やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ
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毎度ありがとうございます!

恩師、田中先生の告別式が10月1日に執り行われることになりました。
喪主は、ご子息の賢君が務めますので、我々地元OBはお手伝いに徹して
全面協力できる体制は出来ております。

今日は、田中先生の思い出話でもひとつ。

今から10年前、住み慣れた函館を離れ「やんちゃ」を開業するために鶴岡に帰ってきました。

それまで、春・夏・秋の各大会の結果を、スポーツ新聞でしか知ることができなかったもんで、
地元に帰ってきて、気軽に母校のグランドで練習を見たりできるようになったことが、
ものすごく楽しく地元に帰ってきたことを実感した日々だったんですね。

ある日、同期の連中4人でグランドに顔を出した際に、15年ぶりに田中先生とお会いしたんです。
ご病気で倒れられ、すでに学校も退職されていたのはお聞きしてたんですけど、
自分はOB会にも出席してませんでしたし、その後のご様子はまったく知らずにいたんです。

久しぶりにお会いする先生はとても小さく、現役時代の迫力はもうどこにもありませんでした。
不自由の残る体で歩くのもとても大変そうで、話す言葉も上手く聞き取れませんでした。

それでも、ひとりひとりに声をかけていただいて、何百人もいる教え子の中で
自分みたいな下手くそのこともしっかりと覚えていてくれていた事に、
驚きと嬉しさとが入り混じって、涙が出そうなくらい、ものすごく感激したものです。

その後、自分もゴルフをやるという話から会話が盛り上がって2人でゴルフ行ったり、
時にはカミさんと3人で打ちっぱなしに行ったあと食事をしたこともありました。
鶴商OGのカミさんが、「ワタシも田中先生にはビンタされましたよ~。」なんて調子乗って言うと
「してない。してない。女子にはやさしかった。」とニコニコ笑っていたのを思い出します。

34e1ce18.jpg自分が仕事柄、日中はワリと時間がとれると分かると、
「酒田にゴルフバックを買いに行くから乗せていってくれ。」と
突然電話がかかってきて一緒に買い物に行ったこともありましたね。

青と緑のバックを並べて見て、
「どっちがいいと思う?」
「先生は、やっぱり緑(鶴商カラー)でしょう。」
うん、うんと頷いてそのバックを購入されてました。

先日、やんちゃにご来店してくれた息子の賢君にその時の話しをしたら、
「その緑色のバック、父さんの形見で自分が今使ってますよ。」
「先生は、賢君と一緒にゴルフしたいって、ずっと言ってたもんだよ。」
「つい最近になって、父さんにゴルフやるから教えてよ、って言ったらすごい喜んでくれて。」
「そうだろうなぁ。。。」
「そしたら、何個かあるセットの中から、これ使えってくれたんです。」
「そっかぁ。。。大切に使ってあげてな。」
「はい。もっと早くゴルフやればよかったです。」

自分もゴルフが上手くなりたくて、先生行きつけの練習場に押しかけて手取り足取り教えて頂きました。
正直、野球はそんなに教えてもらった記憶がないんですけど、
ゴルフは本当に熱心に一週間マンツーマンで教えて頂きました。

「お前は、野球よりゴルフのほうがセンスがあるな。」
「マジっすか。やっぱり野球はダメでしたか(笑」
「うん、うん。ゴルフ部だったらレギュラーだったかもな。」
「・・・それって喜んでいいんですかね?」
「わからん。けど、お前は野球では気持ちが優しすぎた。」
「そうですかね。」
「お前は仲間を大事にする気持ちが人一倍強かったから、
 チームメイトを押しのけてまでレギュラーを獲るという気持ちが弱かった。」
「ええ。」
「でも、チームとしては、お前みたいなヤツがいると心強いもんだ。」
「ありがとうございます。」
「野球も、ゴルフくらい一生懸命やれば上手くなったかもな(笑」
「それを言わないでくださいよ。」

特待生でもない自分が、憧れのタテジマのユニホームを着てベンチに入っただけで、
気持ちが満足していたのは事実かもしれません。
先生はすべてお見通しだったんですね。

現役時代よりも、ここ10年を大変可愛がって頂いたと思っていました。
でも、先生は現役時代からずっと教え子達を厳しい眼差しで見守って頂いていた事に、
随分と歳をとるまで気付かずにおりました。

たくさんのことを教えて頂きましたし、もっといろんなことを教えて頂きたかったです。
思い出は尽きません。
その思い出と共に、これからの人生を自分のペースで歩いていきます。

「イシカワ、急がば回れだ。人生もゴルフも焦らず、広いところからゆったりと行きなさい。」
ゴルフのラウンド中にもたくさんのアドバイスを頂いていました。
今頃になって、心に響く言葉がたくさんあります。

先生がいつも楽しみにしてくれていたOB会ゴルフコンペの際は、
先生とお揃いのアレを持って行きますので、天国で見ていてください。

先生、本当にありがとうございました。
また、思い出話しを書かせていただきます。


毎度ありがとうございます!

母校の甲子園出場をきっかけに、自分が1年の時の1コ上2コ上の先輩方と
連絡を取らせて頂く機会が増えてきました。
そんな中、2コ上のハヤシさんから28年前の準々決勝「鶴商VS寒河江」のDVDを
わがままを言って送ってもらいました。

自分は高校1年生。
入部・入寮してから2ヶ月ちょっとしか経っていない頃でしたけど、あの日の事を鮮明に思い出しました。

30年前の甲子園出場の翌年の夏(自分は中3)、鶴商学園は同じく準々決勝で「寒河江」と対戦し
延長13回の末、辛くも3-2で逃げ切り準決勝に駒を進めていたんです。
あの頃の「寒河江」は、夏に大物食いをすると言われていて不気味な存在だったんですよね。
ずば抜けた選手がいるわけでもないのに、私立相手に俄然闘志むき出しで向ってくる。

そして奇しくも、その翌年も準々決勝は「寒河江」と対戦することになったんです。
この年の優勝候補でもあったシード校「米沢中央」を2回戦で撃破し、
好投手高山を擁する酒田南を接戦で制して勢いあるまま勝ち上がってきていたんですね。

一方、鶴商学園は同級生だったアイタが1年生からベンチ入りしシード初戦の置賜農戦に先発。
なんと先制の2ランを浴びるなどして大波乱の幕開けだったんです。
当時のエースは2年生シラサキさんでしたけど、そうそうたる3年生の中でのピッチングは
口には出せませんでしたけど、精神的に萎縮しているように自分には映っていました。

そして大会は、雨が続くんです。
三日ほど雨で順延し、常宿「仙台屋」で待機のレギュラー組は、テンションだだ下がりだったそうです。
その当時は、部員全員が帯同ではありませんでしたので、毎朝マイクロバスで白虎隊も出発し、
中止の決定を聞いては鶴岡にトンボ帰りするという、苦痛の時間を過ごしていたわけです。

3回から始まるこのDVDは3-0で鶴商がリードしている場面からでした。
そう、この試合、負けるなんてこれっぽちも思わなかったし、負けた瞬間も頭が整理できなかった。

今でこそ、高校野球独特の選手の心理状態や、一球の怖さ、試合の流れ、勝負どころなんかも
少しは分かるようになったと思ってるんですけど、あの時は初めて高校野球部員として
甲子園に行ってもらうためだけに、がむしゃらに応援していただけでしたからね。
逆転されるなんて、これっぽっちも頭に中になかった。

1点リードで迎えた9回表に、連続四球で満塁、パスボールで同点、スクイズで逆転。。。
今、目の前で何が起きているのか、理解できてなかったですから。
「えっ、・・・ えっ、・・・ えっ、・・・」の繰り返し。
そんな、スタンドからただ呆然と試合を見つめている28年前の自分もチラッと映ってました。

試合後、スタンドから選手控え室に降りて荷物を積み込むんですけど、
負けた選手のコメントを取る記者達との、「もういいでしょう!負けたんだから!!」みたいな、
その殺伐とした空気まで思い出しましたからね。

そして、そんな先輩達の目にも涙があった。
あんな鬼みたいに怖い先輩達が泣き崩れる姿をはじめて見て、
これが高校野球なのかと思ったものです。

その時に、絶対に甲子園に行きたいと、初めて思ったんですよね。
この人たちの分も、甲子園に行きたい!そう思った瞬間だったんです。

b5129e5e.jpgでも、自分達も行けなかった。
同じように泣き崩れる自分達の姿を同じように後輩達が見て、
きっと同じように心に誓ったと思うんです。

そんな時間の繰り返しが30年という時の重さでもあったわけです。

いろんなことを思い出したDVDでした。
自分達が日大に負けた時のDVDよりリアルに悔しさがこみ上げてきたし、
なんか懐かしくも忘れていた感情です。

「悔しさが人を強くする。」

今までの自分の人生を振り返った時に、心の奥底にあった強い感情なのかもしれません。

少しセンチメンタルな気分になった夜でした。

 
毎度ありがとうございます!

04d90e1d.jpeg自分達の高校時代には、応援団(通称:団部)というものがありました。
今はもうとっくにありません。
自分が鶴岡に戻ってきた10年前にはすでにありませんでしたから、
すでに15~6年は無いんだと思われます。

真夏の炎天下の中、我々野球部員と一緒になって声を絞り上げ
一生懸命に応援してくれる姿に、どれだけ勇気づけられたことか。
当然、県内のどの高校よりも鶴商学園の団部が一番かっこいいと思ってました。

今回の甲子園出場でも、残念ながら団部は結成されませんでした。
甲子園出発前のある日、当時の応援団顧問のシブヤ先生に

「相手はアルプスにCの人文字で有名な智弁ですよ。エール交換も出来ないじゃないっスか。」
「そうなんだよな。でも今からじゃ時間がないのよなぁ。。。」
「なんか、今回の甲子園じゃなくても、団部を復活したらどうですか?」
「それがよ、今は生徒が恥ずかしがって誰もやらないんだな、これが。」
「へぇ~、そんなもんですかね・・・。」

当時はまだ寮生がたくさんいましたし、そのほとんどが、言わばろくでもない不良が多かったんです。
パーマかけたりリーゼントにしたりボンタン穿いたりして、自己主張したい盛りのエネルギーを、
「堂々と長ラン着れるし、リーゼントもOK!」とシブヤ先生が上手くまとめ上げ、
気合いの入った応援団が結成されていたわけです。

野球部同様、気合いの入った部は気合の入った後輩達に受け継がれ、
いつの時代にも空高くなびく団旗と太鼓の音とが、スタンドの風物詩だったものです。

あの頃、団部と一緒に歌った応援歌やマーチは、今でも覚えている思い出のひとつです。
その中でも試合に勝ったときだけスタンドで歌う、「勝利の歌」なんてカッコよかった・・・。

「勝利の歌」
いざ歌え われらが友よ
勝利の歌 意気高らかに
燃ゆるあこがれ
斗志のいさを
見よ 精鋭の集うところ
おお わが母校 鶴商学園

「鶴商マーチ」
守るも攻めるも 鶴商の
団結かたく 手をにぎり
今日の勝利は 我のもの
互いに手を取り 励み合い
一球入魂 優勝めざして
共に励むは 鶴商健児

今でも完璧に歌えます(笑
って言うか、むしろ今だからこそ男気溢れるこの詩を、スタンドで歌いたい。
鶴商を鶴東に替えても、全然ハマリます。
昨今の「くちラッパ」で、メガホン片手に「パパ~パパパ、パ~パ~パ~♪」よりも
シブくてカッコいいと思うのは自分だけですかね。

ちなみに、この応援歌はスタンドで歌いますんで、1年生からベンチに入ってるような
出来るサラブレッドは、よく覚えてないハズなんですよ。
だから、最初の一小節を口づさんで食いついてくるヤツは、自分も含め「補欠」が多い(笑

酒飲んでるときに歌うと盛り上がります。
そう言われると、甲子園に向うバスの中で缶ビール片手に、8コ下のナガオカと大合唱した記憶が・・・。
あいつ、キャプテンだったのに、なんであんなに歌えるんだろ?

まぁ、リクエストがあれば今度は「俵の舞」の歌詞も三番まで完璧にアップしたいと思います(笑

OBだけか。こんなんで盛り上がるのは・・・ε- (´ー`*) フッ

よーし、今日はここまで!押忍!オッス!


鶴商学園時代の恩師、田中監督が8日にお亡くなりになりました。
30年ぶりの甲子園での熱戦を前に旅立たれたこと、残念でなりません。

優勝が決まった瞬間、透析のため病院にいた先生は涙を流して喜んでいたそうです。

誰よりも楽しみに、誰よりもこの日を待っていたのに、本当に残念でなりません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

先生・・・今までありがとうございました。

先生・・・本当にありがとうございました。

先生・・・どうぞ安らかにお眠り下さい。

                      合掌。



なお、葬儀につきましては、ご家族のご意向で密葬となりました。
9月中旬頃、改めて告別式を執り行うご予定だそうです。
何卒、ご理解のうえご配慮いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
毎度ありがとうございます!

明日は、娘が通う鶴岡東高の「運動会」(体育祭)があります。
当時、野球部だった自分にとっては、全然楽しくない思い出しか残ってないんですけど・・・。
(過去記事:「運動会 高校編」参照)

娘に聞くと、全員が100m徒競争に出るんだそうで、
「高校生になってからの100m競争って、いらないと思うんだけど?」なーんて愚痴ってました。
可哀想だが、父は何もしてやれん。
100m、頑張りたまえ。

で、そんなことより、仕入れの関係で毎日「鶴岡東」の前を通るんですけど、
当時の一般学生寮の「登高寮」の解体工事が本格的に始まってました。

12d71b71.jpeg自分が住んでいた野球部寮の方は、
すでに20年近く前に解体されていて今は室内練習場になっています。

夏の甲子園予選で負けた翌日には、地元の生徒はようやく自宅に戻り、
県外からの生徒は一般寮に引っ越すことになっていました。
今、取り壊されている「登高寮」は、県外からの生徒が住む
一般寮の方なんですよね。

野球部員は、ここの一階にある風呂と談話室を毎日使って生活してました。
県外からの一般学生を積極的に受け入れていた「鶴商学園時代」の象徴ともいうべき
この建物がなくなるのは、やはり当時を知る者としては、一抹の寂しさがこみ上げてきます。

青春時代の3年間、この寮にお世話になった生徒は、かなりの人数になるでしょうし、
その人数分だけ辛い思い出がビッシリ詰まっていた建物です。
当時の寮生が高校時代を語る時には、そのほとんどが「登高寮話」なのも、分かる気がします。

解体後、この場所が何になるのかは分からないんですけど、
せっかく毎日通る道ですんで、きっちり最後まで見届けてやろうと思ってます。

なんか今日は、高校時代の夢を見そうです。
あの、イヤな夢を・・・(笑

毎度ありがとうございます!

昨日は、鶴商学園時代の1コ上の先輩「マナブさん」がご来店。
金曜日にも職場のメンバーでいらしてたんで、ほぼ連チャンでご来店頂いたことになります。
いつもいつも、ありがとうございます。

あの時代の1コ上なんていうと、絶対服従で毎日ボコられていた嫌な思い出しかないんですけど、
歳をとるにつれて同志というか仲間というか、ミョーな親近感で親しくさせて頂いております。

a6eb8f8e.jpegマナブさんとは、実は誕生日が10月20日で全く同じなんですけど、
唯一、中学時代から知ってる先輩にもかかわらず初日からシカトされました(悲
さらに「仏のマナブ」というくらい、後輩を叩かない温厚な先輩だったんですけど、
唯一、現役時代に手をあげたのは自分にだけという・・・(悲、悲

「現役時代、オレのことぶん殴りましたよね!」
「そうそう、おれが現役時代に手あげたの、唯一お前だけ。」
「よくも、やってくれましたよね~」
「いやいや、あれは完全にお前が悪いだろ!」

酔っ払ってくると、毎回そんな思い出話に花が咲きます。

実は、マナブさんにやられたのなんて全然カワイイもんで、
同じファーストだった「クマガイさん」の方が苦手だったんですよね。

ノックでイレギュラーするとぶん殴られ、トス上げの位置が悪いとぶん殴られ、
ピッチングマシンの球入れのタイミングがずれるとぶん殴られ、
どれも、「あんたが下手なだけだろ!」と思っていても口には出せず・・・。

でも、人間って心で思うと顔に出るんですよ。
クマガイさんって、そういう表情を絶対に見逃さないいやらしい男なんですよ。

中学まで少林寺拳法をやってたとかで、【正拳突き】やら【裏拳】やら【上段回し蹴り】やら
まさに「人間サンドバック」状態で、大袈裟ではなく365日中300日はやられてましたもんね。
最後は必ず“みぞおち”を蹴られ、立ち上がれなくなってその場にぶっ倒れて終了・・・。

ある日、珍しいことに「コーラを買って来い。」とパシられた際に、飲みかけのコーラを差し出され、
「お前も飲めよ。」と言ってくれたんですけど、絶対に飲みたくなくて口だけつけて返したという・・・。
で、またそれを見破られて「なんだ、お前。」と、またボコられるという最悪な先輩でしたもんね。

でも、今はその「クマガイさん」とゴルフにも行くし、パソコンの件でも面倒見てもらってるし、
大人になってからは一番親しくさせてもらってます。
不思議な関係ですよね~(笑

いくつになっても先輩後輩の関係は変わらないんですけど、
大人になった今だからこそ、いい関係になれるというのもあると思うんですよね。
ほとんどの場合は、やられた後輩側が当時を受け入れるかどうかにかかってますけど(笑

つまり、自分は心が広~い後輩というなんでしょうかねー(爆

「今度、あの年代で集まるか!」なんて話で盛り上がった夜でした。
調子乗ってると、また、ぶん殴られそう・・・。
( ̄□ ̄;)ギョッ
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