"家族"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
こんな時こそ明るい話題で盛り上げたいところなんですけど・・・。
今年も、自分がお世話になった大切な人との「お別れ」が、とても多いのが残念でなりません。
実は今週の初めに、叔父さんが亡くなったんです。
享年77歳。まだまだこれからの人でした。
いとこが同い年だったこともあって、おじさんの事を一緒に「パパさん」と呼んでいました。
2歳のときに両目の視力を失うというハンデにもかかわらず、盲学校を主席で卒業し、
国家資格を取得して自身で「鍼灸院」を営んでいたんです。
盆や正月にウチに来ると綺麗にお膳の料理を食べてるし、
お酌をすると、溢れる前に「おっとっと。」なんて言いながら盃を持ち上げてるし、
まだ子供だった自分には、その事がとても不思議でなりませんでした。
【点字】というものに初めて触れたのも「パパさん」の家でしたし、
子供の頃から「言ってはいけない事、口に出してはならない事。」があることを学び、
障害を持つ方々への思いやりの心も無意識に教わっていたように思います。
【点字ブロック】や【音の出る横断歩道】など、
あまりの不備さに憤りを感じたこともたくさんあります。
そのせいですかね~。
中学時代は24時間テレビの街頭募金活動に参加したりして
「身体の不自由な方への募金を宜しくお願いしまーす!」
なんてやってたんですよね。
自分が高校の頃から、ひどい腰痛で歩けないときも、体に触れただけで疲れや痛みを見抜き、
的確な手技で鍼を打ち、痛みを取り除いてくれたものです。
人生のほとんどを光のない世界で過ごした「パパさん」が、もし生まれ変われるのなら
今度こそ愛する家族の顔が見える、明るい光のある人生であってもらいたいと切に願います。
「パパさん」から、たくさん助けてもらいました。
「パパさん」から、たくさんの事を学びました。
その教えてもらったたくさんの事を、今度は子供達に伝えていきます。
優しく思いやりのある子供になるように、天国から見守っててください。
心からご冥福をお祈りいたします。合掌。 -
毎度ありがとうございます!
昨日はあいにくの雨の中、鶴岡東高校の入学式でした。
自分とカミさんの母校でもある鶴東に入学する娘の姿を見て、感慨もひとしおでしたね。
当時と比べれば、制服も随分と可愛くなりました。
商業科のあった校舎も今や3階建ての立派な校舎に変わってましたし、
廊下にロビーみたいなベンチもあったりして、
環境も格段に良くなっているのが分かります。
入学式の行われた体育館は当時のままでしたけど、
その雰囲気のせいか自分の入学式の時を思い出してました。
志望校ではなかったために、まだ気持ちの切り替えができず
野球もやるかどうかさえも決めかねてたんですよね。
結果的には野球部に入るんですけど、まぁその辺の話はまたの機会にでも書いてみようと思います。
式のあと、各クラスに戻って担任の紹介やらのホームルームがあったんですけど、
なんと、特進科B組の担任は新卒の22歳!
ついこの間まで学生だった三浦春馬みたいなイケメン先生だったんですよ。
後ろに並ぶお母さん達の眼差しが、色めき立っているのが分かります。
オイオイオイ・・・、大丈夫かよ。
ウチにいるバイトのハタケよりも歳下ってことだろ。
リアルに考えられないぞ( ̄へ ̄|||) ウーム
大丈夫かよ、マジで。
でも、そんなことより、時間割を見てもっとビックリ!
朝8時10分から、すぐに1時間目ならぬ0時間目の100分授業が始まるんですよ。
自分の娘ながら、こりゃ大変だな~って痛感してきました。
夏はチャリ通でいいんでしょうけど、雨の日や冬は近くにバス停もないんで車で送るしかないでしょう。
弁当は自分で作るって言ってますけど、しっかりと朝食も食べさせないとなりませんし、
朝は今まで以上にハードになりそうです。
カミさんが夜勤の日もありますんで、想像するだけで朝は戦争でしょうね・・・(汗
そんなこんなの3年間が、いよいよスタートします。
自分にとっても楽しみな3年間です。
さて、これから娘と弁当箱を買いに行ってきます。
息子は、またゲームかな( ̄-  ̄ ) ンー
みなさま、素敵な週末をお過ごし下さい。
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毎度ありがとうございます!
3月後半からの店の忙しさと、バイトの補充がうまくいかないという精神的な疲労感を
リフレッシュするべく、「いこいの村庄内」で風呂に入ってきました。
我が家では、外で風呂に行くとなれば、「いこいの村」と決まってるんですよ。
まず、お湯がぬるい。
ほとんど、混まない。
それでいて、露天風呂とサウナもある。
もともと、自分は「カラスの行水」並みに早風呂なんですけど、
息子と一緒に入ると、倍も時間がかかるんですよね。
だから、風呂が熱いとすぐのぼせてしまうんですよ。
そういう意味で、ここのぬるいお風呂は丁度いい温度なんです。
いつもだと、大山にある「いろは食堂」で軽く夕食を食べてから、
入浴開始時間の6時半を目指します。
今日は、カミさんが仕事でしたから、家で夕食を食べてから出かけたんですけど。
相変わらずガラガラで、露天風呂も貸切状態。
手足を放り出して風呂にゆっくりと浸かり、サウナで汗を出してスカッとして、
思いっきりリフレッシュしてきました。
明日から、また頑張れそうです。
それよりも、どこかにバイトできる方、いませんか?
緊急で募集してます!!
条件は、5時半までに出勤できる方で、週2~3回出れる方。
何よりも気合いの入っている方であれば、後はこちらで鍛えます(笑
気になった方は、遠慮なくお問い合わせくださいませ。
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毎度ありがとうございます!
昨日、同級生ユージから息子に中古の自転車をもらいました。
掃除しながら、あちこちステッカーを剥がしてたら、
その下から同級生オノの息子の名前が出てきたんですよ。
どうやら、同級生の息子たち三代で、乗り継ぐことになったようです(笑
ありがたいことです。
今日、早速その自転車で、買い物がてら息子と少し遠出してみたんですよね。
で、その帰り道・・・、息子の自転車が「パン!」という音と共にタイヤがバーストしちゃったんです。
タイヤが劣化して磨耗しているところに、張り切ってパンパンに空気つめちゃったからなんでしょうね。
思わぬアクシデントに、後半は自転車を押しながら帰ってきました。
ガソリンを使わないようにと自転車で出掛けたのに、結局タイヤ交換のために車に積んで運ぶハメに。
そしたら、ホームセンターの自転車コーナーはタイヤ交換に三日かかるなんて言うんですよ。
確かに、この非常事態で自転車の需要が急上昇らしいんですけど、
三日はかかり過ぎでという事で、そのまま今度は町の自転車屋さんへ。
そこも、新規のお客さんやらパンクの修理やらで忙しそうだったんですけど、
車から子供用の自転車を降ろしてたら、店のおじさんが
「こりゃパンクじゃなくて、バーストだな。タイヤ交換になるけど、子供のならすぐにやってあげるよ。」
なんて頼もしいこと言ってくれるわけです。
で、どうせならと、前輪後輪の両方交換してもらう事にしたんですね。
待ってる間に、なーんか改めて町の商店って、たくましいなぁって感じてたんです。
確かに金額じゃ大型店にはかなわない。
けど、顔が見える商売だけに、サービスや気持ちで勝負します、ってとこがいいじゃないですか。
我々、飲食業もチェーン店型が増えてきてますけど、
ここのおじさんのように、オレも負けてらんねーな・・・なんて思いながら待ってたんです。
「ハイよ、お待ちどうさん。ライトも接触が悪くて点かなかったから、それもやっといたから。」
「すいません。ありがとうございます。おいくらでしたか?」
「んーと、タイヤが2本で8000円、工賃が500円、あとライト調整が500円で9000円だね。」
「キュ、9000円・・・。∑(; ̄□ ̄A」
おじさん・・・たくましすぎるでしょ、それ。
子供用の自転車といえども、タイヤって結構するんですね・・・。
もうちょと足せば新車が買えるじゃん、などとは言いませんけど、
予想外の出費に思わず撃沈してしまいました。
まぁ、本人も気に入ってるようですんで、
どうせなら卒業まで乗ってもらいますか。
でも、さすがにそこから四代目は現れないだろうなぁ・・・。 -
毎度ありがとうございます!
昨日は、娘の中学校の卒業式でした。
このたびの震災に遭われた方々の中には、たくさんの子供たちもいるという現実を踏まえながら、
「命の尊さ」「家族の絆」「助け合いの心」などという言葉を、あちらこちらから頂戴した卒業式でした。
祝賀会の中止の検討や、二次会の中止など、
実行委員の方々は大変なご苦労があったようです。
全体的な「自粛モード」の中で、
「今、それどころじゃないだろう。」的な雰囲気でしたけど、
自分的には、素直に嬉しい一日だったと思います。
進路のことで夜遅くまで話したり、一緒に泣いたり笑ったりした三年間でしたから。
運よく震災に遭わず命あることに感謝しながら、家族でお祝いしました。
命ある者、生き残った者には、「やるべきこと」「託された使命」があると思うんですよ。
それは、共に悲しみ下を向くことじゃない。
哀悼の気持ちを胸の中にしっかりと持ちながらも、明るい明日への希望が持てるように、
明るく、元気良く、笑顔を見せて立ち向かっていくことじゃないかと思うんです。
鶴岡でも、明日午前9時から正午まで「計画停電」になるようです。
エネルギー確保のため、大いにやっていただいて結構なんです。
協力できることは喜んで協力する。でも、共倒れしたんじゃ意味が無い。
仙台にいる姉家族が二日間の避難所暮らしの後、何とか鶴岡に戻ってきました。
温かい煮込みを食べ、「やっと温かいもの食べれた。美味しい!」と言いながらビールを飲む姿に、
できる限り店を開けて、みなさんの笑顔を取り戻したいという想いが強くなってきました。
自分達のような飲食店にも、明日への活力を取り戻し明るい未来へ向かって、
少しでも背中を押してあげれることができるのなら、それはそれで大きな役目だと思うんです。
・・・卒業式の話から脱線してしまいましたけど。
明日は、市内の小学校の卒業式が予定されてますけど、「計画停電」で、どうなるものやら・・・。
とにもかくにも、今を必死で乗り切るしかありません。
頑張ろう!東北! -
毎度ありがとうございます!
3月に入り、なかなか更新できずにいるブログですけど、久しぶりに親父の話でも・・・。
うちのスタッフ、ユウタロウのお父さんが、バイトの日はユウタロウが帰ってくるまで寝ないで
晩酌しながら待っていてくれてる、なんて話を聞かされたもんですから、
自分も、亡き親父を思い出してしまいました。
最後に親父と呑んだのは、自分が24歳の時でした。
当時、函館に住んでいた自分が突然、思いつきで帰省した日のことです。
車で降り立った青森のフェリー埠頭から
「今から帰るから。たぶん夕方頃には着くと思う。」
「そうか。なんか食いたいモンあるか?」
「ん~。刺身がいいな。」
「そうか。気をつけて来い。」
「うん。わかった。」
なんて電話で話してたんです。
車を7時間走らせ、予定通り夕方6時くらいに実家に着いたんですけど、
どうやらその日の晩メシは焼き魚とコロッケの予定だったようなんです。
それでも、自分が突然帰ってくるからと予定にない刺身を親父は作ってくれていたんですね。
けど、その刺身を見たおふくろが仕事から帰って来て、そんな親父に小言を言ったんです。
「今日は、昨日のコロッケと焼き魚って言ってあったのに、わざわざ刺身なんか作って!」
その頃すでに年金暮らしで収入のなかった親父は、
言いたい事をグッと我慢してプイっと家を飛び出したんです。
そんな時は決まって、近所の「すき焼き屋」に行くのがお決まりのパターンでした。
「親父は何も悪くねーだろ!」と、
おふくろと自分も口論になったあと、自分も親父の後を追って「すき焼き屋」に向かったんです。
案の定、一人手酌で日本酒を飲んでる親父の姿がそこにはありました。
「・・・おう。」
「今日はゴメンよ。オレが刺身なんて言ったもんだから・・・。」
「・・・なんでもねえ。」
「しっかし、おふくろもムカツクよな!」
「・・・。」
親父は何も言いませんでした。
ただ、黙ってテレビに映る巨人戦を見上げながら、一人手酌でやってたんです。
その時に、「酒もタバコも自分のタイミングでやるのが一番旨いんだ。」と教えられました。
「お前も、自分でやれ。」と二人して手酌で飲んで、1時間くらい無言でやってましたかねぇ。
二人で何本飲んだのかは、覚えてないです。
ただ無言で飲んでる親子に、女将さんが徳利を運んでくるたびに話しかけてくれて、
「お父さん、いっつもあんたの事話して聞かせてくれてるのよ。ねえ。」
「・・・。」
「そうっすかぁ。デキの悪い息子だってでしょ。」
「ううん。三人兄弟の中であんたが一番優しいって。」
「・・・。」
「へぇ~。初めて聞いたなぁ。」
「鶴岡に帰ってきたら?ねぇ、お父さん!寂しいよね。」
「・・・別に。」
「ははは。」
今思えば、二人っきりでサシで飲んだのは、あの時が最後だったなぁ。
もっと、たくさん話しをしておけばよかった。
もっと、一緒に酒を飲んでおけばよかった。
もっと、もっと・・・
亡くなってから17年も経つのに、今でもたまに親父の事を想って寂しくなる夜があります。
昨日がそんな夜だったのかもしれません。
さーて今日は、息子と前から約束していた
「映画ドラえもん」を観に行ってきます。
親父と一緒の時間は、もう過ごす事ができないけど、
その分、家族とのこれからの時間を大切にしていきたいと思います。
みなさんも、素敵な週末をお過ごし下さいませ。