんだろーが。」
「いや、だとしてもダメでしょ!」
「こういうふうになってから言うんじゃねーよ。だったらその場で気づいたときに言えって。」
「それにしても反省会で救急車騒ぎなんて前代未聞だって。」
「そんなの結果論だろ。先生だって一丁前の大人なんだぞ!自己責任だろうが。」
みたいな、酔っぱらい特有のどうでもいいやり取りをして、今にも掴みかかりそうな二人の間に
他のお父さん方が割って入って何とかその場は収まったわけです。
まぁ、その後は無事に先生も復活し、後日「いや~調子乗って飲みすぎました!スイマセン」と
笑顔で挨拶に来てくれましたけどね。
何より無事で良かったですよ。
吐しゃ物を詰まらせ窒息死とかもありえるほどの状況でしたから。
その後、一時的に隣の美原町に引っ越すことになったんですけど、そこの反省会にも自分が一升瓶を
片手に登場することから青柳町の噂も重なって「壊し屋」のあだ名が付けられたこともあります(笑
「あっ!壊し屋来たぁ!また日本酒片手に持って来てるっ!」
せっかくお店の限定酒「徳蔵」を持って行っても、誰も手を付けないんですよね(悲
となると、湯飲み茶わんを片手に片っ端から近くにいるお父さんにロックオン!!
「イシカワさん、ここは青柳町じゃないんだから(笑」なんて、やんわり断られたりして。
その数年後に今度は息子が小学生に入学してから、また青柳町に見事戻って来ました。
子どもが中学生くらいまでですかね、公民館の利用頻度が多かったのは。
今は防災訓練と総会くらいですけど、そういうのに自分は全く参加していませんから、
もう何年も公民館に足を踏み入れたことがありません。
敬老会の「お茶飲みサロン」があるなら、近所の方々が酒を酌み交わす「酒飲みサロン」でも
やってくれたら、地域交流にもなるし町の活性化にもなるし、青年部や環境部などの町民協力も
得やすいような気もするんですけどね。
なにより町内のご近所同士で飲むということが、お気軽でお金もかからず簡単でいいじゃない。
町内会のだれか、是非とも実現してくださーい。
というわけで、煮込みもそろそろ仕上がります。
今日は、おばあちゃんちのテレビ設置という重大な任務があります。
もう一杯コーヒーを飲んでから動き始めますか。
ではまた。
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毎度ありがとうございます!
来週22日(水)は会津若松市に出張のため臨時休業となります。
鶴岡と同じ城下町で、戊辰戦争では庄内藩と共に最後まで新政府軍に抵抗した会津藩のことを
調べているうちに、鶴岡と鹿児島(薩摩)、庄内と西郷隆盛との不思議な縁に興味が湧いてきたんです。
・最後まで新政府軍の侵攻を許さず無敗のまま降伏した庄内藩とは
・会津藩、庄内藩、盛岡藩の降伏後の処罰処遇の違いはなぜか
・庄内藩士と西郷隆盛との関係性
・西南戦争でなぜ庄内藩士は西郷隆盛と共に戦ったのか
などなど、自分が興味を持ったテーマにはここでは書ききれないほどの情報が
ネット上に詳しく解説されていますので、興味のある方は是非調べてみてください。
それにしても、自分の生まれ育った街「鶴岡」のことを、今まで何も知らずに暮らしていたなぁと
改めて痛感させられます。
学校でも教わった記憶がないですもん。
自分だけが覚えていないだけかもしれないけど。
今まで自分の友人との会話で戊辰戦争のことが話題に出たこともありませんし、
酒井家本間家は出てきても西郷隆盛が話題に出たこともありませんしね。
御朱印巡りを趣味としているものとして、西郷隆盛との関係性が深く全国でも4社しかない
「南洲神社」(酒田市)へ参拝に行って、是非御朱印を頂いてきたいと思っています。
「学ぶこと」に早いも遅いもありませんから、興味を持った今からでも知らないよりは
知っていた方がいいことがたくさんあるような気がします。
そしてなによりも、歴史は謎が多く面白い!
テストに出る日本史や丸暗記の年表なんかよりも、こうやって自分たちのルーツというか
自分たちの祖先たちが暮らし生き抜いたその時代のことを「知る」ことこそが
本当意味での学びなのかもしれませんね。
誰か、もっと知っていることがあれば教えてください。
あと歴史といえば、娘の住む成田市にある有名なお寺が「成田山新勝寺」。
節分では関取や有名人が豆まきすることでも有名な寺院ですが、成田山新勝寺は真言宗智山派の
大本山でもあり、我が家の墓のある南岳寺(真言宗智山派)とも深い関りがあるところです。
自分の実家は曹洞宗でしたけど、カミさんの父親が亡くなって建てたお墓が南岳寺だったこともあり
自分も入るお墓とお寺のことを少しでも知っておきたくて、いろいろ勉強してみたんですよね。
南岳寺には即身仏が鎮座しており、庄内における即身仏についても知っておきたかったんです。
これもまた、鶴岡に住んでいながらほとんどが知らないことばかり。
身近にあるお寺や神社にまつわる歴史やルーツのことを何も知らないんですよね。
いつか機会があったら「即身仏について」ブログでも書いてみたいと思います。
というわけで、今日も一日のんびりと頑張ります。
雪はだいぶ解けてますけど、まだまだ寒い日が続く鶴岡です。
それではまた。
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毎度ありがとうございます!
昨日は横浜に住む先輩が来鶴する予定で、店にもご家族でご予約を頂いていたんですけど、
いろいろと状況が変わり、残念ながらキャンセルになりました。
久しぶりの再会に自分も楽しみにしていたんですけど、こればっかりは仕方ないです。
またタイミングを見て鶴岡に来て頂いて、その時は是非お店にも立ち寄ってもらえればと思います。
思い通りに行かないことも、予定通りに行かないことも、人生いろいろあるものですから。
思い通りに行かないといえば、昨日同期アイタとランチを堪能した老舗喫茶店の話しをブログに
書かせてもらおうかなと思っていたんですけど、一部掲載不可ということでしたんで記事は書きません。
人間同士の関係性を書かずして、単なる食レポを書きたかったわけではなかったもので、
ちょっと記事を組み立てるのが難しかったんですよね。
後々、いろいろとご迷惑をおかけしてもいけないんで、潔く書かないという選択です。
それも思い通りに行かなかった出来事のひとつでしたけど、まぁそんなことも多々ありますよ。
昨夜は、久しぶりに某高校の先生にご来店いただいて、普段から疑問に思っていた教育現場の話しを
聞かせてもらいました。
印象的だったのは「プラマイプラで終わるように。」という言葉。
褒めること認めること、叱ること注意することが山ほどある教育現場のなかで、
まずは認めるプラス、そしてダメ出しのマイナス、でも最後はやる気の出させるプラスの言葉で
終わるようにしたいという話しでした。
素人の自分が思い描く「褒めて伸ばす」は理想論だと他の人からは散々否定されてきましたけど、
先生の言う「プラマイプラ」も、まずは認めるところからという意味では、共感できるところが
たくさんあったんですよね。
「デカい声で怒鳴りつけた方が早いこともたくさんあるんですけどね。」と言う先生は
「時間がかかることだし、すぐに結果も出ないアプローチかもしれないけれど、教え育むことが
【教育】だと思っているんで、バカヤロウ・コノヤロウのスパルタだけでは教育にはならないと
自分は思ってるんです。」とも話してくれました。
新卒で先生になりたての頃の理想のカタチからは、随分とカタチが変わってきたのかもしれません。
でもそれはたくさんの経験と成功と失敗を繰り返し、先生自身が向上心を持ってアップデートされて
きたからこその今見えている景色、今語れる話しだと思うんですよね。
教育現場ど素人の自分の考えなんかにも、否定することなくしっかりと耳を傾けてくれて、
それを認めてくれた上で、先生自身の経験談や教育論を聞かせてくれました。
大変貴重で楽しいお話を聞かせてもらいました。
ありがとうございます。
今日も思い描いている一日になるのかわかりませんけど、いろんなものを受け止めながら
気持ちだけでもプラマイプラのプラスで終われるように頑張りたいと思います。
雪がなくていい朝です。
このまま春にならないかな。
それこそ思い通りにはいかないか。
それではまた。