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毎度ありがとうございます!
おとといの夜の話です。
カウンターにはいつも一人で来店してくれる常連の方々で埋まり、
さながら「アベンチャーズ」状態で久しぶりに賑やかな店内になりました。
開店直撃でスガイが登場。
カウンターに座ってすぐに「ちょっとお願いがあるんですよ。」とイヤな流れ。
こういう時は大体が審判の穴埋めなんですよね。
案の定、雨天順延した場合の塁審担当でした。しかも2試合も。
持病のヘルニアが悪化していて、毎日コルセットして焼き場に立っているというのに、
しかも踵腱膜炎で足も痛いと前々から言ってるのに、まったく容赦ありません。
こんなふうに場当たり的に乗り切ったとしても、根本的な改善にはなってないんですけどね。
慢性的な審判員不足で鶴岡地区は特に困っています。
学童や中学の試合でも4人制で審判がつかない試合がほとんどです。
本当にこのままでいいんでしょうか。
なんて話していたら、タカノリくんも登場。
申し子リョウタの姿が見えないと思ったら、その日は剣道の稽古中だそうで、
そんな一瞬の隙を見つけて飲みに来るという黒帯っぷりです(笑
そうこうしてると、大御所あびこ一郎先生がドドンと登場!
最近は、あびこが来店すると一部のブログマニアから「あ、あびこ一郎先生だw」という
ニヤけた空気が漂うようになってきました(笑
一郎でも先生でもないんですけどね。
ブログって怖いです(笑
程なくして後輩タケシが登場。
残高70円からの起死回生馬券の話しで盛り上がってました。
「人生綱渡り」なんて歌があったら、まさにあびこ一郎先生に歌ってほしいタイトルです。
ここまでお一人様常連がカウンターに並ぶと、マキくんが登場する予感がプンプンします。
ガラガラ・・・
予想通り、マキくんが「いいっスか?」と登場します。
麻雀なら一発ツモですよ(笑
ワクチン2回目で少し微熱があったんですけど、賑やかな店内の雰囲気で一気に吹っ飛びました。
やっぱり商売人にとって「忙しいこと。」が一番の薬になります。
8月からずっと厳しい状況の中で提灯に明かりを点けてきました。
またお客様が戻ってきてくれるんだろうか。
このまま潰れるんじゃないだろうか。
そんな不安を毎日抱えながら踏ん張ってきたんですよね。
それはまだ今でも変わらないわけだけれども、お客様の楽しそうな笑顔が自分にとっても
また明日から頑張ろうという活力の源になっていることは間違いありません。
まだまだ厳しい日々が続きますけど、ワクチン接種も進んで少しは明るい未来に近づいていると
信じて毎日を頑張るだけです。
今日もまた自分の一日を頑張ります。
のんびりやりますけどね。
ジタバタしてもしょうがないんで。
ではまた。
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毎度ありがとうございます!
本日2回目のワクチン接種です。
大きな副反応がなければ通常営業いたしますが、酷い症状が出た場合は臨時休業といたします。
何卒ご了承くださいませ。
最近、お店のテレビの調子が悪いんですよね。
「今どきブラウン管テレビってどうなのよ?」って笑われることがありますけど、
18年前に高校の同期たちが開店祝いに贈ってくれた思い出のブラウン管テレビなんです。
地上波デジタル化も、地デジチューナー設置でなんとか乗り切ってきたんですけどね。
立ち込める煙とホルモンの脂とが相まって、きっと中の基盤はギトギトなんだと思います。
突然、画面が真っ暗になって音だけ出ていることが多くなってきました。
一回電源を落としてしばらくするとまた復活するんですけど、いよいよ寿命なのかもしれません。
しかし、改めて店内を見渡してみると、18年間使い続けているものが他にもありました。
冷蔵庫は同級生ナオトが秋田のアパートで使っていた物だし、おしぼりウォーマーも製氷機も
18年間働き続けてくれています。
焼き台は4台目だしガスコンロも3台目、サブの冷蔵庫もエアコンも途中で入れ替えていますから、
そう考えるとブラウン管テレビは本当に頑張ってくれたと思っています。
「ここから頑張れよ!」という同期たちの激励の心がこもった最高のプレゼントだったんですよ。
当たり前のようにそこにあって、たくさんのお客様の目と耳を楽しませてくれたはずです。
使えるものなら、まだまだ使っていたかった思い出のブラウン管テレビでした。
いずれにしろ過酷な環境下で使うテレビですので、新品は必要ないんですよね。
26型くらいの大きさで使っていない不要なテレビをお持ちの方、格安で譲って頂けると助かります。
さて、朝食の後片付けをして、ワクチン接種の準備をしますか。
前回は、37.3℃まで熱が上がった程度でしたけど、今回はどうなることやら。
酷い頭痛とか倦怠感とか出なければいいんですけどね。
よーし、今日も一日頑張っていきましょう!
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毎度ありがとうございます!
今日から、夏の間お休みしていた定番メニュー「煮込み」の提供を再開いたします。
例年だと9月の始め頃からスタートするんですけど、このコロナの影響でお客様数も少ないなかで
煮込み開始に踏み込めず、再開のタイミングを模索していた感じです。
今も客足は鈍いままですから、ひと鍋丸ごとロスとかにならないように願うばかりです。
まぁ、実際に売れなくても廃棄するわけではなく、スタッフたちの賄いになったり、
仕事終わりの自分の晩飯になるんですけどね。
今年の煮込みは新しい試みとして、従来のノーマルのほかに「黒」と「赤」の味変バージョンも
やってみたいと思っています。
「黒」は、焦がしにんにく油のマー油を少々。
「赤」は、激辛実入り唐辛子を少々。
いつもの煮込みに小さじ1程度を溶かすだけなんで、もちろんどちらも無料です。
まだ完成ではありませんので、スタッフや常連さんたちの意見も聞きながら、
完成度を上げてメニュー化していければいいかなと思っています。
自分はマー油好きなんで、自宅にもマー油は常備しています。
たまに作る豚骨ラーメンに浮かべても一気に風味が変わりますし、チャーハンに入れても旨いです。
実はこれ、賄いメニューなんですよ。
いつも同じ煮込みじゃさすがに飽きるんで、ちょっとマー油を入れて風味を変えてみたり、
外が寒い時は激辛で汗をかいてみたりして、たまにスタッフと食べていた賄いなんです。
「こういうのが好きなお客さんもいるかもねー。」なんて話していて、
なんとなくお客様の反応が気になっていた隠れメニューだったわけです(笑
とは言っても、定番の「煮込み」がもちろん一番だと思っていますし自信もあります。
ただ今は多様化の時代ですから、ラーメンひとつとっても「薄口」だの「麺硬め」だの
「こってり」だの「油抜き」だの好みがある時代ですからね。
トッピングひとつでその要望に応えられるのならばやってみようということです。
ダメなら定番の煮込み一本に戻ればいいんですよ。
気になる方は、この機会にぜひお試しください。
そういえば酒屋のゴウも煮込みが好きだったなぁ。
鍋ごと買って行ったこともあったっけ(笑
約3か月ぶりに家中に煮込みの香りが充満しています。
窓全開、換気扇フル稼働で、丹精込めて丁寧に作っています。
今日も気合い入れて頑張ります!
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毎度ありがとうございます!
9月6日、酒屋のゴウが亡くなって一年が経ちました。
自分にとって大切な人が、すでに何人も旅立ってしまっているわけですけど、
不思議なことにゴウだけはまだ亡くなってしまったという感覚がないんです。
どこか遠くへ、ちょっと仕事の関係で今は鶴岡にいないんだっけ?みたいな感覚というか、
会おうと思えばいつでも会えるし、電話をかければ「どうもッス」って出そうな感覚なんですよね。
田中先生や同級生サノも亡くなったことは突然だったけれど、病気療養中ということは知っていたんで
ついにこの日がきてしまったか、という心の準備もどこかでできていたのかもしれません。
ゴウの旅立ちは本当に急だったし、あまりにも突然すぎました。
亡くなって数日間、いや一年経った今でもその実感がないなんて、本当にある日突然目の前から
いなくなってしまった現実を、どこか受け入れきれていない自分がいるのかもしれません。
ゴウは、今尚もがき苦しむコロナ禍での商売を、どんなふうに天国から見ているんだろうか。。
エルグランドを譲り受けた時に、あまりの燃費の悪さに愚痴をこぼせば、
「この車は燃費のことを気にしたらダメなんすよ。トルクと広さが売りなんスから。」と笑い吹き飛ばし、
昨年のコロナで営業自粛になった時には、
「こんなの、薬が出来たらすぐに収束しますよ。もうちょっと、もうちょっとの我慢スよ。」
と励ましたうえに、当時入手が困難だった不織布マスクを一箱ポンと置いて行ったりして。
名前の通りに豪快で、いい男でした。
年下と飲んで、自分が会計をする前にすでに会計が終わっているヤツなんて、
後にも先にもゴウただ一人しかいませんでしたからね。
人一倍カッコつける。
でも、それが嫌味じゃない。
だからまたあいつのために、と思ってしまう。
あの日の夜、ゴウと同期で野球部の後輩タケシ、ナガオカ、マサヨシと
ゴウとも何度も通った福鮨のカウンターで献杯していたんですよね。
みんな、泣いても泣いても涙が止まらなかったことを思い出します。
そして、あの日からちょうど一年が経った。
この一年、良くなったと思えばまた悪くなり、ジェットコースターのような売上の中でも、
必死になって踏ん張ってきたと我ながら思うときがあるんですよね。
少なくとも、お店をたたまずに今もこうして提灯に明かりをつけることが出来ているだけでも、
ゴウはきっと「大丈夫ですよ、やんちゃさんは大丈夫!」と根拠もなく励ますことでしょう。
そしてきっとこう言うはずだ。
「こんなの、もうちょっとですよ!今日パーッと飲みに行きますか、パーッと!」と。
寂しくないか、ゴウ。
そっちでも楽しく豪快にやってるか。
心が折れそうなとき、お前と無精に飲みたくなる夜がある。
そして改めてお前がいない現実をかみしめて、一人寂しく行きつけの暖簾をくぐる・・・
きっと今夜は、たくさんの人たちがゴウの思い出で一杯やることでしょう。
賑やかな場が好きだったあいつのことを、みんなが思い出しながら。
みんなに顔くらい出してやれよ、ゴウ。
みんないつもの店で待ってると思うぞ。
おれは今日も店を開けて、自分の今日を頑張るだけです。
ゴウ、せばまだの。
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今朝起きてすぐにパソコンに向かって作業していたら、明らかに肌寒いと感じるんですよね。
半袖からロンTへ、ハーフパンツからジャージへと切り替えるタイミングです。
何かを切り替えるタイミングというか、切り替わった直後の感覚というか感触というか、
言葉では上手く表せない「その瞬間」というものが結構好きだったりします。
タオルケット一枚で寝ていたものが羽毛布団をかけた瞬間とか、
新しい車を購入してエンジンをかけた瞬間とか、
秋用のスエードブーツに足を入れた瞬間とか、
新しいメニューをカウンターに並べた時とか・・・
そう考えると、大学生から社会人になるタイミングなんかもそうだったのかもしれません。
21才の春。
3年間住んだ函館のアパートを引き払い、本社のある大阪に入る直前まで鶴岡で過ごしていました。
前にも書いたように、学生アルバイトも数多くやりながら、働く先々で可愛がってもらい、
学生なのにワンランク上の責任ある仕事を任せてもらったりして、社会人としての適応力というか
証券マンとしてやっていくことへの根拠のない「自信」があったんですよね。
根拠のない「自信」、それはすなわち「過信」となるわけですけど、この時に気づくはずもありません。
当時の学生の就職は「野球部」「応援団」「ラグビー部」からいいところに決まる、
みたいな世間の雰囲気があって、体育会系のサークル活動をやっていたわけでもないのに、
高校時代のおつりとアルバイトの経験が活きたのか、証券会社に一発で内定が決まったんです。
高校は商業科、大学も商学部商学科、そして兄は銀行員でしたから、何となく金融系に進もうと
漠然と肌で思っていたことではありました。
決してなりたかったわけでもない。
でもどこかには就職しなければならない。
その時、そのタイミングがきたから選択したにすぎません。
それなのに、高校野球やってきて挨拶ができてアルバイト経験も豊富で、
社会人としての適応力に変な自信があって、会社の上司やお客様にも可愛がってもらえるだろう、
営業成績もそこそこいいところまで行くだろう、そのくらいのイメージは持ってましたからね。
今思い返しても勘違いも甚だしい大バカ野郎ですよ、マジで。
入社式で見る60人の同期はどこか皆幼く見えて、大阪での3か月の研修期間を経て
意気揚々と東京兜町支店に配属されたんですね。
1年にも満たない証券マン時代に唯一後悔があるとすれば、自身の担当エリアを「世田谷」にしたこと。
東京でお金持ちが住む街として真っ先に思い浮かんだのが世田谷でした。
どうせ金融の営業をするならば、お金持ち相手の方がいいだろうという計算もありましたし、
大学時代から幼馴染のタダシが住んでいた世田谷に遊びに行って土地勘もあったこともあって、
「新入社員は町工場とかがある下町のエリアにしとけ。」という支店長の助言を振り切り、
一発狙いに走って見事なまでに都会の厳しさを味わうことになったんですね。
町工場の社長は人情派も多く地方出身者も多いことから、山形や函館の話しは東北や北海道へと
話しが広がりやすく、何度も通うことで懐に飛び込める可能性があるということ。
直接会社で名刺交換ができるということも大きな理由でした。
一方、高級住宅街はインターホン越しでしか挨拶回りしかできず、昼間はお手伝いさんが対応して
家主と会うことなんて全くと言っていいほど叶わないわけです。
焦っていましたねぇ。。。
こんなはずじゃないって。
途中から、世田谷に向かう途中の渋谷区三軒茶屋方面でローラーをかけてましたけど、
在籍中の新規契約は、ただの1件も獲れませんでした。
同期が少しづつ契約を取ってくる中、最後まで新規が獲れない自分に支店長から
「親でも兄弟でもいいから新規を引っ張ってこい!」と叱咤され、気持ちが切れたんです。
奨学金も借りずに大学まで出してもらって、この上ノルマが達成できないからお金を預けてくれなんて
いくら勘違いなバカでも言えるわけがないでしょう。
短かった自分の東京でのサラリーマン生活の終わりです。
でも、今思い返せば早いうちに東京で挫折して良かったのかもしれません。
人生にはいろんなタイミングがあります。
今朝はふと、肌寒さからそんな昔のことを思い出した朝でした。
今日ものんびりやります。
ではでは。
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毎度ありがとうございます!
今日で8月も終わりですね。
開業から18年、おそらく8月では過去最低の売上で終わります。
それもまた仕方ありません。
昨夜は、珍しく雷鳥のフクイくんから呼び出しがあって、閉店後にいつもの深夜食堂「椿」で
サクッと合流することになりました。
同じ飲食店経営者同士、これからの先行きが見えず不安になるのはみな同じです。
自分だってそうですよ。
こんな状況で儲かってるわけがないじゃないですか。
だけどね、それを口に出すかどうかで未来は変わるような気がするんですよね。
「もうダメだよ。」と口にすれば、本当にダメな方に物事が進んでしまうような気がします。
たとえ根拠がなくても「来月には少し良くなるんじゃない?」とか「ここは踏ん張らないとね。」とか
少しでも前向きな言葉を発した方が、物事が好転するような気がするのは自分だけでしょうか。
だから、誰もいないカウンターでフクイくんがクダを捲いていたとしても、それでまた明日から
頑張れるのであれば、明日への活力につながるのであれば、喜んで自分も付き合いますよ。
同い年で、埼玉と山形と土地は違えど同じ高校球児で、現役時代は同じように補欠メンバー・・・
今は同じ飲食店経営という不思議な縁で繋がっているフクイくんです。
彼には彼のスタイルがあるし、自分には自分の商売のスタイルがあります。
どちらが正解不正解ということはなく、同じように生き残っていければと思ってるんですよね。
自分は他所では「やきとん」を食べません。
串を食べるなら「焼鳥」しか食べないんですよね。
だから、フクイくんの焼く焼鳥が自分は好きです。
雷鳥の焼鳥は、肉も大きく食べ応え十分ですし、特にせせりやねぎまが旨いんですよね。
雷鳥の「鶏皮ポン酢」は基本は揚げ物なんですけど、自分はいつもわがままを言って
油で揚げていない湯引きの鶏皮ポン酢をお願いして、これもまた何気に旨いんですよ。
このブログを読んだ方、小声で「鶏皮ポン酢、やんちゃバージョンで。」と頼んでみてください。
きっと、こっそり対応してくれるはずです(笑
やんちゃとは違って焼鳥のテイクアウトにも対応してくれるそうですので、
こんなご時世ですからご自宅で晩酌の際のつまみに焼鳥を頼んでみてはどうでしょうか。
赤い軽トラでお馴染みの某持ち帰り焼鳥よりも断然旨いと思いますよ。
フクイくんは人当たりも良いし、やっぱりそういう良いお店には良いお客様が通うものです。
ただ、やんちゃよりも100%早く店が終わるので、自分もなかなかお邪魔できないのがネックですけど、
タイミングが合えばいつもフクイくんの焼く旨い焼鳥で一杯やりたいと思っているんですけどね。
お互いが同士であり、ライバルでもあります。
こんな時代だからこそ生き残りを賭け、生き残るために今を踏ん張るしかありません。
上を向いていこうぜ、フクイくん!
お互いに頑張っていこうや。
また愚痴なら付き合うからさ。
明日に向かって、その先の未来に向かって。