-
毎度ありがとうございます!
いよいよ高校野球が始まりました。
毎年のことですけど、やっぱり夏の予選が始まって、ようやく夏が来たという実感がわきます。
今年の鶴岡東は、決定的な攻撃力には物足りないものの、投手力を含めた守備力は
確実に県内屈指のチームに仕上がりました。
泣いても笑ってもこの大会で終わる3年生は、甲子園出場に向けて悔いの残らぬよう
全身全霊で戦ってほしいと思っています。
OB会の仕事に従事するようになって、父兄の方々とも球場内外で親しくお話しさせて頂く機会が
増えたのは、本当にここ最近になってからなんですよね。
昨日も、新庄から「すんじょーさん」にご来店いただき、馬肉のお土産まで頂戴してしまいました。
早速、スタッフみんなで、閉店後に美味しくいただきました!
本当にありがとうございました。
思い起こせば、自分がOB会の事務局を引き受けたころは、OB会費納入のハガキを送っても
「卒業してもまだ金をとられるのか!」とか「もうハガキは送らないで結構です!」とか
3年前の甲子園出場の時でさえ「寄付金の案内きてねーから払わねーぞ!」などと
直接電話をよこすびっくりするような親もいたもんです。
我々OB会は、強いときも弱いときもずっと変わらず愛校心のもとにOB会費を納めて、
差し入れをし、3年生食事会も開き、現場には毎年必ず用具購入の補助を行ってきました。
ご父兄のように、ご子息のいる3年間だけでなく、何年も何年も部員の顔も名前も分からぬとも、
そうやって微力ながら陰で支え応援してきたという自負があります。
OB会は父兄会の下部組織ではありません。
600人以上の野球部卒業生からなる純然たる「鶴岡東野球部」支援組織なんです。
ご父兄の皆様と同じく、甲子園出場に向けて応援し支えていく組織なんですよ。
ともに同じ方向に向かって応援していくんですから、お互いに協力し合いって、
お互いにリスペクトしていくのが当たり前だし、それが望ましい関係だと思うわけです。
「金をとられる」とか「寄付金を払わねーぞ」とか、さらには「あんた」呼ばわりしてくるご父兄には、
「あのー、なにか勘違いされてませんか?」って、きっちり話しつけさせてもらいますけどね。
ともに声をからし、ともに涙し、いつでも一緒に応援しているOB会なんだということを、
分かってもらうまでには本当に時間がかかった気がします。
今のご父兄の方々とは自分とも年代が近いですし、なかには中学・高校の同級生もいたりして、
我々の活動もきちんと理解していただいておりますんで、本当に友好的な良い関係だと思います。
形は違えど、支えていく大人が協力的というのは1+1が3にも4にもなりうるんですよね。
そういう意味でも、今年は例年以上に楽しみな大会になりそうです。
昨日の開会式の様子をテレビで観ていて、自分の頃を思い出しました。
どれだけ強く「甲子園に行くぞ!」という想いがあったかと聞かれれば、
正直そんな自信はないですけどね(笑
準決勝まで順当に勝ち上がって、「ここで勝ったらありえるんじゃねーか?」
なんて思ってたら、やっぱりダメだったかっていう感じでしたね、自分は。
試合前のグランド整備を待ってる間に、日大のやつらがベンチ前でキャッチボールしてるのを
ベンチでふんずり返って「よくやるなぁ~」なんて眺めてたくらいですもん、そりゃ、負けますよね。
だいたい、一度も勝てなかった日大戦を目前にして、その態度がふてぶてしい(笑
でもね、そういう時代だったんです。
相手を飲み込むというか、あえて余裕ぶってみせるというか、必死に食らいつくというより
強者の余裕みたいなのがカッコいいと思っていた時代だったんですよね。
まぁ、昔話しはこのへんでいいとして。
高校野球の前に、今日はこれからスポ少の公式戦「ろうきん杯」があります。
5年生の息子に出番があるかどうかは分かりませんが、チームの一員として
一生懸命声を出して頑張るように言って聞かせました。
忙しい週末になります。
ぶっ倒れないように気合い入れて頑張ります!
オッシャー!!
-
毎度ありがとうございます!
昨日は、舟形町にある県民ゴルフ場で毎年恒例のOB会ゴルフコンペに行ってきました。
息子がスポ少を始めてから、めっきり練習もラウンド回数も減ってしまってますが、
毎年楽しみにしているコンペですんで、気合い入れて行ってきましたよ。
やっぱり人数が多いと、コンペは盛り上がりますよね。
しかも、終わってみればベスグロは25歳の初参加コダマの88!
恐ろしいルーキーが現れました(汗
で、自分はというと・・・スタートの10番で、いきなりバーディ発進!!
11番ショートでパー、12番ミドルでボギーという、練習不足をまったく感じさせない
イーブンペースの好調な滑り出しなんですよww
いつもならシェイクハンドするユウキがいないことが、本当に残念でなりませんでした(笑
「なんだよ、ゴルフって簡単じゃん!」なんて、決して慢心したわけではなかったんですけど、
13番でOBパーのダボで+2、14番ではまたまたOBのトリプルボギーで+3、
15番ではなんとダブルパーの8点で+4・・・(泣
もうね、途中からなにやってるんだか、わけわかんなくなりましたもんね。
終わってみれば51・49の100点!!
まぁ、残念ながら今の実力なら、こんなもんでしょうかね。
パッティングも悪くないし、アプローチもまぁまぁ。
ドライバーだって練習不足のOB3発だったら、まぁそんなもんでしょう。
あれだけ得意だったアイアンが、まったく当たらないんですよ。
セカンドOBも何発打ったんだろ。
これじゃスコアはまとまりませんわな。
もうちょっと練習したいところですけど、今週の土日は息子のスポ少の
「ろうきん杯」ですし、月曜日はいよいよ鶴岡東の夏の戦いが始まります。
ゴルフしてるヒマがありません(泣
久しぶりのコンペでしたけど、楽しんでリフレッシュしてきました。
毎日、なんだかんだとプライベートでも忙しいですけど、ストレスを溜めないためにも
ゴルフは合間を見つけてはやっていこうと思います。
さて、今週も始まりましたね。
暑くなってきて、お客様の生ビールを飲む表情がたまらなく美味しそうに見えます(笑
今日も、ゴクゴクプハーっとやっちゃってくださいませ。
いつもの場所で、のんびりとお持ちしております。
-
毎度ありがとうございます!
気がつけば7月に入り、サッカーワールドカップもいよいよクライマックスというなか、
やっぱり夏は高校野球が一番だと思っているんですよね。
今年の鶴岡東は春季大会の結果をもとに、第3シードで大会に挑みます。
この春は、県第3代表として東北大会にも出場し、実に13年ぶりにベスト8進出を決めてくれました。
甲子園に出場した3年前の春は、県大会で鶴岡工に負けていたくらいでしたから、
それからみれば今年の実績は申し分ないところでしょう。
が、戦前の下馬評通りにはいかないのが高校野球。
一戦必勝が鉄則なんでしょうけど、それは選手や現場が意識して挑むこと。
我々OBは、期待と願望を乗せて甲子園に行くための応援をするわけですから、
第3シードでしかも東北大会での勝利という経験値から、自ずと期待感も高まって当然なんです。
ベスト4までは順当に勝ち上がってもらわないとなりませんし、それが強豪校の宿命なんですよ。
プレッシャーかもしれませんけど、県内ベスト4がプレッシャーなら甲子園で勝てるはずがありません。
毎年毎年、部員は入れ替わるのに、俗に言う格の違いを見せつけるという【格】とは、
そういうものなんだと思うんですよね。
県立高校が善戦してベスト4進出で喜んでいるのとはワケが違うんですよ。
特待生として体育科に入学し、専用球場にナイター設備、野球部専用バスで
関西や関東に遠征と、その環境は毎年甲子園出場を視野に入れて戦う
強豪校なわけなんですから、それを応援する側が「格」を意識するのは
当然なんです。
何度もいいますけど、戦う選手達は先を見ずして目の前の一戦を必死に戦わないとなりません。
が、我々応援する側は、トーナメント表を穴があくほど眺めながら、甲子園出場へのプロセスを思い描き
どの対戦が勝負どころか、どの試合が山場になってくるのかを想像しながら応援するのは
すごく自然で当たり前なんですね。
そのくらい今年のチームには期待がもてますし、期待できる組み合わせになりました。
OB会の事務局を引き受けて10年以上・・・、強いときも弱いときも声をからして応援してきました。
微力ながら、3年前は念願の甲子園出場をバックアップしてきたという自負もありますし、
今度、出場した際には、もっとスムーズに円滑に準備運営していく自信もあります。
そろそろまた甲子園に戻らないと、他のチームに「鶴岡東はそんなに怖くない。」なんて
ナメられてしまっては困りますから、ここらでガツンと格の違いを見せつけて
準決勝、決勝と【順当に】勝ち上がってもらいたいものです。
今年も、もうすぐ開幕です。
みなさま、スタンドでお会いしましょう!
いや、お店でお会いしましょう!か(笑
-
毎度ありがとうございます!
先日の日曜日、49歳の前厄にあたっていることから急遽「厄払い」をやろうという事になって、
中学の同級生に声をかけ、男女総勢35名で無事にご祈祷を終えることができました。
いつの間にか自分が幹事長にさせられてましたけど、
地元にいる男女数人に声をかけ、そこから電話とメールだけという
お粗末な連絡手段にもかかわらず、男女35名の参加というのは
47歳という年齢を考えたら驚くべき参加率だと思うんですよね。
残念ながら都合により欠席という方が15名はいましたんで、
みんなが参加できれば50名。
学年全体で約280名くらいでしたから、地元とはいえこれだけの人数にサッと連絡がついて
これだけのメンバーがパッと集まるわけですから、このあたりがさすがに4中二期生なんですよ。
校内暴力に授業ボイコット、警察沙汰や新聞やテレビの取材も来てたくらい、
傍から見れば荒れた中学校で有名だったんだと思います。
学区編成に伴い新しく出来た綺麗な校舎だったにもかかわらず、
トイレの壁はすべてぶっ壊してありませんでしたし、毎日非常ベルが鳴り響き、
各階備え付けの消火器なんておそらく使えるものは一個もなかった気がします。
先生や他校とのケンカも日常茶飯事でしたし、盗んできた自転車で校舎内を走り回ったり、
給食時間の前には給食がないという、本当に好き勝手にやっていた中学校だったんです。
でも、今のような顔の見えない陰湿なイジメはなかったんですよね。
分かりやすい時代だったんです。
今でも「4中の出来た当時の卒業生。」というと、大体が「あー、あの頃の悪い4中ね。」と言われます。
悪いというよりも、男も女も仲が良かっただけだと思うんですよ。
特にうちのクラスは、勝手にキャンプを企画して、田川コミセンに男女全員で雑魚寝で泊まったりして
勉強以外は本当にまとまっていたクラスでしたもんね。
合唱祭でも、唱の練習なんかよりも、文化会館のあの大ステージで寸劇をやりたくなって、
勝手に「劇団わかくさ」を名乗って、全校生徒の前で音響を使ってくだらない劇をやったりしたりして。
それはもう合唱祭じゃねーだろうと(笑
でも面白そうじゃん、目立つんじゃねーか?みたいな(笑
だから、誰かが何かをやり始めるとみんながそれにに乗っかって全体が動いちゃって、
結局は先生の手に負えなくて対立・対峙するという、そんな他愛もない中学時代だったんです。
昔の学生運動みたいなもんに似ているのかもしれませんね。
みんなで「反対!反対!」を叫んで、大人や権力に反抗していくその一体感が止められないんですよ。
その同級生の結束力が、大人になっても繋がっていて、「何かやろう!」と誰かが言い出すと、
あっという間に「やろ!やろ!それ、面白そうじゃん!」てな具合で、まとまっちゃうんですね、きっと。
ハゲたり太ったり白髪になってたり、バツイチどころかバツ2はいるわ、シングルマザーはいるわ、
化粧がすごい美魔女みたいなのは来ちゃうわ、結婚してないやつらはお見合いみたくなっちゃうわで、
それぞれのいろんな30年という時間の経過を目の当たりにした反省会も、
想像以上に楽しすぎて「次は同窓会をやろう!」なんて、その場で盛り上がってましたもんね。
楽しい時間でした。
みんなの笑顔が嬉しかったし、久しぶりに中学生に戻ったみたいで
なんとなく気持ちだけでも若返りました。
荘内神社本殿にて厳かな雰囲気のなか、厄もしっかりと祓って頂いたし、
これからもまだまだ頑張っていかないとなりません。
「ヨッシャー!頑張るかぁ!」と気合いを入れたまではよかったものの、
ご祈祷してもらった名前入りの厄払いの御札を二次会会場の鮨屋に忘れてくるという、
ご利益もぶっ飛ぶ大チョンボを犯してしまっておりました(笑
早いうちに取りに行かないと、バチが当たるかもな、こりゃ。
-
毎度ありがとうございます!
昨日、スタッフのユウスケの家の貸駐車場で、自殺未遂騒動があったそうなんですよ。
車のマフラーにホースを付けて車内で排ガス自殺をしようとしていた男性をユウスケが発見、
すぐに警察に通報して車内から救出された男性は一命を取りとめたそうです。
車内にはメモ紙に書かれた遺書も見つかり、もう少し通報が遅ければ間違いなく死んでいたでしょう。
ブログには書かずにいたんですけど、北海道時代の同僚も先月40過ぎの若さで自殺したと
連絡が入っていたばかりで、悲痛な想いをしていたところでもありました。
死ぬほど辛い、死ぬしか方法が見つからない、本人たちはみなそう思うんでしょうが、
死にたくても死なない人や、死ぬ気で頑張っている人も世の中にはたくさんいるわけで、
あえて突き放す言い方をするならば、「いらない命ならくれよ。」と声を大にして言いたいわけです。
もっともっと生きたかったのに、無念のなか死んでしまった人がどれだけいることか。
そういえば、小学6年生の頃、自殺について作文を書かされた記憶があります。
みんなが「自殺は良くない。」「親不孝だ。」「卑怯だ。」「弱い人間だ。」と書くなか、
自分は「ぼくにとっては「死ぬ」ということが何よりも一番怖いのに、それを実行に移す勇気がある人は、
実はすごく強い人間だと思うし、そんな人間に憧れる。」と書いて、あとから職員室に呼ばれて
先生に怒られたことを思い出しました。
昔からひねくれていたというか、逆説的に皮肉ったつもりだったんですけど、
30年以上経った今でも、自分には自殺する勇気はありませんし、もちろん憧れたりもしません。
ただ、死んだつもりでもう一回頑張れることってあると思うんですよ。
実際に本当にどん底で頑張ってる人もいるはずですし。
そういう努力や頑張りを放棄して、死を選択するというのは、いくらその人の人生とはいえ
方法や選択が間違っている気がしてならないんですよね。
今日も日本中のどこかで、また誰かが自殺することでしょう。
そのすべてを受け入れる、受け止めることはできませんし、簡単に否定も肯定もできません。
でも、少なくとも自分のこれまでの人生において、少しでも関わった人や交流のあった人の自殺は
正直、残念とか悲しいとかという感情の前に、「なにやってんだ、バカヤロウ!」といった怒りや
憤りを感じてしまうわけです。
人生には死にたくなるほど辛く悲しい出来事や、逃げ出したくなることや、
自分の力だけではどうにもならないことも、たくさんあることも知っています。
金がない、仕事がない、人間関係が上手くいかない、家に居場所がない、借金で首が回らない、
会社で大きな失敗を犯した、家族を事故で亡くした、生きていく意味を見出せない・・・
それらの困難から逃げずに、悩み苦しみもがきながらも力強く生きていく者こそが
本当の意味での「強い人間」なんだと、今になれば分かってくることなんですけどね。
楽しいこと、良いことばかりの人生じゃないですけど、頑張って生きてさえいれば、
いい事の方が絶対に多いものなんだと信じて、これからも生きていこうと思っています。
人は、つらく悲しいとシクシク泣くから4×9=36
でも楽しくて嬉しいとハハハと笑うから8×8=64
足すとちょうど100になる。
だから人生は楽しいことのほうが多いんだよ、と。
梅雨空が晴れるように、抱えているものを吐き出して、
新しい空気を吸い込んでみましょう。
必ず、明日はやってきます。
人間、そのままでもいつかは死ぬんですから、
生きてる間くらい、やれることはやってみましょうよ。
自分にとっての今日という日を大切に、今日も一日頑張っていきましょう!
-
毎度ありがとうございます!
梅雨に入った鶴岡。
さすがに雨に濡れた身体は「寒い。」と感じる気温です。
5月いっぱいで販売を終了を予定していた「煮込み」ですけど、
その日の天候や気温に合わせて、もう少し販売を継続することにしました。
この機会に、是非、ご注文下さいませ。
今週は、すごく嬉しいことがありました。
野球部の先輩で仙台に住むカズヒロさんから、36年前の甲子園初出場時のユニホームを
「オレが持ってるよりイシカワが持ってろよ。」と譲り受けたんですよ。
最近は野球部ネタやOB会ネタは、OB会ホームページやfacebookで更新してるんですけど、
公式HPを最初に作った際に「ユニホームの歴史」みたいなページを作りたかったんですよね。
特に、この甲子園初出場時のユニホームは、当時の高校野球界においては
斬新かつハイクオリティなデザインで、どうしても実物を手にしたかった
一着でもあったんです。
伝説の君島投手が甲子園のマウンドで68球で完投した記録も、
このユニホームを着て生まれたものです。
HPを作成するにあたって、田中先生に当時のこのユニホームのことを
随分とお聞きしたものです。
先生のご自宅のクローゼットには、当時たくさんのユニホームやグラコンが保管されていたんですけど、
このバージョンのユニホームだけはありませんでした。
もう何十年も前、田中先生がお元気な頃にカズヒロさんが先生から「お店に飾れ。」と、
頂戴した一着だったそうなんです。
自分が、先生におねだりした際にも「ほら、これしかない。」なんて、この次のバージョンの
ユニホームを見せてくれたんで「先生、これよりも前のユニホームを探してるんですよ。」
なんて食い下がると、「どれも同じだ。もうない。」なんて軽くスルーされてしまいました(泣
それがなんと、ようやく自分の手に渡ってきました。
興味のない人には、まったく分からん世界でしょうけど、このライトグレー地に緑のタテジマ、
さらに首・袖・ベルトループ・パンツサイドに深緑のラインが施されているという、
これでもかと言わんばかりの装飾と豪華な刺繍は、いつまで見ていても飽きません。
実際に手にして分かったことが、この生地がニットだったということ。
実際にこれを着て甲子園で戦ったトオルさんに聞いたら「なんにも伸びない綿だった。」
なんて適当なこと言ってましたけど、生地はしっかりとした厚手のニット生地です。
白やアイボリーという色味に素材は綿生地のユニホームが主流の時代の中で、
いち早くニット素材を取り入れ、さらにこれだけのド派手なユニホームは
おそらく当時の高校野球界では他になかったと思います。
その分、ユニホームの着こなしにも田中先生には随分と教わったものです。
アンダーシャツの見せ方や裾のまくり方も細かく指導されました。
「ユニホームをだらしなく着る高校に強いところはない。」
確かに、今でもその言葉が胸の中に強く、強く残っています。
鶴商コレクターの自分にとって、残すアイテムは、甲子園のビデオだけです。
このユニホームを着て戦った第60回夏の大会【日田林工戦】のビデオと、
翌年の51回センバツ一回戦【天理戦】、二回戦【池田戦】のビデオを探しています。
テープ状態が悪くてもかまいません。
このブログをご覧のOBの方で、「そういえばあったな。」なんて方いらっしゃいませんか?
ダビングをして、大切に大切に資料として保管させていただきます。
当時は、自宅にビデオなんて高価で全然普及していなかった時代でしたから、
選手や父兄でも持っている方は少なかったと思うんですよね。
もう10年以上も探してますけど、未だに箱すら見かけておりません。
今度、自分のような鶴商バカのために、歴代のユニホームや帽子・グラコン・練習着を
眺めながら、これまでの鶴商のビデオを観たりアイテムを語り合うという、
一部のマニアしか楽しめない「Tsurusho only night 」でも企画しようと思っています。
多分、ポンセ、ナガオカの3人だけかもしれないけど(笑
36年前のユニホームに、元気とパワーをもらいました!
カズヒロさん!ありがとうございました!!
大切に、田中先生の想いも含めて、死ぬまで大切に保管します。
今日も一日頑張っていきましょう!!